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2025年1月19日日曜日

2025年は何かが起こりそうな 巳年!! 『巳』という漢字の成立ちの秘密:歴史、意味、そして現代への影響


『巳』という漢字の成立ちの秘密:歴史、意味、そして現代への影響

漢字『巳』の意味と成り立ちを深掘り!その起源や歴史、現代での使われ方を詳しく解説します。そして、今年は何か起こりそう!!
巷では「2025年問題」が囁かれ「日本が終わる」と、まことしやかに怪しげな予言なるものまで飛び交っています。

波乱の幕開け 偶然か必然か? 近代過去200年間の巳年に起こった世界的大事件

導入

このページから分かること
 漢字「巳」の由来と成り立ち。甲骨文字から小篆に至るまでの漢字「巳」の変遷とその歴史的な意味づけを漢字学者が読み解きます。また「巳」は蛇も意味しますが、古代の人々が、へびを恐れながらも畏怖と崇敬の念を持ち、いろいろな局面で畏敬の対象として心に刻み続けてきたありさまを明らかにします。そして辿り着いた漢字『巳』の教え:人はいつでもやり直せる 
   

前書き

目次




**********************

漢字「巳」の今

漢字「巳」の解体新書




漢字「巳」の楷書で、常用漢字です。
 この漢字には非常に紛らわしい以下のような漢字家族があります。ここでは一番最初の漢字「巳」を取り上げたいと思います。
  •  巳 へび 十二支の第6番目 
  •  已 止める、すでに あとで
  •  己 おのれ、つちのと(天干の第6番)


 
巳・楷書


  
巳・甲骨文字
巳・金文
巳・小篆



 

「巳」の漢字データ


漢字の読み
  • 音読み   シ
  • 訓読み   み

意味
  • 十二支の第6番目
  •  
  •  

同じ部首を持つ漢字     巳、巷、祀、己
漢字「巳」を持つ熟語    巳


**********************

漢字「巳」成立ちと由来

引用:「汉字密码」(Page、唐汉著,学林出版社)

唐漢氏の解釈

 巳これは会意文字です。嬰児がネンネコの中にくるまっている姿のデッサンです。十二支は全体として胎児が卵胞より出て、産道を通って、出産産育の過程を表すが、この「巳」は、将に胎児が胎胞から始まって、産育の第6段階(子丑の順に6番目が巳)にあり、また生育の過程の最終の終結である。金文の「巳」は甲骨文字を受け継ぎ、その手は外に動かした形である。但しこの一つの形と金文中の形が良く似ているので、両者混交され易い。
 「巳」の本義は中に嬰児をくるむお包みである。
 巳干を用いて時を記す時、巳の時は即ち午前9時から11時までを示す。地支の巳は天干の巳の形とよく似ていて、混同しやすい。しかしその形の来歴は巳は嬰児とは同じではない。上部口が閉じていれば、巳は頭を表し、上部の口が閉じていなければ荒縄のとぐろを巻いた状態を表す。
 この説明は非常に分かりにくい。あまり本質をついているように思われない。

 この議論は過去にも何度か繰り返してきた。「来年はの干支は「へび」:漢字「巳」の出生の秘密」



漢字「巳」の字統の解釈

 蛇の形。十二支の第六、「み」に用いる。 〔説文〕に「故に巳を蛇と為す。 象形」とあり、巳を「すでに」と解するが、その字 は已(上部の四角が塞がっていない)、巳とは異なる形である。




漢字「巳」の漢字源の解釈

 象形文字。原字はちょっと体ができかけた胎児を描いたもので、包(胎児を包む様)の中と同じ。種子の胎のでき始める6月。12進法の六番目に当てられてから与えられてから、原義は忘れられた。



漢字「巳」はそもそもどうして創り出されたか

社会的通念などから創生に迫る

 「巳(み)」は十二支の一つで、それを動物に当てはめたのが「蛇(へび)」 です。つまり、両者は同じものを指しています。
 十二支は、古代中国で生まれた時間や方角、暦を表すための記号です。子(ね)・丑(うし)・寅(とら)・卯(う)・辰(たつ)・巳(み)・午(うま)・未(ひつじ)・申(さる)・酉(とり)・戌(いぬ)・亥(い)の12種類があり、それぞれに動物が割り当てられています。

巳(み)と蛇(へび)
 十二支の6番目に当たるのが「巳(み)」です。この「巳」に動物を当てはめたのが「蛇(へび)」です。そのため、「巳年(みどし)」は「蛇年(へびどし)」と同じ意味になります。
 つまり、「巳」は記号名、「蛇」はその記号に割り当てられた動物名ということになります。

 蛇は古来より、豊穣神や水神として信仰の対象とされてきました。脱皮することから「再生」や「生命力」の象徴とされ、また、その生命力から「不老不死」や「無限」の象徴とも考えられています。一方で、蛇の持つ毒などから、恐れられる存在でもありました。このように、「巳(蛇)」は、畏怖と崇敬の両方の感情を持たれる存在だったと言えるでしょう。

なぜ「巳」という漢字が使われるのか?
 「巳」という漢字は、胎児の形から派生したと言われています。そのため、「新しく生まれてくる」「将来・未来がある」「子孫繁栄」などの意味合いを持っています。また、蛇が脱皮を繰り返すことから、「再生」や「変化」の象徴ともされています。

 しかし、干支など実生活に深く係わってくるとなるといくら信仰の域に入った動物であるにせよ、陰気、狡猾、毒などマイナスのイメージを持つ動物をそのままの形で採用するには、差し障りがありすぎるということで、「巳」のように抽象的な神秘性のあるものに「昇華」(変化)させる必要があったのではないかと筆者は考えています。

