ラベル の投稿を表示しています。 すべての投稿を表示
ラベル の投稿を表示しています。 すべての投稿を表示

2023年10月30日月曜日

日本人のDNAまでなった「和」の精神! 漢字「和」の成立ちと由来は如何に


漢字「和」の成立ちと由来は? 漢字「和」の地政学に迫る!





**********************

漢字「和」の今

漢字「和」の解体新書


漢字「和」の楷書で、常用漢字です。
 「和を以て貴しとなす」は聖徳太子が十七条の憲法に書き込んだものですが、元々の原典は「礼記―儒行」であるということです。
 この言葉は、良くも悪くも日本人の精神的を背骨なすものとなっているといえましょう。
 今や「和の精神」は日本人のDNAとなったといっても決して言い過ぎではないでしょう。

 その理由は地政学的に言っても、日本の立ち位置がこの言葉で最もよく言い表されていると考えるからです。

 しかし、ここでは「和」という言葉の起源について、その大本から迫りたいと思います。
和・楷書


  
 甲骨文字に「和」は見当たりません。あるのは「禾」と「口」(口もしくはサイ)だけです。すなわち甲骨文字の時代にはこの二つの文字はまだ「会意」をしていなかった。白川博士の説によると、「禾」は軍門に立てる標識で、和議を行い、サイに誓いの文書を入れることからこの二つの文字が、生まれたということである。  
和・金文
和・小篆



 

「和」の漢字データ

漢字の読み
  • 音読み  サイ
  • 訓読み  やわらぐ、なごむ

意味
  • やわらいだ様
  •  
  • なごやか
  •  
  • 分けないで、個々のものを取り立てる

同じ部首を持つ漢字     和、私、秀、秤
漢字「和」を持つ熟語    和、和解、和議、平和


**********************

漢字「和」成立ちと由来

  金文と小篆を提示する。金文と小篆はほ変化はない。ということは、この二つの文字は並行して用いられたか、極めて近接した時間に用いられたかの推察される。あくまで筆者の独断と偏見で偏見かも知れないが・・・。  





漢字「和」の字統の解釈

 会意 禾と口とに従う。 禾は軍門に立てる標識で、 左右両禾は軍門の象。 口はサイ、祝禱を収める器で、 この字においては軍門で盟誓し、和議を行なう意である。
 和の訓義は甚だ多く、字書に三十数義を列するが、みな軍門和議の義からの引伸の義である。
 [中庸]に 「發して節に中る、これを和といふ。和なるものは、 天下の達道なり」とあって、和は最高の徳行を示す語とされている。


ここで、このブログの筆者から字統に対して「禾」がなぜ軍門に立てる標識となり得たのかという疑問が湧いてくる。

漢字「和」の漢字源の解釈

     会意兼形声。禾は栗の穂のまるくしなやかにたれたさ まを描いた象形 文字。窩 (まるい穴)とも縁が近く、かどだたない意を含む。和は 音符。



漢字「和」の変遷の史観

漢字「和」の地政学

漢字「和」の地政学
 「和」という概念は、中国で生まれ、中国と日本で育まれてきた。とりわけ日本では、日本人の精神的構造の基幹をなしているものと考えられている。このことだけで日本の精神構造を云々することはできないが、日本人を考えるときに避けて通ることはできない。

 「和」の精神が日本人の精神構造の基幹を成すに至った要因に日本の地政学的な考察が加えられるべきと考える。

  1.  まず中国にしろ日本にしろ極東にあるということである。中国の方はかなり大きくむしろアジアのかなり大きな部分を占めているので、極東ということに関して言えば日本が該当する。極東という言葉は、当然のことながら地理的な面で、中心にいないということと同義語である。 
  2. 地理の中心にいないということは別の面から言えば、文化の中心にいることが難しくなるということにもつながる。このことは別の面から言えば、他からの干渉をそれほど大きく受け難いということでもある。 
  3. 第三に日本は島国である。しかもイギリスなどと違って大陸との間は泳いで渡れるような距離にはない。大陸から日本にわたるには、それなりに大きな船と航海術が必要である。かの蒙古が日本に大艦隊を率いて侵入を試みたにもかかわらず失敗に終わった。 
  4. 第四に小国といえども日本はそれなりに大きな面積を擁しており、そこそこの人口を養うだけのキャパシティを持っている。 
  5. さらに日本は気候が比較的温暖で、食料を求めて外部に進出しなければならないほどではなかった。


