2019年1月28日月曜日

「編隊少女」は「変態」少女ではない! 漢字「編」を考え直そう!


漢字「編」の起源と由来
 ウエブで「編隊」というキーワードで検索してみたら、「編隊少女」というサイトにぶっつかった。「基本的に無料」という甘言につられて、ついログインしてしまった。世の中こんな世界もあるのかとある意味衝撃。こんなサイトに入った自分が「変態」ではないかと思われるくらい全く異なる世界である。
 はっきり言って、使われている言葉も全く理解できない。「4コマ」漫画も全然面白くない。なんでこんなのが漫画になるのか不思議でしょうがない。
 こうして毒づいても、「嫌なら見るな」「早く出て行け」と言われそうそうなので、早々に退散した。
 このサイトの収穫としては、自分に全くの異次元の世界が広がっているということを自覚させてくれたことだ。これからも、偶には異次元の世界を訪れるのもいいのかも知れない。自分の孫が成長するときには、こんな世界になっているのかも知れない。

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 ところで、ドローンによる編隊飛行の実験が、中国で行われたと報道されていました。その実際の映像を見ましたが、すごい迫力のあるものでした。ドローン自体は小さなものでしたが、おびただしい数の飛行体の編隊が、飛び回る光景は、以前にアメリカ映画にあった、「インデペンスデイ」(記憶がはっきりしていないが、無数の小型飛行編隊が母船から襲来してくるものだったように思う)そのものでした。
 今どの国でも、このドローンやアンドロイドによる代理戦争が研究されていると聞きます。

 以前映画を見たときには、映画の中だけのこととして感じていましたが、この紙飛行機のようなドローンの映像を見た時、これが現実の戦争だったら、どんなに恐ろしいか恐怖さえ感じました。数体ならばどうって言うことないのかも知れないが、何百という編隊だったらどうでしょう。

 ここで漢字「編」の持つ意味の恐ろしさを一度考えてみましょう。 


引用:「汉字密码」(P184、唐汉著,学林出版社)
「編」の字の成り立ち」
 「編bian」、これは語彙の一種です。甲骨文の「編」という言葉は左側は「」という字乃至編み物や柵の象形である。右側は編むためのロープを表す「糸(mi)」です。したがって、「編」の本来の意味は配列状のフェンスです。これは編みを編んだりネットの縁取りすることも指します。小篆の「編」という言葉は、「家」を追加している。これは、一枚扉の象形です。そのため、阻止する、隔てるの意味にも使用されます。したがって、「編」の本来の意味は交錯して作ることです。


「編」を使った成語・言葉
 蔡倫が漢の時代に紙の発明する以前は、古代中国では筆記用具として竹簡が使用されていました。竹簡を一条一条革の紐で編んで連ねていくと、それは巻の本になります。

「編」を使った成語
"史記"によると、孔子は彼の晩年に本 《易经》を研究し、何度も何度も読み返し竹簡の皮が擦り切れて切れてしまったといいます。 「韦编三绝」のイディオムの起源となり、後世の一般的な本を編で表すように成りました。

「編」がどのように使われているか
 「長編」、「上編」などに表現されます。歴史的な本では、歴史的文書は年代順に書かれた文献を、「編年体」と呼ばれます。軍隊では、「編隊」、出版上では、「編纂」演劇の制作では「編導」など、皆一定の順序・格式を持って制作する意味を持っています。古代の編織は縦織と横織の2種に別れており、経糸または緯糸の空間往復構造を使用して、メッシュまたは縞模様の布地をパターンで織リ物でした。「编钟」は古代中国のユニークな楽器(打楽器)であり、この楽器の特徴は、鐘がサイズ順に連続して長方形の木枠の中に吊り下げられていますす。それは鐘の音の高さ順に音が放出されるので「编钟」と呼ばれます。
 

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2019年1月26日土曜日

大阪は元々「大坂」だった。では大阪という漢字はいつから?


漢字「坂・阪」の起源と由来
 大阪は江戸時代以前には、「大坂」と書いていた。大坂の「坂」の字を分解すると「土に反る」と読めてしまい縁起が悪いということから、江戸時代のころから「大阪」とも書くようになったということです。

 ところで、大坂選手は全くすごい人です。まだ若いにも係わらず、テニスの世界のトップに上り詰めました。心から祝福したいと思います。彼女の試合を見ていると、あまり「やったる」という気負いが見出されません。実際はものすごいプレッシャーと戦っているのでしょうが、それをあまり感じさせないというのは、大きく成長した結果でしょう。 
 彼女の姓の中の「坂」という字には、這い上がるとか、手で反らせるという意味があります。どんな状況でも、条件をはねのけ、這い上がるという今の彼女がまさに名前の中にDNAのように刷り込まれているのかも知れません。


