2023年9月30日土曜日

漢字「祭」の由来は神に生贄の肉を捧げる儀式だった


漢字「祭」の成り立ち:会意文字 「肉+又(手)+示(祭壇)」からなる。 実は神に生贄の肉を捧げる凄惨な儀式だった


この記事は「生贄を神に捧げる儀式を表現。太古の祭りは残酷だった」を加筆修正しています。

  太古の昔、自然の猛威の前に人々はなすすべもなく、ただ収まるのを待つだけだった。このような中で、人間が自然をも超越した「力」の到来に期待するのは当然であった。
 このような願いはごく自然なことで、そのような願いはやがて自然をも超越する「神」の存在に形を変え、人々の意識の中に沈着することとなった。

  人々の前に立ちはだかる力が大きければ大きいほど、神の存在は大きくなり、神の怒り、神の慰撫のために生贄も大きくなった。

 このことが、このページで触れたように、生贄を捧げる「祭」がともすれば残虐で、血に飢えた魔物が欲するような形になったと考えられる。






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漢字「祭」の今

 上古先民は神を喜ばせ、神の施しを受けることで自分たちの命を永らえることができると信じていた。

 「祭り」はそのために生贄を生きたまま神に捧げるという残酷な儀式であった。上古先民は血の滴る肉片を祭卓に載せ神に捧げることを進んで喜んで行っていた。 したがって祭りは神に祈りを捧げるための重要な儀式であった。

 そして漢字「祭」にはそのことをあからさまに示す跡が残されていた。


漢字「祭」の解体新書

漢字「祭」の楷書で、常用漢字です。
同じく「まつり」と読む漢字「祀」を取り上げました。この漢字は生贄を祀る儀式とは異なり、「自然神」を祀ることをいう。

 また同じく「まつり」と読む漢字で「祠」という漢字があるが。この漢字は、祝詞を開くことを示す字であり、その祭儀をいう言葉である。

 このように読みは同じであるが、その意味は全く異なる。 
祭・楷書


  
祭・甲骨文字
祭・金文
祭・小篆


 

「祭」の漢字データ

漢字の読み
  • 音読み   サイ
  • 訓読み   まつり

意味
  • 神をまつる、物事が滞りのないように祈る
  •  
  • 先祖を、物を供えてまつる
  •  
  • まつり
  • 尚、記念、祝賀などの為に行う行事については、日本でのみ行われ、国外ではあまり関係がない

同じ部首を持つ漢字     蔡、際
漢字「祭」を持つ熟語    祭、祭典、地鎮祭


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漢字「祭」成立ちと由来

引用:「汉字密码」(Page、唐汉著,学林出版社)

唐漢氏の解釈

  「祭」、これは象形文字であり表意文字です。甲骨文にある「祭り」という言葉、右は又(手を表します)、左は肉片、中央の小さな点は肉片に滴り落ちる血を表しています。全体的な意味は、古代の祖先が先祖の神々に犠牲を払うために殺されたばかりの新鮮な肉を使用した儀式を意味しています。

 金文の「祭」という言葉は、血の滴のドットを省略していますが、犠牲の主題と方法を強調して、祭壇または祖先の位牌を表す「示i」という言葉を追加しています。
  小篆の「祭」は、金文を継承し、美しい字体とより対称的な構成になっています。楷書では、この関係で「祭」と書かれます。


漢字「祭」の字統の解釈

 会意文字。肉と又と示とに従う。示は祭卓です。その上に肉を供えて祭る。祀が自然神を祀るときの字であるの対し、祭は人を祭るときの漢字である。甲骨文の字体は色々ある。中には生々しいものもある。先に挙げた字体に比べここに挙げた甲骨文は、血が滴り、肉が焦げる臭いまで伝わってくる。




