2023年12月23日土曜日

漢字「蔑」の由来:古代中国の呪術に由来する 昔の戦いの裏には世にも恐ろしい宿命が巫女に降りかかる


漢字「襪」の由来と成立ち:古代に眼に呪飾を加えている巫女のことをいう。この巫女に呪祝を行なわせ、戦が終るとその巫女を斬り、敵の呪能を無力にすることを蔑といった


漢字「蔑」はさげすむという意味から拡張されて、目にも留めないという意味に使われる。
 これは無視するということと少し意味合いが異なる。現代の若者の間で、「シカト」するという言葉がはやっているそうだ。これは花札の鹿十にその起源があるようだ。花札の鹿はそっぽを向いていることから無視するということに使われるようになったということだ。このシカトは「見ない」「無視する」であって、「蔑」は見たうえで、目にとめない、軽視する、目にとめないという意味となり、意味が異なる。
 さらに、古語で使われる「しかと」という言葉とは180度ことなる。こちらのほうは「しかとせよ」とは、しっかりしなさいという命令であって、無視せよとはまるっきり異なる意味である。




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漢字「蔑」の今

漢字「蔑」の解体新書


 
漢字「蔑」の楷書で、常用漢字である。
 同じ系統の漢字に滅・襪などがある
蔑・楷書


 甲骨文字から小篆に至るまで、基本的には同じコンセプトが踏襲されている。
 小篆は他の2点とは異なるように見えるが、まったく同じコンセプト。一番上は目の上の飾り、その下は目を表す。さらにその下は人で、その首の部分に戈があてられて、全体としては目に飾りをつけた巫女が用済みの結果、殺されることを示している。 
蔑・甲骨文字
蔑・金文
蔑・小篆


 



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「蔑」の漢字データ

漢字の読み
  • 音読み   ベツ
  • 訓読み   さげす(み)、ないがし(ろ)

意味
  • ただれた目、よくみえない目
  •  
  • 相手を目にも留めない
  •  
  • けなす、見えない、ない

同じ部首を持つ漢字     蔑、襪、戌、滅
漢字「蔑」を持つ熟語    蔑、軽蔑、蔑視、侮蔑


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漢字「蔑」成立ちと由来

引用:「汉字密码」(P652、唐汉著,学林出版社)

民俗学的解釈

 これは会意文字である。 甲骨文にある「蔑」という文字は、上部に睨みを利かせた男性を示し、下部には人型に突き刺さる「戈」を示している。
 小篆の「蔑」の文字は金文を継承しており、「戈」の形状や刺し位置がより明確になっている。
  小篆は、人の形、目、眉が楷書から分離されている以外は金文の文字の構成要素がすべて揃っている。楷書ではこの結果「蔑」と書かれる。
 しかめ面や睨みつけて人を殺すには、必然的に心理的には軽蔑しなければ殺すことはできない。

漢字「蔑」の字統の解釈

 会意 ベツと伐とに従う。
 ベツは眼に呪飾を加えている巫女。戦争などのとき、この媚とよばれる巫女が 呪祝を行なうので、戦が終るとその巫女を斬り、敵の呪能を無力にする。これを蔑という。

 ト文・金文 の字形では、その巫女に戈を加える形である。
 ト文・金文の字は、ときに下部を女に作っており、すなわち媚女を戈にかける形である。これによって敵の呪力を無力とするので、「蔑(な)し」とよみ、またそれは功烈を「蔑(あらわ)す意となる。
 金文に「蔑暦」という」という語があり、軍功を表彰する旌表の意に用いる。




漢字「蔑」の漢字源の解釈

 会意文字:大きな目の上に、逆さまつげが生えた様に戈を添えて、傷ついてただれた目をあらわした。よく見えないことから転じて、目にも止めないとの意に用いる。



漢字「蔑」の変遷の史観

文字学上の解釈

 甲骨文字から小篆に至るまで、多くの文字が作り出されているが、それらは一貫しており、大きな目に戈をあてがったものとなっている。このことが意味することは、約1000年もの間基本的に社会的通念が変化してこなかったと考えていいのではないだろうか。
 それは巫女に対する見方そのものというより、戦闘上呪術的な方策が実際的にそれほど重視されなかったということではないだろうか。  

まとめ

  

 「蔑」とは古代中国で眼に呪飾を加えてた巫女に、呪祝を行なわせ、戦が終るとその巫女を斬り、敵の呪能を無力にすることをいった。人間は神に祈ることで戦いに勝つことを願い、負けたら負けたで、神に見放されたといい、戦いの成否を神や運のせいにしてきたことがどのくらい長く続いたことか。人間は馬鹿だなあというのは結果論だろうか?

