2026年2月2日月曜日

災の被害を実践的に捉え直す。命を守る回避策!


『災』の被害を実践的に捉え直す。命を守る回避策!


                                                                                              

『災』の被害を実践的に捉え直してみた

災害のリスクを回避し、軽減するために何をすべきかを明かにすること。まずは身辺のチェックをして、危ないと感じるときはその場で方策をとる。あと回しにしない。準備が必要な時は必ずチェックリストに書き出しておく。  災害から生み出される被害には、実際の身体的傷害の他に下記に掲げるような様々な「桎梏(しっこく:自由な行動を制限する、逃れられない苦しい拘束や障害)」には、物理的な破壊、生活インフラの停止、心理的・経済的な負担、そして社会構造の歪みなど、多岐にわたるものが存在します。

災害から生み出される『桎梏』
  主なものとして、以下のような側面が挙げられます:

  1.物理的・機能的な桎梏
  • 移動の制限と孤立:道路の崩落や浸水、土砂崩れにより、物理的に避難や移動が困難な状況に追い込まれます。
  • 生活インフラの喪失: 停電、断水、下水道の停止、通信途絶などにより、健康で文化的な最低限の生活が強制的に制限されます。

  2.経済的・社会的な桎梏
  • 生活再建の壁: 住居の喪失に加え、修繕や再建に伴う膨大な費用、職を失うことによる収入源の絶たれ、二重ローンの問題などが、将来の選択肢を奪う足かせとなります。
  • 供給網の断絶: 地震や洪水によるサプライチェーンの混乱は、地域社会の経済活動を長期にわたって停滞させます。

  3.精神的・心理的な桎梏
  • トラウマと喪失感: 大切な人や家、慣れ親しんだ環境を失ったことによる強い悲嘆(グリーフ)や、心的外傷後ストレス障害(PTSD)が、その後の前向きな行動を妨げる精神的な枷となります。
  • サバイバーズギルト: 「自分だけが助かった」という罪悪感が、被災者の心を長期間にわたり縛り続けることがあります。 環境変化によるストレス: 避難所生活や仮設住宅、見知らぬ土地への転居といった生活環境の激変は、日常的な不安や孤立感を生み出し、社会的なつながりから個人を切り離す制約となります。



災害がもたらすこうした「目に見えない鎖」を解くためには、物質的な支援だけでなく、災害ケースマネジメントを通じた個別の生活再建支援や、DPAT(災害派遣精神医療チーム)などによる継続的な心のケアが不可欠です。

「災害」最近、毎日のよう地震や津波が襲う、火山も加え地球は壊れ始めている。わずか数千年間であるが我々は地球の環境を改編した責任を負っている。 果たすべき責任は唯一つ、地球の修復に手を貸すことである。「逃げ得は許されない」
音声プレイヤーの「▶」でお楽しみください。

本体記事は「災の被害を実践的に捉え直す。命を守る回避策!にあります。ぜひご一読を!



導入

このページから分かること

現代社会で、人間に降りかかる災害を細かく分析した
「特設サイト公開のお知らせ」
「漢字ブログの番外編」として、本気で防災を考え直すページ「『災』の実践的再定義」を作りました。



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まえがき

地震のニュースが続くと、どうしても不安が胸に残るものです。日本に住んでいる以上、**「備え」と「心構え」**は自分を守るための大事な武器になります。 まずは“これだけ押さえておけば大きく違う”というポイントをまとめてみます。


1. 将来、自分はどのように生を全うするかの覚悟

「日本沈没」の紹介とレビュー

ここでは、各論に入る前に、これから出くわすであろう様々な災害や、変動全体を俯瞰するという観点で、小松左京の「日本沈没」をざーと見直したいと思います。
この作品は2005年に初版が出されたということです。私は第1部、第2部の上下共に読み感動したのを覚えています。