テニス界の快挙、大坂選手、全豪オープン優勝。錦織も奮闘!!
 甲骨文字の時代は、「阪・坂」という文字はなかったのかも知れない。
 大阪は江戸時代以前は、テニスの大坂選手の「坂」という字を使っていた。
 今日の毎日新聞の「余録」の記事だ。それによると、昔は大阪と言わず大坂が一般的だったという。小堀遠州も、「大坂時代」するよう、進言をしていたという話。

「思いつき雑記帳」というブログによると、

漢字の表記は当初「大坂」が一般的でしたが、大坂の「坂」の字を分解すると「土に反る」と読めてしまい縁起が悪いということから、江戸時代のころから「大阪」とも書くようになり、明治時代には大阪の字が定着しました。
とのことです。これで納得です。

引用:「汉字密码」(P315、唐漢著,学林出版社)
「坂・阪」の字の成り立ち」
 「坂・阪」という字は、昔は「坡」と書いていたのかも知れない。説文の時代になって、以降「坂」と書くようになったのだろうか。  坡は一般に地勢が傾いた場所を指す。明代の詩人施武《相见坡》で「上坡面在山 , 下坡山在面, 相见令人愁, 何如不相见。」その中の坡は山の傾斜するところを指している。「山坡、坡道、一面坡」の言葉もある。
 《说文》では解釈して、「坡乃ち阪なり」としている。土と「皮」の発声からなる。
このような文字を分解して解釈する手法は難しい部分がある。宋の時代の中国の有名な二人の問答が面白い。
 王安石の《字説》の中で、波は水の皮と解釈している。たまたま訪れた蘇東坡が冷やかして曰く。もしそうなら、「坡」は土の皮かと。



引用:「字統」(P698、白川 静著,平凡社)
「坂・阪」の字の成り立ち」
 「坂」:声符は「反」。「反」には、攀援、よじ登るの意がある。「説文」では、「坡なるものを、阪といふ。」と説明しています。因みに、この阜偏は「阜」と書き、階段を意味するものでした。







漢字源の解釈
 漢字源では:阪という漢字は「会意文字兼形声文字」であるとしています。「反は反り返って弓形に傾斜する意味を含むとしています。「坂」は「土+音符反(そりかえる、傾斜する)」
 また「反」の項目では、会意。「厂+又(て)」で、「布または薄い板を、手で押して反らせた姿。」と解説しています。

 

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2019年1月22日火曜日

火器管制レーダーの照射の「照」という漢字に隠された本来の意味は何??


漢字「照」の起源と由来
 元々「照」という字は、お招きした客人を玄関で、トーチを手に持ってお迎えする云わば「接待」の意味を持つ言葉であった。
 それが、昨今新聞を賑わしている「火器管制レーダの照射」では、ずいぶん荒っぽい「御もてなし」をされたものだ。
 相手が誰であろうと、その人にいきなりライトを浴びせたことが本当だとしたら、それが火器でなくとも、失礼この上ないことで、理由のいかんを問わず謝ることが先決だと思うが・・。
 双方の言い分はあるだろうが、誰にとっても理解できる議論で、ここはオモテナシが殴り合いの喧嘩にならないように願いたいものだ。

引用:「汉字密码」(P325、唐汉著,学林出版社)
「照」の字の成り立ち」
 「照」、 "説文"は「語意は火、発声は昭だ」という。また、実際上金文の「照」の字は、左上の部分は火であり、下の部分は枝であり、トーチを握っている形です。右側は「召」の字で、もともと他の人たちを呼ぶことです。「呼びかけ」の言葉があります。二つの形会意で、玄関で招いた客を、トーチを持って、案内する情景です。表現は非常に適切です。


  小篆の言葉「照」は、変化して、トーチが輝いていることを示すために、「火の上に日があって」発光している火を表現しています。楷書から隷書への変容の過程で、左下部分の「火」を4つの点火に変化させ、併せて下部に移動し、「照」と書くようになったということです。


「照」は派生し、現代どんな使い方をされるか
 「照」の本義は火を使って照明することです。後日拡張され、日光が照射することに使います。
 現代の中国語では「日照、輝き、照明」という言葉があります。また様々に拡張され、「鏡や他の物の反射」させてできる像の意味や『对照、比照、心照不宣』の如く、「明察、洞察」の意味にも用いたりします。
 『照应、照顾』の如く、介護したり看護する意味にも使います。