  6. 以上のことから日本は他国からあるいは多民族が食指を動かすほどの存在にはならなかった。日本とほぼ同等の面積を有する朝鮮半島は陸続きであるために、中国から恩恵はうけることができると同時に、絶えず中国の脅威に晒され続けできた。
      また中東で言えばトルコは西洋と東洋の間に位置し、文化的交流の中心になったと共に、他民族の攻撃の的となったことも多い。その反面、オスマントルコとして一時は世界地図を塗り替えるほどの勢力を持った事もある。

     これから考えると日本は他の民族のあるいは他の国の侵略を受けることもさほどなく、外部に出て行って食料を確保するしなければならない状態でもなかった。外に出て行くには目の前に横たわる海を越えるだけの大きな困難を克服しなければならなかった。
     以上のことから考えて、日本人は必然的に外部に向かうよりも、内部に向かう思考に偏っていったのではなかろうか。このことは良い悪いの問題ではなく、日本人の精神構造の背骨をなすものと考える。ここで聖徳太子の唱えた「和を以て貴しとなす」という概念は大きな意味を持つ。
     中で内部で、互いに喧嘩することなく仲良く和やかにいることを大切にするという思想は、日本人のあり方にぴったりと嵌ったのではないだろうか。
     このことは日本人が自己主張をしないという性癖も善悪ではなしに日本人というものはそのようなものだと受け入れられたであろう。  聖徳太子以来、江戸末期の黒船に至るまで、日本に居住する民族はこの地位に甘んじることができた。

     しかし黒船以来、他国との交流が活発となり、人々は世界中を行き来するようになって、日本人も日本の小さな国土の中に甘んじることはできなくなった。日本人の精神的構造と日本人自身の在り方の矛盾に晒されているのが現在の日本であると考える。

    まとめ

      近年、世界で起こった出来事に対し、とかく日本人の対応が云々されることが多くなった。これは今日のように国境が低く、人びとや経済の流れが活発になった点からいえば、ごく自然な成り行きである。
     この流れに追い打ちをかけるように、インターネットなどに代表される情報の大洪水が押し寄せてきて、日本もご多分に漏れず吞み込まれつつあるように思う。
     現代は昔と違って国境がなくなり、他の国で起こったことはたちどころに日本にも激震となって及んでくる時代だ。前のように海を隔てた遠いく国で起こったことと泰然と構えておられる時代ではない。ウクライナの問題も、ヨルダンの問題も我々の問題として響いてくる。
     この状況の中で、日本人というより、人間として自分のアイデンティティーをどう保つことができるのか一人一人が問われている
      

     こういった時代にあってもなお、「和を以て貴しとなす」とすべきか、あるいは「我を以って貴しとなす」とすべきか、最後は結局、国民一人一人の旗幟を鮮明にすることが求められている。
    「漢字考古学の道」のホームページに戻ります。   

2023年10月23日月曜日

「甘」という感覚は人間の歴史の中で最も早く会得された感覚であり、それに伴い漢字も早くから登場した?


「甘」という感覚は人間が最も早くから目覚め認識してきた感覚である。 

このページは以前に上載した以下のものに加筆修正したものです。『「甘」 語源と由来』

導入

前書き

 ある民族の文化の深度を計る尺度は結局はその民族が持つ言葉が豊富であるか否かによって決定する。  南洋のある民族では味覚を表す語彙がすこぶる少ない。例えば全ての味覚を「sweet、nonsweet」で表す。この地では長くイギリスとフランスの共同統治であった為にフランス語と英語が共存しているが、あらゆる味覚はこの2語であらわされる。非常に単純である。つまりその人にとって美味しければ"sweet"、美味しくなければ"nonsweet"である。

  ところが中国語にしても、日本語にしても、味に関する語彙はすこぶる豊富である。それは主体者の主観的な感覚に依存することなく、絶対的な評価をもつ。つまり「甘い、辛い、酸っぱい、苦い」という基本的な語彙以外に「甘酸っぱい、ほろ苦い」などなかなか表現できない中間的な味覚も登場する。つまり言いたいのは語彙が豊富であれば、それだけ認識の分化が進んでいることを意味し、文化がそれだけ発達しているということである。
  その意味では一つの文化にしても、例えば味覚に関する語彙がどのように生み出されてきたかを見ることも面白いかもしれない。
 さて、前置きはこれくらいにして、漢字の由来に話を移そう。

