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2020年10月7日水曜日

漢字「福」の成り立ち:酒を神に捧げ祈り幸せを願うことです


漢字「福」は、酒を神に捧げ祈り幸せを願うことです
 日本では古来より、酒を神聖なものとして捉え、神事を執り行うときには酒をお神酒として捧げ祈ることが行われてきました。中国にも同じような考え方があり、昔から豊穣のしるしとして、酒を飲んで神に感謝することがあったようです。



 漢字「福」は、酒を神に捧げ祈り幸せを願う行為の一環として酒は親しまれてきたのですが、この世の中のには、酒におぼれ暴走する人びとが跡を絶ちません。

 それはさておき、漢字というものは生まれてから時が経つにつれ、概念が次第に乖離し新しいものに変質するものであることを示す証拠がこの「福」という感じのような気がします。


引用:「汉字密码」(P824、唐汉著,学林出版社)
漢字「福」は、酒を神に捧げ祈ることです
 「福」は会意文字です。甲骨の言葉「福」は左右の構造から成り立っている。左側は神のメインシンボル的なものを表す「示」、右側は酒器を表す「酉」です。

 酒は豊かな生活を象徴しています 完全に、狂気の状態で人々を熱狂させる一種の幸福な感覚にさせることができるので、ワインで祖先と神霊を祀ることは、福を乞い神に報いるという福の二重の意味を持っています。

 金文の「福」という言葉は、甲骨文字に似ており、小篆は将に酒器を縦に割った形です、楷書はこの関係で福と書きます。





漢字源の解釈
会意兼形声。神の恵みが豊かなこと。ネ偏+畐(酒を徳利に豊かに満たした様)の会意文字で神に酒を満たし感謝し恵みを願うことを言う。



結び
 漢字「福」は、酒を神に捧げ祈り幸せを願うことです。漢字というものは生まれてから時が経つにつれ、概念が次第に乖離し新しいものに変質するものであることを示す証拠の一つがこの「福」という感じのような気がします。 これ以外に「宴」という漢字などのように原義と乖離した使い方がされているのも少なくありませんし、漢字の面白いところは将にそこにあると思います。



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2018年2月10日土曜日

来年は「酉」年! 漢字「酉」の成立ち:元々酒瓶を模したのでは

漢字「酉」の起源と由来

「汉字密码」(P877、唐汉著,学林出版社)
読み方:(音) ユウ (訓) とり 
 酉は象形文字である。
 甲骨文字の酉の字と半坡遺跡から出土した底のとがった陶器のビンの形はよく似ている。
 この字は男根の「且」の字をあらわしている。これによって酉の字の本義は男の嬰児である。母を知るが、父を知らない母系社会で男子の血縁はせいぜい下に向かって下る辿る他ない。
  申と酉の字を互いに受け継ぎ、一つは女性の共祖、一つは男性の後代に対応している。(「申」を参照) 酉の字は早くから十二支の名前に借りてその本義を失っている。酉の字が構造的に酒瓶の酉の字に似ていて、男性の祖先(先王)に酒を祭り福を祈願することから、言葉が発生し転移し、十二支の酉と醸造の酉が混淆したものだ。


金文の酉
 金文の酉は既に完全に酒瓶の形状をしている。このことはこの時代には製陶技術が大きな発展をしたためである。酉瓶は既に酒を醸造するための瓶となり、酒盛りの専用器具となった。原本の酒の字は水の形を省いた後、酉となった。金文から小篆は変質し、楷書は酉と書く。   酉の本義は逆さまの「且」である。底のとがった陶器の瓶である。即ち器の皿として酉は「尊」の初めの文字である。酒を盛る器を示し、指事詞に用いられる。(「尊」は甲骨文字では、酒瓶即ち『酉』を両手でささげ持つ形をしている。)

