2023年10月30日月曜日

日本人のDNAまでなった「和」の精神! 漢字「和」の成立ちと由来は如何に


漢字「和」の成立ちと由来は? 漢字「和」の地政学に迫る!





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漢字「和」の今

漢字「和」の解体新書


漢字「和」の楷書で、常用漢字です。
 「和を以て貴しとなす」は聖徳太子が十七条の憲法に書き込んだものですが、元々の原典は「礼記―儒行」であるということです。
 この言葉は、良くも悪くも日本人の精神的を背骨なすものとなっているといえましょう。
 今や「和の精神」は日本人のDNAとなったといっても決して言い過ぎではないでしょう。

 その理由は地政学的に言っても、日本の立ち位置がこの言葉で最もよく言い表されていると考えるからです。

 しかし、ここでは「和」という言葉の起源について、その大本から迫りたいと思います。
和・楷書


  
 甲骨文字に「和」は見当たりません。あるのは「禾」と「口」(口もしくはサイ)だけです。すなわち甲骨文字の時代にはこの二つの文字はまだ「会意」をしていなかった。白川博士の説によると、「禾」は軍門に立てる標識で、和議を行い、サイに誓いの文書を入れることからこの二つの文字が、生まれたということである。  
和・金文
和・小篆



 

「和」の漢字データ

漢字の読み
  • 音読み  サイ
  • 訓読み  やわらぐ、なごむ

意味
  • やわらいだ様
  •  
  • なごやか
  •  
  • 分けないで、個々のものを取り立てる

同じ部首を持つ漢字     和、私、秀、秤
漢字「和」を持つ熟語    和、和解、和議、平和


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漢字「和」成立ちと由来

  金文と小篆を提示する。金文と小篆はほ変化はない。ということは、この二つの文字は並行して用いられたか、極めて近接した時間に用いられたかの推察される。あくまで筆者の独断と偏見で偏見かも知れないが・・・。  





漢字「和」の字統の解釈

 会意 禾と口とに従う。 禾は軍門に立てる標識で、 左右両禾は軍門の象。 口はサイ、祝禱を収める器で、 この字においては軍門で盟誓し、和議を行なう意である。
 和の訓義は甚だ多く、字書に三十数義を列するが、みな軍門和議の義からの引伸の義である。
 [中庸]に 「發して節に中る、これを和といふ。和なるものは、 天下の達道なり」とあって、和は最高の徳行を示す語とされている。


ここで、このブログの筆者から字統に対して「禾」がなぜ軍門に立てる標識となり得たのかという疑問が湧いてくる。

漢字「和」の漢字源の解釈

     会意兼形声。禾は栗の穂のまるくしなやかにたれたさ まを描いた象形 文字。窩 (まるい穴)とも縁が近く、かどだたない意を含む。和は 音符。



漢字「和」の変遷の史観

漢字「和」の地政学

漢字「和」の地政学
 「和」という概念は、中国で生まれ、中国と日本で育まれてきた。とりわけ日本では、日本人の精神的構造の基幹をなしているものと考えられている。このことだけで日本の精神構造を云々することはできないが、日本人を考えるときに避けて通ることはできない。

 「和」の精神が日本人の精神構造の基幹を成すに至った要因に日本の地政学的な考察が加えられるべきと考える。

  1.  まず中国にしろ日本にしろ極東にあるということである。中国の方はかなり大きくむしろアジアのかなり大きな部分を占めているので、極東ということに関して言えば日本が該当する。極東という言葉は、当然のことながら地理的な面で、中心にいないということと同義語である。 
  2. 地理の中心にいないということは別の面から言えば、文化の中心にいることが難しくなるということにもつながる。このことは別の面から言えば、他からの干渉をそれほど大きく受け難いということでもある。 
  3. 第三に日本は島国である。しかもイギリスなどと違って大陸との間は泳いで渡れるような距離にはない。大陸から日本にわたるには、それなりに大きな船と航海術が必要である。かの蒙古が日本に大艦隊を率いて侵入を試みたにもかかわらず失敗に終わった。 
  4. 第四に小国といえども日本はそれなりに大きな面積を擁しており、そこそこの人口を養うだけのキャパシティを持っている。 
  5. さらに日本は気候が比較的温暖で、食料を求めて外部に進出しなければならないほどではなかった。


  6. 以上のことから日本は他国からあるいは多民族が食指を動かすほどの存在にはならなかった。日本とほぼ同等の面積を有する朝鮮半島は陸続きであるために、中国から恩恵はうけることができると同時に、絶えず中国の脅威に晒され続けできた。
      また中東で言えばトルコは西洋と東洋の間に位置し、文化的交流の中心になったと共に、他民族の攻撃の的となったことも多い。その反面、オスマントルコとして一時は世界地図を塗り替えるほどの勢力を持った事もある。

     これから考えると日本は他の民族のあるいは他の国の侵略を受けることもさほどなく、外部に出て行って食料を確保するしなければならない状態でもなかった。外に出て行くには目の前に横たわる海を越えるだけの大きな困難を克服しなければならなかった。
     以上のことから考えて、日本人は必然的に外部に向かうよりも、内部に向かう思考に偏っていったのではなかろうか。このことは良い悪いの問題ではなく、日本人の精神構造の背骨をなすものと考える。ここで聖徳太子の唱えた「和を以て貴しとなす」という概念は大きな意味を持つ。
     中で内部で、互いに喧嘩することなく仲良く和やかにいることを大切にするという思想は、日本人のあり方にぴったりと嵌ったのではないだろうか。
     このことは日本人が自己主張をしないという性癖も善悪ではなしに日本人というものはそのようなものだと受け入れられたであろう。  聖徳太子以来、江戸末期の黒船に至るまで、日本に居住する民族はこの地位に甘んじることができた。

     しかし黒船以来、他国との交流が活発となり、人々は世界中を行き来するようになって、日本人も日本の小さな国土の中に甘んじることはできなくなった。日本人の精神的構造と日本人自身の在り方の矛盾に晒されているのが現在の日本であると考える。