目次




**********************

漢字「甘」の今

漢字「甘」の解体新書


漢字「甘」の楷書で、常用漢字です。
白川博士は字統 にて、「甘」は上部の左右を横に通じる鍵の形をかたどったもので、嵌入の「嵌」だと主張されている。そして「甘」は甘草からくるもので別物と主張されているが、「口」の甲骨文字に照らしても、白川博士の主張には少し無理があるように思える。 

甘・楷書嵌・楷書



  
口・甲骨文字
甘・甲骨文字
甘・楷書


 

「甘」の漢字データ

漢字の読み
  • 音読み   カン
  • 訓読み   あま

意味
  • 甘い 
  • うまい、おいしい 
  •  
  • 考え方が、きちんと詰められていない
  •     
  • 締まりがない、緩くなっている 

  同じ部首を持つ漢字     甘、甚、嵌
漢字「甘」を持つ熟語    甘、甘味、甘美、甘藷


**********************

漢字「甘」成立ちと由来

引用:「汉字密码」(Page、唐汉著,学林出版社)
                                                         

唐漢氏の解釈

  「甘」これは指事字である。甲骨文字の「甘」という字は口の中に小さな横線を加えたもので舌のある所を示している。だからここで最も甘いという味を知ることが出来る。小篆の「甘」という字は甲骨文字に良く似ている。楷書は横線が長くなり、却って口の形が失われている。
 古代中国人は味感の分類中「甘」はどのような刺激的な味も伴っていないと表示した。《春秋繁露》曰く「甘いものは五味の本である。
  《庄子・外物》で言うには「口彻为甘」(口は甘味に徹するなり)このことは甘味口に最もよく合うだから口当たりがよく、違和感のない味感であるという意味である。「甘」から造られた字に「甜」(甘い、心地よいという意味がある。また砂糖大根の甜菜の字にもなっている)がある。
 これは「甘」の意味から大きく変化したもので、「酸っぱい、苦い、辛い、しょっぱい」の5味の一つである。河南地方の方言では塩入りで、砂糖入りでもないスープを甜湯という。甜はここでは味のないという意味でもある。


漢字「甘」の字統の解釈

 象形 左右の上部に横に通ずる鍵の形。左右に含ませて錠とするもので、嵌入の意である。
甘美の義は甘草から出ており、 別義。
[詩、斉風、鶏鳴]「子と夢を同にすることを 甘(たのし)まん」は、酣楽の意。〔荘子、徐无鬼〕に、熟睡 を「甘寢」というのも酣の義である。
 〔説文〕に「美なり。口の一を含むに従ふ。一は道なり」というのは、例によって道義的な解釈を附会したものである。



漢字「甘」の漢字源の解釈

 会意文字 「口+・印」で、・印で示した食物を含んで味わうことを示す。長く口の中で含味する、うまい甘いものの意となった。


「甘」の変遷の史観

人類の味覚の歴史について、Chat GPTに聞いてみた
 人類 味覚 歴史 ChatGPT 人類の味覚の歴史は非常に長いもので、進化の過程や文化的な変化に影響を受けてきました。以下に、人類の味覚の歴史の要点をいくつか紹介します。

  1. 進化の過程: 人間の味覚は、進化の過程で発展しました。最も原始的な味覚は、生存に必要な栄養を認識し、有害な物質を避けるためのものでした。甘い味覚は高エネルギーの食物を示し、塩味はミネラルを示し、苦い味覚は有害な物質を警告する役割を果たしていました。 

  2.  農業の発展: 農業の発展に伴い、人類は新しい食材を栽培し、調理方法を発展させました。これにより、さまざまな味覚体験が可能になり、調味料や調理法が多様化しました。 

  3.  文化的な多様性: 世界中の異なる文化が、独自の食文化を発展させ、独自の味覚好みを持つようになりました。これにより、地域ごとに異なる食材や調理法が発展し、多彩な料理が生まれました。 

  4.  味覚科学の発展: 近年、味覚科学は食品の味覚と香りを詳細に研究する分野として発展しています。これにより、味覚の神経生物学や味覚受容体に関する知識が増加し、食品産業や料理の改善に寄与しています。