中国の古代人の信仰の中に生きていた神秘的な生き物「蛇」

  中国における蛇信仰は、単なる動物崇拝にとどまらず、その文化、宗教、社会、そして人々の意識にまで多大な影響を与えてきました。以下に、その具体的な影響について見ていきましょう。

  • 神話と宗教への影響 創世神話: 女媧(ジョカ)のように、蛇の姿を持つ神が天地創造に関わったという神話が存在し、中国人の宇宙観や世界観の形成に大きく貢献しました。 
  • 道教: 道教では、蛇は仙薬や不老不死の象徴とされ、道教の修行や神仙思想に深く結びついています。 
  • 民間信仰: 蛇は、家内安全、財産の神として信仰され、各地に蛇を祀る寺社が存在します。

ここでは、女媧(ジョカ)について掘り下げてみます。

女媧と伏羲
伝説の夫婦神

 女媧は、中国の古代神話に登場する、人類を創造したとされる伝説的な女神(蛇の化身)です。下半身をは蛇で、亀の足を持ち、中国の古代神話において、天地創造と人類の創造という重要な役割を担った女神です。
          • 天地創造と修復: 混沌とした世界を創造し、洪水や天の裂け目といった大災害を修復したとされています。 
          • 人類の創造: 粘土を用いて人間を創造し、人類の祖とされています。
その姿は、人首蛇身(じんしゅじゃしん)、つまり人間の頭と蛇の体を持つ姿で描かれることが多いです。この形象は、大地を創造し、生命を育む蛇の力強さと、人類を創造し、文化を発展させた人間の知性を象徴していると考えられています。生命力、創造性、母性といった人間の根源的な部分を象徴しており、中国文化に深く根付いています。天地創造に関わったとされています。
 ここでいう女媧と「巳」である蛇とは別物ではありますが、確かなのは何れも神格化された人間を超越した存在であるという事でしょう。





まとめ

 「巳」は十二支の一つであり、本来動物の意味はありませんでしたが、後から動物を割り当てる際に「蛇」が選ばれ、関連付けられるようになったということです。
 ヘビは「巳」や「竜」になることによって初めて、天に昇ることができるようになったといえます。また「巳」や「竜」にならなければ、蛇はいつまでも蛇のままで、地上を這いずり回っていたでしょう。
  これは、今このブログを見ていただいている貴方にも全く同じことが言えて、貴方が今のあなたから抜け出て,新しいあなたに生まれ変わることができれば、貴方は新しい世界が待ち受けているだろうという『教え』なのです。
 要は今までの自分ときっぱりと決別し、新しい世界に歩みだすという決意だけが求められるでしょう。
 そんなことは言われなくとも解っているわいといわれるかもしれませんね。そう、これぞ正に究極の『蛇足』かも知れません。

 古代人は蛇の中に神秘性を見出し、自然に対する畏敬の念を蛇を通してみてきたと思います。

 しかし、現代ではこうした自然に対する畏敬の念は忘れ去られ、人間に対して得か損か、益か害か?だけの近視眼的な見方に陥ってしまっているようです。結果として蛇(自然)に対する畏敬の念も忘れられてしまっているのではないでしょうか。

 人間がこの広大な宇宙の中で生きていくためには、古代人の持っていた謙虚さを今一度思い返し、自然と改めて向き合うことが求められます。


2025年は巳年
 ちなみに、2025年は巳年です。巳年は、これまで努力してきたことが実を結び始める年、新たな挑戦や変化に前向きになる年と言われています。


  偶然か必然か 近代過去200年間の巳年に起こった世界的大事件
  • 1813年(文化10年)
    ナポレオン戦争: ライプツィヒの戦い(諸国民の戦い)が起こり、ナポレオンの敗北が決定的に。  
  •  1825年(文政8年)
    デカブリストの乱: ロシア帝国で起こった反乱。
    蒸気機関の進歩: ストックトン・アンド・ダーリントン鉄道が開通し、鉄道時代の幕開け。
    江戸幕府 異国船打払令 
  •  1837年(天保8年)
    ヴィクトリア女王の即位: イギリスでヴィクトリア朝時代が始まる。
    米国経済恐慌: パニック・オブ・1837。
  •  1849年(嘉永2年)
    ゴールドラッシュ: カリフォルニア・ゴールドラッシュが本格化。
    ハンガリー革命: オーストリア帝国に対する独立運動が激化。 
  •  1861年(文久元年)
    南北戦争の開始: アメリカ合衆国で南北戦争が勃発。 
  •  1873年(明治6年)
    世界恐慌: 1873年恐慌が始まり、世界的な経済不況。 
  •  1885年(明治18年)
    ベルリン会議: アフリカ分割に関する合意。
  •  1897年(明治30年)
    第一次シオニスト会議: ユダヤ人の民族復興運動が本格化。
    鉱山業の発展: アラスカでゴールドラッシュ。
  •  1909年(明治42年)
      ナショナリズムの台頭: トルコで青年トルコ人革命。 
  •  1921年(大正10年)
    中国共産党の創立。
    ワシントン会議: 軍縮とアジア太平洋の平和を目指す国際会議。
  •  1933年(昭和8年) 
    ナチス政権の成立: アドルフ・ヒトラーがドイツ首相に就任。
    ニューディール政策: アメリカで経済復興政策が実施。 
  •  1945年(昭和20年)  
    第二次世界大戦終結。
    国際連合の設立: 世界平和のための国際組織が発足。
  •  1957年(昭和32年)
    EUの前身: ヨーロッパ経済共同体(EEC)設立。 
  •  1969年(昭和44年)  
    アポロ11号: 人類初の月面着陸。
  •  1981年(昭和56年)  
    ロナルド・レーガンの暗殺未遂。
  •  1993年(平成5年)
    欧州連合(EU)の誕生。
    オスロ合意: イスラエルとパレスチナの和平交渉が進展。
  •  2005年(平成17年) 
    京都議定書発効: 地球温暖化対策の国際条約。
    ハリケーン・カトリーナ: アメリカ南部で大規模な被害。 
  •  2013年(平成25年) 
    シリア内戦の激化。
  •  2025年(令和7年) 
    トランプ大統領就任 

 特に技術や政治において、大きな転換点が見られる年が多いことがわかります。


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2024年1月3日水曜日

漢字「辰」の由来は? えとの「辰」は元々、ハマグリなどの二枚貝が足を出して動く形から来ている


未来の辰年には何が起こるかは分からないが、幸せな出来事が期待できるか??