    まとめ

      近年、世界で起こった出来事に対し、とかく日本人の対応が云々されることが多くなった。これは今日のように国境が低く、人びとや経済の流れが活発になった点からいえば、ごく自然な成り行きである。
     この流れに追い打ちをかけるように、インターネットなどに代表される情報の大洪水が押し寄せてきて、日本もご多分に漏れず吞み込まれつつあるように思う。
     現代は昔と違って国境がなくなり、他の国で起こったことはたちどころに日本にも激震となって及んでくる時代だ。前のように海を隔てた遠いく国で起こったことと泰然と構えておられる時代ではない。ウクライナの問題も、ヨルダンの問題も我々の問題として響いてくる。
     この状況の中で、日本人というより、人間として自分のアイデンティティーをどう保つことができるのか一人一人が問われている
      

     こういった時代にあってもなお、「和を以て貴しとなす」とすべきか、あるいは「我を以って貴しとなす」とすべきか、最後は結局、国民一人一人の旗幟を鮮明にすることが求められている。
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2023年10月28日土曜日

漢字「闘」の成立ちと由来:闘いと戦いはどう違う?戦争と闘争はどう違う?


漢字「闘」の成立ちと由来:闘いと戦いはどう違う?


「闘う」も「戦う」どちらも「たたかう」ですが、両者には明確な違いがあります。語源を見ればわかりますが、一口に言って「闘う」は武器を持たないで、争ったり、克服することです。

 一方「戦う」は武器をもって戦闘行為をすることです。ウクライナ戦争といいますが、ウクライナ闘争とは言いません。




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漢字「闘と戦」の今

漢字「闘と戦」の解体新書


 
漢字「闘」の楷書で、常用漢字です。
鬥は鬪(=闘)の原字。鬥と鬪の間には、闘いの在り方にかなりの変化があったと考える。それが何かは今はわからない。
 一方「戦」は明らかに盾と矛といった武具を使った構成で、「鬪」とは一線を画する「戦争」を表している。 

鬥・楷書闘・楷書戦・楷書


     
  
鬥・甲骨文字
鬥・金文
鬥・小篆
鬪・小篆



 

「闘と戦」の漢字データ

漢字の読み
  • 音読み   トウ
  • 訓読み   たたかう

意味
  • たたかう
     戦争する(例:戦闘)
     思想や利害の対立する者どうしが自分の利益や要求の獲得のために争う
     苦痛や障害を乗りきろうとする(病気と闘う)
  •  
  • たたかわせる(例:闘牛)
  •  
  • 競う、争う、試合をする

同じ部首を持つ漢字     鬥、鬪、鬭
漢字「闘」を持つ熟語    闘、闘争、闘志、闘犬、


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漢字「闘と戦」成立ちと由来

引用:「汉字密码」(Page、唐汉著,学林出版社)

唐漢氏の解釈

 「斗」は闘の簡体字である。甲骨文字の「斗」は二人の人が殴り合いをしているようだ。相手が自分の頭の髪の毛をつかみ、こちらは、相手の手を掴んでいる。二人組合っているが、金文と小篆の字形は二人が取っ組み合いをしているようには見えない。
 まるで甲骨文字を継承していない様に見える。闘いの字の形と意味を理解するのは難しい。楷書ではこの縁から「鬥」と書く。漢字の簡略化から升斗の「斗」から借りて、鬥の簡体字になった。




漢字「闘と戦」の字統の解釈

 正字は闘に作り、斲声。斲は 左手に盾を執り、右に斤を執って戦う形。鬥は手格(素手でたたかう。)の形で、この両字は声義近く、合せて一字となったが、字の構造法からいえば、斲(たく)の声義に従う字である。

 〔説文〕「遇ふなり」とは、相接して戦う意であろう。すべて闘争する意に用いて、競争することをいう。




漢字「闘と戦」の漢字源の解釈

 向かいあって、互いにゆずらずにたたかう。後へひかずにあらそう。
   象形。二人の人が手に武器をもち、たち向かってたたかう姿を描いたもの。鬥は鬪(=闘)の原字。



漢字「闘と戦」の変遷の史観

文字学上の解釈

 漢字「鬪」の甲骨文から簡体字までの変遷をまとめた。当初は殴り合いを生き生きしたタッチで表現していたが、時が経つにつれ戦い方が高度に?変化し、盾や矛を使ういわゆる戦闘へと変遷を遂げてくる。恐らく先頭に加わる人数、組織も文字が複雑になるにつれ変化したであろう。漢字からは文字の変化そのものの中に、そのものの在り方まで推察されて面白い。

まとめ

 たたかうという言葉は今では「戦う」、「闘う」と書いて同じような意味に使われる。しかし、古代では両者はある意味では厳然と区別されていたようである。

 戦うという漢字は。「盾」と「戈」からなり始めから武器をもって戦う、即ち戦争をするという意味に用いられていた。
 一方、闘うという文字は、今では変化しているが、元々は「鬥」と書き武器を使わず、争うという意味に使われていた。ある意味平和的な方法での解決が試みられていたようだ。それが、明確に変わったのは、古代社会で階級分化が進み、単も部族を侵略するようになってからではないかと想像する。
 Description


  


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2023年10月25日水曜日

中国語でクリスマスは「聖誕節」(簡体字:「圣诞节」)という。この「圣」の語源は? その成り立ちと由来を探る!


クリスマスのことを中国語で「圣诞节」という。この「圣」という字はどこから来たのか?