  5. 技術の進歩: 技術の進歩により、食品の加工や調理方法が進化し、新たな味覚体験が可能になりました。冷凍技術、調理器具、調味料の多様化などが、食品の多様性と味覚への影響をもたらしました。

  6. 健康への意識: 近年、健康意識の高まりに伴い、味覚における新たなトレンドが現れています。例えば、低塩、低糖、低脂肪の食品や、ベジタリアン、ヴィーガン食の人気が増加しています。

  7.  人類の味覚は、進化、文化的多様性、科学の発展、技術の進歩などの要因によって変遷してきました。それぞれの文化や時代において、味覚は食品と料理に対する好みや価値観を反映し、食文化の多様性を形成してきました。



 味覚一般の歴史に加え甘味に対する、歴史についても調べてみました。ご参考に!
人類の味覚における甘さの歴史は非常に古く、甘い味覚は生存と栄養に関連して重要な役割を果たしてきました。以下に、人類の味覚における甘さの歴史についてのいくつかのポイントを紹介します。

  • 糖の発見: 甘味は人類が最初に発見した基本的な味覚の1つであり、自然界に存在する糖分(例:蜂蜜や果物の糖)から甘さを得ていました。最も初期の甘味料はおそらく蜂蜜であり、古代エジプトやメソポタミアなどの文明で使用されていました。 
  • 砂糖の歴史: 砂糖は甘味料として広く使用されるようになったのは比較的新しい歴史的出来事です。砂糖の製造はインドで始まり、その後アラビアやヨーロッパに伝わりました。中世ヨーロッパでは砂糖は非常に高価で贅沢なもので、富裕層や貴族の食事にのみ使用されていました。


まとめ

 漢字「甘」の解釈に関する限り、唐漢氏の解釈も白川博士の解釈のいずれもかなり無理があるように感じる。甘いという味覚は人類の味覚の中でも最も早くから認識されており、「口に物を入れて味わう」ことを素直に表現した藤堂博士の漢字源の解釈が最も腑に落ちるように思える。ただこのブログのよって立つべき唯物史観から見れば、あまり大きな問題ではないように思う。
  


「漢字考古学の道」のホームページに戻ります。   

2021年7月25日日曜日

漢字の口は象形文字。古代人たちは事物をありのままに描いて情報伝達をしていた。やがて甲骨文字や金文となって結実する


漢字「口」は、祝禱を入れるサイなのか、或いは食べたり、話したりする普通の口なのか
 「口」という文字は、象形文字でその形状は非常に単純で、容器以外考えようがない。形状から見ると、祝禱や固形物を入れるよりも液体を入れる容器のように思える。

 しかし、わが国の漢字学の権威の白川静氏は、これをサイと呼び、祝禱を入れる器と解釈した。

 氏は「従来の説文学において、口耳の口に従うと解するために字形の解釈を誤るものは極めて多く、古・召・名・各・吾などに含まれる「口」は全てサイと解釈すべきものを誤解したものだ」と喝破されている。しかし、私には、この単純な「口」という文字が、逆に、ほとんどがサイと呼ぶべきものとは到底考え難く、之こそが大いなる誤謬というべきものと考えざるを得ない。この点、字統では、「口という字は早くから用いられているが、卜文金文にその明確な用義例がなく祝禱の器の形である(サイ)との異同を確かめることはできない。」との解釈をしていることを考えても、「口」を「サイ」であると断定をすることは不可能のように思うのだが・・。


漢字「口」の楷書で、常用漢字です。
 象形文字であり、甲骨から金文・小篆に至るまで、その文字の形体は一貫しておりいささかも変化が見られない。

 この文字記号の生成から後世のかなり使い込まれた時代に至るまで、その形体上にほとんど変化が見られないということそのものが、この記号が時代を経ても一貫して同じ意味合いで捉えられていたというっ証左であり、一貫して「口」であり続けたのだ。
口・楷書


  
口・甲骨文字
口の象形文字。
口・金文
口にしては口角が上がっており、液体を入れる容器のようにも感じられる。
口・小篆
甲骨・金文を引き継いでいる。これをサイと認識するには社会通念上の大きな変ぼうが必要である気がする。


    