 毎年一年も半ばになると、翌年の干支や年賀状が話題になる。十二支で来年は「タツ年」に当たる。現在では、中国で最も神聖な動物である「龍」を意味する。これは本来、「辰」という字に、大衆的にわかりやすいように「龍」という字を当てはめたもの。

中国の殷周の時代には既に地支を用いた暦が使われており、十干、十二支の組合せで60年を表していた。

 では「なぜ子丑寅なのか?」 これは諸説紛々として未だ定まらずという状態であるらしいが、我が唐漢先生は、「古人は天の動きを人間の生れてから成長の過程で表したもの」という。因みに辰年は「出生し、胎児と胎盤を分ける為、石の刀で臍の緒を分断する状態を示している」ことを指しているという。

 この唐漢氏の解釈は、突き詰めれば、天体の出来事を人間の世界の事柄で説明しようとするもので、基本的に無理がある。年賀のあいさつに使うぐらいならいいのだろうが、それ以上に拘泥するのはそろそろ脱却しなければならないだろう。

   ここでは、辰という漢字の成立ちと由来について調べてみた。



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来年の「辰」年は縁起がいいことが期待できるのか

 辰は、縁起の良い漢字としても知られている。そして辰年生まれの人は、人生が順調に進み、幸せに恵まれるといわれている。
 そこで、この迷信じみた伝聞の「辰年は縁起がいい」ことに信憑性があるのか息抜き程度に直近の100年の出来事を調べてみた。

漢字「辰年」の今

CHAT GPTに聞いてみた。

辰年(龍年)は、中国の干支(十二支)の一つで、一般的には12年の周期で繰り返されている。以下は、過去の辰年におきた大きな出来事の一部である。ただし、これは一般的な傾向であり、年ごとの具体的な出来事はさまざまだ。

  1.  1916年: 第一次世界大戦の最中に、ロシア革命が勃発し、ロマノフ王朝が崩壊。
  2.  1928年: ワーナー・ブラザースによって初のトーキー映画『The Jazz Singer』が公開され、映画産業が大きく変革。
  3.  1940年: 第二次世界大戦が勃発し、ヨーロッパや太平洋で激しい戦闘が繰り広げられた。
  4.  1952年: エリザベス2世がイギリス女王に即位。
  5.  1964年: 東京オリンピックが開催され、日本が国際的な注目を浴びる。
  6.  1976年: 文化大革命が終結し、中国が改革開放政策を導入。
  7.  1988年: ソウルオリンピックが開催され、韓国が経済的に成長し国際的な注目を浴びる。
  8.  2000年: インターネット・バブルが崩壊し、ドットコムブームが終息。 
  9.  2012年: ロンドンオリンピックが開催され、イギリスが国際的なスポーツイベントを成功裏に主催。
  10.  2024年: 未来の辰年には何が起こるかは分からないが、大きな出来事が期待される。
 このCHAT GPTの答えをどう見るかは、各人それぞれのお考えにお任せするしかない。辰年生まれの方は、いい運勢が期待できるのかもしれないが、しかし、一般論で、今年の出来事の連続性を考えると、来年はだいぶ悲観的になる。これについて論評すると、せっかく来年に期待を膨らまでている方々に冷や水をぶっかけることになりそうなので、これ以上は言わないことにする。Good Luck❣

 

タイトルにある、毎日ことばでは以下のように説明している。 「えとの「辰」は元々、ハマグリなどの二 枚貝が足を出して動く形から来ています。 後に十二支の竜に当たるとされ、一方で辰 は蜃の字に変化し大ハマグリを表すように なりました。蜃気楼はこの貝の息といわれ ましたが、蜃は竜の一種との説もあります。」(https://salon.mainichi-kotoba.jp)

2024年1月1日、2日と続けて 年明け早々とんでもない事件が発生。
   ●  能登半島北端で直下型大地震が発生。震度7以上。
     マグニチュード7.5の津波が発生
     7、80人がなくなっている。さらに被害者は増加するもよう。

   ●  1月2日 夕方4時過ぎ 
     札幌発の日本航空の旅客機が海上保安庁の飛行機と衝突。
     海上保安庁に搭乗していた5人が生じる死亡。
     日本航空側の乗員乗客330数名は奇跡的に脱出・全員無事


   干支や占いによる予測とは大体こんなものだ。可能性の一つとして、心の準備をする分には一向に差し支えない。


漢字「辰」の解体新書

漢字「辰」の楷書で、常用漢字です。
 右に「辰」の甲骨文字を示した。
 字統の説明によれば、字が蜃(オオハマグリ)の象形であることは、 ト文・金文の字形においては明らかなこととある。また漢字源によると、「辰」は二枚貝の象形だということである
辰・楷書辰・甲骨


  
辰・甲骨文字
辰・金文
辰・小篆


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「辰」の漢字データ

漢字の読み
  • 音読み   シン
  • 訓読み   たつ

意味
  • たつ(十二支の第五位)