酒を入れる器が「酉」となったのは、上古先民は男根信仰によるもの

 「酉」十二支の表示に仮借されて、十二支の10番目をあらわす。元々上古先民は男根信仰があり、酒を男根にささげていた。嬰児が大きく成長して、子々孫々絶えることなく栄えることを希求した。時間をあらわすと午後5時から7時を表す。酉は部首字で漢字の中では「酉」は組み合わせて、字を作る。酒と大いに関係がある。酝、酿、酔、醒などなど。
 この説明は、少しこじ付け臭いが、男根信仰は日本でも見られ、強ち否定は出来ない。 


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2016年11月22日火曜日

来年の干支は「酉」です 漢字「酉」の起源・由来を「甲骨文字」に探る


漢字「酉」の起源と由来

「汉字密码」(P877、唐汉著,学林出版社)
読み方:(音) ユウ (訓) とり 

 酉は象形文字である。甲骨文字の酉の字と半坡遺跡から出土した底のとがった陶器のビンの形はよく似ている。
 この字は男の象徴を表す「且」の字をと同源である。これによって酉の字の本義は男の嬰児である。母を知るが、父を知らない母系社会で男子の血縁はせいぜい下に向かって下る辿る他ない。
  申と酉の字を互いに受け継ぎ、一つは女性の共祖一つは男性の後代に対応している。(「申」を参照) 酉の字は早くから十二支の名前に借りてその本義を失っている。酉の字が構造的に酒瓶の字に似ていて、男性の祖先(先王)に酒を祭り福を祈願することから、言葉が転移し、十二支の酉と醸造の酉が混淆したものだ。
 金文の酉は既に完全に酒瓶の形状をしている。このことはこの時代には製陶技術が大きな発展をしたためである。酉瓶は既に酒を醸造するための瓶となり、酒盛りの専用器具となった。原本の酒の字は水の形を省いた後、酉となった。金文から小篆は変質し、楷書は酉と書く。   酉の本義は逆さまの「且」である。底のとがった陶器の瓶である。即ち器の皿として酉は「尊」の初めの文字である。酒を盛る器を示し、指事詞に用いられる。(「尊」は甲骨文字では、酒瓶即ち『酉』を両手でささげ持つ形をしている。)
 「酉」は
十二支の表示に仮借されて、十二支の10番目をあらわす。元々上古先民は男根信仰があり、酒を男根にささげていた。嬰児が大きく成長して、子々孫々絶えることなく栄えることを希求した。時間をあらわすと午後5時から7時を表す。酉は部首字で漢字の中では「酉」は組み合わせて、字を作る。酒と大いに関係がある。酝、酿、酔、醒などなど。 
 この説明は、少しこじ付け臭いが、男根信仰は日本でも見られ、強ち否定は出来ない。 
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2013年3月8日金曜日

漢字「香」の起源と由来 また香港の名前はどこから?

香と臭では、字の成り立ちも全く異なる
 匂いには「香」という字と「臭」という字がある。同じように匂いに関する漢字であるにもかかわらず、その成り立ちはまったく異なる。「香」という字は、黍の発酵する時の甘い香りから、この漢字ができた。時期は農業が発達した頃でで始めてお目にかかる。一方「臭」は鼻という字と犬という字の組み合わせである。犬が鼻がよく聞くところからこの漢字ができたとされる。甲骨文字の中にみられる。
 現在では、さまざまな香水が合成されたり、抽出されたりして広く使われている。その歴史は古く、天然香料にも植物性、動物性のものがあり、また科学の進歩により様々な香水が開発されている。


豆知識:また香港の名前の由来は?
ヴィキペディアによると、今話題の香港の名前の由来は:珠江デルタの東莞周辺から集められた香木の集積地となっていた湾と沿岸の村の名前に由来する。

引用 「汉字密码」(P213,唐汉,学林出版社)


 黍は無論飯も作りまた酒も作る。皆香りと味はよく、古人は香りという字を作る時「黍」と「甘い」という字を組み合わせた。以降黍の音を簡略化し禾とし、ついに「香」という現在の字が出来た。




天然香料
植物性香料:花、葉、果実、樹皮、根から抽出される
動物性香料:動物の生殖腺分泌物等から。ムスク(麝香、ジャコウジカ)、シベット(霊猫香、ジャコウネコ)、アンバーグリス(龍涎香、マッコウクジラの腸内結石)、カストリウム(海狸香、ビーバー)、ジャコウネズミの5種が知られており、シベットのみエチオピア産の天然香料が使われることがある。
 それ以外は、現在ではほぼ合成へ移行している。