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漢字「聖&圣」の今

漢字「聖&圣」の解体新書


 
漢字「聖&圣」の楷書で、常用漢字である。圣は聖の簡体字となっている。
圣・楷書 聖・楷書



  
圣・甲骨文字
圣・小篆
圣・楷書


 

   

「聖&圣」の漢字データ

漢字の読み
  • 音読み   コツ・コチ、セイ
  • 訓読み  ー  

意味
  • 土を祀る
  •  
  • 聖の簡体字
  •  
  • 古代の墾田の儀をつたえる字

同じ部首を持つ漢字       圣、「巠」の簡体字ではないことに注意という説もある(「巠」の簡体字は「经・轻」の旁で、片仮名「ス」「エ」を組み合わせた形のもの)
漢字「聖&圣」を持つ熟語    聖&圣、圣诞节、圣地亚哥(サンチャゴ)


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漢字「聖&圣」成立ちと由来

引用:「字統」(P323、白川静著、平凡社)
現代では殆ど聖の異体字として説明されているが、字統には他のものとは全く異なるアプローチがなされている。確かに漢字「聖」と「圣」の甲骨文字には驚くべき相違がみられる。





漢字「圣」の字統の解釈P323

会意: 土と又とに従う。土は土主。又は手の形。
土を祀る意で、開墾のとき地霊を祀ることをいう。 ト辞に「圣田」をトする例が多く、その字は土の上に収(きょう)、すなわち左右の手を加えている。土主を奉じ、地霊を祀る意である。 【説文】に「汝穎の閒 じよえい (河南中央部)、力を地に致すを謂ひて圣といふ」とし、その音を窟とする。ト辞以後の用例はみえず、 古代の墾田の儀礼を伝える字である。


漢字「聖&圣」の漢字源の解釈P313

会意文字; 「土+又(手)」。怪の構成要素となる。
 現代中国で「聖」の簡体字に用いる。



漢字「圣」の古代の解釈

 昔は、最も高貴な人格と最も優れた知恵を備えたいわゆる人々を聖者と呼んだ。
 最も崇高であり、崇拝されるものの名​​誉称号、「神聖」。 聖なる。 聖地。 聖書。
 封建時代の皇帝を讃えた言葉「陛下」。 勅令。
知識と技術において極めて高い功績を持つと言われる技能者。 グランドマスター。



漢字「聖&圣」の変遷の史観

文字学上の解釈


 漢字の持つ機能を他の漢字から借りてくることを仮借というが、私にはこの二つの漢字には何の関係もなかったのではないかと感じられる。
 しかしそれなりの理由があったことかも知れない。今のところ全く不明なので、これ以上の言質は差し控える。





まとめ

 古代文字「圣」が3000年もの眠りから覚めてこの世に復活したのは、ほんの60~70年前のことであった。
 字統で、「ト辞以後の用例はみえず、 古代の墾田の儀礼を伝える字である」と述べているように、久しく人々の目に触れることがなかったようである。

 私は、その6,70年前には中国であったであろう「簡体字検討委員会」みたいなところでの議論を見てみたいものだ。
 中国でも、日本でも多くの人々が『漢字不要論』を提唱したと聞く。前島密、福沢諭吉などその先鋒に立っていたようである。また、中国においても、魯迅、毛沢東などが漢字廃止と存続との間で揺れていたと聞く。これらを認識論の面からももっと明らかになればいいと思う。

  


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2023年10月23日月曜日

「甘」という感覚は人間の歴史の中で最も早く会得された感覚であり、それに伴い漢字も早くから登場した?


「甘」という感覚は人間が最も早くから目覚め認識してきた感覚である。 

このページは以前に上載した以下のものに加筆修正したものです。『「甘」 語源と由来』

導入

前書き

 ある民族の文化の深度を計る尺度は結局はその民族が持つ言葉が豊富であるか否かによって決定する。  南洋のある民族では味覚を表す語彙がすこぶる少ない。例えば全ての味覚を「sweet、nonsweet」で表す。この地では長くイギリスとフランスの共同統治であった為にフランス語と英語が共存しているが、あらゆる味覚はこの2語であらわされる。非常に単純である。つまりその人にとって美味しければ"sweet"、美味しくなければ"nonsweet"である。

  ところが中国語にしても、日本語にしても、味に関する語彙はすこぶる豊富である。それは主体者の主観的な感覚に依存することなく、絶対的な評価をもつ。つまり「甘い、辛い、酸っぱい、苦い」という基本的な語彙以外に「甘酸っぱい、ほろ苦い」などなかなか表現できない中間的な味覚も登場する。つまり言いたいのは語彙が豊富であれば、それだけ認識の分化が進んでいることを意味し、文化がそれだけ発達しているということである。
  その意味では一つの文化にしても、例えば味覚に関する語彙がどのように生み出されてきたかを見ることも面白いかもしれない。
 さて、前置きはこれくらいにして、漢字の由来に話を移そう。

目次




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漢字「甘」の今

漢字「甘」の解体新書


漢字「甘」の楷書で、常用漢字です。
白川博士は字統 にて、「甘」は上部の左右を横に通じる鍵の形をかたどったもので、嵌入の「嵌」だと主張されている。そして「甘」は甘草からくるもので別物と主張されているが、「口」の甲骨文字に照らしても、白川博士の主張には少し無理があるように思える。 

甘・楷書嵌・楷書



  
口・甲骨文字
甘・甲骨文字
甘・楷書


 

「甘」の漢字データ

漢字の読み
  • 音読み   カン
  • 訓読み   あま

意味
  • 甘い 
  • うまい、おいしい 
  •  
  • 考え方が、きちんと詰められていない
  •     
  • 締まりがない、緩くなっている 

  同じ部首を持つ漢字     甘、甚、嵌
漢字「甘」を持つ熟語    甘、甘味、甘美、甘藷


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漢字「甘」成立ちと由来

引用:「汉字密码」(Page、唐汉著,学林出版社)
                                                         

唐漢氏の解釈

  「甘」これは指事字である。甲骨文字の「甘」という字は口の中に小さな横線を加えたもので舌のある所を示している。だからここで最も甘いという味を知ることが出来る。小篆の「甘」という字は甲骨文字に良く似ている。楷書は横線が長くなり、却って口の形が失われている。
 古代中国人は味感の分類中「甘」はどのような刺激的な味も伴っていないと表示した。《春秋繁露》曰く「甘いものは五味の本である。
  《庄子・外物》で言うには「口彻为甘」(口は甘味に徹するなり)このことは甘味口に最もよく合うだから口当たりがよく、違和感のない味感であるという意味である。「甘」から造られた字に「甜」(甘い、心地よいという意味がある。また砂糖大根の甜菜の字にもなっている)がある。
 これは「甘」の意味から大きく変化したもので、「酸っぱい、苦い、辛い、しょっぱい」の5味の一つである。河南地方の方言では塩入りで、砂糖入りでもないスープを甜湯という。甜はここでは味のないという意味でもある。