 
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2019年1月21日月曜日

漢字「姓」は大昔の氏姓制度の中から誕生した。 漢字は社会の変化を映し出す。


「姓」からの開放は、社会の開放に直結する
 今日の毎日新聞に「選択的夫婦別姓の全国陳情アクション」と題して、夫婦別姓の運動の機運が高まっていることを報じています。
 人々の「氏姓」の問題は、人間が共同体を作る前には、未だ存在しなかったのですが、やがて集落ができ、集団で生活するようになると氏姓制度が生まれ、「家族」という単位が発生してくるようになります。やがてその制度も社会も時代と共に大きく変化することになりますが、「姓」という漢字の変化は、その社会の変化をまるで母斑のごとく刻みつけています。

 今、漢字の「姓」の変化の過程を見れば、数千年前からの社会の変化が明らかになり、「夫婦別姓」を妨げるものが何か、自ずと明らかになってきます。

 日本では、昔の「家」という概念は既に崩壊したと言われています。では、完全に「家」という概念から開放されたかといえばそうではないと考えています。その最も大きな根拠はこの「夫婦は同じ姓でなければならない」という概念が、日本では支配的だということです。そのために諸外国から見ても、「日本の女性は開放されていない」現状に強いられることになっています。もちろん「夫婦別姓」にすればすべてが解決するという単純な問題でないことは確かですが、少なくとも社会を前進させる大きな起爆剤には成り得るでしょう。

 人々が、男も女も、「家」という概念から開放され、キラキラと煌く「個の発露」が開花する時、日本の社会はもっと美しく素晴らしいものになるでしょう

引用:「汉字密码」(P485、唐汉著,学林出版社)
「姓」という漢字は古代から近代にいたる非常に長い期間
社会の成り立ちの根幹の制度・概念を表す漢字である
「姓」の字の成り立ち」
 「姓」の両形も会意文字であり、母系制氏族社会で、同一の女性を始祖とする後代まで広がる社会を示している。
 同一の女性の祖先の子孫は、彼らが一人の同じ女性から来る所から金文の「姓」という字を生んだ。





漢字「姓」という文字がなぜ女偏から人偏に変化し、再び女偏に変化したのでしょう
 右辺の字の符号の中の短い横棒と左辺の女偏が人偏に代わり、この時期に社会が既に男性の権力の時代に入り、既に母系制氏族制度が転覆したことを表明しています。小篆は女偏に回復しているが、なぜ人遍から女偏に戻ったのかは調べる価値がありそうです。


「姓」の独占と社会の仕組み
  中国古代社会では平民と奴隷は皆姓を持ってなかった。只貴族のみが姓を持っていた。実質上早期には姓の権利が独占されていた。この為に上古社会では「百姓」という言葉は庶民を指していた。平民も姓氏を持つ様になって、庶民という言葉は一般庶民を表示するのに用いられた。

 このようなことは、韓国社会でも、夫婦別姓になっているにも係わらず、「本貫」という遺制?が残っているし、中国でも「太子党」という階級の裏付けが、父系の血縁集団のように社会に隠然とした力を与えていると言われる。

 日本では、朝廷が、官位と同じように氏(うじ)と姓(かばね)を授けて氏姓制度を国家機構の中に組み入れ、支配の仕組み構築していった。



参考記事:「女の漢字:「姓」 文化・社会の原点はここにあり

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2019年1月19日土曜日

今話題のファーウエイは、「華為」の中国語読みです。


漢字「為」の起源と由来
今話題のファーウエイは、「華為」の中国語読みです。つまりこの会社は、大昔にあったとすれば、「中華の象調教」会社という名前で呼ばれていたかも知れません。

 太古の昔は、甲骨文字の生まれた地方、いわゆる中原は現代より暖かく、亜熱帯性の気候であり、水牛や「象」が闊歩していたと想像される。

 そして古代の人々は、その象を見て、「象」の鼻が自在に器用に動くことから人間の手のように色々なことをしたり、物を作ったりする機能を象を借りて文字を作った。


引用:「汉字密码」(P89、唐汉著,学林出版社)

「為」の字の成り立ち」
 一頭の大きな象の完全な図形、左上に手が描かれている。グラフィック全体を通して、象と手の会意によって、象の鼻が人間の手のように自在に器用に動くことを表現している。事実、古代の先祖は象の鼻の器用な機能から「する」または「作る」という一般的な意味を表現するようになった。

  金文中の「為」という単語は、長い象を除いて短い小さな段に短縮されている。
  小篆から隷書まで、隷書から楷書iまで、そして繁体字を経由して簡体字に至るまで、象のイメージと意味はまったく見ることができません。中国語の「為」は、多義的な単語であり、一般的な単語です。