  •   方位では東南東
       月では陰暦3月
       時刻では午前8時。また、それを中心とした2時間。
       
  • 動物では竜(たつ)
  •  
  • さそり座の首星アンタレス

同じ部首を持つ漢字     震、娠、晨、農
漢字「辰」を持つ熟語    辰、北辰、辰砂


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漢字「辰」成立ちと由来

引用:「汉字密码」(Page、唐汉著,学林出版社)
[辰」出生をし胎児と胎盤を分ける為石の刀で
臍の緒を分断している状態

唐漢氏の民俗的解釈

  「辰」これは会意文字である。甲骨文字中の「辰」の字には2つの書き方がある。等しく上古の先民が刀を用いて臍の緒を断ち切るという実生活上のことから来ている。第一の上部の横一は切り開くということで、ここでは分離の意味である。下部は人の両手が石の刀を取っている象形を描いているという。

その少し下部の図形は両手を前に推した形である。字形を整え、図解してみると鋭利な石刀を用いて臍の緒を裁断しているのを表示して、胎児と胎盤を分離していると読み解かれるとされる。

 金文の「辰」の字は甲骨文字の一脈を継承している。小篆は字の形は美観で、筆順は均整がとれており、まさに字形は調整されているが、しかし却って象形の趣は失われてしまっている。

 楷書はこの流れで「辰」となった。

 このように天の変化を人間の出生に見立てて考える見方は「本当かな」と思う反面、最も身近な生れるという現象で天の動きを表現するのはある意味で直感的なことでやむを得ないのかなとも思う。しかし、少し厄介なことなのは、これがある種の宗教的な思想に結びついているということかも知れない。

字統では、古代信仰と農業との結びつきを説く

 象形 蜃(オオハマグリ)の象形。 蜃蚌など貝の類が、足を出して動いている形である。字が蜃の象形であることは、 ト文・金文の字形においては明らかなことであり、許慎のときにもその字形は篆文として存するものであった。
 蜃は古く草刈りの器として農耕に用いられ、農の字もその形に従う。 それで辰に対する古代的信仰というべきものがあって、実際にこれを祭祀に供している。星宿の説が行なわれるようになった。

 なお古代遺跡からは、農作物を刈り取ったり、耕したりするために、磨き上げられたり、細工されたムール貝が発掘され、大きな貝が農具として広く使用されていたことが分かっている。

漢字「辰」と干支:Chat GPTに聞いてみた

 「辰」は、中国の干支(えと)として使用される12の動物記号の1つです。
 「辰」は、干支の中で、ドラゴン(龍)を表す記号です。ドラゴンは、中国の伝統的な神話や文化において、強大な力や尊厳、幸運を象徴する存在とされている。そのため、「辰」が干支として使用される理由は、以下のような要因に由来します:

  •  文化的な意味: ドラゴンは、中国文化において非常に重要な存在であり、皇帝や王朝の象徴としても扱われた。そのため、「辰」を干支として使うことで、この文化的な価値観や象徴が反映されている
  •  象徴的な意味: ドラゴンは力強さや神秘性を持つ存在とされ、干支の中で特別な位置を占めている。他の動物と比べて非現実的で幻想的な存在としての特徴が、「辰」が持つ象徴的な意味に影響を与えている。
  •  陰陽五行説: 中国の伝統的な哲学や思想である「陰陽五行説」に基づいて、各干支や動物記号は五行(木、火、土、金、水)に対応している。ドラゴンは「陽」に属し、五行説の要素とも結びついている。
  •  運勢と縁起: 干支は、年や日、月の動物記号を表し、各年における運勢や縁起を象徴します。ドラゴンは幸運や成功を象徴するとされ、その意味から、「辰」が干支として選ばれることで、その年の運勢や縁起を表す要素となる。

  • これらの要因が組み合わさって、「辰」が干支として使われる理由が形成されている。中国の歴史や文化、哲学などが背後にある要因として挙げられる。

漢字「辰」の変遷の史観

文字学上の解釈

 左に、漢字「農」を参考のため示す。
 漢字「農」の甲骨文字から、金文、小篆までの発展の過程を見ると、ムール貝が農具として、如何に使われて来たかが実に見事に表されている。

 事実、古代遺跡からは、研磨されて農具として使われた形跡を残すムール貝が、数多く発掘されている。



大きな二枚貝は単に農機具だけに使われたのではない

 これは、多分二枚貝からつくられた櫛状の貨幣だと思う。
 著者が南太平洋を旅した時、ある土産物屋で買い求めたものだ。想像するに、このように貝は広く貨幣として用いられている。それが証拠に、漢字には「財、貯、販、貨」などのように貝を部首にもちいている漢字が多数存在する。



まとめ

  十二支の効用は、時の流れを一二年一括りで扱いやすいようにしたことぐらいだろうか。干支の「辰」ということから出発するのではなく、漢字の辰の発生そのものを人間の歴史の中から見直してみるのもいいのかも知れない。

古代農具として重宝されてきたムール貝が、農業の発展に伴い、神聖化され、さらなる農業の発展を願って、人々は龍の位置まで崇め奉るようになった。結果として、十二支の一角の地位を占めるようになった。