漢字「甘」の字統の解釈

 象形 左右の上部に横に通ずる鍵の形。左右に含ませて錠とするもので、嵌入の意である。
甘美の義は甘草から出ており、 別義。
[詩、斉風、鶏鳴]「子と夢を同にすることを 甘(たのし)まん」は、酣楽の意。〔荘子、徐无鬼〕に、熟睡 を「甘寢」というのも酣の義である。
 〔説文〕に「美なり。口の一を含むに従ふ。一は道なり」というのは、例によって道義的な解釈を附会したものである。



漢字「甘」の漢字源の解釈

 会意文字 「口+・印」で、・印で示した食物を含んで味わうことを示す。長く口の中で含味する、うまい甘いものの意となった。


「甘」の変遷の史観

人類の味覚の歴史について、Chat GPTに聞いてみた
 人類 味覚 歴史 ChatGPT 人類の味覚の歴史は非常に長いもので、進化の過程や文化的な変化に影響を受けてきました。以下に、人類の味覚の歴史の要点をいくつか紹介します。

  1. 進化の過程: 人間の味覚は、進化の過程で発展しました。最も原始的な味覚は、生存に必要な栄養を認識し、有害な物質を避けるためのものでした。甘い味覚は高エネルギーの食物を示し、塩味はミネラルを示し、苦い味覚は有害な物質を警告する役割を果たしていました。 

  2.  農業の発展: 農業の発展に伴い、人類は新しい食材を栽培し、調理方法を発展させました。これにより、さまざまな味覚体験が可能になり、調味料や調理法が多様化しました。 

  3.  文化的な多様性: 世界中の異なる文化が、独自の食文化を発展させ、独自の味覚好みを持つようになりました。これにより、地域ごとに異なる食材や調理法が発展し、多彩な料理が生まれました。 

  4.  味覚科学の発展: 近年、味覚科学は食品の味覚と香りを詳細に研究する分野として発展しています。これにより、味覚の神経生物学や味覚受容体に関する知識が増加し、食品産業や料理の改善に寄与しています。

  5. 技術の進歩: 技術の進歩により、食品の加工や調理方法が進化し、新たな味覚体験が可能になりました。冷凍技術、調理器具、調味料の多様化などが、食品の多様性と味覚への影響をもたらしました。

  6. 健康への意識: 近年、健康意識の高まりに伴い、味覚における新たなトレンドが現れています。例えば、低塩、低糖、低脂肪の食品や、ベジタリアン、ヴィーガン食の人気が増加しています。

  7.  人類の味覚は、進化、文化的多様性、科学の発展、技術の進歩などの要因によって変遷してきました。それぞれの文化や時代において、味覚は食品と料理に対する好みや価値観を反映し、食文化の多様性を形成してきました。



 味覚一般の歴史に加え甘味に対する、歴史についても調べてみました。ご参考に!
人類の味覚における甘さの歴史は非常に古く、甘い味覚は生存と栄養に関連して重要な役割を果たしてきました。以下に、人類の味覚における甘さの歴史についてのいくつかのポイントを紹介します。

  • 糖の発見: 甘味は人類が最初に発見した基本的な味覚の1つであり、自然界に存在する糖分(例:蜂蜜や果物の糖)から甘さを得ていました。最も初期の甘味料はおそらく蜂蜜であり、古代エジプトやメソポタミアなどの文明で使用されていました。 
  • 砂糖の歴史: 砂糖は甘味料として広く使用されるようになったのは比較的新しい歴史的出来事です。砂糖の製造はインドで始まり、その後アラビアやヨーロッパに伝わりました。中世ヨーロッパでは砂糖は非常に高価で贅沢なもので、富裕層や貴族の食事にのみ使用されていました。


まとめ

 漢字「甘」の解釈に関する限り、唐漢氏の解釈も白川博士の解釈のいずれもかなり無理があるように感じる。甘いという味覚は人類の味覚の中でも最も早くから認識されており、「口に物を入れて味わう」ことを素直に表現した藤堂博士の漢字源の解釈が最も腑に落ちるように思える。ただこのブログのよって立つべき唯物史観から見れば、あまり大きな問題ではないように思う。
  


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2023年10月19日木曜日

漢字「聞と聴」の成り立ちと由来:いずれも「きく」動作を表すが、まったく異なる動作ではないだろうか?


漢字「聞」と「聴」は、古代文字を見る限り、同じ動作を表すとは考え難い


漢字「聞」と「聴」はいずれも「きく」という動作を表すが、古代文字を見る限り、まったく異なる所作でなかった




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漢字「聞と聴」の今

漢字「聞と聴」の解体新書

 
漢字「聞と聴」の楷書で、それぞれ左が「聞」、右が「聴」の常用漢字です。
 いずれも主に「音を耳からきく」ことに使われますが、語彙には微妙な違いがあります。
 これから、原点に戻ってその違いに迫ってみることとします。 
聞・楷書 聴・楷書



 



 

「聞と聴」の漢字データ

漢字「聞」の読み
  • 音読み   ブン、モン
  • 訓読み   きく、きこ(える)

意味
  • 隔たりを通して聞こえる
  •  
  • きく、きいて関係する
  •  
  • きこえる

同じ部首を持つ漢字       𥹢、問
漢字「聞と聴」を持つ熟語    聞、多聞、風聞、見聞
漢字「聴」の読み
  • 音読み  チョウ
  • 訓読み  きく

意味
  • きく。耳を向けてきく。
  •  
  • 聞こうとする意志を持ってきく
  •  
  • きく、したがう

同じ部首を持つ漢字      廰、聽、聖
漢字「聞と聴」を持つ熟語   聴、聴衆、聴講




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漢字「聞と聴」成立ちと由来

引用:「汉字密码」(Page、唐汉著,学林出版社)