  


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2023年12月16日土曜日

漢字「賢」の由来:神に捧げられた徒隷であった。やがて巫女の仕事もこなすようになり最後は賢者となったかも


漢字「賢」の由来と成立ち:眼を傷つけられた奴隷の多才なるものを意味し、「臣+手+貝」からなる。

 「賢」は「臣」(恭順な奴隷の眼に辛を加えて奴隷の身分を明確にしたものを「臣」という。)の多才なものを取り立てた奴僕を「賢」とした。後に、その社会的地位は上昇し、尊称で呼ばれる存在となったと同時に、奴僕の地位からは解放された。後世『竹林の七賢人』といわれるように、その文芸や諸芸の才能が注目されることとなった。日本の太安万侶のような存在だったか(もっとも彼は徒隷ではなく、れっきとした貴族であったが・・)
 この記事は先にアップした『漢字「賢」の成り立ちから何が見える』を加筆修正したものである。



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漢字「賢」の今

漢字「賢」の解体新書


漢字「賢」の楷書で、常用漢字だ。
 賢の本義は恭順で能力のある仕事のできる人、即ち後世の例えの「徳才兼備」な者をいっている。
 この「賢者」で、すぐに筆者の頭に浮かんだのは、春秋時代の越の宰相。范蠡である。
 この人は呉越戦争の中で、越の再興の最大の立役者であり、国を再考させて後は、さっさと身を引き、他国で事業を起こし、財を成した人である。

 この「賢」と同じような意味の漢字に「敏」がある。「敏」の方は、《論語》の中で、敏捷干事、寡言実行、即ちあまり多くを語らず敏速に事を行うことに重点を置いた才能をいい、これは孔子が心に思う君子のことだ。
賢・楷書




  
賢・甲骨文字
恭順な眼(前の臣の字を参照せよ)と作業する手からなり、良い奴僕の意味だ
賢・金文
甲骨文を引き継いでいる
賢・小篆
金文の漢字の下に財の符号(貝)を加えている。秦漢の時期には仕事が出来る、才能がある、その上に銭がある(金持ち)ことが賢の要件になっている。




 

「賢」の漢字データ

漢字の読み
  • 音読み   ケン
  • 訓読み    かしこ-い

意味
  • かしこい。利口。才知にすぐれた。
  •  
  • まさる。すぐれている
  •  
  • すぐれた人  相手に対して敬意を表すために言葉の頭に冠して用いる

同じ部首を持つ漢字     堅、緊、腎
漢字「賢」を持つ熟語    賢者、賢人


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漢字「賢」成立ちと由来

引用:「汉字密码」(Page、唐汉著,学林出版社)

漢字「賢」の世俗的な解釈

 賢は会意文字だ。甲骨文と金文の構造形は、恭順な眼(前の臣の字を参照せよ)と作業する手からなり、良い奴僕の意味である。小篆の「賢」の字はその下に財の符号(貝)を加えている。秦漢の時期には「賢の標準は昇格して恭順ばかりではなく、仕事が出来る、才能がある、その上に銭がある(金持ち)という意味になっている。

漢字「賢」の神とのかかわり:字統より

 漢字「賢」は臤+貝からなる。「臤」は「賢」の初文。「賢」はもともと貝の良質のものをいう字であったろう。  臤は臣すなわち臣の眼を、又(手)を加えて傷つけるもので、神に捧げられた徒隷をいう。臣や妾はもと神に使えるものであった。多才であることは神に仕える重要な条件であった。


漢字「賢」の漢字源(P1511)の解釈

会意兼形声
 臤は「臣(うつぶせた目)+又(手、動詞の記号)の会意文字で目を伏せて身体を緊張させること。賢は「貝(財貨)+音符臤」でがっちりと財貨の出入りをしめること。緊張して抜け目のないかしこさを表す。



漢字「賢」の変遷の史観

文字学上の解釈

 すでに見てきたように、臤は賢の初文である。この文字の進化の過程を手繰ると変遷の歴史が極めて明瞭に浮び上る。
 即ち最初に神にささげられた臣(徒隷)があり、徒隷は神に仕える要件として目を潰されたのではないだろうか?(神に身をささげるために眼を潰すことが行われたかどうかについては、明らかではないが、この時代に奴隷であることを明示的にするために、目に入れ墨を施すこともあったと言われるから、この眼を潰して神の声だけを聴くことを要求されたことは十分に考えられる。
 神の声を聴き、周りに伝える巫女の従者のような役割を担っていたのかもしれない。こうした徒隷は高い知能を要求されていたであろう。ここに単なる臤から賢に変わる社会的変化があったと考える。
臣・甲骨文字
恭順な眼
手・甲骨文字
臤・甲骨文字
臣下の目に手を加え眼を潰すことを意味している


まとめ

 漢字「賢」の由来と成立ち:眼を傷つけられた奴隷の多才なるものを意味し、「臣+手+貝」からなる。
 最初は奴僕として、巫女の下働きをしていたであろうが、次第に巫祝をこなすようになり、社会的地位も向上し、賢者として尊敬されるようになったのでは・・・
 漢字一字一字に歴史がある。しかしそこに歴史への洞察がなければ、「うわ、似てる」の感嘆詞で終わってしまう。

  
 