合成香料
合成香料:自然界の香りの成分を分析し、同じ構造の化合物を原料から化学的に合成する。あるいは天然には無いものを合成する(例: 白檀の天然香料はサンタロールという物質だが、非常に稀少で合成も難しい。そのため、イソカンフィルシクロヘキサノール、フランスのジヴォダン(Givaudan)社が開発したサンダロア、スイスのフィルメニッヒ(Firmenich)社が開発したポリサントールなどの物質が用いられている)。

単離香料
天然の香料から成分を部分的に分離させる(例:ハッカからメントールを造るのがこの方法)。


香水にかかわる歴史
 紀元前1850年頃に香水を製造していたという最古の工場跡がギリシアで発掘された。
 アルコールに溶かす香水が作られるようになったのは、イスラム社会でアルコールの製造法がヨーロッパに伝えられてからである。それまでは油脂に香りを吸着させた香油やポマードが使用されていた。14世紀にハンガリー王室で使用された、ローズマリーを原料としたもの(ハンガリアンウォーター)がそれである。その後、ルネサンス期のイタリアで発展し、ヨーロッパ各地に広まっていった。
 16世紀から19世紀までのヨーロッパ(特にフランス)では、風呂に入ると梅毒などの病気になりやすいと信じられたため、入浴という行為が一般的でなく、国王ですら一生に3回しか入浴しなかったという記録があるほど。そのため香水は体臭消しとして発達していった。またなめし革の臭いを取るためにも使われた。しかしルネッサンス時代の絵画には、入浴、沐浴シーンが見られ、入浴だけに付いて言えば時代は逆行したのではないだろうか。(以上ウイキペディアより)
 この香料を求め、西洋から東洋に艦隊を組んで航海する時代が続き、「大航海時代」といわれる時代が幕を開け、結果的には、航海技術の発達、大陸の発見など、大きな出来事が続いて、地球をくまなく征服されることとなった。

 このように西洋では香水が主流であったが、日本では「香」を焚きしめる方法が重んじられた。平安貴族の間では、香を言い当てるゲームなども盛んに行われて、そのありさまは「源氏物語」の中でも、描写されている。この時代は風呂など入らなかったようで、体に付いた臭いは香をたきしめてごまかしていた。西洋の貴族が香水を振りかけるのと同じである。
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2012年7月12日木曜日

「黍」酒の原料:漢字の起源と由来 稷の穂が分かれ、斜め下に垂れている状態を表す


「黍」と「稷}

おなじキビでも漢字に書くと「黍」と「稷」。 「漢字源」によると、
  • 「黍」:穀物の名。実は赤、白、黄、黒など数種類ある。北中国では主食にし、飯、粥を作り、酒を醸すのに用いられた。香りと粘りがある。

  • 「稷」:イネ科の一年草。弥生時代に中国から伝来した。茎の高さは1m内外。葉は長く広線形。糯と粳の2種類ある。穀物の長と言われる。

黄酒と白酒

  この黍を原料とした酒に「黄酒」があり、一方高粱を原料とした酒に「白酒」がある。この白酒はアルコール度50、60%というのが一般的だ。飲み方は日本の焼酎の様にお湯割り、水わりと言うのはなく、原酒でかぱかぱ飲むのが常識である。日本流に考えて、「お湯割り頂戴!」なんて言うものなら、馬鹿にされるので、言わない方がいい。自信なければ、初めから「飲めません」と断るのがいい。中途半端な飲み方は、人間も中途半端と思われるのがおちだ。

  日本語では同じ読みの「きび」でも、甲骨文字では全く異なった形をしている。このことは、中国古代では両者は異なる使い方をされていたのではなかったろうか。

引用 「汉字密码」(P212, 唐汉,学林出版社)

