2020年8月30日日曜日

漢字「雷」を含む面白熟語 「聚蚊成雷」:今の世評にぴったり?


漢字「雷」:「聚蚊成雷」小さなものでも世を動かす!!
 近年異常気象のせいで、ゲリラ豪雨、台風などが異常のさまを呈している。
 雷も以前では考えられない状況になってきている。 殷商の時代なら、神の怒りをいずめるためにひたすら祈りじっと耐え忍んでいたが、近代ではその原因は他ならぬ人間が作り出したものと科学的に立証されている。

 コロナ・パンでミックにしても、全ては人間が地球を破壊し続けた結果起こっているもの。これを収めるには、乱暴な言い方かもしれないが、開発を手控え、炭酸ガスの排出を削減する以外にないのだが・・。



引用:「汉字密码」(P266、唐汉著,学林出版社)
唐漢氏の解釈
 「雷」は、骨碑文、金文、小篆で形が夫々異なるが、夫々の時代で、「雷」をどう捉えていたかが字に表れています。 甲骨文の「雷」という文字の中央の湾曲した弧は稲妻を表しており、稲妻の周りの円は稲妻が光った後の巨大な爆発音響を示しています。

 金文の後期の「雷」という字には、雷のほとんどが雨の日に発生することを示すために雨の記号が頭に追加されています。 このように認識するようになったのも、背景には農業の発展が考えられ、生活上の意識の積み重ねが文字に反映された結果でもあるでしょう。要は漠然とした概念が、文字の中に織り込まれたともいえるでしょう。

 小篆の「雷」は、金文の構造を保持しますが稲妻のを形式をなくし、その代わりに音符記号の「田を三つ重ねた記号」に変わっています。 雷の文字通りの意味は「雨の中の雷」になりました。 楷書では、小篆の中の2つの文字「田」が省略され、画数が大幅に削減されています。


息抜き 「雷」を含む四文字熟語 四字熟語辞典(online)参照
瓦釜雷鳴 能力のないものが、高い地位についてがなりたてる
疾風迅雷 すばや動き、早い変化
聚蚊成雷 蚊が集まって、雷のようになる。少しオーバーだが面白い表現
     小さなものでも集まれば大きな力になる
迅雷風烈 激しい風と雷。すばやい行動
電光雷轟 勢いが非常に激しいこと
付和雷同 自分の考えもなく、大勢の意見に従う。ネットでもこんな光景ありませんか?

漢字源の解釈
 会意兼形声文字。源字は「靁」の中の「畾」はごろごろと積み重なったさまをさまを描いた象形文字。雷の源字は雨+畾で雨雲の中に陰陽の気が積み重なって、ごろごろと音を出すこと。

 古人は雷を神の仕業と考え、神が天を走ることで音が鳴ると考えたのかも知れない。




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漢字「祝」の起源と成り立ちは神の成り立ちまで探る必要があるのか?



 「祝」は今ではそこらじゅうで祝い、喜びを表現しているが、古代には神事に伴う厳粛で、厳かなものであったらしい。神がわれわれに近づいたのか、われわれが神に近づいたものか?

  神のためならなんだってできる。人だって簡単に殺される。では神って何だ!


引用:「汉字密码」(P826、唐汉著,学林出版社)
唐漢氏の解釈
 「祝」これは会意文字である。甲骨文字の右辺は「兄」で本義は話ができる子供のことである。左辺は示偏で祭祀の中で神主の位牌である。ここでは両形の会意でお供えの机を前にして神霊の面前で祈祷をしていることを示している。祭祀者は神主の前に跪いて、ある言葉を念じている。

金文、小篆、楷書の祝うの字は、甲骨文を一脈受け継いでおり、形体は相似。ただし書き方で多少違うところのある。



祝の少し詳しい説明
 「祝」は説文では祭主祭詞者のことと解してしている。みことのりを用いて神に福を求める人。神に仕える者。また拡張して、「司祭者」などの口の中での祈りも指します。






