2019年4月28日日曜日

「肉」の世界の事件簿、生肉食中毒から肉離れ、そして肉フェス

「肉」と世間とアクセス

「肉」の検索がピークになった背景
 2011年4月、ある事件を契機に、「肉」という漢字のGoogle検索のアクセス数がピークに達した。その事件とは、5人の死者を出したユッケ食中毒事件である。
 これは、富山県の焼肉店でユッケを食べた人が、腸管出血性大腸菌といわれる菌による集団食中毒を患い、5人が命を落している。そして、それ以来、日本の焼肉店から「ユッケ」が消えた。これが本当の「肉離れ」!





「肉」が再び話題に蘇る
 それから暫くは2011年のピークをしのぐことはなかったが、2014年4月に「肉フェス」というイベントが開催され、次第に肉ブームが起こるようになった。そして、2017年5月、東京お台場で、「肉フェス TOKYO 2017 WONDERLAND」が開催され、肉ブームに火をつけ、現在まで毎月のように2011年の不幸な出来事のアクセスに相当するアクセスを獲得するようになった。つまり、2011年の負のイメージを6年かけてようやく払拭することが出来たといえる。

「肉」業界挙げての涙ぐましい努力
 2011年から2017年までの間、業界もマスコミも涙ぐましい努力を続けてきたようで、2015年4月12日か13日ころのあるバラエティー番組で、「肉」という漢字について、「『内』という字に人と書いて、肉になる。肉なら当然人ではなく牛だろう。何でやねん」と叫んでいた。もちろんこれはお笑いの世界で、冗談の話であるが、本当のところはどうだろうと「肉」という漢字に当たってみた。



漢字の「肉」の生まれや育ちは如何に??
引用 「汉字密码」(P664、唐汉,学林出版社)
 「肉」これは象形文字である。甲骨文字の「肉」の字は肉の塊のデッサンである。金文と小篆の形状もまた肉の塊に源を発しており、中間の斜め横の線は、肉塊の上の肋骨を現す。楷書の肉の字は月の字の区分になっており、隷書化の過程での変異で、小篆とは、互いにはるかに相異なるものとなっている。既にいささかの肉塊の形も残していない。「肉」は動物の体の食べることのできる肌肉部分を指している。これから拡張して、野菜、瓜果物の可食部分を指す。例えば果肉、葉肉など。
 因みに白川博士も同じく、小篆は肉の塊だとしている。

「月」が付く漢字は概ね「肉」に関係している
 肉は部首字で漢字の中で凡そ肉の字を構成にしている字はみな肉と関係がある。後世にいたって肉の字と月の字は混同されて、全て「月」と書くようになった。このことから月と肉月は旁の分に成った。
 さらに、言葉の意味から区分が付け加えられ、「朗、期、腊、胧」など月明かりに関係のある字は月の字を構成に加えている。腸、肝、肚、腋、脸などの字の中の月はみな肉に関係を持っている。この字の旁は本来肉の字である。


 因みに「内」と「肉」とは漢字学的には全く関係がなく、「内」は日光が屋根の上の穴や窓から屋内に差し込んでいる様を表す象形文字である。「内」の本義は外から内へ入ることである。説文では内に入ることと解釈する。


むすび
 この記事のように、漢字に係わるネットのアクセスを調べることで、世の中で起こったことが、浮かび上がってくる。ここでは偶々アクセスについて注目したが、ネットのような媒体のなかった大昔でも、漢字の変遷を調べることで、社会がどう変化していったかを、跡付けることが出来る。漢字学の奥深さがある程度お分かりいただけただろうか。


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漢字「初」の初耳学:「衣偏に刀」と書いて「初」と読む。そのココロは衣を作るのに刀を入れるのが「初め」


漢字「初」の起源と由来
 「初」の漢字で紛らわしいのは、コロモ偏かシメス偏かであるでしょう。しっかりと記憶しておくようにしましょう。


 さて、その前に一つ質問。このデザインは何を表しているでしょう。想像力を働かせて、当ててください。想像力を働かせるまでもないですね。見たまんまです。
 これは今から約3500年前の甲骨文字と呼ばれる文字です。実にすばらしい観察眼と思いませんか。衣文掛けまで架かったものは、さすがの林先生も兜を脱ぐこと間違いがないと思います。しかしこれは初耳ではなく「初目」というのかもしれませんね。


引用:「汉字密码」(P708、唐汉著,学林出版社)

「初」の字の成り立ち」
 「初(chii)」は「衣服」の傍に一振りのナイフを付け加えたものです。 2つの形は服が完成したばかりの衣服で、裁ったナイフが未だ収納されていないことを意味します。 したがって、「初」の本来の意味は「新しい服」がはじめて出来たことを意味する。

「始」の字の成り立ち」
 「漢字源」によると、「女」+鋤を表す「ム」と「口」で人間が鋤を手に持ち、口でものを言い、行為を起こす意味即ち女性としての行為の起こり、つまり始めて胎児を孕むことを表すとしている。「胎」と最も近い。






いろいろの「初め」
 拡張され、"初恋、初心者、早く、初出茅庐(初めて世間に顔を出すこと)"など一般的に事物の初めのことを言います。《易•既济卦》 "最初の栄光の始まり。"ここでの "初"もまた始まりです。



結び
 説明はいろいろ難しくて理解し難いのかもしれませんが、、私が小学校のころ教わったことは、衣を作るのに、最初に布(昔は衣<キヌ>といった)に刀を入れて切らなければならないことから、コロモ偏に刀と書くのだということでした。この説明が一番わかり易くて、覚えやすかったように思います。



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2019年4月5日金曜日

水前寺さんの「365歩のマーチ」の「歩」の長さは?

