2023年10月1日日曜日

漢字「災」に見る自然災害と壮絶な闘い! 今始めよう自然を破壊する手を止めて、自然修復のために個人でもできることから始めよう


漢字「災」の起源と由来

自然災害を表す漢字「災」の生まれにも涙ぐましい歴史がある。古来より、人々が集団で生活するようになって、かなりの力をこの災害に立ち向かうことに費やされてきた。
 古代、中世、近世に至っても、為政者はその力の大部分を治水対策や防災対策に費やしてきた。昔とは比べ物にならないくらい堅牢な堤防や防波堤を築いてきた。

しかしそれでも、東北大震災の経験は、結局は山に逃げることでしか津波からは逃れられないのだと思い知らされた。
 その上、放射能汚染という厄介なものまで作り出してしまった。この災害は自然にはなかったもので、その解決は自然には求めることのできないものだ。

私たち人間は、ここでもう一度立ち止まって「災」を見直す時期に来ている。もう遅いのかも知れない。

導入

自然災害を表す漢字「災」

 今漢字「災」に世界の視点が注がれている。その理由は、気候変動に起因する事が大きいと考えられる。
 集中豪雨、台風、温暖化に伴う異常気象など、今まで対処できたことでも、今ではそのスケールと深さでもはや人間の手に負えないのではないか思えるくらいの深刻さとなって、我々に迫ってきている。

人間の愚かさによる災害が地球を覆う
 問題は、今直面する地球規模の災害は、自然の変化による災害というのではなく、基本的にはすべて、人間が作り出した変化に起因すると考えられることだ。
 ここで取り上げた漢字の「災」の由来は、その殆んどが水害など自然災害であった。 今日では人災と言わねばならなくなってきた。人間というものは、賢明なようであったが、結局はおろかな生物であったようだ。自分は自然を克服したという傲慢さが、結局は墓穴を掘っているだけであることに気づいていない。

 しからばどうするか?人間が作り出した地球規模の変化は、人間が自らの手で修復するしかない。

 そのためにまずは、自然を破壊する手を止めるべきである。今やそれしかほかに道は残されていない。このサイトでも、微力ながら、「自然の破壊するな」の声を上げたい。




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漢字「災」の今

漢字「災」の解体新書

漢字「災」の楷書で、常用漢字です。
 
災・楷書





  
災・甲骨文字
災・金文
災・小篆


 

「災」の漢字データ

漢字の読み
  • 音読み   サイ
  • 訓読み   わざわい

意味
  • 「人に不幸をもたらす出来事」(例:口は災いの元、災難)
  •  
  • 不快な出来事が個人では対処できないくらい降りかかること
  •  
  • 火事や地震など生活上の困難になる出来事

同じ部首を持つ漢字     灾、烖、災、烽
漢字「災」を持つ熟語    災、災害、震災、戦災


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漢字「災」成立ちと由来

引用:「汉字密码」(Page、唐汉著,学林出版社)

唐漢氏の解釈

 「災」甲骨文字のもう一つの書き方は、図の示すところによれば、洪水が横に流れる形である。説文では害なりとしている。古代社会の中の洪水の災難を連想してみれば、この字の形はのこぎりの歯の形のような上下に奔騰する形だ。疑いもなく水害を指している。

 この字が最も恐れられた自然災害の現実的な描写であるが故に、造字の意図が我々の頭上に不可欠的に我々の頭に降臨することになる。



漢字「災」の字統の解釈

 巛と火とに従う。水が ふさがれて溢流する形で、水災をいう。それに火を 加えて、火災の意とする。〔説文〕に「天火を烖といふ」とする。人火を火、天火災という。天火とは落雷や山林などの自然火の意である。古くは災厄は天意によるものとされ、災咎・災祥・災譴・災告・災異のように、天のなす災とされた。のちすべて災・烖を用いる。灾は宮廟の焚ける意である。


漢字「災」の漢字源の解釈

 会意兼形声 卅は川をせき止める堰を描いた象形文字。災は「火+音符(卅)で、順調な生活を阻んで止める大火のこと。


漢字「災」の変遷の史観

文字学上の解釈


 漢字さいにもいろいろある。左のヒエログリフにも見る通り、その災害の原因により字も分けられているようだ。


  • まず流れがせき止められたことによる水害
  • 自然災害よりも戦争、暴動による災害「烖」
  • 大火による災害「災」
  • 神の廟が消失する「灾」

ここでは、時系列的に断定はできないが、文字の発達の具合から見て、流れがせき止められて引き起こされる水害はやはり歴史的にも上流に位置していると考えられ、神殿の火災の「灾」は権力基盤がかなりしっかりと確立されて以降出来た漢字であると推察される。
 それがどうだというのだという向きもあるかもしれないが、この漢字の発展の推移の中にも、人々の苦しみが見えてくるようである。

まとめ

 会意文字であるようだが、甲骨文字にせよ、金文にせよ、まるで象形文字であるかのように生き生きとした人々の姿が描写されている。文字の形に簡略化し、無駄を省いたデッサンとなっており、実に素晴らしい記号化、抽象化がなされていると思う。

  


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