字統の解釈
 示と兄とに従う。 示すは祭卓、兄は祝壽の器を奉ずるもので、祝詔する人を言う。
 白川博士によると「兄」というのは、古代では単なる兄弟の「兄」ではなく、神のお告げを入れる器を捧げ持つ人という特殊な立場の人を指したという。

 説文に「祭りに賛詞を主るものなり」とあり、女の巫を女巫、男巫を祝と言う。



結び




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漢字「箸」:その成り立ちから社会の変化を探る



 箸は竹かんむりです。これは漢字ができたころには箸が発明されており、しかも材質は竹が主流であったようだ。




引用:「汉字密码」(P115、唐汉著,学林出版社)
唐漢氏の解釈
 「箸」は形声文字で、竹と者の音声から構成されます。 「者」の本来の意味は、箸に漆で塗ることであり、箸を囲み、つけるという意味が込められています。

「箸」は竹を使用してその材料特性を示し、「者」は箸が食べ物を箸に付けることを可能にするものであることを示します。

 この解釈には唐漢氏の事実誤認があるような気がする。なぜ漆でなければならないのか、時代考証が必要ではなかろうか。


箸にまつわる故事
 「韩非子」が記載の本に基づくと、殷と商王朝の終わりに、商の纣王は、自分のために「象の箸」を作るよう命じた、つまり象牙の箸を注文した。大臣の算子はこれを見て、これが周の纣王の腐敗と堕落の始まりであり、殷商がすぐに滅びるであろうと考えて、非常に恐ろしく感じた。事実、殷商朝は周によってすぐに滅ぼされてしまった。

 現代では、ワシントン条約の関係で象牙の箸はすっかり鳴りを潜めたが、ごく最近まで一般家庭でも象牙の箸は普通に見られた。殷商の時代との間には3500年の開きがあるが、人間はなんと贅沢になったものだと思う。この人間の傲慢さが、今の地球の危機を産んでいることになる。


字統の解釈
 形声文字。声符は「者」。




結び
この逸話から分かることは、殷商の時代には贅沢品にしろ、象牙細工が流通していたことだ。しかしその象牙細工はべらぼうに高いものであったようだ。



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2020年8月29日土曜日

漢字「退」:退任すべきか辞任すべきか?


退:退任と辞任
2020年8月28日 安倍首相が記者会見で、首相を辞任すると発表した。首相としての任を退くことになった。

このことの評価は別として、同じような言葉に退任がある。では辞任とはどう違うのだろうか。辞書を引いてみた。大辞林によると、退任とは、今までついていた任務から退くこととある。

では辞任とは「職務を自分から辞めること」とある。退任と辞任は自らの意志を強調する度合いの違いということといえそうだ。

 さらに、辞職という言葉があるが、これは職を辞するということで、もうひとつ重い言葉だ。ある職の上に立った、任務を辞するのが辞任で、職とはおのずから異なる。




引用:「汉字密码」(P115、唐汉著,学林出版社)
唐漢氏の解釈
 「退」は会意文字です。古代中国の「退」では、左上は道路を示し、その右は目標を示し、直ぐ下には離開を示す記号があります。そして下部は足を示す小さな「止」があります。全体としては、人の「逆行して離れる」ことを表現しています。

 字体には逆行があるため、小篆は、省略し退と書きます。隷書は変化の過程で訛が発生していますが、目標を意味する記号「日」と逆行を意味する記号とごちゃ混ぜにして楷書では「退」と書きます。



「退」の使われ方
 「退」の本義は逆行して離れることです。倒行退出は、また後ろ向きに移動することから后退、退兵之計、 退却 " 等のように使われ、また後退から拡張して離れることから退場、退位 " 等といいます。さらに拡張され減衰下降の意味で「退色、衰退、後退」などのように、それはまた、後退、長期にわたる後退という意味で、「引退、後退、後退」などにも拡張されます。