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2022年11月14日月曜日

漢字「卯」:2024年の干支は「卯」うさぎ年ならば、身の安全はウサギの保身術を見習ったら

2023年の干支は「卯」我が唐漢氏は『古代人は、天体の規則性を人間の出生から始まる身近な事柄に当て嵌めていた。それが十二支の原義である』と説いた

  来年の干支は「卯」。これは象形表意文字だ。「子丑・・」から初めて4番目に位置する。

唐漢氏の解釈 
 唐漢氏は『古代人は、天体の規則性を人間の出生から始まる身近な事柄に当て嵌めていた。それが十二支の原義である』と説いた。
 この説は、通俗的であり、感覚的に受け入れ易いものである。しかし、天体の規則性を認識することと、身近に起こる出来事を結び付けるには別問題で、体系的な認識が必要で、直感的にできるものではない。
 甲骨文字の字形は嬰児と胎盤が母体から出ているが、両体が共存する状態からの母親と嬰児の間の分離を見ることができる。卯の字は育産を体現しており、この苦痛であるが偉大な過程が完成した状態を示しており、一個の新しい生命の誕生を表示している。金文の卯は甲骨文字と同様であり、小篆は字形に美観と丸みを持たせ上部に横に広がりが出ている。楷書は簡単さがなくなり、繁雑になって、模倣して(猫をまねて虎を描くということわざがある)卯になった。 

 人間の胎盤はおおよそ400-500gで嬰児の6分の一程度である。卯の本義はもともと母と嬰児、胎児と胎盤の分離である。だから「分」と「産」の意味である。これが即ち卯の字が物象の源であると説く唐漢氏の考えである。

 卯は卵の形の上の基礎になっており、卯を知らずしてどうしても卵と識別する方法もない。分体の意味は子供を産むことの完成であり、だから原義は拡大され「止」の意味を持ち、ないし「留」形の源にもなっている。胎児と胎盤の割断から、拡大解釈され「殺」の意味を持ち、「劉」の繁体字の由来でもある。


字統の解釈 字統P794
 牲牛の肉を両分する形。
 卜辞に犠牲を卯す(ころす)意に用いており、それが字の初義である。
 説文に「冒なり」と同声の字をもって訓し、卜文と金文の字形は牲牛の肉を両分する形と見られる。我が国の俗説はふ古く卯の日の信仰から来たものと考えらえる。



 

卯・兔にまつわる成語
 うさぎは体も小さく運動能力も優れているわけではない。そのために外敵も多く、狐、狼、鷲などに狙われやすい。したがってうさぎの危機管理に関わる言葉ことわざなど教訓として今日まで受け継がれている。
狡兔三窟
狡兔三窟・・・かしこい兔は多くの隠れ穴を持つ。あらかじめ逃げ道を用意しておき、巧に身の安全を図る。
 


兔子不吃窝边草
兔子不吃窝边草・・・うさぎは自分の巣の傍にある草を食べない



2011年に「卯」の説明はこちらをクリックしてください。


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2018年12月28日金曜日

干支の起源:2018年の干支は「戌」で、2019年は「亥(いのしし、猪)」となる理由は? 


干支の起源:来年の干支は「亥(いのしし)」と決めた理由は何?
 干支とは何ぞや
 今までこのブログでも何度か干支について説明をしてきました。(「干支、十二支の起源と成立ち」を参照ください)しかし、干支の起源:どうして2018年は「戌」で、来年の干支は「亥」?という質問の答えはなく、「干支とはなんだ」という概念はもう一つはっきりせず、消化不良という感じを持たれてきた読者の方々も少なからずあったのではないかと反省をしています。そこでここではもう一度基本に戻って解き明かしてみたいと思います。

 干支は十干と十二支の二つの概念で構成されていることは既にお話してきました。十干とは天干ともいい、甲乙丙丁戊己庚辛壬癸の10種類からなります。この甲乙丙丁とは、こう、おつ、へい、ていと読むのでなく、きのえ(木の兄)、きのと(木の弟)、ひのえ(火の兄)、ひのと(火の弟)と呼びます。

 十二支は子丑虎卯辰己午未申酉戌亥は地支といい、天干と地支と相交えて日にちを表していた。従って、この方法によれば、10X12の最小公倍数の60を1サイクルとする年代を表すことができることになります。

西暦を十干十二支で表してみると
十干は10年でワンサイクルということですから、西暦の1位の数字に夫々甲乙丙丁・・を割り当てて、「十干」としたようです。
 ではなぜ、このように割り付けられたかというと、成立ちは、以下の理由によるということです。

 この紀年法が定式化されたのが、後漢の建武26年(西暦50年)だったようで、この時が庚戌の年だったということです。光武帝に随従していた学者たちが、決めたことが結局今日まで続いているということです。」


西暦の一位 0 1 2 3 4 5 6 7 8 9
十干

十二支の起源の話に移ります。
十二支の起源も、十干と同様で非常に単純な話です。
 偶々この紀年法が定式化されたのが、後漢の建武26年(西暦50年)だった時に、この紀年法が決定されたことだけの話です。後漢の光武帝が力を持っていたことの証明になるのかもしれません。


西暦を12で割った余り 0 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11
十二支



干支が決まるまでの長い歴史とその意義
 今までの説明(「干支、十二支の起源と成立ち」を参照ください)で、既にお分かりの事と思いますが、後漢の光武帝の時には紀年法が定式化されただけのことで、紀年法に干支はすでに商(殷)代に現れており、2000年近く使われてきたものです。しかし、十干と十二支が殷の時代に生まれて、後漢に至るまでの間、ああでもない、こうでもないと議論が闘われてきたのですが、光武帝の時に「これで行こう!」と正式に決定されたということです。

 干支が鼠、丑、寅などの十二支や陰陽五行思想と結びついたことで、さまざまな伝承や迷信・俗信が生まれましたが、元号紀年法が政治体制により、目まぐるしく変化したのに比べると、一貫したものを持っており、西暦が一般化するまでの間実用性を持って人々の間で重宝されてきました。


