2020年5月20日水曜日

MBSテレビの「東大王」の中で、出題された漢字「要」の肝心かなめの成り立ちと由来は?


肝心かなめの漢字「要」の成り立ちは
 MBSテレビ20/05/20の19時からの放送「東大王」のなかで、漢字「要」の元になった動物は何でしょうというクイズがあった。その答えは「蟹」だという。蟹の目が両足を広げたときの真ん中の部分にあり、「かにのめ」の音が訛って「かなめ」となったということである。要を日本語の読み「かなめ」と何故なったかというクイズの答えとしては面白い。

しかし、漢字「要」の成り立ちはという問いにもう少し答えてみようと「字統」を引いてみた。


引用:「字統」(P847、平凡社)
ここでいう古文は「説文」にある字形をいう
字統の解釈
象形 腰骨の形 女子の腰骨は発達が著しいものであるから、下部を女に作る 。腰の初文。 説文に、身の中なり。
人の腰に象る。臼の部分は 腰部骨盤の形。 人体の最も枢要な部分を要領といい、領は首。要領を保つとは命を全うすること



説文の解釈
身の中なり。人の耍(こし)に象る。
要は人の腰を表したもだという解釈

漢字源の解釈 1430ページ
読み: かのめ
解字: 会意文字  両手プラス 頭もしくは呂( 背骨) で 、左右の手でボディを締め付けて、細くする様。女印は 女性の腰を細く締めることか添えた。



結び
 漢字の「要」が中国で生まれ、日本に入ってきて「かなめ」という読みが生まれるまでの漢字の歴史の肝心要の部分がここで明らかになった。人間の生まれと育ちと同じようにきちんとした生育の過程があるとわかって非常に面白い。

 しかし、この世の女性は、古今東西、太古の昔からウエストを締めるのことに如何に涙ぐましい努力をしてきたかということが、この話から垣間見えて面白い。


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2020年5月17日日曜日

漢字「田」に込められた中国農耕の歴史の母斑


漢字「田」に込められた中国農耕史の母斑の謎を解く
 この章の表題「漢字「田」に込められた中国農耕の歴史の母斑」とはなにか?

この字は、漢民族が農耕民族であったという証左みたいなものである。この字の原字は甲骨文字にある四角の中の井の字であるが、これこそ中国の貢賦制度の基盤である井田制度が字として残ったものといえよう。

 「中国歴代経済簡史」(外文出版社、)によると、

 井田制は中国奴隷社会の土地国有制度である。商朝に初めて実施され、西周に盛んに行われ、春秋時代に瓦解し、戦国時代には廃れた。井田制の施行初期には公田が主体であり、生産性の向上、耕地の拡充に歴史的役割を果たしたが、私田が出現以降、は井田制は瓦解し始めた。

引用:「汉字密码」(P236、唐汉著,学林出版社)
土地を区分した有様
漢字「田」の成り立ち
"田" は、これは象形文字である。甲骨文と小篆の字形の方框内の縦横な交錯は、まるで大地が開墾され分割され一つ一つの農田になっているようだ。

 周は世代はかつて " 井田制 " を推し進めて、田地が井の字の形に分割され、八戸で一つの井を担当し、それぞれ辺上の一つ私田を耕し、真ん中の一つの区画を八戸で耕し、その収穫は年貢として収める。
 この税法は日本でも口分田として採用されたものの原型とも言われている。"田" の文字の形に良く似ている。今高い空から耕地を鳥瞰すると , その形は"田"の古文字の字形に近い。


 又、" 田 " 文字の本義は狩猟していた時代の包囲と分散して追いかけるという、取り囲んで狩りをする義であるという説もある。


 それから、田は農耕・稙に従事する土地のことを表すようになり、 " 田"の 文字は耕作田の意味になった。例えば " 耕田、稲田、試験田、水田" など。畑は植物が成長することが出来るから、 " 田 "の文字は比喩的に繁殖させる事物を使うあるいは採掘する資源地帯の意味に用いられる。



結び
 私は「漢字は人間の文化の発展を明確に残す足跡でもあります。」と常々訴えてきたわけですが、この字もまた、歴史の生き証人が文字の中で生き続けていたものといえましょう。おそらくラテン語やギリシャ文字では、このようには行かなかったであろうと考えています。


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2020年5月16日土曜日

漢字「騎」には戦国時代の戦術の大変換の痕跡が反映されている


漢字「騎」には戦国時代に起こった戦術の大変換の痕跡が反映されている
 漢字「騎」には戦国時代に起こった戦術の大変換の痕跡が反映されている。
 それはまるで日本の長篠の戦にて、鉄砲戦術が武田勝頼を破り、日本の戦闘戦術を革命的に変換させたのと非常によく似ている。

 漢民族が馬を使う歴史はまずは戦車に乗っていたのであり、騎馬の歴史は後のものである。一般的には、馬があって車があるというが、戦車が先で後に馬が出てきた。
 《曲礼正義》によれば、古人は馬に騎乗せず、ゆえに経典は見えず、三代から春秋に至り用兵は車戦を率いるの説法で、学者は一般的に古代の人々は馬に騎乗せず、又騎という字もなかった。

 実際的には甲骨文字にある騎の字は明らかに馬ではない。羊かあるいは牛(図に示す如く)これはそれに類する動物である。
 漢民族の騎馬の歴史は趙の武霊王(紀元前325年~300年)の『胡服骑射』が初めてである。当時はまさに戦国の末期であり、華北の趙の国と匈奴の不断の戦争最中であった。趙の国戦車と歩兵では北方の遊牧民族の騎兵を御することはできなかった。


 彼らは精悍に騎射をし、丈を起こしてきて縦横無尽に駆け巡り、丘陵河谷どこでも彼らを阻むことができなかった。それにひきかえ戦車は明らかにもたもたしており、遅くゆっくりして、往々に戦争の礼儀を守らない匈奴の騎兵の落花流水の如く打ち出す戦法に遅れをと撮っていた。

 そこで超王の霊王将兵の服装を改めさせ、胡服如くズボンのように穿く服装に改め、戦車を捨て、精鋭の騎兵を養い、匈奴の侵入を撃退した。


引用:「汉字密码」(P54、唐汉著,学林出版社)
春秋戦国時代に起こった戦術の大転換の反映
 甲骨文字にある騎の字は明らかに馬ではない。羊かあるいは牛(図に示す如く)もしくは他の動物であったようだ。

 金文になって初めて馬が出てきている。金文の騎の字は馬と「奇」という音からできている。ここで「奇」は大と可からなり、人が足を広げ馬にまたがる様子である。意味は跨ぐである・「奇」は「騎」の本字となり、騎を騎乗を以後表示するようになった 奇の字は「怪異、奇特の意味を表示するように多用されている。これは馬にまたがる胡服の兵士が当時の人々の目にはある種怪異な服装に思えたところからきている。


結び
 漢字の変遷を見ると甲骨文字の時代の「騎」を表す文字には、馬は出てきていない。しかし、金文の時代即ち春秋戦国時代に至ると馬は漢字に組み込まれており、この時代に戦車から騎馬軍団に主力が移ったことが伺える。そして、次第に戦車は戦闘の主戦力から退き、騎馬軍団へと代わって行った。


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