漢字「田」に込められた中国農耕史の母斑の謎を解く
この章の表題「漢字「田」に込められた中国農耕の歴史の母斑」とはなにか?
この字は、漢民族が農耕民族であったという証左みたいなものである。この字の原字は甲骨文字にある四角の中の井の字であるが、これこそ中国の貢賦制度の基盤である井田制度が字として残ったものといえよう。
「中国歴代経済簡史」(外文出版社、)によると、
井田制は中国奴隷社会の土地国有制度である。商朝に初めて実施され、西周に盛んに行われ、春秋時代に瓦解し、戦国時代には廃れた。井田制の施行初期には公田が主体であり、生産性の向上、耕地の拡充に歴史的役割を果たしたが、私田が出現以降、は井田制は瓦解し始めた。
引用:「汉字密码」(P236、唐汉著,学林出版社)
土地を区分した有様 |
"田" は、これは象形文字である。甲骨文と小篆の字形の方框内の縦横な交錯は、まるで大地が開墾され分割され一つ一つの農田になっているようだ。
周は世代はかつて " 井田制 " を推し進めて、田地が井の字の形に分割され、八戸で一つの井を担当し、それぞれ辺上の一つ私田を耕し、真ん中の一つの区画を八戸で耕し、その収穫は年貢として収める。
この税法は日本でも口分田として採用されたものの原型とも言われている。"田" の文字の形に良く似ている。今高い空から耕地を鳥瞰すると , その形は"田"の古文字の字形に近い。
又、" 田 " 文字の本義は狩猟していた時代の包囲と分散して追いかけるという、取り囲んで狩りをする義であるという説もある。
それから、田は農耕・稙に従事する土地のことを表すようになり、 " 田"の 文字は耕作田の意味になった。例えば " 耕田、稲田、試験田、水田" など。畑は植物が成長することが出来るから、 " 田 "の文字は比喩的に繁殖させる事物を使うあるいは採掘する資源地帯の意味に用いられる。
結び
私は「漢字は人間の文化の発展を明確に残す足跡でもあります。」と常々訴えてきたわけですが、この字もまた、歴史の生き証人が文字の中で生き続けていたものといえましょう。おそらくラテン語やギリシャ文字では、このようには行かなかったであろうと考えています。
「漢字の起源と成り立ち 『甲骨文字の秘密』」のホームページに戻ります。 |
日本ブログ村のランキングに参加しています **************************************
にほんブログ村