漢字「黍」の起源と成り立ち:上部は稷の穂が分かれ、斜め下に垂れている状態


 漢字の成り立ち:甲骨文字の「黍」は上部は稷の穂が分かれ、斜め下に垂れている状態を言う。下部は根で右辺は水を表す。
 「黍」は季子ともいう。皮を取り去った後は、大黄米ともいう。現在では陕西、山西省の北部、内蒙古の少数の旱魃、高地、寒冷地を除きこの種の糧食作物を植えることは少なくなっている。

しかし、黍は上古の時代は十分その地位は顕著であった。黍米は粟と比べ粒が大きくその色は黄色で、成熟した後一筋の香りもある。貴族だけが常食してた。平民は粟飯を食べていた。



黍
 甲骨文字の「黍」は上部は稷の穂が分かれ、斜め下に垂れている状態を言う。下部は根で右辺は水を表す。小篆の黍の字形が変化し、禾と雨の。説文は「黍」を解釈して、禾に属する粒もの也。 黍は酒にもなり、水の入った穀物。また黍の字の構成中水があり、黍が水をよく吸収することを示している。右の画像は黍の穂である。(ウィキペディアより)


黍と酒


  酒の重要性は食物にも似ていた。古人は飲む酒も酒粕も正に一切食用であった。甲骨卜辞の中に常に出現する一種の酒即ち鬯(古代の酒、黒キビを原料とし鬱金草を混ぜてかもした匂い酒)は香草と黍を合わせて醸した匂い酒である。古人は黍で匂い酒を造った。黍を脱穀後一旦蒸して色が済んだ色になると一種の心や臓腑にしみる香気をもつ。黍を用いて造った酒は広軌が黍飯に比べ、濃厚で人を酔わせる。この為この種の酒は常々個人が祖先の神霊にお供えするために作るものだった。




黍と香り

  黍は無論飯も作りまた酒も作る。皆香りと味はよく、個人は香りという字を作る時黍と甘いという字を組み合わせた。


「黍」は「香」の字の原字

  以降黍の音を簡略化し禾とし、ついに「香」という現在の字が出来た。  黍を蒸す時一種の粘りがある。北方の農村ではいつも正月にはこの大黄米を使って、餅や粽を作り親戚や友人を接待した。この為、「胶」と「黏」の字を表示して、「占」の音で、麦飯の粘りの意味を表す。

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2012年4月24日火曜日

漢字の世界では、家の中に酒があることが「富」ということ

  最近日本では貧富の差が拡大しているといわれている。これは米国が先行し、最近では中国もまた同様という。貧富の差は「資本主義国」の専売特許であったが、近年未だ社会主義を標ぼうしている中国でもこの傾向が出ている。ということは中国は既に社会主義を標ぼうできる状態ではなくなって、資本主義に嵌っていると言わねばならないのではなかろうか。
 最も私から言わせれば、中国のそれは資本主義というより、金本主義という言葉がぴったりなのではと考えている。つまり土地の私的所有は認められていない、資本家がまだそれほど育っていない。賃金労働者の権利つまり「自分の労働力を売る」場所(市場)が成熟していない等などの状況では資本主義というには・・・。
 私の見解はともかく、「富」という漢字のルーツに当たって見た。当って見て驚いた。何と「富」という字は酒に関係しているということだ。それなら我が家では酒を切らしたことはない。しかし貧乏だ。やっぱり世の中間違っている?いや狂っているのは俺の頭?


  甲骨文字の富の字は家の中に一瓶のおいしい酒があるという意味だ。江統《酒諾》曰く「飯が尽きず、暇にまかせて、鬱々と味を為し、気を長く蓄え芳し」。酒を醸成するための前提条件は、まず腹いっぱい食べることだ。併せて飯が尽きないほどあること。
 上古時代、日々皆腹を満たすことはたやすいことではない。あまった食物を酒に発酵できれば当然相当豊かになれる。ここでは屋内の酒は豊かな生活の源である。金文の「富」と甲骨の文字とはよく似ている。小篆の「富」の字は将に屋内に酒瓶の形をしている小篆では字を分解して象形の面白みがなくなっている。 