 「聞」は会意文字です。甲骨文の形は跪く人が片手で耳を覆いまさに耳を傾けて聞く様子です。人型の上部は特に突き出した耳たぶを示しています。併せて声音の3つの道の横線を示していますこのことから「聞」の本義は傾聴することです。金文は耳を右辺に移しているが、構造は甲骨文を継承しています。小篆は別の途を立てて、改めて字を作って、耳と門の発声ととから会意兼形声文字になっています。まるで一つの耳が貼り付けられて門の中間で傾聴しているかのようです。楷書ではこの縁で「聞」と書きます。簡体化の規則に従い、簡体文字は闻と書きます。

 現代中国語では、「听」という漢字があります。これは「聴」の簡体字で、やはり聞くと解釈されますが、「闻」と「聴・听」の使用には微妙な違いがあります。「听」は動作アクションであり、「闻」は听くことの結果であり、听の結果や听いて見たことを意味します。

漢字「聞」の字統の解釈

〔説文〕に「聲を知るなり」とあり、「往くを聽といひ、来るを聞といふ」とするが、聽(聴)の偏の部分が卜文の聞の初形にあたる。聖 (聖)の初形も、 文はそのに、祝禱の器であるDをそえている形「さい」で、祝して神の啓示を待ち、それを聞きうるもの聖といった。それで聞・聖・聴の字形は、もと一系に属するものである。


漢字「聴」の字統の解釈

旧字は聽に作り、偏は耳と人の挺立する形「てい」、卜文の聞はその形に作る。神の声を聞く人の意で、その旁に祝禱の器のを「サイ」をそえると、聖となる字である。旁は呪飾を施した目と心とに従い、もと目の呪力をいう字である。


この引用枠内は字統からのものではありません

「听」は「聽」の簡体字です。 甲骨の碑文にある「听」という言葉は、「左の耳、右の口」を意味する会意文字です。 金文の最初の部分は甲骨文に倣い、単に「口」を「耳」の形の中に放置しているだけですが、2番目の「聞く」の部分はさらに複雑で、上部は「耳口」の形をしており、古代中国語の「生」と「古」が追加され、過去や起こったことに耳を傾けることを意味します。 


漢字「聞と聴」の変遷の史観

文字学上の解釈

  聞の字形は、戦国期に至ってはじめてみえるもので、字を門声とするものである。 字形字義の推移とともに、その声にもまた 変化を生じたものと思われる。 

まとめ

 漢字「聞」の甲骨文字は象形文字であるが、実に巧みに「聞く」という行動を描写しており、古代人の観察力と表現力に改めて感じ入る。古代文字を分析すると、聞・聖・聴が同一の言葉で、同じ語源を持っているとは驚きだ。また聞くという字形が、戦国時代に至って初めて見えると白川博士はいうが、この字形が甲骨、金文、小篆と時代が移るにつれ、実に革命的な変化を遂げている。この大きな変化の背景には何があるのか、さらなる追求が求められる。
    


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2023年10月8日日曜日

漢字「法」の由来の意味するもの:古代の法体系の確立と漢字・法の変遷


漢字「法」の変遷の意味するもの:背景に古代の法体系の確立の歴史

  本稿は、2021年5月11日に上載したものに加筆し、Reviceしたものである。

 ここ数年、憲法を変えよという意見が高まり、日増しに議論も高まっているように見える。

 そこで今回は、前回の『漢字「法」の変遷の意味するもの:背景に古代の法体系の確立の歴史』の議論に再度全面的に筆を加え、体裁も整えた。


導入

前書き

 漢字「法」はどのようにして生まれ、どのように発展してきたかを取り上げる。

目次




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漢字「法」の今

法・楷書
 そもそも今日にも通じる「法」という概念が生まれたのは、何時頃のことであろう。歴史を少しひも解いてみよう

 中国では前403年を境に春秋時代と戦国時代突入する。
 春秋時代には200以上の諸侯国が、戦国時代には7つの強国(韓・魏・趙・斉・燕・楚・秦)といくつかの小国(魯・鄭・衛・梁など)たがいに覇を争った。
 この過程で、富国強兵を目指し、君主権力を強化して中央集権化を進める手段として、厳格に運用できる成文化された「法」が必要とされた。
 つまり、この頃になって、中国では「法」という概念が、明確になり、やがて国家のあり方を規定するものとなっていく。
 諸子百家といわれる論客が、中原を中心として一帯を歩き回ったのもこの頃であった。この戦国時代は、混沌とした時代であったが、その反面、文明のるつぼの如く、かき回されやがて全国統一への機運を生み出してくことになった。


漢字「法」の解体新書

「法」・古文
「法」・金文
「法」・小篆
 ここに漢字「法」の甲骨文字、金文、小篆の字体を掲げたが、これを一見して感じるのは、甲骨文字から小篆に時代が下るにつけ、より複雑な字体へと変化していることだ。
 一般的には、時代が下るにつれ、文字は単純化され、記号化されるはずなのに、この「法」に限っては、まったく逆の進化を辿っている。これは何を意味しているのだろうか。

 これは「法」という漢字の宿命のようなものではなかったか。初期の頃は、税法は土地の区分などに適応されるにすぎなかったものが、秦帝国にもなると、法体系も複雑になっていったし、臣下に対する威圧のために余計に複雑にする必要があったのではないだろうか。


 

「法」の漢字データ

漢字の読み
  「日本漢字能力検定協会 漢字ペディア」参照 
 
  • 音読み  ホウ・ ハッ[高]・ ホッ[高]
  • 訓読み  のり・ のっとる

意味
  • のり 
     きまり。おきて。「法律」「憲法」
     手本。基準。「法帖(ホウジョウ)」
     しきたり。礼儀。「法式」「作法」
  • てだて。やりかた。「方法」「兵法」
  • 仏の教え。仏の道。「法会」「仏法」
  • フラン。スイスなどの貨幣単位。
同じ部首を持つ漢字     法
漢字「法」を持つ熟語    法、法事、憲法、法則、法面


