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2013年3月8日金曜日

漢字「香」の起源と由来 また香港の名前はどこから?

香と臭では、字の成り立ちも全く異なる
 匂いには「香」という字と「臭」という字がある。同じように匂いに関する漢字であるにもかかわらず、その成り立ちはまったく異なる。「香」という字は、黍の発酵する時の甘い香りから、この漢字ができた。時期は農業が発達した頃でで始めてお目にかかる。一方「臭」は鼻という字と犬という字の組み合わせである。犬が鼻がよく聞くところからこの漢字ができたとされる。甲骨文字の中にみられる。
 現在では、さまざまな香水が合成されたり、抽出されたりして広く使われている。その歴史は古く、天然香料にも植物性、動物性のものがあり、また科学の進歩により様々な香水が開発されている。


豆知識:また香港の名前の由来は?
ヴィキペディアによると、今話題の香港の名前の由来は:珠江デルタの東莞周辺から集められた香木の集積地となっていた湾と沿岸の村の名前に由来する。

引用 「汉字密码」(P213,唐汉,学林出版社)


 黍は無論飯も作りまた酒も作る。皆香りと味はよく、古人は香りという字を作る時「黍」と「甘い」という字を組み合わせた。以降黍の音を簡略化し禾とし、ついに「香」という現在の字が出来た。




天然香料
植物性香料:花、葉、果実、樹皮、根から抽出される
動物性香料:動物の生殖腺分泌物等から。ムスク(麝香、ジャコウジカ)、シベット(霊猫香、ジャコウネコ)、アンバーグリス(龍涎香、マッコウクジラの腸内結石)、カストリウム(海狸香、ビーバー)、ジャコウネズミの5種が知られており、シベットのみエチオピア産の天然香料が使われることがある。
 それ以外は、現在ではほぼ合成へ移行している。


合成香料
合成香料:自然界の香りの成分を分析し、同じ構造の化合物を原料から化学的に合成する。あるいは天然には無いものを合成する(例: 白檀の天然香料はサンタロールという物質だが、非常に稀少で合成も難しい。そのため、イソカンフィルシクロヘキサノール、フランスのジヴォダン(Givaudan)社が開発したサンダロア、スイスのフィルメニッヒ(Firmenich)社が開発したポリサントールなどの物質が用いられている)。

単離香料
天然の香料から成分を部分的に分離させる(例:ハッカからメントールを造るのがこの方法)。


香水にかかわる歴史
 紀元前1850年頃に香水を製造していたという最古の工場跡がギリシアで発掘された。
 アルコールに溶かす香水が作られるようになったのは、イスラム社会でアルコールの製造法がヨーロッパに伝えられてからである。それまでは油脂に香りを吸着させた香油やポマードが使用されていた。14世紀にハンガリー王室で使用された、ローズマリーを原料としたもの(ハンガリアンウォーター)がそれである。その後、ルネサンス期のイタリアで発展し、ヨーロッパ各地に広まっていった。
 16世紀から19世紀までのヨーロッパ(特にフランス)では、風呂に入ると梅毒などの病気になりやすいと信じられたため、入浴という行為が一般的でなく、国王ですら一生に3回しか入浴しなかったという記録があるほど。そのため香水は体臭消しとして発達していった。またなめし革の臭いを取るためにも使われた。しかしルネッサンス時代の絵画には、入浴、沐浴シーンが見られ、入浴だけに付いて言えば時代は逆行したのではないだろうか。(以上ウイキペディアより)
 この香料を求め、西洋から東洋に艦隊を組んで航海する時代が続き、「大航海時代」といわれる時代が幕を開け、結果的には、航海技術の発達、大陸の発見など、大きな出来事が続いて、地球をくまなく征服されることとなった。

 このように西洋では香水が主流であったが、日本では「香」を焚きしめる方法が重んじられた。平安貴族の間では、香を言い当てるゲームなども盛んに行われて、そのありさまは「源氏物語」の中でも、描写されている。この時代は風呂など入らなかったようで、体に付いた臭いは香をたきしめてごまかしていた。西洋の貴族が香水を振りかけるのと同じである。
「漢字の起源と成り立ち 『甲骨文字の秘密』のホームページ」に戻ります。
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2012年7月28日土曜日

古人の主食:粟、米、麦、稷、豆 総称の「禾」の起源、由来


中国は東アジアの文明の中心である。

  世界農業の主要な発祥の地である。考古学者は今から7、8千年前の多くの遺跡中に粟、黍、稲等の穀物の遺物を発見し、また多くの簡単ではあるが十分実用的な生産工具や食料を加工する各種器具を発見した。
 中国は東アジアの文明の中心である。また世界農業の主要な発祥の地である。考古学者は今から7、8千年前の多くの遺跡中に粟、黍、稲等の穀物の遺物を発見し、また多くの簡単ではあるが十分実用的な生産工具や食料を加工する各種器具を発見した。この歴史的遺物は、有史以前に農耕文明が燦然と輝いている存在であることを示している。

引用 「汉字密码」(唐汉,学林出版社)

「禾」は五穀(米、麦、粟、稷、豆)の総称
「禾」は五穀(米、麦、粟、稷、豆)の総称
 その頃は主食は北方の地域では、稷(きび)や粟であったろう。これらの作物は乾燥に強く、干上がることの多かった黄河流域の比較的北方の地域ではよく作付されていたであろう。ところが南方即ち長江流域では既に米の栽培がなされており、水田も多く広がっていたと考えられる。それぞれが植えられ始めた時期はそれほど違ってはいないだろうと考えられている。


