漢字「法」の変遷の意味するもの:背景に古代の法体系の確立の歴史
本稿は、2021年5月11日に上載したものに加筆し、Reviceしたものである。
ここ数年、憲法を変えよという意見が高まり、日増しに議論も高まっているように見える。
そこで今回は、前回の『漢字「法」の変遷の意味するもの:背景に古代の法体系の確立の歴史』の議論に再度全面的に筆を加え、体裁も整えた。
導入
前書き
漢字「法」はどのようにして生まれ、どのように発展してきたかを取り上げる。
目次
- 漢字「法」の今
漢字「法」の解体新書
「法」の漢字データ - 漢字「法」の漢字の由来:「法」の変遷はどこからもたらされたか
漢字「法」の唐漢氏の解釈
漢字「法」の字統の解釈
漢字「法」の漢字源の解釈
漢字「法」の変遷の史観
春秋戦国時代に活躍した「諸子百家
法家の体系 - まとめ
儒家の体系
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漢字「法」の今
そもそも今日にも通じる「法」という概念が生まれたのは、何時頃のことであろう。歴史を少しひも解いてみよう 中国では前403年を境に春秋時代と戦国時代突入する。 春秋時代には200以上の諸侯国が、戦国時代には7つの強国(韓・魏・趙・斉・燕・楚・秦)といくつかの小国(魯・鄭・衛・梁など)たがいに覇を争った。 この過程で、富国強兵を目指し、君主権力を強化して中央集権化を進める手段として、厳格に運用できる成文化された「法」が必要とされた。 つまり、この頃になって、中国では「法」という概念が、明確になり、やがて国家のあり方を規定するものとなっていく。 諸子百家といわれる論客が、中原を中心として一帯を歩き回ったのもこの頃であった。この戦国時代は、混沌とした時代であったが、その反面、文明のるつぼの如く、かき回されやがて全国統一への機運を生み出してくことになった。 |
漢字「法」の解体新書
ここに漢字「法」の甲骨文字、金文、小篆の字体を掲げたが、これを一見して感じるのは、甲骨文字から小篆に時代が下るにつけ、より複雑な字体へと変化していることだ。 一般的には、時代が下るにつれ、文字は単純化され、記号化されるはずなのに、この「法」に限っては、まったく逆の進化を辿っている。これは何を意味しているのだろうか。 これは「法」という漢字の宿命のようなものではなかったか。初期の頃は、税法は土地の区分などに適応されるにすぎなかったものが、秦帝国にもなると、法体系も複雑になっていったし、臣下に対する威圧のために余計に複雑にする必要があったのではないだろうか。 |
「法」の漢字データ
「日本漢字能力検定協会 漢字ペディア」参照
- 音読み ホウ・ ハッ[高]・ ホッ[高]
- 訓読み のり・ のっとる
意味
- のり
きまり。おきて。「法律」「憲法」
手本。基準。「法帖(ホウジョウ)」
しきたり。礼儀。「法式」「作法」 - てだて。やりかた。「方法」「兵法」
- 仏の教え。仏の道。「法会」「仏法」
- フラン。スイスなどの貨幣単位。
漢字「法」を持つ熟語 法、法事、憲法、法則、法面
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漢字「法」成立ちと由来
引用:「汉字密码」(Page、唐汉著,学林出版社)唐漢氏の解釈
"法"の繁体字は"水+廌(鹿と馬に似た珍獣)+去”( 池の中の島に廌を押し込め外に出られないようにした様・・漢字源より)と書く。
「説文解字」はこの「サンズイ+廌+去」の字を解釈して、廌を解き放すことだとした。 牛に似て、角が一本で、古代の人は訴訟を決定し、正直でないものに感じさせる
許慎が見るところによれば(多くの古人も含め)「廌+去」の字の造りの意味は、歴史的伝説から出ている。