「口」の漢字データ
 

漢字の読み
  • 音読み   コウ、ク
  • 訓読み   くち

意味
     
  • くち(飲食し、音声を発する器
  •  
  • 入口、穴、港
  •  
  • 量詞  例)一口、 

同じ部首を持つ漢字     咽、員、右、唄、可、嚇、各、喝、喚、含、喜、器、吉、喫、吸、叫、吟、句、君、啓、古
漢字「口」を持つ熟語    口外、口蓋、口唇、口頭、悪口、陰口、口語、口誦、口説、口調、口座 




引用:「汉字密码」(P418、唐汉著,学林出版社)
唐漢氏の解釈
 「口」の形状は、まさに人や動物の口である。《説文》は「口」を解釈して、「人が話したり食べたりするところなり」。意味するところは、「口は人と動物が発声したり食べる器官である。

 この為に「口」は食べたり話したりすることに関係する偏・旁の字に多い。「可、听、吟、号、咆」並びに吃、味、 吐、吮」等など。

 


漢字「口」の漢字源の解釈
 象形文字:人間の口や穴を描いたもの。


漢字「口」の字統の解釈
  •  象形文字「口の形」 説文に「人の言食する所以なりという。卜文・金文に見る字形のうち、口、耳の口と見るべきものはほとんどなく、概ね祝禱の器の形であるサイの形に作る。
  • 従来の説文学において、口耳の口に従うと解するために字形の解釈を誤るものは極めて多く、古・召・名・各・吾などはみな祝禱の器を含む形。
  • もっとも「口」という字は早くから用いられているが、卜文金文にその明確な用義例がなく祝禱の器の形である(サイ)との異同を確かめることはできない。

 白川氏が言うように「口」が「サイ」であったとすると、古代人は人間の食べたり話したりすることをどんな漢字で表現していただろうか。
 人間の食。発声という行動は、基本中の基本であり、このことを言い表さずして人間のいかなる行動も表すことができないと考える。これが白川氏の主張に違和感を覚える最大の理由である。


まとめ
 漢字「口」は基本中の基本の言葉である。それだけに文明が高度になる前に、古代人の間では広く使われていたと考える。勿論最初は、象形文字というより、得に過ぎなかったかもしれない。文字を使って情報を伝達する高度な文明の前に、古代人たちはものをそのまま絵にかいて、相談をしたり、意思を伝えあっていただあろう。文字が最初から権力者たちの専有物であったと考えるのは妄想に過ぎなかったのではなかろうか。



「漢字の起源と成り立ち 『甲骨文字の秘密』」のホームページに戻ります。

2020年12月24日木曜日

漢字「告」の由来と成り立ち:告白とは重い響きの言葉だ。それは「告」が神に告げるという厳粛な言葉から来ている由縁である



漢字「告」の由来と成り立ち:告白が重い響きを持つのは、「告」が神に告げるという厳粛な言葉から来ている由縁である
 「告」は生贄の牛を祭壇に並べたことからくるという解釈と祭祀を執り行うとき神に告げる言葉を「サイ」という祝詞を入れる箱を木に結びつけたことからくるという説等諸説があるが、いずれにせよ単に話すとか語るということではなく祭祀に臨んで神に祝詞をあげるという厳粛な使い方をされたことから来るものだ。


引用:「汉字密码」(P24、唐汉著,学林出版社)
祭祀のとき神に祈りや祝詞を奉げ、告げること
唐漢氏の解釈
 「告」の字は甲骨文字の第一款は、「牛」と「口」から成り祭告、告庙を意味する。告の字の構造の形象から看て、それは祭壇の前の皿の上に置かれた、切り刻まれた雄牛の頭に非常によく似ています:彼の目は大きく開いていて、何かを言っている様子が伺える。

 告は牛の頭を祭祀に用いて祖先を慰める神祗を表示している。又「告」の本義は人びとが祭祀の時に発するする祈祷であり、それゆえ牛の鳴き声とも理解できます。



字統の解釈
 木の小枝に祝詞を収める器の賽をかけている形象形文字である。 祝詞の器を木の小枝に付けて捧げ 髪に祈告する意味で告とは神に訴え告げることを言う。説文には 牛と口に従う字とし「牛人に触る。角に横木をつくとし、人に告ぐるゆえんなり」とあり、牛が人に何かを訴えようとするとき横木をつけた口を摺り寄せてくると解するが、上部は牛の形ではなくて物をかける木の枝の形であることは卜文、金文の形において明らかである。