古代人の主食は「禾」

 禾という字の甲骨文字、金文は皆熟した穀物の様である。下部は根、中部は葉、上部は一方に垂れた穀物の穂である。古文の字を作った意味は見て分かるように、穀物で、まさに完全な形状をなしていて、本義は穀物を表す。 説文によると、禾を解釈して、よく実った穀物のこと。二月に生え始め、8月に熟し、時を得るうち、これ禾というなりとある。


「禾」は五穀の総称


 ここで禾は実際は粟のことを言い、粟を脱穀したものをいい、これが北方地方では古代では主食であった。これは猫じゃらしが穀物として成功したものだ。中国東北地方の旱作農業地域では主要な糧食であった。

 こうして何千年のうちに、農耕技術も発達し、貧富の差が生まれ、村が邑となり、大きな邑連合が形成され、都市国家を形成するようになり、殷商の時代に突入して行く。 
殷商の時代には広くいきわたり、産量が最大の糧食作物になっていた。秦の時代には禾は穀物を指し、もっぱら粟のことを指していた。

  漢字が甲骨文から金文に至るまで一つの例外もなく、歴史的証左で、一字一字農耕文明の残した暗号が数多くあり、農業技術の一歩一歩の推進を示している。また、同時に華夏民族の農業の文明の歴史過程を反映したものであることが分かる。 

「漢字の世界の起源と源流を探る」のホームページに戻ります。

2012年7月12日木曜日

「黍」酒の原料:漢字の起源と由来 稷の穂が分かれ、斜め下に垂れている状態を表す


「黍」と「稷}

おなじキビでも漢字に書くと「黍」と「稷」。 「漢字源」によると、
  • 「黍」:穀物の名。実は赤、白、黄、黒など数種類ある。北中国では主食にし、飯、粥を作り、酒を醸すのに用いられた。香りと粘りがある。

  • 「稷」:イネ科の一年草。弥生時代に中国から伝来した。茎の高さは1m内外。葉は長く広線形。糯と粳の2種類ある。穀物の長と言われる。

黄酒と白酒

  この黍を原料とした酒に「黄酒」があり、一方高粱を原料とした酒に「白酒」がある。この白酒はアルコール度50、60%というのが一般的だ。飲み方は日本の焼酎の様にお湯割り、水わりと言うのはなく、原酒でかぱかぱ飲むのが常識である。日本流に考えて、「お湯割り頂戴!」なんて言うものなら、馬鹿にされるので、言わない方がいい。自信なければ、初めから「飲めません」と断るのがいい。中途半端な飲み方は、人間も中途半端と思われるのがおちだ。

  日本語では同じ読みの「きび」でも、甲骨文字では全く異なった形をしている。このことは、中国古代では両者は異なる使い方をされていたのではなかったろうか。

引用 「汉字密码」(P212, 唐汉,学林出版社)

漢字「黍」の起源と成り立ち:上部は稷の穂が分かれ、斜め下に垂れている状態


 漢字の成り立ち:甲骨文字の「黍」は上部は稷の穂が分かれ、斜め下に垂れている状態を言う。下部は根で右辺は水を表す。
 「黍」は季子ともいう。皮を取り去った後は、大黄米ともいう。現在では陕西、山西省の北部、内蒙古の少数の旱魃、高地、寒冷地を除きこの種の糧食作物を植えることは少なくなっている。

しかし、黍は上古の時代は十分その地位は顕著であった。黍米は粟と比べ粒が大きくその色は黄色で、成熟した後一筋の香りもある。貴族だけが常食してた。平民は粟飯を食べていた。



黍
 甲骨文字の「黍」は上部は稷の穂が分かれ、斜め下に垂れている状態を言う。下部は根で右辺は水を表す。小篆の黍の字形が変化し、禾と雨の。説文は「黍」を解釈して、禾に属する粒もの也。 黍は酒にもなり、水の入った穀物。また黍の字の構成中水があり、黍が水をよく吸収することを示している。右の画像は黍の穂である。(ウィキペディアより)


黍と酒


  酒の重要性は食物にも似ていた。古人は飲む酒も酒粕も正に一切食用であった。甲骨卜辞の中に常に出現する一種の酒即ち鬯(古代の酒、黒キビを原料とし鬱金草を混ぜてかもした匂い酒)は香草と黍を合わせて醸した匂い酒である。古人は黍で匂い酒を造った。黍を脱穀後一旦蒸して色が済んだ色になると一種の心や臓腑にしみる香気をもつ。黍を用いて造った酒は広軌が黍飯に比べ、濃厚で人を酔わせる。この為この種の酒は常々個人が祖先の神霊にお供えするために作るものだった。




黍と香り

  黍は無論飯も作りまた酒も作る。皆香りと味はよく、個人は香りという字を作る時黍と甘いという字を組み合わせた。


「黍」は「香」の字の原字

  以降黍の音を簡略化し禾とし、ついに「香」という現在の字が出来た。  黍を蒸す時一種の粘りがある。北方の農村ではいつも正月にはこの大黄米を使って、餅や粽を作り親戚や友人を接待した。この為、「胶」と「黏」の字を表示して、「占」の音で、麦飯の粘りの意味を表す。

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