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漢字「法」成立ちと由来

引用:「汉字密码」(Page、唐汉著,学林出版社)

唐漢氏の解釈

 "法"の繁体字は"水+廌(鹿と馬に似た珍獣)+去”( 池の中の島に廌を押し込め外に出られないようにした様・・漢字源より)と書く。  「説文解字」はこの「サンズイ+廌+去」の字を解釈して、廌を解き放すことだとした。 牛に似て、角が一本で、古代の人は訴訟を決定し、正直でないものに感じさせる 
 許慎が見るところによれば(多くの古人も含め)「廌+去」の字の造りの意味は、歴史的伝説から出ている。
 春秋の時期、斉の庄公はある壬里の臣下が、中里の臣子を相手取って3年の訴訟を起こした。 罪状が判断付きにくかったために、斉の庄公は直ちに「廌」を、即ち神兽獬豸を呼んで彼ら二人の訴状を読ませた。結果壬里国の訴状を読み終わっても獬豸はなんら動きをしなかったが、一方中里の訴状の半分も読み終わらぬうち、獬豸は角で彼を翻した。こうして斉の庄公は壬里国の勝訴の判決を下した。
 この種の角で罪があるかないかを断じる方法は、古人をして会意の方法を用いて、サンズイ+廌+去の字の構造の中に割り込ませることになった。

 実際上金文中の法の字は古代の現実の生活の会意の字から来ている。右辺は一頭の水牛の象形で、左辺の上部は「大」(人を表す)+口(地の穴)の構成の「去」の字である。下部は即ち水の象形の描写である。三つの形の会意は、人が水牛の水中遊泳の方法を見習うことが出来ることを示している。あるものはいわゆる神獣の整理であると説く。小篆の法の字は金文を承継しているが、ただ書の法の字は廌の形を省いて、「法」と書く。 

漢字「法」の字統の解釈

 会意 正字は灋に作り、廌と去と水とに従う。廌は神判に用いる神羊で、獬廌とよばれるもの。
灋の字形は、その敗訴者と、破棄さ れた盟誓とを、訴者の提供した神羊とともに、水に投棄することを示す字で、金文には、これを大き な獣皮に包んで投棄することを示すものがある。その獣皮は鴟夷とよばれるもので、馬を空抜きにしたような大きなものを用いたのであろう。敗訴者は神 を欺き、神を穢したものとして、わが国の大祓のような法式によって、八重潮の潮のかなたに遠く流さ れる。のちその神羊の形である鷹を省略したものが、法である。


漢字「法」の漢字源の解釈

 会意。「水+(シカと馬に似た珍しい獣)+去(ひっこめる)」で、池の中の島に珍獣をおしこめて、外に出られないようにしたさま。珍獣はそのわくの中では自由だが、そのわく外には出られない。ひろくそのような、生活にはめられたわくをいう。その語尾がmに転じたのが 範(biăm)で、これもわくのこと。▽促音語尾のptに転じた 場合はホッ・ハッと読む。


漢字「法」の変遷の史観

文字学上の解釈

春秋戦国時代に活躍した「諸子百家」
  儒家・道家・陰陽家・法家・名家・墨家・縦横家・雑家・農家の九家 (「漢書」 芸文志 ) に、さらに兵家を加えた十家を諸子の学派と考える。これらの内で、 後世にまで影響を及ぼしたものは、儒家・法家の二家と云われている。
 

法家の体系

  儒家の徳により人民を統治するのではなく、成文法によって厳格な規定を定め、法と権力によって国家を治めようと考えたのが法家の人々である。国を治めるには公正で厳格な法の執行こそが最も必要なこととされた。秦の商鞅がよく知られている。理論化したのは性悪説にたった荀子とその弟子の韓非であった。
 法家の思想は、李斯が始皇帝に信任されて秦の統一国家建設の理念とされ、秦の国内では大きな力を奮ったが、秦の没落後は儒家の思想にその立場を奪われることとなる。理論体系としては、儒家の方が包括的で、全面的であったといえるのではないだろうか。




儒家の体系
  儒家は孔子を始祖とする思想潮流で、朝鮮、日本、東南アジアを含め、広く影響を及ぼし、一時は体制に組み入れられ理論的主柱ともなった。しかし、この思想は法体系というより、君子論の色彩が強く、「道」を説いた。



 
「法」の字の本義
 法の本義は「真似る・模倣」することである。「商君の書・更法」の如く、「治世不一道,便国不必法古。」 この事は国家を治めるには一つの道だけではない。ただ国家に有利にするには、必ずしも古きを模倣することではないという意味である。法は模倣の意味。また拡張され、「手段・方法」を表す。また更に拡張され、「見本。標準」の意味にも用いられる。 

まとめ

  

 春秋戦国時代が終わると始皇帝による国家統一が成し遂げられ、焚書坑儒、度量衡の統一、文字の統制など法の力が強まった。これの精神的背景となったのが、法家の思想である。韓非、商鞅、李斯などの思想家や政治家がその担い手となった。逆に言えば「法」という漢字は、それだけの歴史的背景を持って生まれたということができる。

  




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2023年10月6日金曜日

漢字「絮」の成立ち・起源に迫る:プレバト俳句「乳房切除す 母よ 芒の先に絮」の「絮」はどのような時代背景を持ったか?