今では、「為」をどのように使うのか
 今では、できる、するという一般的な意味に使われたり、更に拡張されて「だから・なので」、「・・するために」、「・・されて」という意味を持ち込むことになります。また文の最後にあって、感嘆詞や「いずくんぞ〇〇や」などのように反語的語気を示します。


漢字源の解釈
 会意文字:「為」の甲骨文字は、「手」+「象」で、象に手を加えて手懐けて、調教するさま。この事から、人手を加えてうまく仕上げるの意味。

字統の解釈
 「手」と「象」とに従う。手を以て象を使役するかたち。

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2019年1月18日金曜日

灰色の政治家は誰だ? 漢字「灰」の起源を問う


漢字「灰」の起源と由来
 灰色の政治家は誰だ?真っ黒かも知れない。しかし未だ断定できない状態にある政治家を「灰色の政治家」といいます。

 一昨年、昨年と二年越しで、日本の政治は大きく混乱しました。表向きはその混乱は収まったかのように見えます。しかし、国民の間には、その疑惑の燃えカスが未だ熾火のように、残っています。
 政治を混乱させた灰色高官は誰?


引用:「汉字密码」(P329、唐汉著,学林出版社)
「灰」の字の成り立ち」
 「灰」これは会意文です。 金文の「灰」の字は、下部は「火」で上部は「叉」です。 2つの形の会意で、手と火から取り出される灰燼を意味します。 進化の過程で、小篆は叉の中の小さな点が省略されました。 それゆえ、「説文」はこれを「灰色、火が消えて余リカス」と解釈している。「叉は手なり、火は消えているが、また起こすこと可能。」すなわち、火が消えた後に拾うことができる残り火。 楷書が変更され、「手」が省略され、「灰」となった。


漢字「灰」は如何に使われるか
 死んだ灰は発熱、発光することもないので、しばしば自信のなさや意気消沈したことの隠喩として使用されます。

 《庄子•知北游》に、「形若搞骸 , 心若死灰」(形は枯れ木のごとく、こころは死んだ灰のごとし)。成語の中で「心灰意懒、灰心丧气」(がっかりして何もする気になれない)などがあります。


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2019年1月17日木曜日

「光」はフレッツ、光通信色々あれど、漢字「光」の由来は?


漢字「光」の起源と由来
 今年の歌会初めは16日に執り行われた。今年のお題は「光」である。陛下自身が決められるのは平成最後になる。
「贈られしひまはりの種は生え揃い葉を広げゆく初夏の光に」
 この歴史は平安時代に遡ると言うが、国民的行事として定着したのは、昭和22年(1947年)からだという。

引用:「汉字密码」(P320、唐汉著,学林出版社)

「光」の字の成り立ち」
 「光」、これは会意文字です。 甲骨文字の「光」言葉:下の部分は右向で跪いている人の形、上の部分は「火」です。字全体は「火」と「人」で構成されています。まるで照明を灯すのように火を持って高く掲げている人のようです。 金文は頭の上の「火」に単純化を施し、上にさらに2点を追加して、光芒を表現しました。 小篆の「光」の字は金文を受け、下部には人の形が「儿」に変化しています。そして楷書は「光」と書きます。



 個々にあるヒエログラフから、見ると単純に、頭上にろうそくに火を付け、はちまきで巻いて一心不乱に祈り狂う祈祷師の姿を思い受浮かべてしまうのは致し方ないかも知れない。(私自身の貧しい発想から)太古の昔の祈祷というのは、そのようなものではなかったのかと想像してしまう。だがこのようあのオドロオドロした光ではなく、実際私達は、春の草木が一斉に芽を出し、その間に光がキラキラ輝く光はこの上なく眩しく美しいものと思う。

 しかしそんな春の光や、海面に跳ね返る光を実際絵や字で表現しようとした時、非常に難しいものを感じてしまう。光を表現するときには、どうしても、松明や蝋燭のように暗い中で光る限定された光になってしまうのではないだろうか。
 結局、光を字で表現しようとする時、古代の先人たちがしたような表現方法になってしまうのではないだろうかと考えてしまう。


漢字源
 会意文字。人が頭上に火を載せた姿を示す。四方に発散する意を含む。


字統
 「火」と「人」に従う。人の頭上に火光をしるすが、その行為の意味を明示する造字法によるものである。火は古代において極めて神聖なものであるから、これを聖職として掌るものがあった。 


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漢字「執」:人の名前に最適の漢字では?