この第2部では、日本列島沈没を逃れて、海外で、亡命(?)生活を送る人々のことが書かれています。いま日本に多くの外国人が移り住んでいますが、立場を変えてみると、これらの人々と「日本沈没」に描かれた日本人の姿とがダブって見えます。明日のわが身とも考えられないことと思い返しています。昔の小説のことでもあり、このようなラジカルなことは現実には考えにくいですが、昨今の地震の情報や、日本の経済状況、世界各地の紛争などを見れば日本人の身の上にも起こりうることと考えざるを得ないと思います。
 私はいたずらに人々の不安を煽り、施錠不安に導こうなどとは決して考えていません。むしろ日々平和であって欲しいと願っていますが、人々が心の底で、しっかりした覚悟を以て、ことに臨めば、逆に徒に風評やデマに流されないのではないかと考え、敢えて、厳しいことを提示しているわけです。

「日本沈没」の紹介とレビュー


第1部(上) ― 日本列島異変の兆候と発見
  • 深海潜水艇「わだつみ6500」のパイロット・小野寺俊夫と地質学者・田所雄介が伊豆・小笠原海溝付近を調査し、海底地殻の異常を発見する。
  • 田所は、日本列島の下にあるプレートが不安定化しており、列島そのものが沈降する可能性を直感する。しかし政府や学界は田所の説を相手にせず、彼は孤立する。
  • 一方で、全国で地震・噴火・地殻変動が頻発し、異常が徐々に表面化していく。
  • 小野寺と田所は、より確実な証拠を得るため再調査に向かう。
  • → 第1部上巻は「異変の発見」と「警告の始まり」が中心。

第1部(下) ― 科学的確証と国家レベルの危機認識
  • 田所の理論が次第に裏付けられ、政府は事態の重大さを認めざるを得なくなる。
  • 内閣は極秘裏に「D-1計画」を発動し、日本沈没の可能性を前提にした国家存亡レベルの対策を検討し始める。
  • しかし、国民には真実が伏せられたまま、災害は加速度的に拡大。
  • 小野寺は、災害の中で出会った女性・阿部玲子との関係を深めつつ、国家的危機の渦中に巻き込まれてく。
  • 田所は沈没のタイムラインを算出しようと奔走するが、事態は予測を上回る速度で進行する。
  • → 第1部下巻は「国家が危機を認識し、沈没が現実味を帯びる段階」。

第2部(上) ― 日本沈没の確定と国家崩壊の始まり
  • ついに政府は「日本列島の沈没が不可避」であると確定し、国民への公表を決断する。
  • 公表後、日本中でパニック・暴動・経済崩壊が連鎖し、社会秩序は急速に崩れていく。
  • 各国との移民交渉は難航し、日本人の受け入れ枠は限られ、国際政治の冷徹さが露わになる。
  • 小野寺は玲子と共に混乱の中を生き抜こうとするが、国家の崩壊は止められない。
  • 田所は沈没の最終的な進行速度を割り出すため、命を削るように研究を続ける。
  • → 第2部上巻は「国家崩壊の現実」と「日本人の行き場のなさ」が中心。

第2部(下) ― 日本の最期と日本人の未来
  • 日本列島は東から順に崩壊し、都市が次々と海に沈んでいく。
  • 国民は世界各地へ散り、国家としての日本は消滅する。
  • 小野寺と玲子、田所ら主要人物は、それぞれの立場で「沈みゆく祖国」と向き合う。
  • 国外に脱出した日本人たちは、新天地での生活に適応しようとするが、アイデンティティの喪失や差別など新たな問題に直面する。
  • 物語は、国家を失った後の「日本人とは何か」というテーマへと収束していく。
  • 終盤では、沈没の最終局面と、日本人の未来への希望が対照的に描かれ、壮大な幕を閉じる
→ 第2部下巻は「日本の最期」と「日本人の再生」がテーマ。