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2023年12月14日木曜日

漢字「税」は昔は禾へん、中世以降「兌」が字の性格を決めている? その心は中身を読んで・・。


漢字「税」はなぜ「禾」偏なの? 昔は税は穀物で納めていたから


 今年の漢字は「税」
 
漢字はその中に、生活や考え方や文化が込められていて奥が深い。漢字を通して、今に通じる「税」の本質が見えてくる。

 この「税」という漢字はというのは「禾偏」(のぎへん)+「兌」の会意文字である。これの字素のどちらが主要なものか、時代によって変わる。
 古代は禾という主要な部分だったが、今は「兌」の部分が主要となっている気がする
 「「兌」という漢字は、脱皮や脱力という言葉にも用いられているが、元々「抜き取る」「脱がす」という意味がある。
  そう、長い間税は兌が主要な字素になっている。意味は、かすめ取り、ぼったくりではないだろうか
最近政治資金規正法をめぐっての動きが激しい。

本稿は2019年1月アップした『漢字「税」の由来:「税」を分解してみれば、「税」の本質が分かる(再録!)』を全面的に加筆修正したものである




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漢字「税」の今

漢字「税」の楷書で、常用漢字です。禾+兌の形声文字であるとされている。
 
税・楷書


漢字「税」の解体新書

 税は「禾」と「兌」とからなる。
 禾は穀物が実って、頭が垂れる状態を示す。
 兌は八と兄から成り、祝禱して神に祈るうちに、神気が髣髴として現れる状態を示す。
 説文には「租なり」とあり、また租には「田賦なり」とあって、米粟の類をおさめさせることをいう。
禾・楷書
兌・楷書
税・小篆


 

「税」の漢字データ

漢字の読み
  • 音読み   ゼイ
  • 訓読み   みつぎ、とく、おく

意味
  • みつぎ、
  •  
  • 税をかける・・作物から徴収するものを『税』、労役などで徴収するものを『賦』といった。
  •  
  • ぬく、ぬきとる

同じ部首を持つ漢字     税、悦、脱、兌
漢字「税」を持つ熟語    税、租税、徴税、主税(ちから:人名)


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漢字「税」の成立ち:「税」はどのような字素から成り立っているのか

 先にも見たように、税は「禾」と「兌」とからなる。禾はいまさら説明の余地はない。そこで、兌の中にこそ『税』の意味が出てくる本源的なものがある。
 そこで、もう少し突っ込んだ言及を試みる。

漢字「税」の字素「兌」の解釈









引用:「汉字密码」(Page、唐汉著,学林出版社)

 これは会意文字である。甲骨文字の「兌」の字は、下半分が兄という字である。原本では長男とでも言っていいだろう。上半は大声での発声の符号を表している。ここでは憚ることなく言うことを示して、思ったことをそのまま言うことである。であるからには声は出て、兌は話の最初の言い方とも言える。
 金文から小篆、小篆から楷書、整体字形は完全に相似で、同じ流れと見ていい。


漢字「税」の字統の解釈

 形声 旧字は税に作り、兌声。兌に 幌・説(説)の声がある。
 〔説文〕に「租なり」、また「田賦なり」とあって、米粟の類を収めさせることをいう。〔春秋〕宣十五年「初めて畝に税す」とあり、古くは一割を原則とした。


漢字「税」の漢字源(P1153)の解釈

「税」の解釈、税の本質

 漢字源によると、「税: みつぎ。国家や支配者が人民の収入や収穫のうちから抜き取って徴収するもの。年貢。」

 近世では、土地や田畑から徴収するものを「租」といい「品物や収入から徴収するものを税と呼んだ。昔は1割を理想としたが、現実には田租は5,6割にも達し税は多方面に及んだ。「動詞では「ゼイす」とはぬく、抜き取る。 会意兼形声。兌は、「八(はぎとる)+兄(頭の大きい 人)」の会意文字で、人の着物をはがしてぬきとるさま。脱衣の脱の原字。税は「禾(作物)+音符兌」で、収穫の一部をぬきとること。はがす。自分の持ち物をぬきとって人に与える。」とある。
 さて、このゼイというのは「禾偏」+「兌」である。
 脱(=脱。はぎとる)・奪(ぬきとる)と同系。



漢字「税」の変遷の史観

文字学上の解釈

 地上に人間が住むようになってから、農耕が発達し余剰物資が蓄積されるようになるまでは、人々は長い間その日ぐらいの生活を強いられてきた。その時の財貨の基本は、農作物で、もっとも一般的なものは、穀物だったろう。

 しかし生産力が高まり、富が蓄積するようになると貧富の差が生じてくる。それとほぼ時を同じくして、その余剰物資を欲しいものと交換するようになる。最初は小さな市のようなところで物々交換をしていたのであろうが、やがて交換価値を見出し、交易が盛んになる。ここで登場するのが、貝殻などの貨幣だ。交易の場で一致した交換価値で交易することを覚えた。

 交易がさらに広がり、異なる部族や民族間での交易になると、もはや貝では許されなくなり、貴金属、国家で発行した貨幣が専ら使用されるようになる。この一連の変遷を左の図表で表した。  


税の歴史・・税はいつ頃人類の前に出現したのか

税の出現時期は、まだ確実にはわかっていません。しかし、古代文明の遺跡から、税に関する記述や遺物が見つかっていることから、少なくとも数千年前には、税は存在していたと考えられています。


