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2019年5月5日日曜日

漢字「差」の原義に戻って、「貧富の差」、「差別」って何だを考えた!!


漢字「差」の起源と由来
 そもそも「貧富の差」ってなんだ?「差別」って何だ?漢字「差」の原義に戻って考える!!

 世界の富の6,70%は数パーセントの富裕層が独占している!! そもそもこの「差」って何だ?
  漢字はその中に、生活や考え方や文化が込められていて奥が深い。この「差」という漢字を通して、今から4000年前の生活を垣間見ることができます。

引用:「汉字密码」(P232、唐汉著,学林出版社)
「差」の字の成り立ち」
 「差」、これは会意文字です。金文の「差」という言葉は、古代人が小麦の穂を脱穀するために、小麦の穂を手で揉みほぐすことから来ています。「差」という単語の上の部分は「麦」の単純な形であり、下の部分は「左」であり、仕事の手を示しています。小篆の「差」という言葉は、簡単化で象形を失った後の楷書では「差」と書かれています。


 また、「左」のヒエログラフの解釈は、本ブログの「左は「工具」を持つ手の象形文字」のページを参照ください。
 また、ここで穂のヒエログラフが何故麦かということに対しては、漢字の発生した中国の「中原」という地方では、稲作は盛んでなく、基本的に麦、稗、粟といった穀物が作られていたことから、おそらく麦であっただろうと推察しています。

現代の「差」という意味はどうして生まれたか?
 古代の社会では、脱穀するのに石の盆や陶器の鉢が使われていました。その内壁は不均一な研削パターンを持つことが必要でした。したがって、「差」とは、長短、高低が平たくないという意味です。このことから現代で使う「差」という意味が生まれ、標準ではなく不十分であるという意味にもなります。
 従って、「差」という漢字は、足らないときや不足であるときに使われるようで、他と比べ優位にあるときには、余り使われないようです。


漢字源
 会意兼形声。「左」と「穂」の形を表現した。「左」そばから支えるの意味+「穂」を示すことで、穂を交差して支えると解釈する。


字統
 形声字であると解釈する。
意味は「禾」を神に「差」(すすめて)、祝祷するという意味を持つ。


「漢字の起源と成り立ち 『甲骨文字の秘密』」のホームページに戻ります。

2012年7月5日木曜日

漢字「左」の起源と由来:「左」には助けるという意味あり。「佐」は助ける人

左は「工具」を持つ手の象形文字

 「左」という字は、甲骨文字ではまるで左手を上に上げた形状をしている。甲骨文の右の字と相反する。金文と小篆の「左」の字は、下に一個の「工」の字を増やしたものである。ここでの工の字は工具と見ることが出来る。また針を通して作るとも見れる。但し全て労働して作るの意味である。両形の会意で工作の左手を表示している。
この解釈は白川博士も、藤堂博士の「漢字源」でも同じ解釈をとっている。
 
左の本義は左手である。左右の両字が連用される時、『左右圣上』のように補助の意味を表す。即ち皇帝を補助するの意味である。「佐」は左の字から出来た。それは前の文の「佑」と同じである。だから、左の字はもともと補佐の意味を有する。補助は「佐」から受け継がれている。


中国では東向きを左という。これは皇居は南向きに作られており、皇帝から見て東は「左」に当たる

中国の伝統的地理の観念中、常に西向きを右と言う。東向きは左という。江西は江右といい、山西は山右といい、江東は江左である。このような方位の概念は、元々皇宮が北にあって南に面して、君主は南に向いて座るのは確定的である。


左は太古では低く見られていた。戦車が使われるようになると左が高く見られるようになる

 「左右」の字は尊卑、上下の気配を濃厚にもっている。「右」は本来勝ち進む、出来るの意味を持っている。しかし戦車の文化の中では、却って「けなし言葉」になってしまった。


古代の戦車での戦闘方法 

 古代は戦車には3人一組で乗り込む。御者は前方の真ん中に座り、射手は矢を以て車の左に座り「車左」、長い矛を持つものは車の右辺に立って陣取る。また、車右とも呼ぶ。敵味方双方の戦車が殺し合う時、相向かって駆け、先ず射手が更新中に連続して矢を射かけ、戦車が近くなって迫撃の時、両者は同時に左に旋回し、右側の長矛を持った兵士に攻撃をさせる。古人は所謂「左に回り右に引き出す」という。これは所謂「一回のわたり合い」だ。両者は相向かって駆け抜け、左に転じて攻撃し、もしこれが右に転じた時は、戦車の攻撃の規則に合わず、戦うのを嫌って逃げたことになる。左は攻撃、右は逃げる。