「日本沈没」に照らして自らの覚悟を決めておこう


2. 災害に直面して 日常から意識しておく「心構え」

1. “自分の身は自分で守る”という気持ちを固める

 阪神淡路大震災の時神戸の自宅で、経験したことを踏まえて以下のことを提案します。
 防災というと、すぐにヘルメットだの、防災リュックだのに頭がいきますが、何よりもまず、今この瞬間に何か起きたらどうすべきかを絶えず頭に置いて行動するべきだと思う。
  • 最初の直撃は何としても回避せよ
      ここで意味することは、災害は突如としてやってくる。
     就寝中でも、容赦はしない。どんな時にも最初の直撃だけは避けるよう頭に置いて行動すべしということである。就寝中にものが落下してきて、下敷きになるとか、歩行中に大きな揺れに襲われることでも、ありうべきこととして心構えをしておくべきである。武士でもあるまいしと思われる方があるかもしれないが、ほんのちょっとした気配りで障害を避けることが出来る。
     例えば寝るときでも、窓から離れて寝るとか、厚手のカーテンを閉めるとか、心配りが出来ることはあるはずだ。
  • 自分の置かれた状況を冷静に判断せよ
  • 自分と身内の身の安全が確保されたら、近所、知り合いの援助に手を出すべし
  • 誰の助けもなくとも、1週間は生活できる備えをすべし

2. 家の中の危険を減らす
  • 家具の固定(特にタンス・本棚・冷蔵庫)
  • 寝室には倒れやすいものを置かない
  • ガラス飛散防止フィルムを貼る こうした“事前のひと手間”が、実際には命を守ることにつながります。 

3. 避難の判断を迷わない

 「大丈夫だろう」は危険。 津波警報・避難指示が出たら、迷わず高い場所へ移動する姿勢を持っておくことが重要です。



3. いざという時の「行動の基本」

揺れている最中
  • まずは頭を守る(机の下・クッション・バッグなど)
  • 無理に移動しない
  • 火を使っていても、揺れが収まるまでは消火に向かわない
揺れが収まったら
  • 出口を確保(ドアを開ける)
  • ガスの元栓を閉める
  • 家族の安否確認
  • ラジオやスマホで正しい情報を得る

4. 備蓄は「完璧じゃなくていい」


備蓄は「完璧じゃなくていい」 よく「3日分」と言われますが、最初から完璧を目指すと疲れます。 まずは次の3つだけでも十分スタートになります。
  • 水(1人1日3Lを目安に、まずは1日分から)
  • カップ麺やレトルトなど“普段食べるもの”
  • モバイルバッテリー 
できるところから少しずつ”が長続きします。

  

5. 家族や身近な人と話しておくこと

家族や身近な人と話しておくこと
  •  集合場所
  •  連絡手段(災害用伝言ダイヤルなど)
  •  ペットの避難方法 
こうした話し合いは、実際の混乱を大きく減らします。

まとめ

   防災は「恐怖」のためではなく、一日でも長く、大切な人と笑って過ごすための「愛情」です。 できるところから少しずつ、今日から始めてみてください。ただ焦るのではなく、人間一人一人が自分の頭で考え、行動を起こすことが求められている。

 

  


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2025年12月8日月曜日

古代人は年の移り変わり(干支)に何を求めたか

2026年の干支は「午」。「馬」ではなく、実は「へその緒」だった!


==== サブタイトル====

 干支という天体の動きを表すのに、古代人が身近にある人間の出生を当てはめたのかもしれないという説は、かなり説得力のあるものだと思います。
 そもそも、人間と馬の関わりは、歴史的に非常に深いものです。馬は古代から現代まで、人類の移動手段や農耕、戦争、交流などさまざまな面で重要な役割を果たしてきました。

 非常に人間の出生の過程と脳歴という重要な二つの概念が、ここで結びついたという点で、歴史的に大切なことであったのかも知れません。
 最初の馬の家畜化は、紀元前4000年ごろの中央アジアで始まったと考えられています。この時期、野生の馬は狩猟の対象であり、人々は馬の肉や皮を利用していました。しかし、やがて人々は馬を乗り物や荷物の運搬手段として使うようになり、農耕や交易の発展に貢献しました。
 一方干支の歴史は、3000年以上前の中国・殷王朝で「十干十二支」として日付の記録や占いに使われ始めたのが起源とされ、干支として馬が登場するようになったのは、家畜化が始まった時から千年ほどの後のことです。
 馬が野山を駆け巡る姿を、子供の成長を重ね合わせていたのかも知れません。 なぜ古代人はへその緒を文字にするほど重要視したのか?その答えは『死亡率』にありました。古代人が子供の無事をひたすら思う、切実な願いが見えてくる。