 唐漢氏と字統の解釈は、祭祀に生贄の牛を使うか、木に祝詞を掲げるかの違いはあるが、祭祀に神に何らかの祈りをささげる点では一致している。

漢字源の解釈

 会意文字だとする。漢字源では、牛の角に縛った枷の原字だとする。後付の解釈のような気がする。


結び
 現代で告白という言葉は、単に「言う」とか、「話す」ということだけではなく、ある種の重みを持ったものとして語られる。告白が重い響きの言葉の理由は、「告」がそもそも漢字が発生した太古の昔から、神に告げるという厳粛な意味を持っている由縁である


「漢字の起源と成り立ち 『甲骨文字の秘密』」のホームページに戻ります。

2018年12月1日土曜日

今年の漢字予想:私の予想は右翼の「右」、世界中で右旋風が吹き荒れた


一足先に漢字「右」の起源と由来を調べてみた
漢字の話の前に、右翼(英:right-wing, rightist, the Right)とは、
左翼の対立概念であり、政治においては「特権階級による特権の維持を目指すための社会制度を支持する層」を指すとされ、一般に、社会秩序や社会的成層への支持を表すために使われる。

 因みにこの右翼とか左翼といった用語は、フランス革命期の国民議会の議場で,議長席から右側の位置に極端な保守派が議席を設けたところに由来する。つまりそれまでは、政治的立場で右も左もなかったということか。

 日本や中国では、右大臣、左大臣という役職があったそうで、右大臣とは、太政官(だいじょうかん)の長官で、太政大臣・左大臣に次ぐ地位。政務を統轄した官。ということで、一番偉いのは、太政大臣、次に左大臣、右大臣と続く。

引用:「汉字密码」(P336、唐汉著,学林出版社)

「右」の字の成り立ち」
 完全に右手の正面の形状である。金文中の右の字は変化して、会意文字となり、右下にひとつの「口」が加わっている。これは食事をするときの手を表している。楷書の右の字は書きやすいようにと、形を整えて、鏡像反転をして、今日の右の字となっている。

「右」の持つ意味
 「右」の字の本義は右手である。説文では「右」は手と口を相互に助ける字なりとしている。右手の主な効能は食事をするとき食物をつかんで口に物を運ぶことなので、いわゆる右の字は助けるという意味も持っている。

「右」は高く、優れている
 大多数の人間に言えることだが、右手はすべからく、左手より器用に動く。これをもって古代人は「右」を巧み、高いと考えている。成語中でも、「无出其右」(その右に出るものはない)とそれより優れたものはいないという意味に用いる。
「左に出るものは居ない」とは言わない。 


右は左より偉いのか
 だいたい右が偉いだのいや左だのということ自体ナンセンス。右と左はこんにゃくの裏表みたいなもの。こんにゃくの裏表に貴賤はない。
 しかし、心臓は左にある。従って左にある心臓を守るために、人間は、右手を使うようになっている。右手を使う人が古今東西圧倒的に多いのはこうした理由による。


「漢字の起源と成り立ち 『甲骨文字の秘密』」のホームページに戻ります。

2018年10月3日水曜日

漢字「杏」の起源:今ブレイク中の女優は「杏」さん。杏はアンズの杏。生命力溢れた植物


漢字「杏」の起源と由来

引用:「汉字密码」(P158、唐汉著,学林出版社)

「杏」の字の成り立ち」
 杏の原本は象形字である。甲骨文字の「杏」の字は杏の核から芽が萌芽した形をしている。杏は生命力のある果樹で杏子の棋盤に埋め込んでも発芽し枝を出すという。又土地がどんなに貧弱でも、山の谷あいのいたるところで杏の木はあり、砂漠でも杏の木はあるのは生命力の強い証拠だ。「杏子」の字の下部は断裂があり、木と口とに変化している。楷書ではこの関係からこの字になった。


古人は「杏」を如何に考えたか
 杏は中国原産の植物である。昔から香りのいい食物として珍重され、また咳止めの漢方薬としても重宝されていた。
 ある人は杏の発音から、その芳香が人を気持ちよくさせるものと認識している。この種の話はある道理も持っている。
杏仁(果実とその種)は香りがよく、杏仁の中の白色の部分を取り出し粉末にして杏仁粉とする。もし水と糖を加えると杏仁乳が製造され、清涼飲料になる。我々は杏仁豆腐として馴染みがある。但し杏の発音は古音ではHengと読み"亨、行と同じ音である。