漢字「祭」の漢字源の解釈

 会意文字 「肉+又(手)+示(祭壇)」肉のけがれを清めて供えることをあらわす。



漢字「祭」の変遷の史観

文字学上の解釈

「祭り」は生贄を生きたまま神に捧げるのは、現在から見るときわめて残酷な儀式であった。

その痕跡は世界各地に残された数々の痕跡。
 ともすれば犯罪を犯しているかのごとき評価をすることさえ見受けられる。
  •  日本では、魏志倭人伝には卑弥呼の死に際して、100人あまりの奴婢が殉職させられた記録や諏訪大社の御柱にまつわる伝説、静岡県三股淵の付近では人身御供を伴う祭りが12年毎に行ったという言い伝えが今でも残されている。これは神の怒りを静めるための祭りであったといわれている。

  • 中国では 殷代の紂王以前には、生贄を捧げられ、神の意思を確認したとみられる甲骨文字が出土している。また、殷墟からは850人もの軍隊の人骨や戦車が出土している。あの残虐非道といわれる紂王ですら、奴隷の生贄を中止させたといわれる「慈悲」の心を持っていたと伝えられる。その行為が彼の「慈悲心」から来るものなのか、生産性が下がることを恐れる「合理性」からくるものかは今は分からない。

  • 現代のペルー首都に近いところで1400年代に栄えたチーム王国で140人以上の子供と200頭以上のリャマの生贄して捧げる儀式が行われミイラが残されている

  • また、アルゼンチンの北部の山頂で1999年、インカ帝国時代の子どものミイラ3体が発見されており、保存状態が極めてように安らかな表情で調べているということである。

  • 古代メキシコに出現し強烈な輝きを放ちながらわずか200年ほどで消滅したアステカ王国では、壮大な生贄の祭りが行われたその真髄は人間の血を神々に捧げ神の生き血を人間がいただくことであった。


 このように世界各地の民族で、時の権力者たちが、多くの生贄のささげ、自らの権力を保持するために壮大な祭りを取り行って来た。祭りは現代で喜びや華やかさのみが残ってはいるが、その歴史は実に血生ぐさい歴史の連続であった。

祭りにおける神への祈りと喜びを享受することが乖離
 しかし生産の発展とともに、人々の神への依存が少なくなって、祭りにおける神への祈りと喜びを享受することが乖離するようになった。
 祭りには文化祭、歌謡祭、感謝祭、音楽祭など色々あれど、神々の匂いを感じさせるものは今は殆ど見ない。そして、近頃では、例えばハロウィーンの祭りの如く、人々がかぼちゃの仮面を被って娯楽の側面がクローズアップされているが、これはもともと「収穫祭」といわれ、収穫の喜びを表わし、神々に感謝の意を示すものでした。
 ところがこれに商業主義が乗っかり、神に感謝することからはなれ、単なるお祭りで騒ぐことに変化してしまっています。

 この原意との乖離の是非はともかく、漢字の世界にも同じようなことが起こっています。

 お祭りで楽しく過ごすこともいいのかもしれませんが、元々は、そもそもは「祭」は神に祈りを捧げるための重要な儀式であったということを思い起こし、一歩後ろに下がって考えてみることもいいことではないだろうか?


まとめ

  祭りは神に人間が生きていること、この世界に自然という恵みを与えていることに対する感謝を表すという崇高なものでした。しかしその実際の姿は、人身御供の世界があり、単に稲や果物や魚などの珍味だけではなしに、奴隷たちが焼かれたり生き埋めにされたりする世界がありました。時には生きたまま体を切り裂かれ内蔵を引き出されるというおぞましい世界もありました。

  人類の歴史には綺麗ごとだけでなく、生々しい惨たらしい世界が長く続きました。そして何より、人類はそのような血だらけになりながらの歴史の中で生きてきた結果として今の私たちがあるということです。
  そしていまでは、祭りには文化祭、歌謡祭、感謝祭、音楽祭など色々あれど、神々の匂いを感じさせるものは見え辛くなってきている。

 漢字の中には人々の営みが刻まれているが、長い歴史の中で、概念が変遷し全く異なるものに変質することも多い。私たちは、漢字を通して、人々の営みをリアルに明らかにすることもまた今必要とされていることと思います。

  


「漢字考古学の道」のホームページに戻ります。   

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