「漢字の起源と成り立ち 『甲骨文字の秘密』」のホームページに戻ります。

2018年11月30日金曜日

「核」:解釈「木偏+亥で木の固い核を表す」について

以前に「核」の起源と由来について触れた時、「一般」の解釈の紹介で下記の様に述べた。



漢字源では、「会意兼形声。亥(ガイ)は、ぶたの体の芯に当たるかたい骨組を描いた象形文字で、骸(ガイ)の原字。」 「核」は、「木」+「亥」で、木の実の固い心をいう。


左は「亥」の金文文字である。

唐漢氏はどういうのか

そこで、「亥」の解釈について、この漢字源とは全く趣を異にする解釈である、唐漢氏の解釈に触れる。これについては、確かに十二支の範囲については、唐漢氏の解釈は一貫性があり、面白いと思うが、拡張された「核」「骸」等の字との一貫性については疑問が出るように思うが、私自身知見がないので、ここでは十二支の「亥」の字の範囲で(つまり唐漢氏の解釈の範囲)にとどめることとする。


十二支の中の「亥」の起源と由来
「亥」象形文字である。甲骨文字の二つの「亥」の字は等しく裸の男子の側面のデッサンである。しかし、特に生殖器を強調している。この図形は仰韶の彩陶器の中の図案の男子の形象と表現は違っても同じ意図を表している妙がある。



金文の「亥」は甲骨文字を引き継いでおり、形は似ているが既に象形の持ち味は失われている。小篆に変化していく過程で右に蛇足の画、人の字が付け加えられている。楷書は隷書化の過程で、更に変化し「亥」となっている。


故事の中の「亥」

殷商時代の甲骨の卜辞の中で、いつも一人の「亥」と呼ばれる先公が出現する。商の人はこの人を「高祖」と呼び、最も早い男性の祖先、先公とみなして、彼の母親は特殊な待遇を受けている。即ち「亥」と一緒に殷商の先民の祭祀としている。卜辞の言うように「王に焼かれた亥母豚」の中の亥母である。この「亥」とその「亥母」は子供の生殺の権力を握っており、その為に「亥」は十二支の最後の位置を与えられたのだろう。

この是非がどうであれ、生まれ落ちた「亥」の原義は男の子であり、「亥」と「亥母」に対して祭献を行い、嬰児の成長を助け、氏族の繁栄を希求するのである。「亥」は十二支の十二番目。時刻を表すには9時から11時までを示し、「亥」年とは「猪」生れのことである。

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2018年11月15日木曜日

「支」(木の枝)と「干」(木の幹)から古人は年月の数えるのに干支(えと)を考え出した


「支」は元々「枝」を意味していた。そして干支は木の幹と枝から発想された

引用:「汉字密码」(P139、唐汉著,学林出版社)

「枝」の字の成り立ち」
木の枝の漢字の起源は「枝」ではなく、「支」であった。白川博士の字統でも「支:木の小枝を持つ形で、枝の初文」とある。「支」の用義が分化するに及んで、四肢・枝幹などの字が作られたとある。
 木の「支」の下部の又の字は元々「手」である。 甲骨文字では、具体的に、木の中ほどに手をいれて掴んでいるように見えるが、唐漢氏はこのことから、白川博士より、もう少し踏み込んで、「古文中に手の中に一本の棍棒をとる形は即ち植物の枝の条のなす所以だ。枝は比較的細く、小さな棍棒と同じく木の幹から派生して、枝別れする枝である。植物は根、茎、枝で全体である。枝は幹と比べるとそれほど重要ではない。このため枝節は副次的なこと或いは緊要でないことの比喩に用いられる。」
 
 この「枝」が幹から派生していくのを、古人は年月を数えるのを、木の幹である「十干」にその枝として「支」を結合させ、六十年を一サイクルとする干支を作り出したものであろう。


世界の干支
 さて、日本、中国、韓国以外にも年月を数えるのに干支を用いている国には、ベトナム、チベット、タイ、モンゴル、ロシア、ベラルーシなどがあるということである。

 登場する動物も、干支の最後に登場する猪の代わりに豚が登場する国がある。猪の変わりに豚、ウサギの代わりに猫、牛の変わりに水牛、寅の変わりに豹など、民族色豊かだ。


これは猪か果てまた豚か
 少し話は変わるが、南太平洋の諸島の中でバヌアツという国があるのをご存知だろうか。この国では、豚が非常に珍重されていて、結婚式の引き出物だとか、部族間の抗争の手打ちに豚一頭が使われていたそうだ。


バヌアツの豚の置物
 バヌアツという国の豚は牙を持っており(他でもあるだろうが)、この牙もまた珍重されて、タスカルという名で国旗にも使われている。最高級のものは、この牙が何重にも巻いているものだそうだが、イギリスのエリザベス女王の下にはこの最高級の牙が収められているということだ。
 おそらく豚が完全に人間に馴化するまでの過程にはこうした牙を持った豚あるいは猪が、世界を闊歩していただろうという話。






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2018年2月10日土曜日

来年は「酉」年! 漢字「酉」の成立ち:元々酒瓶を模したのでは

漢字「酉」の起源と由来

「汉字密码」(P877、唐汉著,学林出版社)
読み方:(音) ユウ (訓) とり 
 酉は象形文字である。
 甲骨文字の酉の字と半坡遺跡から出土した底のとがった陶器のビンの形はよく似ている。
 この字は男根の「且」の字をあらわしている。これによって酉の字の本義は男の嬰児である。母を知るが、父を知らない母系社会で男子の血縁はせいぜい下に向かって下る辿る他ない。
  申と酉の字を互いに受け継ぎ、一つは女性の共祖、一つは男性の後代に対応している。(「申」を参照) 酉の字は早くから十二支の名前に借りてその本義を失っている。酉の字が構造的に酒瓶の酉の字に似ていて、男性の祖先(先王)に酒を祭り福を祈願することから、言葉が発生し転移し、十二支の酉と醸造の酉が混淆したものだ。