「杏」にまつわるちょっといい話
 杏に関していえば、いい話がある。三国時代の名医呉董奉という人は、廬山に住んでいたが、人の病気を治しても金は取らなかった。しかし、病気が重いものは杏5株、軽いものは杏1株を植えさせ、それを治療費とした。数年後杏は10万株にもなり、董仙を称して杏林といった。なくなって以後杏林は医療を讃える言葉となった。このほか、学術界のことを、杏壇と人々はいうが、これは孔子がかつて、杏壇(現在の山東省曲阜)で教えていたからである。



********************** お知らせ *********************
あなたやお子様のお名前を太古の昔の甲骨文字や小篆であしらってみました。世界に一つしかないTシャツをお届けします。
これから漢字を増やしていきますので、こんなのが欲しいというご希望をコメントに残していただきましたら、ご希望に沿うように致します。

シンプルコーデのレディースのお供に秋や冬にも使えるオンス数で厚手です。レザージャケットやデニムの相性バツグンです。
【size】cm: 着丈70
       肩幅34
       身幅40
       袖丈20



「漢字の起源と成り立ち 『甲骨文字の秘密』」のホームページに戻ります。

2012年5月14日月曜日

白川文字学と唐漢説の分かれる所

唐漢氏と白川博士
 私がここで紹介している唐漢さんの甲骨文字に関する説は、おそらく中国の中でも亜流の説であり、本流とは認められていないようだ。事実彼の著書の表紙には「奇説」という言葉すら記載されている。

 一方白川博士はわが国を代表する推しも推されぬ漢字学の権威の一人である。

白川静さんの漢字学の中心をなす文字
 白川静さんの漢字学の大きな中心をなす概念(サイ)に関連した文字だ。白川文字学の大きな功績のまず第一に挙げられるのが、「口」が「くち」ではなく、神への祝祷の祝詞を入れる器「サイという名の器」であることを体系的に明らかにしたことだということだ。(小山鉄郎著 「白川静さんに学ぶ漢字は楽しい」より)


 そして、「口」の字形が含まれる漢字は非常にたくさんあるが、古代文字には、「耳口」の意味で構成される文字は一つもないという。


 しかし、ここで疑問がでてくる。「耳」、「鼻」、「目」、「首」、「手」、「脚」等身体の部位を示す字形が含まれる漢字は古代文字には沢山あるにもかかわらず、なぜ「口」の意味で構成される記号「口」が一つもないのだろうか。

 また白川先生によると基本的に甲骨文字は時の王が自らの宣旨や命令を記録するために生まれたのであり、王の宣旨は卜辞や占いの形をとって為されることが多いため、必然的に甲骨文字は宗教色や卜辞の色彩が色濃く反映されたものだとのことである。

 話は変わるが、つい先日司馬遼太郎氏と陳舜臣氏の対談の文庫本を読んだが、その中に面白い話を見つけた。それは「跪」という漢字に話が及んだとき、当時はまだ褌というものがなく、男もすその割れるような服を着ていたので、跪く時には一物がもろに見えて大変「危険である」ことから足偏に「危ない」と書いて「跪く」としたのではないかということで、少し話が盛り上がっていた。跪くのは別に男に限らないし、多少は話を面白おかしくしているところもあるかも知れないが、この両大作家の解釈はまさしく唐漢氏と発想は同じくするものであり、独断ではないのだと意を強くした。ちなみに唐漢さんの本の中には、「跪」という漢字に関する記述はない。というのは、この漢字は甲骨、金文の時代にはまだこの世にはなかったからである。

 漢字というものは、漢字の構成および構造だけからは捉えられない奥深いものを持っているとを痛感させられた話である。


 白川氏自身が漢字学から入った学者ではなく、考古学から入った学者だと誰かが少し難癖のようなのものをつけていた人もいたが、入り口は何処であろうと、彼は大学者である。しかし問題はそんなところにあるのではなく、その人が科学の立場に立っているか、観念論かどうかが分かれ目のような感じがする。すこし大上段(大冗談??)過ぎるかなあ。

 私のような人間がこのような口幅ったいことを言うのはあまりにあつかましいと非難が聞こえてきそうであるし、私自身もそんな感じを持っている。浅学のそしりは、甘んじて受けねばならないだろう。


「漢字の起源と由来ホームページ」に戻ります。