     

導入

 2026年は「丙午(ひのえ・うま)」です。これは十干の「丙(火の陽)」と十二支の「午(うま)」が組み合わさったもので、躍動感や行動力、前向きなエネルギーに満ちた一年になるとされ、新しい挑戦を始めるのに良い年とされています。
 この十二支は人間の出生の過程を表したものであるという説も古くからある。従ってこの場合漢字は「午」であって、「馬」ではない。
ちなみに漢字源によれば、「午」と「馬」にはなんの関係もないが、旧く人々に干支を知らしめるため、動物を割りあてたのが、その起源とされる。

このページから分かること
  • 漢字「午」の成り立ち
  • 日本の平均年齢
  • 古代は異常に低かったこと
  • 江戸時代までは人生40年が普通 



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まえがき

漢字「午」の成立ちと由来

引用:「汉字密码」(Page、唐汉著,学林出版社)

干支の「午」:甲骨、金文、小篆、楷書
漢字・陽の4款
漢字の主たる説明(唐漢氏の解釈)
 「午」の構造的な形はへその緒である。その物象は嬰児に起こる一定の時間の課程を経て、脱落してきたへその緒である。嬰児の身上から脱落したへその緒は大体7日から15日であるようだ。) このとき嬰児が最初の夭折 (若くして亡くなること)を無事過ごすと、慶事に値することになる。
 つまり、古代においては、この時期こそが人間が生れ落ちて、確かな生命の営みを辿るまで、人間に課せられた最初の試練だったといえよう。


漢字「午」の漢字源の解釈

 時刻では 現在の正午およびその前後の二時間、方角では南、動物では馬に当てる。
 馬に当てたのは農民がおぼえやすいように十二支に動物を配した秦漢の農暦の影響で、本来は、馬とは何の関係もない。


古代人の年代別の死亡率

 古代の年代別死亡率は、現代とは大きく異なり、乳幼児期の死亡率が非常に高く、成人まで生き延びた場合でも、その後の平均余命は現代よりかなり短かったことが特徴です。
主な特徴は以下の通りです。
1. 非常に高い乳幼児死亡率
 古代において、生まれた子どもの半数近く、あるいはそれ以上が成人になる前に亡くなっていました。例えば、18世紀のウィーンでは5歳までに約半数が死亡しており、古代日本でも同様の傾向が見られます。
 これは、栄養不足、非衛生的な環境、医療の欠如、疫病などが主な原因でした。


 左の表にみる通り、古代における乳幼児の成長率は極めて低く、縄文時代には7割以上が若年のうちに死亡していた。
 特にへその緒のとれる夭折期までの死亡は多くこの時期を過ぎて生き延びることは、まさに祝いものであった。このような事情があり、多くの地域で幼児を非常に大切に扱っていた。
 日本でも「へその緒」を大事に保存する風習が未だにみられるのも、このような事情があってのことと思われる。


2. 成人後の余命
乳幼児期という最も危険な時期を生き延びた場合、ある程度の年齢まで生きることは可能でした。しかし、それでも現代のように高齢になるまで生きる人は多くありませんでした。

明治以降の急激な平均寿命の推移
明治時代(1868〜1912年頃): 40歳前後。
昭和前半: 50歳台に。
1950年頃: 男女とも50歳超え。
1950年代: 60歳台(男性63.60歳、女性67.75歳など)。
1980年代: 70歳台に到達(男性73.35歳、女性78.76年など)。
2022年: 男性81.05歳、女性87.09歳。