具体的には、紀元前3000年頃の古代エジプトでは、収穫物の一部を国に納める税が存在していたことが、壁画や文書からわかっています。また、紀元前2000年頃の古代メソポタミアでは、商取引に課税する税が存在していたことが、粘土板の記録からわかっています。


日本においても、3世紀頃の邪馬台国時代には、農作物や労働力を税として納める制度があったことが、中国の魏志倭人伝に記されています。

このように、税は古代文明の成立とともに、国家の財政を支える重要な制度として登場したと考えられます。
なお、日本では、1989年(平成元年)4月1日から、消費税が導入されました。これは、戦後、初めて導入された新しい税種です。

中国の税の歴史・・中国では税はいつ頃導入されたのか

中国における税の出現時期は、紀元前2000年頃とされています。
 この頃の中国では、殷王朝が成立し、中央集権的な国家が形成され始めていました。殷王朝は、農業生産を拡大し、軍事力を強化するために、収穫物の一部を国に納める税を導入しました。
殷王朝以降、中国の歴代王朝は、いずれも税制を整備し、国家の財政を支える基盤としてきました。
具体的には、次のようなものがあります。

  1. 周王朝(紀元前1046年~紀元前256年):収穫物の一部を納める「租」と、労役を納める「庸」を課す「租庸調制」を導入。
  2. 秦王朝(紀元前221年~紀元前206年):土地を国有化し、土地の収穫量に応じて税を課す「均田制」を導入。
  3. 漢王朝(紀元前206年~紀元後220年):租庸調制を復活させ、また、商取引に課税する「市税」を導入。
  4. 唐王朝(618年~907年):租庸調制を廃止し、土地税と人頭税を課す「両税法」を導入。明王朝(1368年~1644年):一条鞭法を導入し、土地税と人頭税を銀納とする。
清王朝(1644年~1911年):地丁銀制を導入し、地税と人頭税を銀納とする。
このように、中国の税制は、時代とともに変化し、国家の財政や社会の状況に合わせて、その形態を整えてきました。

以上生成AI Bardより

まとめ

  以上人々の生活と税及び漢字「税」について、一緒に調べてきた。税の本質とそれに伴う漢字の変遷もある程度浮かび上がってきたと思う。
 ここでは触れていないが、太古の昔は、征服の「征」の本義は、征服した国家や地域に税を課すことであったことを付け加えておきたい。
  


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2023年12月9日土曜日

漢字「異」の由来:古代人の心に宿る実体のない畏れ・不安即ち「鬼」が「異」の由来。現代に蘇る不安は形を変えて拡大再生産される


漢字・異の由来:霊鬼の象形である。この漢字は甲骨文字の時代から今日まで、人々の漠然とした畏れを現してきた。


 このページタイトルにある「霊鬼の象形」という言葉は、抽象的な言葉であるが、ある意味現状を反映した具体的なものでもある。
 これほど科学が発達した今日に至っても、この世にはアミニズムは蔓延っているといってもいい。それは今日ではある種の科学的な装いを呈しながら、底辺では古いアミニズムなものをもって、世界中の人々に畏れ、恐怖を植え続けているようにも思われる。

 漢字・異は甲骨文字の時代に生まれ、金文、象形の時代に至ってもその形を変えることなく、生き続けてきた。恐らくこの漢字が示すことは、時代が変わってもこれからも人々の意識に働き続けるであろう。ひょっとしたら、このアミニズム的なものがなくなったら、人間は人間でなくなるのかもしれない。

押しかけ推薦・一度は読みたい名著  阿辻哲次著『漢字學

漢字學の原点である許慎の「説文解字」の世界に立ち返り、今日の漢字學を再構築した名著




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漢字「異」の今

漢字「異」の楷書で、常用漢字である。

 「異」は異変、異形、異常などの熟語を作り、いずれもどこか収まりの悪い掴みどころのない薄気味の悪さを語感に持っている。 
異・楷書


漢字「異」の解体新書


 甲骨文字も金文も基本的には変化は見られない。 鬼頭の形は、あるいは仮面であったと思われる。

 漢字源ではこの部分は「ざる」ではないかと解釈しているが、ざるであるという必然性があまり考えられない。  
異・甲骨文字
異・金文


 

「異」の漢字データ

漢字の読み
  • 音読み   イ
  • 訓読み   ことなる

意味
  • 同じでない
  •  
  • 普通でない、変わっている
  •  
  • めずらしい(例:奇異)、並でない
  •  
  • 他の、別の

同じ部首を持つ漢字     異、畏、留、畾
漢字「異」を持つ熟語    異、異人、異形、異音


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漢字「異」成立ちと由来

引用:「汉字密码」(P834、唐汉著,学林出版社)

「異」の民俗学的解釈

 异は異の簡体字。甲骨文字の中の「異」の字はまるで一人の人が手を上にあげ鬼の面を頭に掲げている様子である。小篆の字は金文が分化し鬼の頭と、人の手と人の体の三つに分断した形だ。楷書は小篆を引き継ぎそのため象形から遠く離れてしまっている。