漢字「執」の起源と由来
 この漢字は珍しく、漢字源、字統、唐漢氏の解釈が一致した。また説文では、「罪人を捉えるなり」としている。

引用:「汉字密码」(P628、唐汉著,学林出版社)
「執」の字の成り立ち」
 甲骨字の「執」という言葉は、人の両手が手枷でロックされているような形状です。 金文の「執」という言葉は、手を伸ばした「人間」と「幸運な」という言葉に分解され、象形の意味を失われています。 小篆は真っ直ぐ伸ばした両手の人間の形が " "という字に変わっています。そして楷書は"執"と書きます。 

 また、唐漢氏は同義語として「持」を上げて、両方共に「掌握」を意味することができるとしているが、その違いは 「執」の本来の意味は逮捕することであり、その意味が強く堅固である時、いわゆる「坚持、固执、执掌」のように「執」が使用されています。一方、「持」は保持に焦点が当てられ、持ったあとも変わらず変更されないようなときに、「持久、持续、相持」等「持」が用いられていると説明しています。


漢字源
 会意文字。手枷と(人が跪いた形)」、座った人の両手に手枷をはめ、しっかりと捕まえたさま。

字統
 会意文字。「幸」と「ゲキ」とに従う。「幸」は手枷。手に手枷を加える形で、罪人を拘執するをいう。


あとがき
 「幸」は元々手枷のこと。なぜ手枷が「幸せ」なのかは、関連記事を読んでください。
これこそ、ものは考え様の手本みたいなもの。物事を前向きに考える大切さを教えてくれる漢字です。
 そして、「執」とは、この「幸い」に捉われる人を表しています。物事の考え方は時代と共に変わっていきます。死刑執行の「執」などとんでもない。今をときめく音楽家の蓮沼執太さんなどはそのことを身をもって私たちに示してくれているのかも知れません。



 関連記事:この記事は以下のページを参照にしています。
 「漢字「幸」の由来:古代中国では「手枷」のこと。手枷が何故「幸せ」になるのか」  


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2019年1月15日火曜日

漢字「税」の由来:「税」を分解してみれば、「税」の本質が分かる(再録!)

税という言葉を分解してみれば、言葉の本質が見えてくる
 今年の漢字は「税」
 
漢字はその中に、生活や考え方や文化が込められていて奥が深い。この「税」という漢字を通して、今に通じる「税」の本質が見えてくる。

 この「税」という漢字はというのは「禾偏」(のぎへん)+「兌」の会意文字である。
 禾という漢字は穀物に使われている。
 「「兌」という漢字は、脱皮や脱力という言葉にも用いられているが、元々「抜き取る」「脱がす」という意味がある。
 この2つの要素を合わせると、まさに穀物を抜き取るという言葉になる。

  最近政治資金規正法をめぐっての動きが激しい。
 

「税」の解釈、税の本質

 さてここで問題の消費税であるが、そもそも税とはいったいなんだろう。早速調べて見た。  漢字源によると、「税: みつぎ。国家や支配者が人民の収入や収穫のうちから抜き取って徴収するもの。年貢。」  なかなかすばらしい解説である。土地や田畑から徴収するものを「租」といい「品物や収入から徴収するものを税と呼んだ。昔は1割を理想としたが、現実には田租は5,6割にも達した。「動詞では「ゼイす」とはぬく、抜き取る。はがす。自分の持ち物をぬきとって人に与える。」とある。少し前の「はがし」などとは月とすっぽんの違いである。  さて、このゼイというのは「禾偏」+「兌」である。



「兌」の解字


 それでは「兌」という字はどうだろう。漢字源によるとこの字は「あな、ぬく、ぬきとる」など4つの意味を持っている。解字として、「会意文字である。八印(開く、抜ける)+「兄」。悦や脱の原字で、人の衣を開いて脱がすさまを示す、ぬきとるの意も含む」とある。
いよいよ唐漢氏の解釈に入る。 これは会意文字である。甲骨文字の「兌」の字は、下半分が兄という字である。原本では長男とでも言っていいだろう。上半は大声での発声の符号を表している。ここでは憚ることなく言うことを示して、思ったことをそのまま言うことである。であるからには声は出て、兌は話の最初の言い方とも言える。 金文から小篆、小篆から楷書、整体字形は完全に相似で、同じ流れと見ていい。


「兌」の本義

 「兌」の本義は説となる。《易・兌卦》は「「兌」は「説」である。但しこの意味から起こってきて「説」の字に引き継がれている。両者の間は古今字の関係を形成している。すべての解説で明らかなように、言うもの、聞くもの心の中は皆、明らかで、このことから「兌」は又悦の意味を持つ。後世、悦の字を作りこのこの意味を表すようになった。