へその緒の文化

へその緒の文化

へその緒に関する文化は、国や地域によって大きく異なります。特に日本では、母子の絆の象徴として大切に保管される独特の文化が根付いています。
日本の文化
 日本では、江戸時代初期からへその緒を保存する風習が広まったとされています。

  • 保管の理由: 「記念に残しておきたい」という思いや、「母と子がずっと一緒につながっていられる証」として大切にされます。神秘的な力が信じられ、お守り代わりに保管されることもありました。
  • 保管方法: 乾燥させた後、湿気を避けるために「へその緒入れ」と呼ばれる専用の桐箱に保管するのが一般的です。多くの産院では、おとめマークなどをあしらった臍箱を用意し、退院時に渡してくれます。
  • 処分のタイミング: 保管期間や処分の明確な決まりはありませんが、母親や本人が亡くなった際に、棺に入れて火葬するという言い伝えがあります。これは、冥土で閻魔様に子どもを産んだ証拠を示すため、あるいは来世でも親子の縁が続くようにという願いが込められています。

世界の文化
 へその緒を大切に保管する風習は、実は日本と一部のアジア地域だけに見られるもので、他の多くの地域では出産後に処分されるのが一般的です。
 へその緒を切る人: 海外では、夫や母親自身がへその緒を切る国が多いですが、日本では安全上の理由から、原則として医師や助産師などの医療者が行います。

その他の慣習:
 韓国の一部地域では、へその緒を新生児の太もも付近まで伸ばして切り、乾燥させて保管する伝統的な風習がありました。
 ジンバブエなど、へその緒を腰に巻き付けるといった独自の慣習を持つ国も存在します。
 現代では、へその緒や胎盤(胞衣)は、法律に基づき適切に処理されますが、その一部を希望に応じて受け取り、自宅で保管するかは各家庭の判断に委ねられています。

へその緒の文化(世界)
 一般的な処分: 日本や一部のアジア地域を除き、多くの国ではへその緒は医療廃棄物として処分されることが一般的です。

 特定の慣習: ジンバブエなど、へその緒を腰に巻き付けるといった独自の慣習を持つ地域も存在します。

その他の興味深い出産・産後文化
産後の過ごし方:
 中国では、産後1ヶ月間は「坐月子(ズオユエズ)」と呼ばれる期間があり、外出やシャワーを浴びることが禁止され、授乳以外はほとんど起き上がらずに過ごすという文化があります。
 アメリカの産後の入院期間は、日本が自然分娩で5日から1週間程度なのに対し、通常48時間以内と非常に短いです。

出産祝い:
 中華系のお祝いとしては、赤ちゃんの生後1か月に親戚や友人を招いて祝う「満月(マンユエ)」が一般的で、この際に「満月弁当」が配られます。
 欧米では、日本のおむつケーキのような贈り物が人気です。

出産の場所:
 ボリビアなどでは、妊婦に寄り添う「伝統的なお産」が求められる傾向があります。
 フランスや北米、ヨーロッパ諸国では、無痛分娩の利用率が非常に高い(フランスで80%以上)という特徴もあります。
 国や地域によって、新しい命の迎え方や産後の過ごし方に対する考え方は大きく異なることがわかります。

まとめ

  1. 旧石器時代前期(260万〜20万年前): 12万5千人程度
  2. 旧石器時代中期(20万〜4万年前): 100〜120万人程度
  3. 旧石器時代後期(4万〜1万3千年前): 220〜300万人程度(人類の生きた最古の時代)
  4. 縄文時代(4万〜1万3千年前):日本列島では数千人程度しかいなかったのではと推定されています

これらの時代は生まれても、生き残る方が稀という時代ではなかったといわれています。ネアンデルタール人が絶滅したのも、理由は色々考えられるが、彼らは小さな集団で生活していたために、食料を十分に確保できなかったことも理由の一つと考えられている。
 人類も極めて初期は子供を産んでも産み落とすようなことであっただろうが、ある程度衣食足りるようになってからは、子供もきちんと育てることが自分たちが生き延びるために必要と認識したのであろう。


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