春秋の時期、斉の庄公はある壬里の臣下が、中里の臣子を相手取って3年の訴訟を起こした。
罪状が判断付きにくかったために、斉の庄公は直ちに「廌」を、即ち神兽獬豸を呼んで彼ら二人の訴状を読ませた。結果壬里国の訴状を読み終わっても獬豸はなんら動きをしなかったが、一方中里の訴状の半分も読み終わらぬうち、獬豸は角で彼を翻した。こうして斉の庄公は壬里国の勝訴の判決を下した。
この種の角で罪があるかないかを断じる方法は、古人をして会意の方法を用いて、サンズイ+廌+去の字の構造の中に割り込ませることになった。
実際上金文中の法の字は古代の現実の生活の会意の字から来ている。右辺は一頭の水牛の象形で、左辺の上部は「大」(人を表す)+口(地の穴)の構成の「去」の字である。下部は即ち水の象形の描写である。三つの形の会意は、人が水牛の水中遊泳の方法を見習うことが出来ることを示している。あるものはいわゆる神獣の整理であると説く。小篆の法の字は金文を承継しているが、ただ書の法の字は廌の形を省いて、「法」と書く。
漢字「法」の字統の解釈
会意 正字は灋に作り、廌と去と水とに従う。廌は神判に用いる神羊で、獬廌とよばれるもの。
灋の字形は、その敗訴者と、破棄さ れた盟誓とを、訴者の提供した神羊とともに、水に投棄することを示す字で、金文には、これを大き な獣皮に包んで投棄することを示すものがある。その獣皮は鴟夷とよばれるもので、馬を空抜きにしたような大きなものを用いたのであろう。敗訴者は神 を欺き、神を穢したものとして、わが国の大祓のような法式によって、八重潮の潮のかなたに遠く流さ れる。のちその神羊の形である鷹を省略したものが、法である。
漢字「法」の漢字源の解釈
会意。「水+(シカと馬に似た珍しい獣)+去(ひっこめる)」で、池の中の島に珍獣をおしこめて、外に出られないようにしたさま。珍獣はそのわくの中では自由だが、そのわく外には出られない。ひろくそのような、生活にはめられたわくをいう。その語尾がmに転じたのが 範(biăm)で、これもわくのこと。▽促音語尾のptに転じた 場合はホッ・ハッと読む。
漢字「法」の変遷の史観
文字学上の解釈
春秋戦国時代に活躍した「諸子百家」儒家・道家・陰陽家・法家・名家・墨家・縦横家・雑家・農家の九家 (「漢書」 芸文志 ) に、さらに兵家を加えた十家を諸子の学派と考える。これらの内で、 後世にまで影響を及ぼしたものは、儒家・法家の二家と云われている。
法家の体系
儒家の徳により人民を統治するのではなく、成文法によって厳格な規定を定め、法と権力によって国家を治めようと考えたのが法家の人々である。国を治めるには公正で厳格な法の執行こそが最も必要なこととされた。秦の商鞅がよく知られている。理論化したのは性悪説にたった荀子とその弟子の韓非であった。法家の思想は、李斯が始皇帝に信任されて秦の統一国家建設の理念とされ、秦の国内では大きな力を奮ったが、秦の没落後は儒家の思想にその立場を奪われることとなる。理論体系としては、儒家の方が包括的で、全面的であったといえるのではないだろうか。
儒家の体系
儒家は孔子を始祖とする思想潮流で、朝鮮、日本、東南アジアを含め、広く影響を及ぼし、一時は体制に組み入れられ理論的主柱ともなった。しかし、この思想は法体系というより、君子論の色彩が強く、「道」を説いた。
「法」の字の本義
まとめ
春秋戦国時代が終わると始皇帝による国家統一が成し遂げられ、焚書坑儒、度量衡の統一、文字の統制など法の力が強まった。これの精神的背景となったのが、法家の思想である。韓非、商鞅、李斯などの思想家や政治家がその担い手となった。逆に言えば「法」という漢字は、それだけの歴史的背景を持って生まれたということができる。
「漢字考古学の道」のホームページに戻ります。
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