長さの単位としての「歩」
 今では「一歩」というと、純粋に歩幅を表現しているようだが、日本でも中国でも「一歩」というのは、「左右の歩を進めた長さ」のことをいう。

 昔から歌や格言に使われてきた「歩」が具体的に、何センチのことを言うのか、考えたことがおありだろうか?
 日本と中国では少し定義が異なり、約 1.818m(日本)、 約 1.667 m(中国)であったということだそうだ。


365歩とは具体的にはどのくらいの長さ?
甲骨文字「歩」
 今から50年前水前寺清子さんの「365歩のマーチ」という歌がヒットした。あれから50年も経つのかと思うと年月の流れるのは早いものだと思う。しかし、50年も経った割には世の中は365歩どころか、一歩も進んでいないように見える。最近では、戦前に帰れだとか、100年前に引き戻そうという動きさえ見える。
私たち日本人は、この辛い戦争を経験し、一体何を学んだのだろう。
 逆にロシアの革命家のレーニンの著書に「一歩前進二歩後退」というのがある。この本の通り言えば、大正デモクラシーから、100年。この100年の間に100歩も後退したことになる。

 この「「歩」というのは、概念的な歩みのことで、現実の物理的な「歩」を指すわけではないが、「千里の道も一歩から」という言葉もあるので、少し歌でいけばどのくらい進んでいなければならないのか、少し考えてみよう。




塵も積もれば
 歌詞に拠れば365歩は1年で歩くことになるので、365歩 X 50年 = 18250歩 進んでいなければならない計算だ。
 さて、この一歩は、日本では長さの単位としては、1.818mで、中国の清の時代まで使われた尺貫法で言う1.667mとは少し異なるが、ともかく365 X 1.818 X 50 = 33,178.5m という勘定になる。即ち、33Kmも進んでいるはずということになる。
 これを多いと見るか少ないと見るか、いろいろあろうが、日本の全ての国民がこれだけ進むということは、やはり凄い数字である。
 あくまで比喩の話ではあるが、ちりも積もれば山となる、千歩の道も一歩からを具体的に見れば、大変な数字である。   因みに、ヴィキペディアによると、この長さの単位としての「歩」は以下の通り。

歩(ぶ)
系    尺貫法
量    長さ
SI    約 1.818 m(日本)、 約 1.667 m(中国)
定義  6尺(日本) 、 5尺(中国) 
由来   左右の歩を進めた長さ




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2019年4月1日月曜日

漢字学から『新元号「令和」が本当に意味するもの』を考える

新元号「令和」の由来と起源
 新元号が今日(2019年4月1日)の閣議で決定発表された。
   出展は万葉集ということだそうで、これでの元号は基本的に漢籍から取られたものだそうだが、そういう意味からもこの新しい元号は、これまでとは一線を画するものかも知れない。
 しかし、この新元号の解釈を如何にしようとも、漢字の解釈から引き出される意味は、「命令に和すること」以外はないようである。


漢字「令」の成り立ち
 漢字「令」の甲骨文字の上部の三角形は、許慎は上古の時代青銅楽器の外形の輪郭と考えた。即ち、鈴、鏡、の一種。下部は左を向いて跪いている男の人である。両形の会意で命令を発することを表示する。古典の典籍では、「古きもの将に新令あるときは木鋒を奮い上げ大衆に警告をする。木鋒は木の舌であり、文事には木鋒、武事には金鋒を奮う。
   「金文は基本的には甲骨文の形態を受け継いでいる。小篆の下の部の人の形はいくらか変化し、楷書の形態は即ち根本的には鈴の字の人の形は見られない。其の実、令の字は別の角度からの解釈が合理的なのかも知れない。
 大腿のマタを広げ佇立する男性の眼前に一人の跪いた人がある様がまさに「令」の源である。
 この意味からまた拡張して「~させる」という意味が出る。

 因みに、藤堂明保編「漢字源」による解釈では以下のようである。


「△印(おおいの下に集めることを示す)+人のひざまづく姿」で、人々を集めて、神や君主の宣告を伝えるさまを表す。

漢字「和」の成り立ち
 次に「和」の解釈であるが、「説文解字」や「字統」「漢字源」などで、様々解釈をされている。何はともあれ、甲骨文字と小篆、楷書をそのまま提示しておきたい。ただ「和」という漢字は古代は異なる別々の由来を持っているという解釈が優勢なようだ。

左の図の上段の解釈
 中国語の解説書には、「禾」は「もともと甲骨文字では「」という文字であった。この意味するものは、楽器であったようだ。
 ところが、金文、小篆、隷書と変化するうちに「」の左の旁が「口」に変化し、更に旁と偏が左右位置が変わり、現在使用している「和」となった。
「説文解字」では「龢」は調べなりとしている。

上図の下段の解釈
 そして "说文解字•口部"咊"の意味は「相応する」という意味。偏「口」と発音は禾声。"指と口は対応して、本来の意味は、音楽のハーモニーを意味する。音と声が一致して、歌手または伴奏が調和していることを指す。発音はHeと読む。


関連記事 1.「漢字「令」の成立ちを「甲骨文字」に探る

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