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2019年1月14日月曜日

漢字「鮮」の由来:朝鮮の「鮮」はどこから来たのか


朝鮮:誇り高き朝鮮民族、後に鮮卑族として北東中国を制した民族のロマンの舞台の地
 「朝鮮」という名前がこの世に登場したのは、紀元前4世紀頃からあったことが確認され、『史記』や『管子』に「朝鮮」という地名に関する記述がある。その由来としての説はいくつかあり、楽浪朝鮮からとか、中国人が朝光鮮麗の地と呼んだためだとか東方(=朝)の鮮卑に由来すると諸説があるが、結論に至っていない。

 考古学的に証明できるのは、朝鮮の最初の国家で建国者から名乗って衛満朝鮮といわれている。その活動拠点の一つには朝鮮半島の中部に位置した楽浪郡で、この地は海に接していることからも、また後に鮮卑族として、勢力を保持したことから見て、漁にも長けていた事から、このような辞が生まれたと言えないだろうか。

 しかし、そもそも漢字「鮮」は魚のように新鮮だということを、魚と羊肉を使って表したものだと言えましょう。

引用:「汉字密码」(P5、唐汉著,学林出版社)

「鮮」の字の成り立ち」
 会意文字です。

 マトンは特別な美味しさと高いカロリーを持っており、そしてそれが特に冬の空腹時には、それは全身をポカポカと暖めます。したがって、中国の人々の心の中では、マトンと魚は共に味覚と嗅覚を刺激する特別な食べ物です。魚と羊でできた「新鮮な」という言葉は、古代の先祖の子羊に対する愛着を本当に反映させたものになっています。

 上の図に示すように、金文では「鮮」では、羊は上、魚は下、上下の結びついた構造は小篆の「鮮」という単語が左右の構造に受け継がれ、変更されています。楷書は小篆を受け継ぎ、左右合体した文字となっている。

 三百三百年前、黄河の真ん中に繁栄した王朝の殷商王朝には、亀の甲をもっぱら使用した卜辞を常々刻みつけに「羊10匹と牛2匹を用いた」という卜辞が刻まれていました。意味は祖先の神霊を拝みお祭りする時、10匹の羊と2匹の牛でお祭りをしたということで、古代の祖先は、祖先に最高で最も美味しく新鮮な食べ物を神霊の面前にお供えをし、彼らがこれらのお祭りしたことで、最高の主権と優先権を享受できるものと信じていました。このことは私たちの先祖の目から見ると、羊の肉は確かに一種の「新鮮で」美味しい食べ物と考えていたことを証明できるものです。


漢字源
会意文字。「魚+羊」で、生肉の意味を表すとしている。
この解釈は。唐漢氏ともほぼ同じで、多分魚が脚が速い事から、新鮮さを魚という文字で表したものだろうと推察される。



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2019年1月11日金曜日

漢字「寒」の成り立ちと由来:古人の寒い時の過ごし方は漢字に書いてあった。漢字そのものが寒そう!


漢字「寒」の起源と由来:古人の寒い時の生活ぶりが分かる。漢字そのものが寒そう!
 大昔、人々は寒い冬をどう過ごしていたか?
 家の中で、乾草に包まって寝る。電気も、ガスもない中では、確かにこれしかないであろう。賢いと言うか、そのヒントは漢字に隠されていた!!漢字の中に書いてあった。今解き明かす。


引用:「汉字密码」(P275、唐汉著,学林出版社)
「寒」の字の成り立ち」
 「寒」これは非常に絵画効果のある会意字である。金文の寒はウ冠と乾草を表す記号と冷気を示す記号など4つの記号が合わさってできている。その中のウ冠は家屋をさす。

記号「」は暖を取るため寝るための乾し草をさす。
記号 「」は古文中の氷の字で、人は草の中に寝る意味である。全体の字形は外は氷と雪で、人は屋内にあって暖を取り、寒冷であることを示している。

 小篆の字形は毛筆で形を整えた特徴を持っている。 造字の構成要件は一つも欠けていない。


「寒」はどのように使われてきたか
 寒の本義は寒冷を指す。寒風、寒流、天寒地凍(天は寒く、地は凍る)などのようにここでの寒はすべて本義に基づくものだ。冷たいと人は震える。これにより戦慄は恐れる意味で、肝を冷やすなどがある。このほか寒は貧困の意味もある。贫寒、寒酸、寒门等。寒喧(寒いと暖かい)は元々冬季と夏季を指していたが、「一寒一暄」(寒い時と暖かいとき)は一年を指す代わりに用いる。以来拡張されて、天気や寒暖が入れ替わるようなことに用いるようになった。