漢字「絮」の成立ち・起源に迫る

前書き

 2023年10月5日 毎日放送「プレバト・金秋戦」の予選の第一位にノミネイトされたのが、
   「乳房切除す 母よ 芒の先に絮」(春風亭昇吉)
という俳句であった。乳房を切除した母の病室の窓越しにすすきの絮(わた)が風に揺れているのを見ているという情景を詠ったものだ。乳房を切除という大手術の後、乳房を失った寂しさを風に揺れている芒に詠みこんだものだ。
 ここではあまり見かけることのない漢字「絮」の成立ちを調べてみた。

目次




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漢字「絮」の今



漢字「絮」の楷書で、常用漢字です。 読みは「ジョ」と読みます。

訓読みだと「わた・わたいれ」とよみます。やわらかく砕かれたものという意味を持ちます。 




漢字「絮」の解体新書


会意形声。
 (「絮」は「如+糸」で、)如は「口+音符女」の会意形声文字 で、しなやかにいう、柔和に従うの意。
 絮は「糸+音符如」で、 しなやかで柔らかい意を含む。
 この「如」とよく似た言葉に「若」がありますが、この若は巫女が祝禱を前にして舞って祈り、エクスタシーの状態になることを意味している。この若と如は元々アクセントの違うだけの漢字だったろうとの説もある。
 さらにこの「絮」は蚕の繭をゆでて柔らかくほぐした真綿のことだという解釈もあり、「糸」+「如」で、非常に整合性のある解釈である。



  

 

「絮」の漢字データ

漢字の読み
  • 音読み   ジョ
  • 訓読み   わた

意味 漢語字典 参照
  • 厚手の真綿。 
  • ゆるめのコットン。
  • 白くて伸びやすく、綿状に柔らかいと言われています。
  • 衣類や布団などの内側に真綿や綿わたを敷き詰めてください。
  • 古代の頭巾。
  • 優柔不断。
  • 些細なことまで拡張。
  • 退屈。

同じ部首を持つ漢字     如、茹、恕
漢字「絮」を持つ熟語    絮、絮語、柳絮


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漢字「絮」成立ちと由来

漢字「絮」の字統の解釈

 形声 声符は姑。如には、柔らかくくだかれたものの意がある。〔説文〕に「敝れたる緜なり」、すなわち古わたの意とする。
 綿わたの古いもので、最も扱いにくいものであるから、そのようなくり言に近い言動を絮々という。
 

漢字「絮」の漢字源の解釈

  1.  わた。繭を水に浸してひきのばしてつくるわた。 まわた。 きぬわた。 ▽繊維の長いもの(新しいもの)を綿といい、短いもの(古いもの)を絮という。
  2.  動詞 わたを入れる。 「一夜征袍 李白・子夜呉歌〕
  3. わた。綿花でつくったわた。 
  4.  わた。草木の種子についているわた毛。「柳絮 (ヤナギのわた)」「蘆絮(アシのわた)」   「柳色、如姻 絮、如雪[白居易・隋堤柳〕 
  5.  長々と続くさま。綿。 類語 「絮語」 
  6.  姓の一つ。 動詞 食物の味をあえる。調和する。


漢字「絮」の変遷の史観

文字学上の解釈

まとめ

漢字「絮」は甲骨文字の時代には、まだ生まれていなかった漢字であろう。綿花や絹糸の製造がかなり盛んになってから作られた漢字のようである。
   少なくとも、木綿や絹糸を繭や綿花から如何に取り出したかの製造方法の一端をうかがい知れることが分かる。当時の人々の生活の一端を知ることができで面白い。

 
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2023年10月4日水曜日

漢字の「龍」の起源は中国古来のシャーマニズムと強力な権力志向の結びつきにある


漢字・龍は中原の地域で、農業生産の急速に発展を背景に、強力な統一国家的な仕組みを作り上げていく過程を象徴する漢字となった 

 それでは、字が生まれた時代的背景について少し掘り下げてみよう。

 龍は中華民族の精神的な主柱を成す架空の存在である。
 天をも支配するとされた神の化身である「龍」は、頭に辛字形の冠飾をつけた蛇身の獣の形。 

 その起源は古代のシャーマニズム的な信仰に根ざしている。
 その古代的な信仰は、殷周以後にも巫女によって伝えられた。
 この文字が生まれた時期は、華夏民族が中原の地域で、統一国家的な仕組みを作り上げていく段階であった。
 その原型は、かつて内モンゴルと中国東北部の草原に生息していたといわれる鱗状のヘビ、または今も生息する長江ウナギのいずれかであったと考えられている。

 そして、この字は金文から小篆、大篆へと発展するにつれ、次第に皇帝の権力を象徴する存在へと変化を遂げていく。かくして、龍は代々の王朝に引き継がれ、中華民族の象徴になったのである。

このページは以前にUpした以下のページを加筆修正したものです。
  「漢字「龍」の起源の由来:皇帝の権力を象徴する、力強く気勢のある調和の取れた美観を体現

導入

前書き

目次




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漢字「龍」は今、我々の生活の中でどう生きているか

「龍」は、常用漢字表において、「竜」の字が正字とされていて、「龍」の字は参考として示されている。
 そのため、一般的には「竜」の字を使うことになる。
 ただし、「龍」の字は人名用漢字としては使えるので、決して使ってはいけない漢字ではない。

  • 異体字としては、竜、龙などがある。
  • 龍を含む漢字には、寵、瀧、籠、聾などが比較的よくつかわれている。
  • 漢字・龍は一般の用語としては、使われず専ら地名、人名などの固有名詞に使われている


漢字「龍」の分析



「龍」という言葉の原形は、かつて今日の内モンゴルと中国東北部の草原に生息していた鱗状のヘビ、または今も生息する長江ウナギのいずれかであったと考えられている。

中央にある蛇の舌文字はヘビの大きな口、口の中の毒牙がはっきりと見え、ヘビの体は下に曲がっている。 しかし、中国人はそこまで現実的になることを心の底から嫌っており、龍は中国人の想像力の大きな部分を占めている。

青銅碑文の「龍」という文字も 2 つのグラフィックで表されている。 もう一つは線画の「龍」で、このタイプの「龍」は口が大きく、体が丸まり、頭の「文字」が「辛」の形に進化する。 古代、「辛」は捕虜を捕らえる戦争用の拷問器具であったため、東周や西周の時代の「龍」という言葉は、物事の束縛の下での一種の怒りを示し、龍の神秘性をより反映している。風と雨を呼び出すことができ、雲と霧を動かし、自然界の竜巻のより多くの特徴を具体化する。

