2013年12月9日月曜日

来年の干支は午年

 来年は十二支では午年に当たる。我が唐漢先生の説によると、この十二支は人間の出生の過程を表したものであるという。従ってこの場合漢字は「午」であって、「馬」ではない。ちなみに漢字源によれば、以下の通り、「午」と「馬」にはなんの関係もない。
 曰く、この時刻や方角の午を午に当てたのは「農民が覚えやすいように十二支に動物を配した秦漢の農暦の影響で、本来は馬と何の関係もない」(「漢字源」の「午」の解説より引用)とある。来年は十二支では午年に当たる。

 しからば、古来「午」はどのように表わされていたのか、甲骨文字を紐解いてみる。


引用 「汉字密码」(P874,唐汉,学林出版社)

「午」は象形文字である。甲骨文字の「午」の字の二つの字形はすべて嬰児の体から脱落したへその緒からとった形象だ。しかし金文から小篆にいたって、字形の外形は著しく変化した。ただし変化の軌跡は却って明らかで証明しやすい。漢字の早く書く書き方と対称化の過程の中で、楷書では「午」と書くようになった。

 「午」の構造的な形はへその緒である。その物象は嬰児に起こる一定の時間の課程を経て、脱落してきたへその緒である。字形上の区別から、ものを括ったところとせん断した刃口にはなお一定の距離がある。これは古代の医薬消毒の条件が今日と比べ大きな隔たりがあることから来ている。いわゆる嬰児の身上にとどまって出てくるへその緒は今日の長さと比べ大変長かったに違いない。もって病原菌の感染を防いだ。嬰児の身上から脱落したへその緒は大体7日から15日(首都の医科大学の幾人かの教授および多くの子供を成育してきた母親によれば、へその緒が脱落する時間は、それぞれ人によって言うことが違うが、ここでは大体この数値になるようだ。) このとき嬰児が最初の夭折期を過ごすと、慶事に値することになる。

 つまり、古代においては、この夭折期こそが人間が生れ落ちて、確かな生命の営みを辿るまで、人間に課せられた最初の試練だったといえよう。今でこそ、医学の発達した病院や、施設での産褥はさほど危険なものではなくなってきたが、数千年前には、母子ともにきわめて危険な過程ではなかったろうか。しかも人間の場合、馬や牛と違い、生まれてからすぐ立つことはできない。牛や馬は生れ落ちると外敵に対するためすぐに立たなければならない。しかし、人間やサルの霊長類は母体を守るため、嬰児は自らの足で立つことが出来るほどまでに長く、母の胎内にいることは許されない。その代わり長い時間をかけて、育て上げることが必要で、その意味からも、この1,2週間のへその緒が取れるまでの期間は非常に大事であるし、また危険な時期であるといえよう。

 「午」は嬰児の産出、養育の順序に照らしていえば、地支の配列は第7番目にくる。時刻標記に用いて、「午」は真昼、11時から13時の間の時刻を指す。午時、午休み、午飯のごとくである。また特に日中の時刻をさし、
正午、中午、昼の3時などと使う。また「午」は日影の方向から拡張され方位を指す。「子」は即ち真北を指し、「午」は真南を指す。いわゆる陕西関中から漢中にいたる道を子午道という。また地面上のある点を通る南北の経線を子午線という。
 「午」は甲骨文字の中では基本構造の文字である。古代漢字の中で独特のへその緒文化を構成している。しかし古代文字の大家は皆それを糸と混同している。実際上は文字の実際表意に基づけは、区別は明らかである。
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