 異の字の取象は上古時代の選民の祭祀を挙行するところからきている。踊るとき化粧をしマスクをつけ、死んだあるいは災難に合った親戚を追悼する儀式である。


漢字「異」の字統の解釈

 鬼頭のものが、その両手を掲げている形。
 異は分与を原義とするものでなく、霊鬼の象形である。ト辞に「王に異あるか」とトするのは、災異の有無を問うものである。鬼頭の畏懼すべき神状を示したもので、それより異常・異変・奇異の義を生ずる。


漢字「異」の漢字源の解釈

 会意文字。大きなざるまたは「頭+両手を出した体」で、一本の手の他、もう一本の別の手を添えてものを持つさま。同一ではなく、別にもう一つとの意。



漢字「異」の変遷の史観

文字学上の解釈

 甲骨文字、金文の間には大きな変更は見られない。これは何を意味するか。

 これはこの漢字の環境で大きな変化が見られなかったということでは無いだろうか。白川博士や唐漢氏が述べるように、「上古時代の選民の祭祀を挙行するところからきている。踊るとき化粧をしマスクをつけ、死んだあるいは災難に合った親戚を追悼する儀式である。霊鬼の象形である。」古代に上古民が数千年もの長きにわたり、霊界を畏れ、祭祀を執り行ってきたということだろう。

まとめ

 人間は異なるものにある種の畏れを抱くものである。それは数千年の年月を経ても、形を変えながらも、生き続けてきている。これほど科学が発達した世界においても、無数の宗教が存在し、陰謀説や得体のしれない噂、デマなどを通して我々に畏れを植え続ける。漢字「異」が、甲骨文字、金文、小篆に至ってもほとんどその形を変えることなく、生き続けてきたことをここに見た。恐らくこれからも、生き続けるであろう。これはいわば人間の業というべきものかもしれない。

  


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2023年12月7日木曜日

漢字「馬」の成立ちと由来:馬と人間の係わりを漢字の中から探る


漢字「馬」:馬と人間は長い歴史の中で如何に係わってきたか、そしてそれは漢字にどう反映されたか?

 馬は昔から、人間の生活になくてはならないものであった。というわけで馬にまつわる話にはことを欠かない。馬は起源は北米だという説もあり、またウクライナ地方で5000年前だという説もあり、また紀元前2000年ごろバビロニアの遊牧民が最初に飼い始めたという説もある。このバビロニアの馬は足が速く、今のアラブ馬の祖先だという説もある。

 人間と馬の関わりは、歴史的に非常に深いものである。馬は古代から現代まで、人類の移動手段や農耕、戦争、交流などさまざまな面で重要な役割を果たしてきた。  最初の馬の家畜化は、紀元前4000年ごろの中央アジアで始まったと考えられている。この時期、野生の馬は狩猟の対象であり、人々は馬の肉や皮を利用していた。しかし、やがて人々は馬を乗り物や荷物の運搬手段として使うようになり、農耕や交易の発展に貢献した。



 本ページは、以前にアップした「漢字の成り立ち:「馬」の歴史は、人の歴史そのものだった」を全面的に加筆修正したものである。


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「馬」と人間のかかわり

歴史の中での人間と馬の係わり(特に戦場における馬との係わり)

古代ギリシアでは歩兵による密集戦術が主流で、馬は指揮官が使う補助的な役割でしかなかった。近年の研究では既に地中海世界では大型の鞍が発明されており、旧説で言われているほどには騎乗は困難でなかったとは言われるが、鐙(あぶみ)が発明されるまでは馬上で武器を扱うのは困難であり、幼い頃からの鍛練が必要な特殊技能であった。中国やイラク、シリア、ギリシャなどの農耕地域では馬を育てる事に費用が嵩むため、所有出来るのは金持ちや有力者に限られていたようである。

   アジアでは、紀元前20世紀頃から中国のオルドスや華北へ遊牧民の北狄が進出し、周囲の農耕民との交流や戦争による生産技術の長足の進歩が見られ馬具や兵器が発達、後に満州からウクライナまで広く拡散する遊牧文化や馬具等が発展した。


 

騎馬遊牧民の出現

匈奴・スキタイ・キンメリア等の遊牧民(騎馬遊牧民)は、騎兵の育成に優れ、騎馬の機動力を活かした広い行動範囲と強力な攻撃力で、しばしば中国北部やインド北西部、イラン、アナトリア、欧州の農耕地帯を脅かした。遊牧民は騎射の技術に優れており、パルティア・匈奴・スキタイ等の遊牧民の優れた騎乗技術は農耕民に伝わっていったが、遊牧民は通常の生活と同様、集団の騎馬兵として戦ったのに対し、農耕民では車を馬に引かせた戦車を使うことが多かった。

事実紀元前2000年ー1500年ごろに栄えた殷王朝の安陽の遺跡からは、騎馬戦車が数多く発掘されている。 そして、漢民族が戦車ではなく、馬に跨り戦場を疾走するようになるのは、時代が1000年ほど下った戦国時代に起こった戦術上の大変換になるまで待たなければならない。(下記のページを参照ください)


