ラベル の投稿を表示しています。 すべての投稿を表示
ラベル の投稿を表示しています。 すべての投稿を表示

2021年1月30日土曜日

漢字「客」の成り立ちと由来:家を表わすウ冠と「来る」を意味する各の会意で「家に来る」の意


漢字「客」の成り立ちと由来:家を表わすウ冠と「来る」を意味する各の会意で「家に来る」の意

引用:「汉字密码」(P742、唐汉著,学林出版社)
唐漢氏の解釈
 「客」、これは会意と形声文字です。 中国語の文字「客」の上部は部屋の形で、下部は「来る」を意味する「各」です。 両者の会意で「家に来る」という意味です。 その中の「各」も又表音文字であるため、これは会意兼形声文字です。
  小篆と楷書の文字「客」の字は、金文から継承されています。

 「客」の本来の意味は到来です。拡張されて来客賓客になりました。
 また拡張されて、異国に住む、旅で滞在することの意味である。
「現代の中国語では、「客」は主にゲストを指し、単語の意味は「顧客、観光客、外国人ゲスト」などの「ホスト」とは逆です。

 
漢字「客」の漢字源の解釈
 会意兼形声。各とは足が四角い石につかえて止まった姿を示す会意文字。客は「ウ冠(屋根、家)+音符各」で、他人の家にしばし足がつかえて泊まること、またはその人


漢字「客」の字統の解釈
 ウ冠と各に従う。ウ冠は廟屋、各は祝祷して神に祈り、神霊がそれに応えて下降する意味で神のいたることをいう。


まとめ
 会意文字家で、ウ冠と「来る」を意味する各から「家に来る」の意を表す


「漢字の起源と成り立ち 『甲骨文字の秘密』」のホームページに戻ります。

2019年1月21日月曜日

漢字「姓」は大昔の氏姓制度の中から誕生した。 漢字は社会の変化を映し出す。


「姓」からの開放は、社会の開放に直結する
 今日の毎日新聞に「選択的夫婦別姓の全国陳情アクション」と題して、夫婦別姓の運動の機運が高まっていることを報じています。
 人々の「氏姓」の問題は、人間が共同体を作る前には、未だ存在しなかったのですが、やがて集落ができ、集団で生活するようになると氏姓制度が生まれ、「家族」という単位が発生してくるようになります。やがてその制度も社会も時代と共に大きく変化することになりますが、「姓」という漢字の変化は、その社会の変化をまるで母斑のごとく刻みつけています。

 今、漢字の「姓」の変化の過程を見れば、数千年前からの社会の変化が明らかになり、「夫婦別姓」を妨げるものが何か、自ずと明らかになってきます。

 日本では、昔の「家」という概念は既に崩壊したと言われています。では、完全に「家」という概念から開放されたかといえばそうではないと考えています。その最も大きな根拠はこの「夫婦は同じ姓でなければならない」という概念が、日本では支配的だということです。そのために諸外国から見ても、「日本の女性は開放されていない」現状に強いられることになっています。もちろん「夫婦別姓」にすればすべてが解決するという単純な問題でないことは確かですが、少なくとも社会を前進させる大きな起爆剤には成り得るでしょう。

 人々が、男も女も、「家」という概念から開放され、キラキラと煌く「個の発露」が開花する時、日本の社会はもっと美しく素晴らしいものになるでしょう

引用:「汉字密码」(P485、唐汉著,学林出版社)
「姓」という漢字は古代から近代にいたる非常に長い期間
社会の成り立ちの根幹の制度・概念を表す漢字である
「姓」の字の成り立ち」
 「姓」の両形も会意文字であり、母系制氏族社会で、同一の女性を始祖とする後代まで広がる社会を示している。
 同一の女性の祖先の子孫は、彼らが一人の同じ女性から来る所から金文の「姓」という字を生んだ。





漢字「姓」という文字がなぜ女偏から人偏に変化し、再び女偏に変化したのでしょう
 右辺の字の符号の中の短い横棒と左辺の女偏が人偏に代わり、この時期に社会が既に男性の権力の時代に入り、既に母系制氏族制度が転覆したことを表明しています。小篆は女偏に回復しているが、なぜ人遍から女偏に戻ったのかは調べる価値がありそうです。


