2019年5月6日月曜日

大阪都構想を原点に戻って考える:漢字「都」の成り立ちは


漢字「都」の起源と由来
 漢字「都」の原義から「大阪都構想」を考えて見るとどうなる?

大阪都構想
 大阪で大阪都構想が議論になって久しい。大阪市民や府民にとっては、『大阪都』という響きの持つ魔力に取り付かれ、なかなか離れられないらしい。これまで大阪では、橋下前知事のときに、「大阪都構想」で府民投票に打って出て、大阪府民の同意を得られず、いったん撤回された感じであったが、ここに来て息を吹き返してきている。
 前回の橋下知事と今回の松井知事の間にはそれなりの時間経過があったわけだが、その間「大阪都構想」という構想に議論の深まりがあったわけではないように思う。

都構想議論に見る感性と理性
 私は最近つくづく感じるのは、日本人というのは、大阪人に限らず、議論をつめて考えるのが苦手なようだ。「どちらかというとことをファジーにしておきたがる、余りつめてものを考えない。」国民性を持っているようだ。きっちりものを理詰めで考えようとすると、「あんたは理屈っぽい」といわれ、如何にも議論することが子供じみているかのように考えられる傾向にあるのではないだろうか。

 それに加えて、言霊伝説なるものがあるようで、言葉の中身より響きに惑わされてしまうようだ。理性より感性に重きを置くことになって、議論が深まらない要因の一つであると思う。

 ならば、ここで「都構想」の大本の「都」とは何かそもそもどのような成り立ちかに立ち返ってみようと思う。

引用 「汉字密码」(P727, 唐汉,学林出版社)

「都」は多くの小さな町を従えた大きな都市
 「都」は会意文字である。金文の「都」の字は左右が結びついたものになっており、右辺は「邑」で「人が集まって住む都市」を表し、左辺は「者」という字である。もともとは漆塗りの器の意味である。両形の会意で、多くの小さな町を従えた大きな都市を指している。

国の城(街)を都と言う。いわば国君が住むところ 今の人は国の首都を「都」と称す。 《释名•释州国》:「国城曰都,言国君所居,人所都会也。」 国の城(街)を都と言う。いわば国君が住むところで、人皆会うなり」また拡張して大都市という。



都構想の問題を複雑にしている問題
 こうしてみると、大阪はまさしく大阪都と呼ぶに相応しい規模と資格を備えているように思うが。
 悲しいかな、議論は単なる規模の問題ではなく、行政組織の問題になっているからややこしい。話の発端は何か?「二重行政の解消」から、「行政組織の簡略化」、「大阪万博」、「カジノ」といった問題が持ち込まれ、結果として話をややこしくしている。


複雑な問題を解消する鍵は?
 大阪都構想の問題を複雑にしている原因は、そもそもの行政改革の問題ではなく、(つまりそこには本質的な問題はなかった)府民の金を横取りしようとする利権集団の問題ではなかったのかということに落ち着く。府民の金と府民の土地を使うのだから、利権集団の懐に入るのではなく、府民が豊かになるようにすると、ことはきれいに片付くように思う。


「都」は「全てが集まるところ」の意味で、中国語では「全て」という意味に使われる
都市は庶民が物品を合わせ集めるところで、だから拡張して集合の意味になった。聚集から「全てが集まるところ」の意味で、完全とか全部を表す。杜甫の「喜雨」の詩"农事都已休,兵戎况骚屑。"ここでの「都」は即ち総括を表す。都は副詞を作り、強調する作用もある。例えば「连里头的衣服"都"淋湿了」この解釈は「中の服でさえずぶ濡れだ。」
  


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2019年5月5日日曜日

漢字「差」の原義に戻って、「貧富の差」、「差別」って何だを考えた!!


漢字「差」の起源と由来
 そもそも「貧富の差」ってなんだ?「差別」って何だ?漢字「差」の原義に戻って考える!!

 世界の富の6,70%は数パーセントの富裕層が独占している!! そもそもこの「差」って何だ?
  漢字はその中に、生活や考え方や文化が込められていて奥が深い。この「差」という漢字を通して、今から4000年前の生活を垣間見ることができます。

引用:「汉字密码」(P232、唐汉著,学林出版社)
「差」の字の成り立ち」
 「差」、これは会意文字です。金文の「差」という言葉は、古代人が小麦の穂を脱穀するために、小麦の穂を手で揉みほぐすことから来ています。「差」という単語の上の部分は「麦」の単純な形であり、下の部分は「左」であり、仕事の手を示しています。小篆の「差」という言葉は、簡単化で象形を失った後の楷書では「差」と書かれています。


 また、「左」のヒエログラフの解釈は、本ブログの「左は「工具」を持つ手の象形文字」のページを参照ください。
 また、ここで穂のヒエログラフが何故麦かということに対しては、漢字の発生した中国の「中原」という地方では、稲作は盛んでなく、基本的に麦、稗、粟といった穀物が作られていたことから、おそらく麦であっただろうと推察しています。

現代の「差」という意味はどうして生まれたか?
 古代の社会では、脱穀するのに石の盆や陶器の鉢が使われていました。その内壁は不均一な研削パターンを持つことが必要でした。したがって、「差」とは、長短、高低が平たくないという意味です。このことから現代で使う「差」という意味が生まれ、標準ではなく不十分であるという意味にもなります。
 従って、「差」という漢字は、足らないときや不足であるときに使われるようで、他と比べ優位にあるときには、余り使われないようです。


漢字源
 会意兼形声。「左」と「穂」の形を表現した。「左」そばから支えるの意味+「穂」を示すことで、穂を交差して支えると解釈する。


字統
 形声字であると解釈する。
意味は「禾」を神に「差」(すすめて)、祝祷するという意味を持つ。


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