結び
安倍首相の辞任には、いろいろの評価、憶測が飛んでいる。外国の首脳は、一般的には外交辞令をたっぷり含ませたコメントを発表しているが、当該国の国民としては、儀礼的な評価で終わらせるわけには行かない。このサイトの彼に対する評価はここで取り上げた漢字「退」その物であるといいたい。つまり前向きであるものが何一つ見つからないのが残念だ。



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2020年8月28日金曜日

漢字「印」:人を力で押さえつけ仰臥させる行為を「印」という


印:人を力で押さえつけ仰臥させる行為
 われわれ日本人にとって、印と聞いて、まず頭に浮かぶのは、対馬で発見された金印であろう。
 漢委奴国王印は、日本で出土した純金製の王印(金印)である。国宝に指定されている。

 金95%、銀4.5%、重量108.73gの金印は、金が1グラム7320円から換算すると、79万2千円となるが、歴史的な価値は値段がつかない。




引用:「汉字密码」(P115、唐汉著,学林出版社)
唐漢氏の解釈
 「印」という言葉は、会意文字です。甲骨文の左上には大きな手があり、右には左に向いた小さな人が跪いている人、つまり手が小さな人圧服している形です。

 金文は更に明らかになって、上面の大きな手が下の人を押し下げ腰と背中を90度曲げざるを得ないようにしている。したがって、「印」という単語は「抑」という単語の元の文字です(「印」と「抑」の古代の音も通じています)。

 小篆の上部が手(爪)となり、人(下部)は人の形「卩」(セツと読む)に変じます。

 楷書は将に手(爪)を左に、人は右に受けて「印」と書きます。



印の本義は、また如何に使われたか
 「印」という言葉は「按」です。 「押す」の按から派生して人々は押さえつけられるものを「印」と呼びました。

 秦王朝以前は「印」は皆「璽」と呼ばれていましたが、秦始皇帝は「皇帝」の「印」のみを「璽」(xI)と呼ぶことができ、官民が使用する図章を「印」と呼びました。

 それ以来、漢代には「印章」という名前が登場し、「印章」が印刷に拡張されました。また痕跡を表示して「脚印、熔印」などもといいます。図章と印主を照合すること、また長く符合することを「心心 相印」などの言葉で言います



字統の解釈
 印という字について 手を以て人を抑え 仰臥させる意味である説文には 爪と卩とに従って、卩を押捺する意と解している。しかし卩は仰臥する人の形である。

 抑える人よりいえば抑、臥する人より言えば その臥するものに手を加えるのは印、印と抑とは頭音が同じく双声の語である。




結び
 刻印、印刷、印象のいずれの「印」も押さえつけるという意味を含んでいる。



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2020年8月26日水曜日

漢字 年 の起源と成り立ち:穀物の熟すことなり


漢字・とは穀物の熟すことを意味していた
 今年一年は貴方にとって、どのような年でしたか。いつものように明け、暮れる年でした。しかし確実に年はとりました。

 それでも一年は否応なく終わりを告げています。涙あり、怒りありそれでも一年は一区切りが経ちます。NHKの「ゆく年くる年」の番組が今の心情にぴったりとあてはまります。

 このように一年は誰にとっても平等に、明確な区切りとなるものです。昔から一年とは時間の区切りだったのでしょうか。
 「年」という言葉の起源と成り立ちに踏み込んでみます。

引用:「汉字密码」(P289、唐汉著,学林出版社)

年 の字の成り立ち」
年は農耕文化に情熱を注いでいる周の人々の時間の概念である。「年」の甲骨文字はまるで人が稲を背負っているかのようだ。説文は年を「穀物の熟すこと也」としている。これは「年」の本義は成熟した作物であるという意味です。




年という概念はいかに生まれたか
 古代の農業耕作技術は簡単で、生活は北方の先民たちの中では、辛苦極まれりというべきで、彼らの畑を耕す労働は毎日毎日の繰り返し、しかしながら農作物は年一回熟すだけ。「日」として「食物」を使う農民にとって、作物を収穫することの重要性は非常に重要です。古代の人々は、「四季が経過して1年」、そして「1年は穀物が熟している」と考えていました。
 収穫に必要な期間はちょうど1年なので、「年」の概念が導き出され分離されます。収穫サイクルの年と純粋な時間の概念としての年として、それは先祖の心の中で一貫しています。いろいろの言葉を見るとそれは同じ漢字でなければなりません。