  「富」の本義は富んで充足していること。常に財物が多いことを表し、「貧」に相対している。論語「学而」の中にあるように「貧しいこと語ることなく、富んでいること驕ることなく」という格言がある。《漢書・食貨志》には更に「富める者田を連ね道を連ね、貧しいもの立錐の余地なく」の社会描写。ここでの富は皆財物が多いという意味である。しかしここまで来ると中国の上古の話ではなく、日本の現代の話そのものではないか。

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2012年4月16日月曜日

漢字「配」の起源と由来:酒瓶を配る男の意味

「配」は酒を配る人の意味。
「配」は会意文字である。甲骨文字と金文の「配」の字の左辺は酒瓶を表す「酉」である。右辺は膝まづいて中腰になった男を表している。両形とも会意文字で今酒をその他の人に配り分けている様を表示している。小篆の「配」の左辺は「酉」であるが右辺の人の形には変化がみられる。すでに人の形ではない。楷書の「配」の形は、この縁から人の形はさらに一歩変化し、ついに酉と己からなる会意文字となっている。

 配の原義は酒を分配する人の意味である。また古語の中では「男女の結合」ということで、「配偶、匹配」等の様に用いられた。又さらに拡張されて、若干の部分で「調配、塔配、配料のように一緒という意味にも用いられた。 「配備」の様に補充して完備するという意味にも拡張された。成語の中でも「成龍配套」(各部を組み合わせて完成したシステムを作る)様に使われる。
 「配」は古代ではまた「発配」を指す。即ち流刑懲罰の罪を受けるという意味である。

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2012年3月27日火曜日

漢字「醜」と「丑」の語源と由来:漢字「醜」は元来酒の上の失態から来ている。丑は醜の簡体字

漢字「醜」は元来酒の上の失態から来ている
「醜」と「丑」の語源と由来:漢字「醜」は元来酒の上の失態から来ている。丑は醜の簡体字
 「酒」と同じ部首を持つ漢字に「醜」という字がある。この字は日本では醜いという意味に使われるが、中国でも同じである。
 「醜」は会意・形声文字である。甲骨文字の左辺は「酉」で酒を表し、右辺は「鬼」の字である。酒に酔っての失態を表し、人をして悪い感じを与える意味である。

 小篆と楷書の「醜」の字は一脈通じる。漢字の簡略化の時、この「醜」という字は「丑」の字と統一しようとした経緯もあり、現在では「丑」は「醜」の簡体字となっている。

 何でこうなったか分からないが、丑にとってはえらい迷惑!

  「丑」と「醜」は源は異なる。意味は両字とも同じではない。「丑」の字源は「嬰児が出生時に手をにぎりしめていること」から来ている。この十二支の2番目。

 「醜」は元来酒の上の失態から来ている。鬼と同様で人の憎悪を起こさせる。
 
 昔、日本では酔っ払い天国といわれて、酔っ払いというのは寛容に見られていたが、中国では昔から酒の上の失態は「醜い」ものとされ不名誉なことと見られていたのは、字の上からでも容易に頷けることである。
 しかし、中国も、李白の様な人間は別格と見られていたようだ。彼は豪放磊落であり、しかもかれの権力に拘束されない姿勢が、酒の上の失態を帳消しにしていしまう見方が支配的なのかもしれない。
 酒の上でことでも世間の目はさらに厳しくなっている。くれぐれもご用心あれ。これは自分への戒めだ。

漢字源の解釈
会意兼形声。「鬼(みっともない亡霊)+音符酉(=酋:ぐっとちじまる)」
 良く分からないが、みっともないので困って縮まっているという意味か


結び
 現在では「丑」は「醜」の簡体字となっている。
 漢字の簡略化の時、この「醜」という字は「丑」の字と統一しようとした経緯もあるが、何でこうなったか分からないが、丑にとってはえらい迷惑!