金文の酉
 金文の酉は既に完全に酒瓶の形状をしている。このことはこの時代には製陶技術が大きな発展をしたためである。酉瓶は既に酒を醸造するための瓶となり、酒盛りの専用器具となった。原本の酒の字は水の形を省いた後、酉となった。金文から小篆は変質し、楷書は酉と書く。   酉の本義は逆さまの「且」である。底のとがった陶器の瓶である。即ち器の皿として酉は「尊」の初めの文字である。酒を盛る器を示し、指事詞に用いられる。(「尊」は甲骨文字では、酒瓶即ち『酉』を両手でささげ持つ形をしている。)

酒を入れる器が「酉」となったのは、上古先民は男根信仰によるもの

 「酉」十二支の表示に仮借されて、十二支の10番目をあらわす。元々上古先民は男根信仰があり、酒を男根にささげていた。嬰児が大きく成長して、子々孫々絶えることなく栄えることを希求した。時間をあらわすと午後5時から7時を表す。酉は部首字で漢字の中では「酉」は組み合わせて、字を作る。酒と大いに関係がある。酝、酿、酔、醒などなど。
 この説明は、少しこじ付け臭いが、男根信仰は日本でも見られ、強ち否定は出来ない。 


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2017年11月28日火曜日

干支の「いぬ」の漢字「戌」の成立ちを甲骨文字に探る


漢字「戌」の起源と由来
 干支の「戌」は「犬」ではありません。
 中国では年を表すのに10を一サイクルとする十干(甲、乙、丙・・・)、12を一サイクルとする十二支(子、丑、寅・・)の二つの指標を使って表してきた。これで比較的になじみが多いのが、丙午だろう。日本ではこれを避けるために、出生率がぐんと下がるほどの影響力を持っている。
 来年の干支は「戌」である。この漢字は動物の「犬」とは起源も由来も違い、中国人独特の思考方法により生み出されてきた漢字である。


引用:「汉字密码」(P878、唐汉著,学林出版社)

 「戌」の構造形は元々一種の丸い刃の広い短い柄の戦闘用の斧から来ている。
 古代はこれを「鉞」と称していた。「戌」は甲骨文字では象形文字である。突き出した半円形の刃の部分は典型的な「鉞」の特徴を持っている。
 金文の「戌」の字はその他の兵器の文字と同様な変化をして、右辺の「木偏+必」(木の柄)の形は矛・戈 という旁になった。左辺の半円の刃の部は線条化の変形過程の後、トとなった。金文から小篆以来、楷書は小篆を受け継いでいる。
 戌の字は兵器の象形文字である。
 しかし戌は十二支であり、兵器からの直接の由来ではなく、「戌」という名の神祇から来ている。
 上古先民はこの「戌」という名の神祇は嬰児のある神秘的な関係を持っているとする。それゆえ戌という神祇に向かって子供の成長を加護の献祭が必要になる。このため戌は十二支の第11番目に借用されている。



 一方動物の「いぬ」の漢字は「犬」で、甲骨文字でははっきりとした象形文字で犬の形が具象化されており、誰が見ても犬にしか見えないもので、干支の「戌」の漢字とは似ても似つかないまったく異なる由来であることが良く分かる。


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2015年12月13日日曜日

来年の干支は「申」


  来年の干支は「申」である。今から3500年前の殷の時代の廃墟から出土した甲骨文字の中に、すでに十二支十干で暦を表していた。干支についての考察はすでに以前に触れているのでここであえて触れることはない。
 古代の人々が農耕のために暦を作る必要に迫られた時に、何をよりどころにするか?唐漢氏が主張するように、自分たちの身の回りで繰り返される人が生まれ成長し、それに何を期待し願うのかの思いをそこに込めてそれをよりどころとする説はそれなりに説得力がある。それはあくまで仮説であって、諸説紛々としているのは事実である。
 しかし彼らは何故を持って十二支としたのか、まだ明確な回答は示されていないように思う。一年は12か月、そして子、丑・・という字を当てはめ12年で循環させたその理由はいったいなぜだろう。子という字に鼠を当てはめ、丑という字に牛という動物を当てはめたのは、文字の読めない人々にも理解しやすいように動物の名前を当てはめたというのは理解できる。
 来年の干支は「申」であって、「猿」ではない。では古代人が申としたその字はどういう意味を持っているのだろう。


引用 「汉字密码」(唐汉,学林出版社)

 申という字は指事語である。「申」の字の構造的な形は、女の嬰児に対する期待から発生したものである。 甲骨文字の「申」の右半分は (匕)で、これは即ち、母獣の生殖器の指事造語である(漢字源によると「匕」は妣の原字で、もと、細い隙間をはさみこむ陰門を持った女や雌を示したものという。)この借用で女の嬰児の性別を表示する。匕の左下の符号は女子の嬰児が大きくなって生育したことを示している。このため申の字は女の嬰児の意味で、また女が女を生み代々続く意味である。 人々はとうの昔にその形の深い意味を知らなくなっている。金文の申の字は字形の美形化と同時に、又その内容については失われてしまっている。小篆ではまさに上下の2個の指示符号いわゆる両手に変化している。楷書では誤りに誤りを重ね、又両手は合併され「申」と書くようになっている。
 「申」の本義は一種の期待と願望だ。即ち母系血縁に照らして、代々延々と続くことを呈示している。このことから引申はまっすぐ伸ばす、展開の意味になった。