「姓」の独占と社会の仕組み
  中国古代社会では平民と奴隷は皆姓を持ってなかった。只貴族のみが姓を持っていた。実質上早期には姓の権利が独占されていた。この為に上古社会では「百姓」という言葉は庶民を指していた。平民も姓氏を持つ様になって、庶民という言葉は一般庶民を表示するのに用いられた。

 このようなことは、韓国社会でも、夫婦別姓になっているにも係わらず、「本貫」という遺制?が残っているし、中国でも「太子党」という階級の裏付けが、父系の血縁集団のように社会に隠然とした力を与えていると言われる。

 日本では、朝廷が、官位と同じように氏(うじ)と姓(かばね)を授けて氏姓制度を国家機構の中に組み入れ、支配の仕組み構築していった。



参考記事:「女の漢字:「姓」 文化・社会の原点はここにあり

「漢字考古学の道」のホームページに戻ります。

2012年3月1日木曜日

女の漢字:婚 の由来と成立ち

ああ 母系制の時代には、婚姻という概念も実態もなかった。
  婚は会意文字であり形声字である。小篆字の左は女という字で右は昏の字である。二つを組み合わせると、男女の婚姻を表す。婚の字の昏は古代にはたそがれ時に嫁婿取りが行われていたことから来たものだ。しかしこの説はあまりに通俗的であるように思う。
 
「婚」の概念は甲骨の時代には
なかったのかもしれない。
いわば氏族制度が固まって
後に生まれたのだろう。
婚姻は黄昏時に式を行った
 「白虎通・嫁婿」には『婚姻をするものは、黄昏時に霊を行う。故に曰く「婚」という。この種の結婚儀式と酒席は夕刻に行うのが風俗である。今日に至っても南方の少数民族の中には未だに之を保っているのもある。婚の字の右側の昏の字は読み方をも示している。故に会意形声文字である。

  しかし、金文中の借りて作った「婚」の字は一個の会意字であり、非常に複雑で、連なっている絵巻のようで、結果的には男女の和合の場面を表すと唐漢氏は言う。




「婚」という字は甲骨文字になかった
 「婚」の字は甲骨文字にはないようであり、従って当時はまだ婚姻という概念、実態はなかったのかもしれない。婚姻というのははやり氏族制度がしっかりと根付いたあと出て来たのではなかろうか。

 婚の本義は男女双方の正式に結びついた夫妻の意味である。結婚式の礼儀を表す「婚礼のようなものである。男女の双方の夫婦の約束を示すものである。」結婚年齢の「婚齢」。又男女双方の結びつきの約定の「婚約」など。

 古代婚姻は家柄を重視したがそのことは結婚する男女の双方の家柄が釣り合っている必要があった。また同姓と結婚しない風習は「国語・晋語四」で曰く「同姓は結婚せず育てても殖やさず」この事は同姓は結婚しても、生育しても栄えないことをいう。要は近親婚を戒めたのではないだろうか。


「漢字の起源と由来ホームページ」に戻ります。

2010年5月24日月曜日

漢字「家」:起源と由来 「家」の中になぜ豚がいるのか 太古の昔の生活習俗に基づいていた

 なぜ、「家の中に豚がいるのか」その理由は太古の昔の生活習俗に基づいていた

 漢字「家」:起源と由来 「家」の中になぜ豚がいるのか 太古の昔の生活習俗に基づいていた

 遥か3500年前の遺跡の考古学の発見から見ると先住民は豚を家畜として飼っていた証拠がある。甲骨文字の形から見て、家の中にある豚は一頭の雄豚である。しかしなぜ雄豚なのか?