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2012年3月26日月曜日

「酒」よもやま話と漢字「酒」の起源と由来

 ここでは、少し趣向を変えて「「酒」のよもやま話と漢字「酒」の起源と由来」について触れたいと思うので、酒で一献傾けるつもりでお付き合い願えたら幸いです。

中国の酒
 中国の酒は地域ごとに製造機法と独特の味,香りを持っていてその種類と名前が多様で、約5,000種以上に上ると云われている。 中国酒は製造方法により大きく分けて白酒,薬味酒,黄酒に分類される。

白酒
 白酒は一般蒸留式透明な色の酒でよく白干だと呼ぶ。酒の主原料は高粱であり、とうもろこし、小麦、エンドウなども原料で使われる。 蒸留式技法で製造される白酒のアルコール度数は38-60%間で、透明な色を持っている。 代表的な酒としては古井貢酒,五粮液,茅台酒,孔宝家酒などがある。一般的に香りがきつく最初は腰が引けてしまうが、慣れるとこの「くせ」に嵌ってしまう。

 薬味酒は白酒に色々な漢方薬などを添加して、糖分を含む酒で製品の類型はリキュール酒に属する。 代表的な酒としては五加皮酒、竹葉青酒などがある。 


黄酒
 黄酒は米を原料とした醸造酒で、揚子江南部が主要生産地で紹興酒が有名である。この為中国南部では紹興酒が好まれ、北部では白酒が多く呑まれているようだが、最近では、ビールの需要が大きくなってきている。

ビール

 ビールは青島ビールが有名だが、ハルピンビール等地産のビールが結構販路を伸ばしている。近年は宴会では白酒が結構呑まれるが、日常生活ではビールがシェアが伝統的な酒より需要は大きくなていると思う。

 私も元来酒が嫌いな方ではなかったので、中国ではいろいろの酒を飲んだ。押し並べての感想は、

中国の酒の特徴

  1. 中国酒は一般的に製造過程に独特の香りを持っている。
  2. また、どの酒もそこそこの品質を保っているように思える。つまり中国人は酒であまり嘘をつかないのでは?(酒の上でという意味ではなく)酒そのものは真面目に取り扱っているように思えるという意味だ。
  3. 千差万別とは思うが、そこそこの酒を安く飲めるということだ。びっくりしたのは天津の地酒(白酒)を500cc2元で替えたということものあった。日本円で30円である。

漢字の「酒」
さて漢字の「酒」について立ち返って見よう。

    
「酒」これは会意文字であり、形声文字でもある。甲骨の字の酒の字は「酉」の字である。即ち酒瓶の象形文字である。両側の曲線は酒が溢れ出している様を表し、また酒の香りが四散しているとも理解できる。金文の酒の字は水の字を用いて、酒が大きな酒瓶に入った液体であることを強調している。

   小篆の酒は左側に水の字を加え、液体であることが強調されている。右辺の「酉」は盛器を表示している。楷書は小篆を引き継いでいる。


酒の文化の浸透
 酒を飲むこと及び酒文化が盛んになると強く人の精神を恍惚とせしめようになる。上古先民の意識の中では、酒は人々の虚ろで幻想の世界に入るのを助け、一種の人と神の関係を橋渡しする霊的なものを備えていると考えるようになった。その為に祝い事、神霊の祭祀から兵士の出征等すべてに酒を離れることが出来なくなった。酒ある方に祭りあり、酒ある方に宴ありの状態に達するまでに至った。

 しかし上古の時代には先民たちは未だ酒を十分飲むことはなく、酒は医療や病気に用いていた。これは□(医の旧字)の字には酉がつく理由である。
  殷商時期、酒は人々が大変好んだもので、祖先祭祀、出征の時、愛を交歓する全て時に時酒から離れることはできなかった。アルコールは殷商民族のプライドを実際以上に誇大にしたため(一種のアルコール中毒)、征伐は頻頻で残酷であった。アルコール中毒の為出産率が低下た。「醜聞天にも聞こえた為天は降りて来て殷を滅ぼし周に取って代わった」と言い伝えられている。つまり殷は酒で滅んだということだろうか。殷の紂王の淫乱から生まれた諺(成語)に「酒池肉林」がある。
酒にかかわる故事・成語がより詳しく展開されています



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