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2022年4月3日日曜日

漢字・戒の由来と成立ち:「戒」は主に「いましめ」の義に使う。本義は武器をとることであった。警戒の意味に使うようになったのは後のことであろう

漢字・戒の由来と成り立ち:戈(ほこ)+ 廾(両手)から、成る
  今では「戒」は警戒するの意味に主として用いる。原義は武器を持った集団即ち兵・軍隊のことであった。
 戦うことと警戒することとは同義的と考えられていたことから、後に警戒するという意味に用いられるようになったのだろう。漢字の生まれから考えて、最初から警戒という概念があって、後に兵・軍隊が生まれることはないのではないだろうか。


漢字「戒」の楷書で、常用漢字です。
 戈と廾とに従う。廾は両手。戈を高く両手であげている形で、警戒の意
戒・楷書
説文に桎梏なり。桎梏とはかせ。 また一に曰く。「器の総称なり。 持するなり。一に曰く盛あるを械となし、盛なきを器となす。」
 盛とは攻撃性の武器のことで、甲冑兜は内成の器、戈弓戟は外成の器である。孫子に「この両者を併せて器械を具す」という。また、

 説文の別の説明には、桎は足枷なり。梏は手枷なりとあり、桎梏は外から制約を加えるの意を持つ。
械・楷書


 甲骨文字は、両手で飾りのついたシンボルとなる戈と支えているように見える。それは戦いに備えるというより、戦いの最中に、自分たちの旗幟を懸命に打ち立てて味方全体を鼓舞しているように見えないだろうか 
戒・甲骨文字
戒・金文
た状態を表している漢字
戒・小篆
以上2文字の会意で、即ちとか直ちにを意味する


         


「戒」の漢字データ
 

漢字の読み
  • 音読み   カイ
  • 訓読み   いまし(め)

意味
     
  • いましめる 用心する・・警戒、厳戒
          控え目にする
          してはいけないと禁止する
  •  
  • いましめ・・戒律

同じ部首を持つ漢字     械、成、戦、賊、我
漢字「戒」を持つ熟語    十戒、警戒、戒告、訓戒``




引用:「汉字密码」(Page、唐汉著,学林出版社)
唐漢氏の解釈
 「戒」は会意文字です。甲骨文字の形の中間は下部の左右両側は長戈を固く握った両手です。全体の字形は、迫ってくる敵の犯行に対する備えを表しています。金文の構造は甲骨文の相似ですが、ただ左右にあった手が、戈の左下に移っています小篆の形体は金文から直接変化し、二つの手は戈の下になっています。楷書の形体は変化し、戈の形体はまるで似ている。しかし、手の組み合わせが「艸」になり、手の形がまったく見えなくなりました。

漢字「戒」の漢字源の解釈
 会意文字:「戈+両手」で武器を手に持ち用心して備えることを示す。 張り詰めて用心するを含む


漢字「戒」の字統の解釈
 戈と廾とに従う。廾は両手。戈を高く両手であげている形で、警戒の意。戉を挙げる形は兵で字の作り方が同じである。警戒の意より戒告の義となる


まとめ
 「戒」の字は、闘うことは備えることだと教えてくれる。特に昨今の情勢では、意味深い字である。




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2019年5月6日月曜日

大阪都構想を原点に戻って考える:漢字「都」の成り立ちは


漢字「都」の起源と由来
 漢字「都」の原義から「大阪都構想」を考えて見るとどうなる?

大阪都構想
 大阪で大阪都構想が議論になって久しい。大阪市民や府民にとっては、『大阪都』という響きの持つ魔力に取り付かれ、なかなか離れられないらしい。これまで大阪では、橋下前知事のときに、「大阪都構想」で府民投票に打って出て、大阪府民の同意を得られず、いったん撤回された感じであったが、ここに来て息を吹き返してきている。
 前回の橋下知事と今回の松井知事の間にはそれなりの時間経過があったわけだが、その間「大阪都構想」という構想に議論の深まりがあったわけではないように思う。