「漢字源」の解釈
 会意文字:
 「塞ぐの字の上部+「冫」(氷)で屋根(「宀」)の下にレンガや石を積み、手で穴をふさいで氷の冷たさを防ぐさまを示す。」としている。これだから漢字学は楽しい。いろいろの解釈が、ある意味自由にできる。


類語の比較
「冷」:澄み切ってつめたい。「涼」:すがすがしくすずしい。 「凍」:こおるようにつめたい。



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2019年1月10日木曜日

「流水」というバスのダイヤ:漢字「流」の成り立ち


漢字「流」の起源と由来
 昔中国の田舎の都市を旅行したとき、バスの運行ダイヤに「流水」と書かれてあった。意味するところは、まさに流れのままにということで、客が集まり次第、出発するというもので、いつ出発し、いつ到着するかもわからないというものであった。バスは、瀋陽発、大連行きだったように思う。何という牧歌的なのんびりしたものだった。実際にはそのようにのんびりなどしてなく、ガッツリ走ったような気がする。

引用:「汉字密码」(P297、唐汉著,学林出版社)

「流」の字の成り立ち」
 「流」は会意文字である。左辺は水を表し、右辺はもともと胎児が羊水と一緒に生れ出ることから来ている。ここで用いられたのは、川の水が流れ動くことを表示したことから来ている。金文の流の左半分は水、右半分は水の中に一個の「文」と言う記号が付け加えられて、ないし羊水の流出を表示し、下辺の流動感が増強されている。 



「流」の使い方

 現代漢語中で「流行。流毒、流弊、流芳等の言葉は、水の様に物体が移動することをいい、「電流、暖流、気流」 など等しくここから来ている。「流」は「流派」で品級の意味に用いたり、下流とか四人組の流れの様に用いたりする。 

「漢字源」の解釈

 赤子が頭から突き出て生まれる様。会意文字で出産の際羊水の名が出るさまを表すとしている。唐漢氏の解釈とほぼ同じである。 

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2019年1月8日火曜日

漢字「雪」の成り立ち:
太古の昔、黄河の辺りは亜熱帯。そこに住む人間は「雪」をどう考えたか

「雪」を初めて見た時の驚きは如何ばかりだったのだろう
引用:「汉字密码」(P269、唐汉著,学林出版社)
 太古の昔、殷という国が栄えていた頃、黄河の辺りは亜熱帯。そこに住む人間は「雪」をどう考えたか?。当時、象やや水牛が闊歩していたという。雪など見たことのない人間が、雪をどのよう考え、どう見たかが、甲骨文字に残っている。

 彼らは「雪」を、雨や水を掃く箒と考えていたらしい。
 古人にとっては、とんでもない出来事だったのではないだろうか。しかし、この古人の「雨を掃く箒」という概念がもう一つの呑み込めない。

 我々にとっては、「南の島に雪が降る」という加東大介、伴淳三郎の映画のほうがピンとくる。

 甲骨文字の成り立ちは、「字の上部は雨の省略形だ。下部は羽の字で傍の小点は上から下に落下する屑である。」
 まさに雪片のデザインのようだ。小篆の雪の字は下部が変じて、彗の字になっている。彗の字は古文字では常に箒を表している。大概、雪は一種の水の箒だと解釈されている。雪と彗からはあたかも雪を掃くものなりと解釈している。

 許慎は説文解字のなかで、雪を解釈して、氷雨としている。段玉裁は許慎に対し、雪、緩やかなりと解釈している。水が寒気に遭遇して固まり、ゆるゆると下がるなり。雪は本来風花雪月の中の一景だ。まして「瑞雪は豊年の前兆」なり喜ばしいこというまでもない。


 中国の商代(今から3500年から5000年前)の気候は現代と比べると温暖なことが多く、商の都のあった安陽(現在の河南省)の殷墟の遺跡から発掘された動物の骨格中、水牛などの亜熱帯動物もある。特別なのは象で、典型的な亜熱帯動物で、今では雲南省のごく一部のみに生息するだけである。
 単に殷墟の考古の中の象の化石骨格だけではなく、考古卜字中に商王が狩をして、象をしとめた記録までもある。ということから、商代の安陽は亜熱帯気候に属していて、雪が降ることは非常に少なかった。甲骨文の中では、雪の字は極めてわずかしか出てこない。

 筆者もこの地に一ヶ月ほど滞在したことがあるが、寒暖の差は感じたものの、とても亜熱帯気候とはいいがたいものを感じた。しかし、数千年前には、この地に象が生息していたとは驚きだ。
 因みに安陽市の平均気温は13.6度、地積は平地で、緯度は東京とほぼ同じである。西には太行山脈がそびえ、そこから流れる漳河(しょうが、海河水系衛河の支流)が河北省邯鄲市との境を流れる。

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漢字「責」の成り立ち:甲骨の時代も責任は結局「金」の問題だったのか


漢字「責」の下部は「貝」(当時の金)だ。何を意味する?