中国に起こった騎馬がかかわる戦術上の大変換

 戦国時代は、中国の歴史上の時代のひとつで、紀元前5世紀から紀元前3世紀にかけて続いた。この時代には、多くの国家が争い、統一を目指して戦った。

 初期の戦国時代では、戦闘は主に歩兵中心で行われていた。しかし、騎馬戦術の重要性が次第に認識されるようになり、騎馬兵の使用が増えるようになった。騎馬兵は、偵察や奇襲、迅速な移動などに優れた能力を持ち、戦闘の効果を高めることができました。
 また、戦国時代の中盤から後半にかけて、騎馬戦術は進化した。その中でも特に有名なのが、騎射戦術(きしゃせんじゅつ)です。これは、馬上から弓を射ることによって戦う戦術で、強力な騎馬アーチャーが敵に対して威力を発揮しました。
 さらに、騎馬戦術の発展に伴い、騎兵隊の組織化も進んだ。騎兵隊は独自の指揮系統を持ち、連携して戦うことができた。また、騎兵隊は槍や剣を使用することもあり、接近戦においても優位に立つことができた。

 ただし、戦国時代の騎馬戦術は、あくまで限定的な存在でした。地形や戦場の条件によっては、騎馬兵の運用が制約されることもあった。また、他の戦術や兵種との組み合わせも重要であり、騎馬戦術の単独の優位性だけで戦局を決めることは難しかったようだ。

 以上が、中国の戦国時代における騎馬戦術の変遷についての概要である。この時代の戦争は非常に複雑であり、各国が様々な戦術を駆使して争った。



漢字に反映された馬

漢字「騎」には戦国時代の戦術の大変換の痕跡が反映されている

漢字「馬」の解体新書

漢字「馬」の楷書で、常用漢字です。
 
馬・楷書


「馬」の漢字データ

漢字の読み
  • 音読み   バ、マ
  • 訓読み   うま、ま

意味
  • うま。
  •  
  • 将棋の駒の種類、
  •  
  • 競馬

同じ部首を持つ漢字     馬、騎、馭、馴、慿
漢字「馬」を持つ熟語    馬、馬車、馬力、馬鈴薯


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漢字「馬」の由来と成り立ち

 馬は人間の生活と関係が深く、 〔説文〕がその部に録する字は115字、康熙字典には異体字を含めると481字に及ぶ。  
馬・甲骨文字
馬・金文
馬・小篆


漢字「馬」の甲骨文字から金文への変化

  • 早期の金文の「馬」の字は甲骨文字の持つ象形の特徴は小篆にいたるころには却って似て非なるものとなっている。
  • 図の示すところ小篆の馬の字は下部は5画で今の4本の足と尾を表し、二本の足と尾っぽの変化したものだ。上部の3本の横棒は馬の首の上の鬣毛が変化したものだ。
  • 楷書の繁体字の「馬」は9画あり、書くのには十分不便で、このため漢字の簡略化の案は行書を参照にされ、今日の中国で使用されている簡体字「马」が創造された。  人類が飼育している家畜の中の体型は最も大きいもので、このために古人は大きいものの修飾語として「馬」を専ら使うようになった。同類のかつ大きいものの比較で、馬蜂(スズメバチ)、马勺(杓子)、马明、马蚁(蟻)などである。また山東人の習慣で大きな棗を称して「馬棗」という。広東人は大豆のことを馬豆と称している。




引用 「汉字密码」(P50,唐汉,学林出版社)

漢字「馬」の民俗学的解釈

  馬は典型的な象形文字である。甲骨の字の馬は一匹の頭足身体尾っぽ全部そろったものを横から見た馬の形をしている。


漢字の変遷 甲骨文字から金文、楷書へ

 馬は典型的な象形文字である。甲骨の字の馬は一匹の頭足身体尾っぽ全部そろったものを横から見た馬の形をしている。上古の先民は天才画家に称号にも耐えうる。彼らは馬の形体に対し、眼と耳際の毛はの正確な描写はまさに分析が深く、大きく扁平で長い眼、長く突出した頭部の両側、上に直立して立った鬣、遠くみても一目で、馬とその他の動物間の特性と差別するのにできる。



漢字「馬」の字統の解釈

 馬の「鬣」のある形。中国では古くから車馬を用い、馬はその生活と関係が深く、 〔説文〕がその部に録する字は115字、康熙字典には異体字を含めると481字に及ぶ。車馬 は古くより最も重要な交通及び戦闘の方法であった から、中国の古代においては、車馬具の発達が極めて著しかった。殷周以来の大墓には多く車馬坑を 伴うており、その遺品が多い。


漢字「馬」の漢字源の解釈

 象形。馬を描いたもの。古代中国で馬の最も大切な用途は戦車を引くことであった。馬にまたがって乗ることは、北方の遊牧民族、匈奴などから伝わった習慣で、古代中国では直接馬に乗ることはしなかった。