左が低く見られたのは、何も中国に限らず、インドでもそうだったと聞いている。昔はトイレでは紙を使わず、尻は手で拭いたが、その際、右手は使わず、左手で拭いた習慣があった。従って、今でも左手は「不浄の手」と言われている。握手する時も左手で握手を求めるのは大変失礼なことだそうだが、どうであろう。


左は革新、右は反動

 近代社会に至っても、左は革命、右は反動、左は妄動、右は機会主義となったことが、定着したが、これは、昔の戦車の戦法が人々の意識に染み付いてしまったためであると唐漢氏はいう。
 しかしこのことは、フランス革命のときのフランスの議会で、革新側は議場の左に陣取ったことから来ていると昔習ったように思うのだが・・。

「漢字の起源と由来ホームページ」に戻ります。

2012年7月2日月曜日

実は中国の古代人も右利きだった


現代人からの推量

現代人の非常に多くの部分は右利きである。子供のころに左利きだったのに、親に無理やり矯正させられた経験を持つ方もあるだろう。
現代人に右利きの人が多いということは、古代人もやはり右利きが多かったではないだろうかと考えていた。その根拠は、若し昔左利きが多かったとすれば、左利きを右利きにするための何らかのかなり大きな変化がなければならないが、そういう要因はあまり考えられないということ。
ある統計でも日本人の約88%、香港の約90%、スウェーデンの約94%、トンガの約91%など、圧倒的に右利きが多いという結果が出ているということだ。

体の左にある心臓を守るには左手を空にしておくことが不可欠 

 もう一つの根拠は、人間の心臓は左にあり、若し何らかの事情で心臓に直接的危害が加わる恐れのある時、とっさに心臓をかばう為には、常に左手は空けておかねばならないということだ。これは、人類普遍のことであり、日本人だろうが、中国人だろうが、現代人だろうが、古代人だろうが、全く同じことであると考えるからである。

甲骨文字に「右」、「左」はどのように現れているか

甲骨文字の「右」
 さて、それが漢字に現れているのか、現れていないのかを見てみたい。甲骨文字の右という字は右の画像のとおりである。甲骨文字では、右手の象形文字になっている。では甲骨文字の左はどうなっているかというと、これまた左の画像の通り左手の象形文字である。

甲骨文字の「左」
 それならば、この右と左の手の形が甲骨文字の中でどのように現れているかである。まず手偏であるが、甲骨文字の段階で手偏が現れることは、まずないといっていい。次に左右の文字について、調べてみると、右の手では、針を持ったり、刀を持ったり、指で目を突っついたり、棒でたたいたりする動作の殆どは右手でなされていたことが分かった。では左手はどうかというと、「左」という字でも分かる通り、工具を支えたり、右手の動作を支えたりする事にしか使われていないことが分かった。この点については、「漢字源」でも、左には「そばから左手で支える意味を持つ」と書かれている。甲骨文字すべてについて見たわけではないので、もう少し深い研究が必要であるが、ざっと概観した限りでは、この観察結果に間違いはないように思う。

「漢字源」の中で、右はどう定義づけられているか

さらに、やはり「漢字源」の中で、「右」は以下の意味を持つとされている。
  1.  
  2. 右の方に行く
  3.  西    王宮は南向きに建てられたので、王座から見て右は西に当たるということで右=西となった。
  4. 上位 戦国時代は左はいやしく、右は尊いとされた

以上の考察から、古代においても、右利きが優勢を占めていたことは間違いがないと思われる。おそらく人数でも優位だったろう。
 

「右」という漢字の変遷と使われ方


因みに「右」の字についての解説を最後にしておく。参考にしたのはもちろん唐漢さんの「汉字密码」である。
右は甲骨文では完全に右手の正面の形状である。金文中の字形は変化して会意文字になっている。右下に一個の口が加わり、ご飯を食べようとする手を表している。楷書の「右」の字は書くのに便利なように、ちょうど鏡像の様に反転して、今日の右の字になっている。
「右」の本義は右手である。説文での解釈は「右、手と口が相助けるなり」としている。右手が飯を食べる時食べ物を口の中に運ぶのに効率よく、だから右の字は助けるの意味もある。『·襄公十年』では天子介るところ、独り者またこれを祐く。この句の中で「右」は即ち助けるの意味である。以降右のこの一つの意味から「佑」の字が出来た。
右は又方位を表す名詞である。左の反対だ。「孫氏の兵法」にある、「左に備え右を薄ということ、右に備えることは、左が薄いということ」 多くの人にとっては、右手は総じて左手に比べ器用である。だから古人もまた右を巧みで、より高く、成語でも「右に出るものなし」という言葉もできた。即ち優れたという意味である。 
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