 この謎は太古の昔の雲南省の部族の風習から解き明かすことが出来るとし ている。

 納西族の婚姻の習俗は母系性社会の族外婚の一つの段階にあった。女の子は成長した後も、家族の中の母と父と暮らし、それから後も彼女は一棟の部屋を持ち単独で居住することが許される。、氏族男子が夜訪れ、泊まることになる。

   面白いのは、全く同じ習俗を、その当時の先住民の豚を飼う檻を訪れる野性の雄豚に発見することだ。夜な夜な彼らの豚の檻に野豚が訪れ、しかも同時に彼らの母豚をはらませ、巣に子豚を恵んでいる。この頼みもしない野豚はまるで太古の昔の男子と同様で、夜が明けるとすごすごと去ってしまう。両者は恐ろしくよく似ている。

 これが当時の男、野豚の雄の重要な役割であったということだ。男は部族の女にとっては共有財産?だったといえる。

 この種の婚姻習俗はかつて優れたシステムであり続けた。殷商の末期には、商民族の中下層社会に敷衍した。しかし秦になって以降、この種の「放蕩?」な現象に制止がかかり、以降この風習は廃れたという。何らかの理由でこのシステムの存在価値がなくなったのだろう。

 これが家の字の中に雄豚のある原因である。

 こんなややこしいことをいうまでもなく、上古の時代は生産力が低いので、繁殖力の高い豚は珍重され、家の中で豚は飼われていたからだという説もある。


「漢字の起源と由来ホームページ」に戻ります。

2010年5月22日土曜日

漢字「家」はなぜ「ウ冠に豚」で漢字 牢 はなぜ「ウ冠に牛」なの

牛にウ冠が付くと牢になり、豚にウ冠が付くとなぜ家になる。実は牢のウ冠は柵であった。
甲骨文字「家」
 「牛」にウ冠がつくと「牢」になる。ところが、豚を意味する漢字「豕」に、ウ冠がつくと「家」になる。今日は牛がつく字についてもう少し深めてみよう。 「豕」は、豚という意味だが、今はこの字は使われず、もっぱら「猪」が使われている。





甲骨文字「牢 」
牛と豚では何でこうも扱いが異なるの?
豚と牛では扱いがえらく異なる。不平等ではないか。豚は家に住み、牛はなぜ牢なのか。もう少し探ってみる。 

 結論から先に言うと、牢のウ冠はウ冠のように見えて、実は昔は家ではなく柵であった。



 牛は古代は一種の野生動物であった。すなわち野牛であった。
 家畜動物とするためには、牛の凶暴な野生を改造して、まじめにこつこつ働く牛、あるいは「牛っこ」の類の優良な性質にするためにこの有史以前の先住民たちは散々苦労をして、長い年月を掛けて事を成し遂げてきた。



唐漢氏の解釈
 甲骨文字、金文文字の両方にある「牢」という字は牛が閉じ込められた状態を表している。
 殷や商の遺跡を発掘中、多数の大小さまざまな円形や長方形の地面に掘られた穴を発見した。これらは浅いもので2メートルから4メートルあり、深いものでは9メートルに達した。この穴の前面には上に上がるための道がつけられ、この坂道の底には木製の柵の門が取り付けられていた。もし野牛を捕らえたらここに押し込めたのであろう。そしてこの方法は数十年、あるいは数百年も掛けて何代も何代も飼いならす中で、更に飢えをしのぐ制度として奨励されてきただろう。


金文「家」

 こうするうちに野生の牛のかたくなな性格も次第に消失し、何事にも耐え忍ぶ性格が構築されてきた。これは牢の功績である。

 「牢」の本来の意味は、牛を殺したり、養ったりするための地面に掘られた穴である。このことから家畜を養うための丸い柵のことを牢と呼ぶようになった。「亡羊補牢」(成語:羊に逃げられてから柵の修理をするの意味)の中の「牢」にもつかられている。さらにそれから犯人を捕まえて押し込めておく監獄牢や牢獄という言葉にも用いられるようになった。このほか「堅牢」のように堅固な状態を表す形容詞にも用いられるようになった。

結び
 このように家と牢では全く異なるのである。甲骨文字ではっきり分かるだろうが、家のウ冠は明らかに屋根であり、牢のウ冠の部分は紛れもなく「囲いと門」である。

 更に近年の研究で、この殷墟が栄えたあたりの黄河流域は今より温度が2、3度高く高温湿潤の地域であったといわれている。そのためこの辺りは、牛、水牛、虎、豹、象などが多数生息していた野獣の宝庫みたいなところだったかもしれない。そのことは漢字にも見事に表現されている。

 漢字の世界は深い。