年が時間の概念として、確立される過程
 時間が経つにつれて、「年」は徐々に収穫という意味を表すことができなくなり、専用の時間単位になりました。これが、今日の中国人が過ごす「年」の本当の意味です

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2020年8月19日水曜日

漢字「星」:古代人は数多くの粒粒の光が木にぶら下がっていると見た


:数多くの粒粒の光が木にぶら下がっていると古代人は見た
 夜空にきらきら光る星を古代の人はどう見ていたのでしょう。結晶が散らばってきらきら輝いていると見た人もいるでしょうし、夜空に輝く星はまるで生き物のように見え、大きな木にいっぱいの輝く光の粒が植わっているように見えたのかもしれません。
 随分ロマンチックな見方をしていたのかもしれません。そのような見方は現代人もそれほど大きな違いはないのですが、ある種ほっとする部分もあります。


引用:「汉字密码」(P251、唐汉著,学林出版社)
唐漢氏の解釈
 「星xing」は、通常、夜空の小さな明るい星を指します。甲骨文字の「星」という言葉は会意文字です。
 古代の人々は5つの円(ナイフの都合で四角形に変更)を使用して夜空の多数の星を表し、「生」を用いてその発音と意味を表すために使用されました。

 古代の祖先の目では、時には多く時には少なく、空の星は明るかったり暗かったり、それに流星は空を横切ることがよくあり、それらはきっと植物のようであるに違いない、成長および繁殖ができるものだろうと見えたのだろう。だから「星」という単語は「5つの粒の星」と「生」との会意文字です。

 金文の「星」という言葉は、すでに変異を生じ3つの「日」に変わっています。ここでの「日」は小さくて光沢のある星、「3」はたくさんの意味です。 小篆の「星」は金文に似ています。



説文の解釈
 説文は「量」と解釈し、晶と生の声から、一日の象形としました。「許慎は誤って「星」を量の造字法の帰結の象形と誤まって認識しましたが、これは彼が甲骨文字を見たことがなかったからです。しかし、彼は「星」は「量」簡略化と考えたのは正しい。



字統の解釈
 正字は晶に従い、声符は生。説文に「万物の精、上りて列星となる」という。もと玉光の星星たるをいう。卜文に晶を星の字を用い、時に生声を加えているものがある。



漢字源の解釈
 会意兼形声。「きらめく三つの星+音符生」で。済んで清らかに光るほし。「生」は生え出たばかりのみずみずしい芽の姿。



結び
 夜空に輝く星は、われわれにある種の希望をもたらし、時には導きの星として明るい希望を尾もたらすものであったのですが、科学の発達の前に、輝く星もごつごつの岩の塊であったことが分かり、ある種の幻滅を感じさせてしまうとこともありました。

 しかしこれは科学が悪いのではなく、表面だけしかものを見ない人間の欲であるかも知れません。ごつごつのイワの塊が、この宇宙に生まれ、キチンをした物理法則に従って運動を続けていること自体ロマン以外何者でもないでしょう。





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2020年8月6日木曜日

漢字「冤」の成立ち:冤罪は太古の昔から続けられてきた権力犯罪?