「申」の嘱望、期待の意味から、又陳述、表白の意味が出てきた。

「比」は狭いすき間を置いて並ぶ、「屁」は狭いすき間から出るおなら

参考 指事語とは「中日大辞典」(愛知大学・大修館書店編)によると「形を模することができない抽象的概念を表すために符号を組み合わせる造字法」とある。
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2014年12月17日水曜日

漢字「羊」の変遷



引用 「汉字密码」(唐汉,学林出版社)

 唐漢氏は「未」の本義は未然と断定しているが、白川静博士は、「字統」の中で、卜辞や金文にはまだ「未」という文字が未然の意を表す使い方をされた例はないと主張されている。「未」は枝葉の先が長く伸びてゆく形であるとされている。一方の唐漢氏は十二支は人の出産から成長の時の移ろいの形をとって時の流れを表したもので、殷の時代には既にこの十二支を使って暦が作られていたと考えている。そして、子から午までは実際に子供が嬰児の時から産道を通って出産に至るまでの過程を表し、未から猪までの字では蓋然を表すと主張している。
 このブログはどちらの主張が正しいかを云々する立場ではない。ただ、唐漢氏の考え方の紹介をするものです。

 
 唐漢氏によると
「未」は草木の根から生え出す木の芽の成長からとられたもので、まだ嬰児の4肢のバタバタの動きからもその源になっており、皆どれも子女の健康に成長することを願いが深く切であるし切望しているものである。いわゆる「未」の本義は未然である。すなわち嬰児が今後生きるか生きられないか大きく成長するか分からないとしている。  
 ただこの十二支を子丑寅~戌猪の表記を鼠、牛、虎~犬、猪という漢字でなぜ表すようになったのかは、いまだはっきりしないところがあるが、字も読めない人々に身近な動物で暦を説明するためだというのが、うなずける説明になっているような気がする。
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2014年11月25日火曜日

来年の干支は「未」

 来年の干支は、未である。前に書いた通り、干支の歴史は古く、今から約3000年ほど前の殷商王朝の時代にはすでに、使われていた証拠が残っている。しかし昔は「子丑寅・・」という漢字が使われていたものであるが、それが今日のような「鼠、牛、虎・・・」という動物の名前にとってかわったのは、漢の時代とも言われているが、もう一つはっきりしない。その理由も諸説あるが、はっきりしてはいない。しかし、唐漢氏のように「時の移り変わり」を「妊娠、出産、成長」に当てはめてみるという見方を当時の祖先たちがとったであろうという推測もあながち奇説とも言えないものを持っている。

引用 「汉字密码」(P875、唐汉,学林出版社)

 未は会意文字である。許慎は甲骨文字の未の字は木に重なった枝や葉を表していると考えている。すなわち樹木の枝や葉っぱが多くの分岐が出てくることを用いて、伸び繁るさまを表している。草木の形の上にもう一筆増えているのはこの意味である。実際未の字は四つの足を踏ん張って伸び踊る嬰児からできたものだ。
 上辺の増えた一筆は嬰児の両腕が振られ動いたさまである。下辺の縦の両ばらいは、嬰児の両脚の合わさった部分と広げたさまを表す。 金文の「未」の字は甲骨文字を受けており、小篆はまた一脈受け継ぎ、楷書は隷化し「未」と書く。

 むろん「未」は草木の根から生え出す木の芽の成長からとられたもので、まだ嬰児の4肢のバタバタの動きからもその源になっており、皆どれも子女の健康に成長することを願いが深く切で切望しているものである。いわゆる「未」の本義は未然である。すなわち嬰児が今後生きるか生きられないか大きく成長するか分からない。また否定の意味もある。すなわち現在まだ夭折していないと意味もある。

 「未」の字の構造及び内包されているものは、上古先民の事実に即して問題を処理する生活態度を反映している。願いは願い、事実は事実とし、彼らはまだ文筆家の嬰児の満月を恭賀する欺瞞を持ち合わせていない。
 確かにいえることは「未」は一種の蓋然に対する状態の判断である。「未」暗くて不明という意味も持っている。「未」は暗いの初めの文字である。「未」は一種の蓋然で、味は嘗めてみて初めて分かるもので、味は多様で同じでない性質を持っている。このことから「未」は味の初めの文字でもある。
 「未」は現代漢字の中で「将来」意味も表すことができる。未来のごとくである。また事後(起こってしまったこと)の否定の対句の意味にも用いられる。「まだない、まだ起こっていない」と同じ意味である。未知数、未婚、死活がわからないなどなど。
 また否定の意味にも引用される。言葉の意味では「不」にあたる。「未敢苟同、未可厚非」(賛同しかねる、無理からぬことである)などに用いられる。

 「未」十二支の中で第8番目に位置している。時間で言えば未時はすなわち午後1時から3時までの時間帯である。 注目に値するのは干支の中の12の字の中で、「子丑寅辰巳午」はすでに起こった状態を表している。しかし「未申酉戌亥」は蓋然たる状況である。二つに分けて、前者は育産の現実を表し、後者は嬰児が成長し大きくなり、立派になってほしいという願望をあらわしている。
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2011年2月10日木曜日

十二支の始まり

子丑寅卯辰巳午未申酉戌亥は地支、十二文字は殷商時代すでに天干と相交えて日にちを表していた。
安陽殷墟の小さな村で発見された、甲骨文字が刻まれた「甲子年表」はほぼ中国で最も早くカレンダーが順序どおり並べられていたことが知られている。出土した商代の甲骨文は多数のすべて、干支で日にちが記され商代には、すでに干支で日にちを記す方法が行き渡っていた。しかし、地支「十二支」の形と意味は今日に至るまで、諸説紛々としており、いまだ共通認識にいたっていない。

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