都構想議論に見る感性と理性
 私は最近つくづく感じるのは、日本人というのは、大阪人に限らず、議論をつめて考えるのが苦手なようだ。「どちらかというとことをファジーにしておきたがる、余りつめてものを考えない。」国民性を持っているようだ。きっちりものを理詰めで考えようとすると、「あんたは理屈っぽい」といわれ、如何にも議論することが子供じみているかのように考えられる傾向にあるのではないだろうか。

 それに加えて、言霊伝説なるものがあるようで、言葉の中身より響きに惑わされてしまうようだ。理性より感性に重きを置くことになって、議論が深まらない要因の一つであると思う。

 ならば、ここで「都構想」の大本の「都」とは何かそもそもどのような成り立ちかに立ち返ってみようと思う。

引用 「汉字密码」(P727, 唐汉,学林出版社)

「都」は多くの小さな町を従えた大きな都市
 「都」は会意文字である。金文の「都」の字は左右が結びついたものになっており、右辺は「邑」で「人が集まって住む都市」を表し、左辺は「者」という字である。もともとは漆塗りの器の意味である。両形の会意で、多くの小さな町を従えた大きな都市を指している。

国の城(街)を都と言う。いわば国君が住むところ 今の人は国の首都を「都」と称す。 《释名•释州国》:「国城曰都,言国君所居,人所都会也。」 国の城(街)を都と言う。いわば国君が住むところで、人皆会うなり」また拡張して大都市という。



都構想の問題を複雑にしている問題
 こうしてみると、大阪はまさしく大阪都と呼ぶに相応しい規模と資格を備えているように思うが。
 悲しいかな、議論は単なる規模の問題ではなく、行政組織の問題になっているからややこしい。話の発端は何か?「二重行政の解消」から、「行政組織の簡略化」、「大阪万博」、「カジノ」といった問題が持ち込まれ、結果として話をややこしくしている。


複雑な問題を解消する鍵は?
 大阪都構想の問題を複雑にしている原因は、そもそもの行政改革の問題ではなく、(つまりそこには本質的な問題はなかった)府民の金を横取りしようとする利権集団の問題ではなかったのかということに落ち着く。府民の金と府民の土地を使うのだから、利権集団の懐に入るのではなく、府民が豊かになるようにすると、ことはきれいに片付くように思う。


「都」は「全てが集まるところ」の意味で、中国語では「全て」という意味に使われる
都市は庶民が物品を合わせ集めるところで、だから拡張して集合の意味になった。聚集から「全てが集まるところ」の意味で、完全とか全部を表す。杜甫の「喜雨」の詩"农事都已休,兵戎况骚屑。"ここでの「都」は即ち総括を表す。都は副詞を作り、強調する作用もある。例えば「连里头的衣服"都"淋湿了」この解釈は「中の服でさえずぶ濡れだ。」
  


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2012年2月27日月曜日

漢字「西」の起源と由来:太陽が西に沈む様、鳥の巣など諸説あり

kigenntor「西」という字は太陽が西の空に沈むさまを形象した象形文字であると教えられてきた。そしてそれを無条件に信じてきた。   しかし唐漢氏の説からはそれは全くの俗説ということになる。彼によると甲骨文字からは全くその様な形状は考えられないみたいである。それでは検証してみよう。

「西」原義:鳥の巣、水汲み甕
 許慎の説文では「西」は鳥の巣にいる状態、もしくは鳥の巣だという。
 又ある文字学者は甲骨文字の形を対比して、甲骨文字の「西」は水を汲む陶器と考えて、水汲み用の陶器の器という。日が西の山に落ちて、外で採取したり、狩りをしたりした農耕民たちが住むところに帰り水を汲み飯を作るのがその日の最後の大事な仕事である。この為本来「西」の陶器が仮借されて日が落ちる方角を示すようになった。これは唐漢氏も支持する説の様である。

 西は又西洋を言う。元明のころ、今の南海以西を押しなべて西洋と呼んでいた。明末から清の初め以降は「西洋」は太平洋両岸の各国を指すようになった。

 「西」という字に関しては、中国の4大美女に西施という女性がいる。彼女は春秋戦国時代に生き、呉の国の王夫差のもとに送り込まれ、最終的には見事任務を果たし、夫差を骨抜きにし、越王勾践のあだ討ちに絶大な助力をした女性である。女性哀史といえる歴史秘話。

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