冤罪は太古の昔から続けられてきた権力犯罪?
 漢字「冤」は、忌まわしい権力犯罪に使われます。簡単に言うと「濡れ衣を着せて、罪に陥れること」です。
 あってはならないことですが、これからもなくなることはないでしょう


引用:「汉字密码」(P92、唐汉著,学林出版社)
「免」とは異なり、点が一つ付いて囲まれているのが尻尾のある兎と分かる
漢字の成立ち
 「冤」、これは会意文字です。 小篆の「冤」、周辺は「ワかんむり」、ここでは覆いを意味し、以下は「兔ウサギ」です。 まるで優しくて弱いうさぎが、物に覆われ、身動きできないようです。 楷書は小篆を継承し「冤」と書きます。「冤」は覆いに覆われた「弱いうさぎ」の絵を通じて、屈縮したという本来の意味を体現している。
 左の絵図から見るに、ワ冠で上だけ覆っているようなものではなく、完全に回りを囲んで逃げられないようにしている様がよく分かる。





字統による解釈
 境界を現すケイという記号と兎より構成される。説文には「屈するなり。兎に従い、ケイに従う」とある。唐漢氏の説明よりもう少し踏み込んだ説明がされており、より真実に近いように思われる。



漢字源の解釈
 蔽い記号+兎で「字統」ほぼ同様



結び
 冤という漢字が、かなり古くからあったことが、分かった。冤罪という概念が甲骨文字の時代にあったかどうか走りえなかったが、古い漢字の歴史から考えると、冤罪の歴史も相当に古くからあったのではないかと推量される。



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2020年8月1日土曜日

鯉:値打ちを吊り上げたのは唐の皇帝?



 昔から「鯉の滝上り」の諺にもあるように、鯉は縁起のいい魚として尊重されてきた。家の掛け軸にも錦鯉が跳ね上がっている絵柄を見たことも多い。しかし、その鯉の珍重習俗が、唐の時代に端を発しているとは驚きである。「へー」の2連発ぐらいは出そうな感じだ。



引用:「汉字密码」(P115、唐汉著,学林出版社)
魚偏に里と書いて「鯉」
鯉の名前は鱗の配列が美しかったから?
「鯉Li」は魚と里の声音から構成されている。 「里」はもともと明確な線と明確な線引された田を指します。つまり、魚の鱗がきれいに配置されていることを意味します

鯉異聞 その1
 春秋の末期、越国の大臣の范蠡は、呉国の一掃功成って以後、潔く身を退き、美人の西施を伴って太湖に隠居し、財を成した。著書「范蠡養魚術」これは人類最初の養魚の専門書となった。 書の中で曰く「鯉は共食いをせず、成長しやすく、高価。」鯉の繁殖産業は、戦国時代から秦漢時代にかけて大きく発展してきた。






鯉異聞 その2
 唐代になると、皇帝の姓は「李」で、読みは「Li」、「鯉」の同音異義語であったため、裁判所は人々が鯉を捕まえることを禁止する命令を発し、うっかり捕まえた者は直ちに放なければならず、販売したものは罰金と60回の板叩き、捕食者は死罪になった。
 これは日本の徳川時代の「生類憐みの令」と全く同じです。歴史は繰り返す!

 唐時代に何世紀にもわたって、鯉は段々に神格化され、皇族や王侯たちは鯉を幟にし、兵士を調達したり将官の兵符は鯉の形に変わりました。民俗では、鯉には美しさ、縁起の良さ、勇気という意味が追加され、中国人にとって最も重要な休日の春節には鯉の絵柄が、新年の絵と提灯に描かれ、吉祥をあらわすシンボルとして、鯉踊る龍の門而して龍の門になった。



鯉異聞 鯉のぼりのルーツ
 鯉を尊重し、鯉を育てる文化は日本に広まり、広く浸透していきました。毎年、こどもの日(実際は男の子の日)には、家の前にさまざまな鯉のぼりが舞います。市場では、観賞用の錦鯉の価格が数億円の高値に達しているといいます。これらはすべて、唐王朝の遺産が日本に広まったことの証拠です。

 ネットのニュースによれば、ニシキゴイオークションで紅白のメスの個体が2億300万円という破格の金額で落札されたという。落札者は台湾の方のようだ。

結び
 日本の鯉のぼりの風習が、中国の唐の時代に端を発していたこと。しかもその始まりが、皇帝の姓である李と鯉の読みが同じであるという何ともしょうもない偶然に端を発していることを知り、歴史の出来事も意外としょうもないことで決定付けられることもあるのだとよく分かった。



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