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2021年4月21日水曜日

漢字「良」の意味するもの:穀物の袋・器もしくは計量器のこと。蓄えることが「良い」という概念の誕生に繋がった。生産力の発展があった?


漢字「良」の成り立ちと由来が意味するもの:両端に口のある穀物を入れる袋・器を表し、貯蓄できるものから「いい、良い」という字義がうまれた。つまりそれだけの生産力の発展があったのでは?
漢字「良」の楷書で、常用漢字です。漢字「良」の成り立ちには、諸説ありますが、今のところは白川博士の説が最も科学的であるように思います。

 ただ、藤堂博士にしろ、唐漢氏の説にしろ、それぞれに論拠があるので悩ましいところです。ここは考古学の出番となるのでしょうね。今後の研究の成果に期待がかかります。

 しかし前にお話しましたように、このブログは学説の是非を議論するところではなく、単に文字学ということではなく、文字を通して、社会的、歴史的な発展を推し測ることを使命と考えますので、今後も自分の立場をわきまえたいと思っています。
良・楷書




  
「良」甲骨文字
真ん中の□は穀物を入れる袋、
壁に開けた穴即ち窓、穀洗の噐の説で、
3説共通するのは、比較出入りの頻繁な空間だということだ。
「良」・金文
字形を見ていると、入れ物の使い道が
はっきりしてきたようで、上から注いで、下に排出する器に関係しているように思える
「良」・小篆
金文を受け継いで、文字としての体裁が整えられ、文字として進化を遂げている。
ただ、象形から「よし」という抽象的な概念に行きつくには、そのような容器の更なる使い込みがなくてはならないと思う


    


「良」の漢字データ
 

漢字の読み
  • 音読み   リョウ
  • 訓読み   よ(い)

意味
  • 「よい」、「いい」(反意語:悪い)
     優れている、まさっている
     富んでいる(金持ちである)、豊かである
     めでたい(喜ばしい)
     やすらか、おだやか
     素直、おとなしい
     
  • 形容詞   よく(同意語:善)、 正しく、上手に、立派に(例:良くできました)
  • 親切に、丁寧に
  • 多く、しばしば、~しがち  
  • 十分に、非常に
  • できる、まことに(本当に、実に)、やや(少し、しばらくして)
  • すぐれた人・馬

使い方(要素) 娘、浪、郞、朗、狼
熟語   良案、良貨、良好、良港、良妻、良才、良策、良識、良質




漢字「良」の字統の解釈
 象形。袋の上下に流し口を付けて、穀物などを入れその量を測るものをいう漢字「量」も袋の上に流し口のある形で、穀物を入れその量をはかるものであるから、良・量その字形と声義に通ずるところがある。良は上下に口があり、上下に打ち返すことができるものである。

 良は穀量の器であるが、その良善なるものを選ぶ意があり良穀の義から物の良しあしをいう言葉となったのだろう。

漢字「良」の漢字源の解釈
 良は粮(きれいにした穀物・糧の簡体字)の原字




まとめ
 漢字「良」はその意味するところは、そもそもは穀物を入れる容器だった。単なる容器の呼び名が、「良きこと」という概念に発展する。その背景には、その容器を生み出し、使い込むだけの社会の生産力の発展があったのではないか。また「良」は、穀物の良を計る袋にその由来を持ち、穀物の中身の良善を選ぶという現実的なことから生まれている。その関係か、「良」はいかにも平易な優しい雰囲気と趣を持っている。おもしろいものだ。



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2019年1月8日火曜日

漢字「責」の成り立ち:甲骨の時代も責任は結局「金」の問題だったのか


漢字「責」の下部は「貝」(当時の金)だ。何を意味する?

引用:「汉字密码」(P790、唐汉著,学林出版社)

「責」の字の成り立ち」
 責は会意文字である。甲骨文字と金文の「責」はの構造はよく似ている。下部は両者とも「貝」であるし、上部は「刺す」の字である。原本はいばらの上のとげの描写である。ここでは針で突き通すことを表している。二つの形は串を用いて貝を朋となす。そして蓄積をあらわし、儲けるの意味もある。小篆の責は金文を受け継ぎ、楷書は隷書化の過程で上部の束が変形して責になった。

「責」の原義は貯蓄である
 責の本義は蓄積である。この言葉は後に作られた積の字に受け継がれている。責すなわちその意味が拡張され、すなわち蓄積、求めてとるという意味になった。


編集後記
 日本で責任の取り方として、「責任は俺がとる。腹を切ればいいだろう」というのがある。この責任の取り方は、どうも日本だけのようである。いかにも潔いようであるが、考えようによっては、責任は個人でとれるほど軽いものではない。たった一人の腹きりで何百人という将兵の命の責任をどうして取れるというのだろう。
 この言葉は昔から散々聞かされてきた。先の大戦の「インパール作戦」でも、こうして叫んだ将軍もいたようであるし、つい先の国会で、「責任は私がとります」といった首相がいたようであるが、私には、これらの言動は「責任逃れの最たるもの」のように思えてしまう。考え違いもいいところだ。
 トップの命など庶民にとっては何の役にも立たないことこの上ない。このことは漢字の「責」からも窺い知ることができる。



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