 この時代は自然に頼った農業生産法が急速に発展した時代であり、また、中華民族の諸属国が過酷な戦争を通じて統一された時代でもあったことが証明される。

 「龙」の字が大きな篆書から小さな篆書へと発展していく様子は、国家が混乱の中から整合性を持ち、見た目も均整の取れた雄大な勢いと調和の美しさを体現する字体となっている。

「龍」楷書
実に堂々とした
美しい字体だ
 小篆の「龍」の字が甲骨文字、金文と比べ、体裁が整えられ、誰が書いても同じ形になるという記号としての役割を担うに足るものになっていることに気が付く。甲骨文字、金文と小篆の間には少なくとも600年程度の期間があり、しかも小篆は始皇帝が李斯に銘じて文字を統一したこともあり、他の二つと比べ文字としての機能には格段の開きがある。
龍・甲骨文字
龍・金文
龍・小篆

「龍」の漢字データ

漢字の読み
  • 音読み   リュウ
  • 訓読み   たつ

意味
  • 天変地異を引き起こす力を持つといわれる巨大な蛇に似た中国の伝説の生き物
  •  
  • 人の力を遥かにしのぐものを表す例え。

同じ部首を持つ漢字     籠、襲、
漢字「龍」を持つ熟語    龍、龍骨、龍神


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漢字「龍」成立ちと由来

引用:「汉字密码」(Page、唐汉著,学林出版社)

中国人・唐漢氏の民俗的解釈

  典型的な甲骨文字は、中央にある蛇の舌、文字はヘビの大きな口、口の中の毒牙がはっきりと見え、ヘビの体は下に曲がっている。 しかし、中国人はそこまで現実的になることを嫌う傾向があり、龍は中国人の想像力の大きな部分を占めている。
 青銅碑文の「龍」の文字は、美的法則の影響を受けやすくなっている。 別の線画の「龍」は口が大きく、体が丸まり、頭の「舌文字」が「辛」の形に進化する。 古代、「辛」は捕虜を捕らえる戦争用の拷問器具であったため、東周や西周の時代の「龍」という言葉は、一種の怒りを示し、龍の神秘性をより反映している。

風と雨を呼び出すことができ、雲と霧を動かし、自然界の竜巻のより多くの特徴を具体化する。 見方を変えれば、この時代は自然に頼った農業生産法が急速に発展した時代であり、また、中華民族の諸属国が過酷な戦争を通じて統一された時代でもあったことが証明される。 「龙」の字の大篆から小篆へと発展していく様子は、雄大な勢いと調和の美しさの体現でもあります。 この「龍」のキャラクターは、貴族的であり、民間的ではなく、徐々に帝国権力と皇帝の特別な象徴へと進化しました。このように龍という字は中国の社会の中で長く使われたため、社会の反映をより跡付けることができるものとなっている。

漢字「龍」の文字学の側面からの白川博士の解釈

 象形 頭に辛字形の冠飾をつけた蛇身の獣の形。

 字は蛇身の獣の象形で、頭上に辛字形の 冠飾をつけている。この種の冠飾は鳳・虎の文形 にもみられるもので、霊獣たることを示すものであ り、四霊の観念がこれらの字形の成立した当時において、すでに胚胎するものであることが知られる。

龍の観念は、その呪霊を駆使する古代のシャーマニズム的な信仰に起原している。 その古代的な信仰は、殷周以後にも巫史によって伝えられた。



漢字「龍」の漢字源の解釈


 象形:もと頭に冠をかぶり、胴をくねらせた大蛇の形を描いたもの。それに色々の模様を添えて、龍の字となった。



漢字「龍」の変遷の史観

文字学上の解釈

金文の「龍」
当時の生産方式の変化は漢民族の
意識の変化を生み、その変化は「龍」
という漢字を生んだ?

この文字が生まれた時期は、穀物の栽培の農業生産方式が急速に発展する段階である。また華夏民族の諸侯国は残忍な戦争を通じて、統一していく段階に入っていた。ゆえに人間を超越したした力を持つ龍、天候を操ることができる龍神信仰が生まれたのではないだろうか。


 そして、この字は金文から発展するにつれ、次第に皇帝の権力を象徴する存在へと変化を遂げていく。

 龍の字の大篆から小篆の発展は力強く気勢のある調和の取れた美観を体現している。この種の龍の字の右半分の躯体はさらに長く変わり、湾曲する必要にいたるまでになっている。左半分の形態もさらに奇異な形状になって、字形は対象になり、一種の落ち着きとしっかりした感じさえ出ている。庶民性は少なくなり、次第に皇帝の権力、帝王の専用のシンボルに変化していった。

 龍の字は原始民の間に恐れおののく意識の中で、古代民衆の現実生活の中で作り出されたものである。龍が一種の偶像になった時、それは自然界の動物の複合体と異なるものを持っていた。

 牛の耳、トラの手、鷹のつめ、蛇の体、魚の鱗。龍の形の龍の字は同じで、完全に一種の仮想で、しかしながらそれは非凡にして突出して、空に掛かる人間界を超越した気勢、奇異にして言葉では言い尽くせない、奥深く計りしれない威力、漢民族に対して語り告げる、子々孫々までの無限の吸引力をもち、為にこのような龍は中華民族の象徴になりえたのである。

まとめ

 龍の字は、長い間使われ風雪に耐えただけに、その文字の変遷は歴史の後付けとして実に興味深い。東晋から西晋、春秋戦国時代は統一までの間、国家は乱れ、蛮族などが中国社会を蹂躙した。しかし、この間思想的には、最も華々しい発展を遂げたと言っていい。漢字にしてもしかり、ほぼ中国の漢字の原型はこの時期に固まったと言える。漢字考古学はここに益々重要性を増すと考える。   


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