漢字「馬」の変遷の史観

文字学上の解釈

 馬の起源は、5500万年前北米に生息した種にあるそうだが、現代の馬の起源としては、冒頭にも触れたように、ユーラシアステップ地帯西部(ボルガ・ドン地方)で、約5000年前に放牧されていた馬が急速に各地に拡散したものだといわれている。 その流れは当然のこととして、中国西域、モンゴルにも到達し、最初は農耕用、あるいは荷役用として飼われていたであろう。

 古代、中国の華北平原と内蒙古の地区では、野馬が生息していた。この種の野馬の頭の高さは高くなく、長くて頭をつけ、鬣と耳は立っており、短い足と長い尾っぽは下向きに垂れていた。専門家はまさにこの種の野馬は新石器時代にアジアの土着の居住民によって、われわれの祖先たちが養育に成功し6畜のひとつになったという。

 そして春秋戦国時代には、革命的な戦争戦略の変換があり、戦車を引くためだけに使われていたものが、騎乗、騎馬用として用いられるようになってきた。そうした長い歴史のおかげで、漢字の上でも実に数百款に及ぶ「馬」が存在している。

 


まとめ

  ここに掲げた漢字の「馬」の甲骨、金文や小篆の文字はほんの一部であるが、これらのいずれも、一見して馬だとわかる特徴を備えている。いまさらながら、古代人の描写の巧みさに感心すると同時に、漢字の持つ視的面の効用に感心せざるを得ない。
  


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2023年12月5日火曜日

漢字「御」の成立ちと由来:古代に怨念を払い、子孫の繁栄のための祭祀に由来する


漢字「御」の成立ちと由来:「御室」を「みむろ」と読むルーツをは中国にあった??

 且て、江蘇省・揚州を旅した時、清の乾隆帝が建立し、舟遊びを楽しんだという船着き場に立ち寄ったことがある。その船着き場に碑が建てられており、「御馬頭」と書かれてあった。現地の人にこれは何と読むのだと聞いたところ、「みまとう」だと聞こえた。自分の耳を疑った。百人一首の「御室の山のもみじ葉は・・」という歌が頭に浮かんだ。全く同じ読みをする漢字に出会おうとは夢にも浮かばなかった。非常に感激をしたことを思い出した。よく聞くと、「みまとう」ではなく「うぃまとう」と発音したようだが、はるか昔鑑真和尚が日本に来た頃、この地で「御馬頭」の発音を聞いて、「みまとう」と聞き、それから「御室の山」を「みむろのやま」と読むようになったのではないかと密かに考えたものだ。



 この記事は「漢字『御』に込められた祖先の切なる想いとは何? 漢字の成り立ちと由来を見れば謎が解ける!」を加筆Reviseしたものである。




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漢字「御」の今

漢字「御」の解体新書


 
漢字「御」の楷書で、常用漢字である。
 
御・楷書


  
御・甲骨文字
御・金文
御・小篆


 

「御」の漢字データ

漢字の読み
  • 訓読み  おん 例)御中   お 例)御前   み 例)お御籤  
  • 音読み  ぎょ 例)御意   ご 例)御飯
  • 使い方 ①敬意やていねいさを表す語。「御挨拶」「御覧」
        ②皇室に対する敬語 「御物」
        ③あやつる。「御者(馭者)」「制御」
        ④おさめる。支配する。つかさどる。 「統御」
        ⑤ふせぐ。まもる。 「防御」


同じ部首を持つ漢字     御、禦
漢字「御」を持つ熟語    御、御中、御前、御者


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漢字「御」成立ちと由来

引用:「汉字密码」(Page、唐汉著,学林出版社)
「御」この字には上古先民の子孫繁栄の切なる願いが込められている

唐漢氏の解釈

 "御"の本の字は"禦"である。これは会意文字だ。甲骨文字の「禦」の字は右側には跪いている男の人が見える。左辺は「示」の献卓がある。真ん中には臍の緒を示す記号があります。会意文字で子供を授かることを願う祭祀を指している。金文の「禦」の字の形象は特にはっきりしている。小篆は禦の字の形態は整合がとれていて、併せてギョウニンベンの旁が滑らかに表示されている。楷書はこの縁で禦とかく。簡体化で御の字が禦の簡体字となった。

 "禦"は《説文》では「祀なり」としている。上古時代は高出生率、高死亡率で、極端に低い生育率が基本的特性であった。統計に基づけば有史以前は、嬰児の死亡率は高く、0.5以上にも達した。旧石器時代の世界人口の増加率は100年で1.5%を超えなかった。新石器時代でも4%を超えなかった。この為氏族と部落の生存は出生率と成活率にかかっていた。その意義はことのほか尋常ではなかった。人類の有史以前の生殖崇拝と育産祭祀は非常に旺盛であった。

 漢字「御」の由来と成り立ち:子宝を願う神へ強いの祈りを体現

 "御"はこの歴史の産物である。春秋以降は人口の数量は大きく増加し、血族群団は地域社会に取って代わられ、人口の多寡は、再び氏族の存否の主要な要件になることはなかった。このために人口の繁衍を希求する禦祭は消滅することになった。