引用:「汉字密码」(P790、唐汉著,学林出版社)

「責」の字の成り立ち」
 責は会意文字である。甲骨文字と金文の「責」はの構造はよく似ている。下部は両者とも「貝」であるし、上部は「刺す」の字である。原本はいばらの上のとげの描写である。ここでは針で突き通すことを表している。二つの形は串を用いて貝を朋となす。そして蓄積をあらわし、儲けるの意味もある。小篆の責は金文を受け継ぎ、楷書は隷書化の過程で上部の束が変形して責になった。

「責」の原義は貯蓄である
 責の本義は蓄積である。この言葉は後に作られた積の字に受け継がれている。責すなわちその意味が拡張され、すなわち蓄積、求めてとるという意味になった。


編集後記
 日本で責任の取り方として、「責任は俺がとる。腹を切ればいいだろう」というのがある。この責任の取り方は、どうも日本だけのようである。いかにも潔いようであるが、考えようによっては、責任は個人でとれるほど軽いものではない。たった一人の腹きりで何百人という将兵の命の責任をどうして取れるというのだろう。
 この言葉は昔から散々聞かされてきた。先の大戦の「インパール作戦」でも、こうして叫んだ将軍もいたようであるし、つい先の国会で、「責任は私がとります」といった首相がいたようであるが、私には、これらの言動は「責任逃れの最たるもの」のように思えてしまう。考え違いもいいところだ。
 トップの命など庶民にとっては何の役にも立たないことこの上ない。このことは漢字の「責」からも窺い知ることができる。



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2019年1月6日日曜日

漢字「下」は、太古の昔は「横線の下に短い横線」と書き、「二」と紛らわしかった


漢字「下」の起源と由来
 「下」は「上」と同様、数字の「二」によく似たように書いていたが、あまりに紛らわしいので「下」という字ができた。ここに概念の分化即ち字の発達の過程を見ることができる。

引用:「汉字密码」(P338、唐汉著,学林出版社)

「下」の字の成り立ち」
"下Xia"もまた指示語であり、その意味は "上"とは反対です。甲骨文字の「下」は、長い水平または円弧の下に短い横線を追加して下の位置を示している。 後の時代になって金文は、それを「二」から区別するために、意図的に長い垂直線を加た。楷書はその脈絡で、「下」と書いています。

「下」の使い方
元々の "下"の意味は、 "上"の反対ですが、低い所と低いの面の意味もある。 
拡張され、「下級、下層、下流」などの等級や品質の下等なもの、「午後、次の時間」などの順序とその後の意味を表します。 「下」は動詞としても使用でき、「下乡(田舎へ行く)、下岗(解体する)、下放(下に放逐する・文革のときによく使われました)、下班(仕事を降りる)」などのように使われます。


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漢字「税」の本義は「収穫の一部を抜き取ること」


漢字「税」の起源と由来
 新年も明け、今年は新しい元号となる。また今年の10月には消費税10%が予定されている。この「税」という字に焦点を当ててみたい。

 もちろん税は必要である。それは否定はしない。しかし、文字の成り立ちから言うと、「収穫の一部を抜き取ること」である。

 「税」のないユートピアはないのだろうか。税の面だけから考えると、最近までユートピアは存在した。一昔前のアラブ首長国連邦だ。産油国という特殊な状況にあったが。もちろんこれが理想の国というつもりはない。しかし、生産性が上がれば、そのような状態が出現するのも事実だ。

引用:「漢字源」(P1153、藤堂明保他編,学研)

「税」の字の成り立ち」
「禾(作物)+音符兌」で、収穫の一部を抜き取ること。
この説明が一番ぴったり来る。
同じ系譜に属する漢字
① 脱 「月」偏は「肉ツキ」ともいい肉体を示すことで、「脱」は衣を脱いで裸になることの意味
② 悦 リッシン偏に兌で、心が解脱状態になっていること。愉悦などに使われる
③ 鋭 汚れがなくなり、金属が裸の状態で鋭いという意味を表す

漢字「兌」の起源と成り立ち
漢字源の説明・・会意文字。「八印(開く、抜ける)+兄(人)」。悦や脱の原字で、人の衣を開いて脱がすさまを表す。抜き取るの意を含む。

唐漢氏の説明・・会意文字である。甲骨文字の「兌」の字は、下半分が兄という字である。思ったことをそのまま言うことである。兌は「話」の初文。


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