2020年6月18日木曜日

「専」は古代に使われた麻糸をつぐむための糸車のこと 別にひねくり回すことが専門ではない


漢字「専」の成立ちと由来は
 2020年の年頭から、われわれの前に現れた政府の機関といえば、「新型コロナウイルス感染症対策専門家会議」だ。テレビでも毎日ことある毎に「専門家会議」の見解と会見とかと紹介されてきた。まるで戦時中の「大本営発表」さながらである。しかしその見解が、書面やデーターに基づいて、明確に分かるような説明がなされていたかというと甚だ心もとない。

 しかしここでは会議自体についてはおいて置いて、この専門家という言葉の中の「専」という漢字がどのようにして生まれ、どのようにして使われてきたか、漢字の歴史について触れることとする。

引用:「汉字密码」(P185、唐汉著,学林出版社)
古代に使われた麻糸をつぐむための瓦専という道具
唐漢氏の解釈
 「专」は「専」の簡体字です。 甲骨文字の「専」という言葉は会意文字です。右下が手の象形であり、左上が古代のスピニングホイールの素描です。
 金文と小篆の「専」という言葉は甲骨の碑文を継承しており、楷書は「専」と書かれ、簡略化された文字は「专」と書かれていました。

 殷商王朝、さらには漢王朝でも、人々はほとんど手で糸車を回して糸を紡いだ。古墳から発掘されたスピニングホイールは、石、陶器、木材、さらにはヒスイでできています。
 形状はほぼ同じですが、扁平形、太鼓形、ビーズ形の違いがあります。

 古代人は糸車の中心にねじり棒を挿入し、麻の準備ができていました。いわゆる「績」とは、片手で糸車を回転させ、片手で糸をつなぎ合わせて撚り合わせ、糸車の力を利用して糸を細くて丈夫な糸に撚ることです。糸が長い時や糸車が地面に触れようとすると、既に行われている糸を糸車のねじり棒に巻きつけ、糸車を回転させて次のサイクルを開始します。
紡ぎ車は「瓦専」と呼ばれていました。

 《诗•小雅•斯干》:「生まれた女、地に寝させ、おくるみを着せ、糸巻きで遊ばせることです。 「その中の「瓦専」は糸のことです。つまり、女の子の誕生当初から、彼女は「糸巻」と運命を決定付けられていました。 「専」とは、麻糸を紡ぐことを指します。紡績糸はより糸を撚って糸にするため、「専」は特別を意味するために使用されます。


字統の解釈
 旧字は 専に作りとそれに従う。嚢の上部を括った形、寸は手、専は嚢の中にいれたものを手で打ち固める意味である。
 説文に 「六寸の簿なり」とあって、 メモ用の手版の意味とし、また「一に曰く。もっぱらは紡専なり」という。 それは、瓦専と呼ばれ、円錐形の形の器であり紡専の意図するものである。

 字の構造から言えば 袋の中に入れたものを 打ち固める意味を持つ塼の初文である。


漢字源の解釈
 会意文字兼形声文字。叀は吊り下げた紡錘を描いた象形文字。
 専は叀+寸(手)紡錘は何本もの原糸を一つにまとめ一箇所に留まり、動揺しないのでそこから専一の意味を生じた。



結び
 唐漢氏の解釈も字統の解釈も漢字源の解釈もほぼ一致した。甲骨文字の解釈からすれば、このような結論に至ることは間違いがなかったであろう。

 ただ専門家の意見がこのように明確に一致することは、現代の「新型コロナウイルス感染症対策専門家会議」でも、難しいようである。ただ後で振り返ってみれば、、専門家会議の議事録は残されていないようである。記録に残すことが如何に大切かが明白であろう。古代の記録となると記録自体に様々な解釈が生じるのであるからなおさらのことであろう。しっかりと記録に残すことは、歴史に対する責務といわねばならない。




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2020年6月2日火曜日

漢字「里」:資本主義を危機に陥れているグローバリズムから抜け出す概念になりうるか


里山資本主義:グローバリズムの暗闇の中の光明になりうるか
資本主義の煉獄の中で
 漢字「里」の起源と成り立ちは如何に。コロナ騒ぎの中で、コロナウイルスがパンデミックの広がりを見せる背景として、問われているのがグローバリズムであるといわれています。人間のあくなき欲望はアフリカや南米のジャングルを切り開き深い自然の中に押し込められていたものを不用意に開放した結果、様々な未知のウイルスが人間の間に蔓延することになってきたといわれています。  そしてコロナの疫病の克服のため、世界経済は深い痛手を蒙り、サプライチェーンの見直しが迫られ、ITの進化に伴い労働の態様の変化が生じ、一人ひとりの働き方までも対応を迫られてます。 たかが風邪だとたかをくくっていた人間は今までに見たことのない変革を突きつけられているといえます。


資本主義の今日の到達点
 このように人間は、資本主義を通じ生産力を極限にまで拡大し、ついには生産力が消費をはるかに上回ったために、生産消費、再生産というサイクルを破壊し、生産力が生産体制を崩壊させるまでに至りました。
 その後幾たびかの修正を加えながらもどうにか今日まで、体制自体を維持してきたのですが、今日に至って、資本主義体制は地球をも破壊し、資本主義自体を存続させることができなくなっています。  この変化は、資本主義の終焉を示唆しているとも考えられ、全く新しい価値観が必要とされています。



里山資本主義:グローバリズムの弊害から如何に抜け出すか
 そこで、アンチグローバリズムのテーゼとして「里山資本主義」が当面のソフトランディング先として注目されているのは当然の帰結だと思います。つまり利潤最優先のシステムではなく、トータル的にバランスの取れた、生産、分配、消費システムが求められているわけで、過度のグローバリズムを排し、地域の特色を生かした生産対戦を構築する。地域で消費するものは地域で生産をし、流通の賦課を少なくする。全体の生産はITを駆使し、地球規模でのバランスをとりながら生産体制を構築する。
 この実現のための絶対的条件は、グローバリズムの元凶たる無国籍企業やGOFAといったIT企業、アメリカ、中国などの国際企業化した帝国主義を民主主義的な機構の下に支配下に置くことです。
 果たしてそんなことが可能であろうか?今まで人間は強欲の中に埋もれてきた和歌だが、そろそろ民主的な発想に従うのが人間の英知というものだろう。


 以上の議論を踏まえ、漢字の「里」が生まれた原点に立ち返ってみたいと思います。
引用:「汉字密码」(P238、唐汉著,学林出版社)


田と土から構成される
唐漢氏の解釈
「里Li」、これは会意文字です。「田」と「土」という言葉を組み合わせたもので、土地を「田」の形に区分した後の、そのうちの1つを意味します。
 「里」の本来の意味はあるブロックに分かれているエリアを指します。
 「周礼」では「5家族が隣人、5隣人が里」と記録している。つまり、一箇所に住んでいる25家族は「里」と呼ばれている。つまり、田畑の区分を表した。
 また、「里」という言葉は、面積の単位を表すために使用されます。<韓詩外伝>幅300歩、長さ300歩は、「1里」です。古代人はまた、マイルを長さの単位として300歩を1里とします。



結び
 里は殷の時代の土地区分税制に基づく、井田制の区画の中をあらわしていた。そしてその区画に基づき古代の賦課が実施されていたようである。その一単位としてして里があり、、後に集落を指すようになった。そして、里山にあるように田畑の中の集落を里というようになったようだ。

 今まで人間は強欲の中に埋もれてきた和歌だが、そろそろ民主的な発想に従うのが人間の英知というものだろう。




***** ご参考に *****




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