漢字「御」の字統(P185)の解釈

 声符は卸。形声文字。卸は御の初文。
 氏は御は祖先の霊を払うときの祭祀であったという。漢字「御」は「禦」の初文という。

 ここで字統から少し離れて考えてみると唐漢氏とは全く逆の解釈となる。たしかに「禦」をよく見てみると、金文までは字形の下に祭卓を表す「示」が出ていない。ということは金文までは「御」も「禦」も全く同じ字形であったとなるか、そもそも禦という語は金文の時代までは存在せず、「御」という言葉しかなかったといえるのかも知れない。



漢字「御」の漢字源の解釈

 会意兼形声。原字は「午(きね)+卩(ひと)」の会意文字で、堅いものを杵でついて柔らかくするさま。御は「馬を穏やかにならして行かせることを示す。



漢字「御」の変遷の史観

文字学上の解釈

「御」の文字の変遷 左民安《細説漢字》(漢典より)


「禦」の文字の変遷 左民安《細説漢字》(漢典より)


中国・清朝皇帝乾隆帝が自分の舟遊びために造営した船着き場皇帝の船着き場に立つ石碑「御馬頭」
「御」の使い方は日本と全く同じ

まとめ

  

 字統では「御」は形声文字と説明をしているが、会意文字ではないかという説もある。唐漢氏も視点は異なるが、やはり「祭祀」であるとしている。

  


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2023年12月1日金曜日

漢字「去」の成立ちと由来:「去」は神の神前で審判を仰ぐ時に用いた厳粛なツールに由来したもので、法の原字でもある


漢字「去」の成立ちと由来:「去」は神の神前で審判を仰ぐ時に用いた厳粛なツールに由来した


 今では法はある種のご都合主義的に使われ、国法の最高の憲法ですら、ないがしろにされている雰囲気がある。
 しかし、太古の昔は「法」の原字ともいえる「去」は、大変な重みづけをもっていたようである。「去」は太古の昔から存在した字であるが、その昔はある種アミニズムの権威付けのツールにも使われたのではと思われる。神の前に審判を仰ぐ器であったと考えられ、審判に敗れれば、器と敗れた人とともに水に流すことを法といった。非常に厳しい戒律であったようだ。これらのことは、「法」は決して疎かにするべきものではないことを、我々に教えている。 




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漢字「去」の今

漢字「去」の解体新書


 
漢字「去」の楷書で、常用漢字である。    
  
去・楷書


  
去・甲骨文字
去・金文
去・小篆


 

「去」の漢字データ

漢字の読み
  • 音読み   キョ、コ
  • 訓読み   さる

意味
  • ゆく、去る
  • しりぞく
  • やめる
  • 過ぎる

同じ部首を持つ漢字     去、蓋、法、怯、劫
漢字「去」を持つ熟語    去、過去、去就、死去


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漢字「去」成立ちと由来

引用:「汉字密码」(Page、唐汉著,学林出版社)

唐漢氏の解釈

 大と口とからなる会意語である。「大」は人の正面の形で、「口」は町や村を示していること、またはくぼんだ形の「坎」を意味することもある。 したがって、「去」という言葉は、人が穴を跨いで、村や町を通り抜けたりするイメージから取られ、立ち去る、または立ち去ることを意味する。 「残る、去る、死ぬ、辞任する」などの慣用句や「どこへ行く、去っていく」など。

漢字「去」の字統(P180)の解釈

 会意 大と凵(カン)とに従う。大は人凵は蓋を外した器。神判で敗れたものは、神判に当って盟誓した自 己詛盟に偽があるわけであるから、その祝禱の器で あるの蓋を外して凵とし、その人とともにこれを棄去する。
わが国の大祓詞にいう汚穢を水に流すことと、祓うという 観念において、共通する罪悪観である。廃棄の意より、場所的にその場を去る意となり、時間的には過去に隔たる意となる。 故郷を棄てることを、大去という。


漢字「去」の漢字源(P224)の解釈

 象形:蓋つきのくぼんだ容器を描いたもので、窪んだ籠の原字。くぼむ・ひっこむの意を含み、却と最も近い。転じて現場から退却する。姿を隠すの意となる。



漢字「去」の変遷の史観

文字学上の解釈

 漢字「去」には、甲骨文、金文にもそれなりの款が存在している。
 去は神の前で、審判を仰ぎ、審判に敗れれば去る。その時水に流すのが法、審判に用いた器と共に捨てるのが灋である。

いずれにせよ、審判を受けることは並大抵のことではない。


まとめ

  これに関しては、(白川静「字統]P180)の説明が最も理にかなっているように思う。曰く、大と凵(カン)とに従う。大は人凵は蓋を外した器。神判で敗れたものは、神判に当って盟誓した自己詛盟に偽があるわけであるから、その祝禱の器であるの蓋を外して凵とし、その人とともにこれを棄去する。これを水に流す字は法、神判に用いた解廌をともに棄てるときは灋となる。灋は金文において廃棄の意に用いる字である。
  
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