ラベル の投稿を表示しています。 すべての投稿を表示
ラベル の投稿を表示しています。 すべての投稿を表示

2020年12月5日土曜日

漢字「豐」(豊)の起源と成り立ち:たかつきという足の高い器に山盛りに盛りつけた様子の象形文字



引用:「汉字密码」(P737、唐汉著,学林出版社)
唐漢氏の解釈
 甲骨文字と金文の「豐」の字は本来上古の時代では客を迎えた時、玉器を飾る習慣があった。即ち珍蔵の玉や玉器などを選んで来て、誇示するのと併せて誠心の付き合いの生活情景。上古の時代、客を接待するのに祭りの品を奉献し玉器の数量の多いことで誠意を推し量った。俗語でいわゆる「出血を惜しまない」ということだ。因みに「豐」は「盛んなること」「数の多いこと」の意味がある。小篆の丰を別の意味と区別するようにし、もっぱら豊盛の意味だけに用いるようにし、豊の字とは細かい区別を生じ二つの丰の間に一つの区分けの記号を設けた。楷書では「豐」と書き、簡略化の方式の決りから「丰」を簡体字とした。 

 丰の本義は盛んなること、数の多いことである。現代中国語では「豊か」という意味では、「丰」が用いられ、漢字「豊」は、「たかつき」の意味に使われているようだ。


字統の解釈
 豆中にものを盛って入れた形。説文に「豆の豊満なるものなり」をいう。



漢字源の解釈
 会意兼形声文字、丰は△型に実った穂を描いた象形文字。豐は山+豆(たかつき)+音符丰二つ」で、たかつきの上に、山盛りに△型を為すように穀物を盛ったことを示す


結び
 豐と豊は別字である。豐の簡体字は現代中国では、丰と書く。

「漢字の起源と成り立ち 『甲骨文字の秘密』」のホームページに戻ります。

2020年4月19日日曜日

漢字「既」:眼前のご馳走を見て、食べ飽きて見るのも嫌という表情



 漢字は作り出された過程が漢字の中に盛り込まれてそれを跡付けることは本当に面白い。例えばこの「既」という漢字である。食べ物を前にして、それにそっぽを向く人物から成り立っているが、実に面白く、ユーモアに満ち満ちている。このような面白さは、アルファベットなどの表音文字では決して見ることが出来ないものである。これこそが、漢字が数千年もの間、多数の民族の間で使われてきた理由の一つといえるのではないか。


引用:「汉字密码」(P662、唐汉著,学林出版社)
唐漢氏の考察
 甲骨文字の「既」の字は、右側の高脚の食器(つまり豆)、先の尖った部分はそれが食物でいっぱいであることを示し、左側は食べ物に背を向けてひざまずいて、口を開けて頭を回して、満腹であることを示している人です。 金文の「既」の部分は少し歪んでいて、右側は顔を後ろに向けたままの半立ちの人で、口を開いているので、食べた後に離れることを示しています。小篆の「既」という言葉は訛りが発生しており、左側の食べ物と右側の口を開けた人は見えませんが、テキストの形はより美しくなっています。楷書は小篆を引き継ぎ、「既」と書きます。


「食」の原字を意味する「豆」
字統の解釈
 食べ物を山盛りにした器に背を向けて口を開く形で、食すること既に足り嫌気を催しているさま。食し終える意味からすべてことの終わること。


漢字源の解釈
 会意兼形声文字:腹いっぱいになっておくびの出るさま。ご馳走を食べて腹いっぱいになること、限度まで言ってしまう意から[既にという意味を派生したとある。



結び
 「既」の左側は元々高脚の食器を表しており、これに蓋をすると、「食」という字になる。こうしてみると漢字というものは、実に人々の生活から出来たものであることがよく分かる。



「漢字の起源と成り立ち 『甲骨文字の秘密』」のホームページに戻ります。

2013年2月28日木曜日

漢字「豆」の成り立ちと由来:元々は足の高い器を指す


漢字「豆」の起源と由来:元々は足の高い器を指す。器に豆などの穀物を盛って神々や祖先にお供えをしたことからお供えそのもを「豆」と呼ぶようになった
豆は「畑の肉」と言われたんぱく質を豊富に含んでいる。そのため、たんぱく質を取ることができなかった日本の昔の僧侶たちはタンパク質をもっぱら豆に求めてきた。
 そういう意味では穀物の中にあって、もっぱら炭水化物をその主成分とする米や麦と異なり、特別の位置を占めていたといえる。豆の歴史は古く、中国が原産で考古学上の発見も早くから食されてきたという証拠が発見されている。
 では、漢字の豆はどこからきているのか?
引用 「汉字密码」(P217,唐汉,学林出版社)
 「豆」は「菽」(豆の総称をこう呼んだ)の後の名前だ。豆の本義は一種の食器を示す。これは一種の足の高い皿の象形デッサンだ。古代の先民は常々熱く熱した豆をこの種の高い脚のお皿の上に盛り付けて食事に出していた。また祖先や神々にお供えする盛り付けからも来ている。この過程の中で、先民たちは豆の形の皿の造形が中間部分が大きく、上下がやや細の長く、大豆やソラマメの類と外径が良く似ていることを発見した。この為漢代以降「豆」はこの種のだ円形の植物の種子の呼称に用いられるようになった。

 大豆は中国で最も早くから栽培され、今日までもう数千年の歴史を持っている。現在世界中で植えられている大豆の源は皆中国からのものだ。考古学では最も早い大豆の実物を発見されている。春秋時代には晋国の、今の山西省の「候馬」から出土している。二千年前の「詩経」の中に「中原に菽あり、庶民これを采すとある。」古文書の中では早くから「豆を食べると人は重たくなる」の記述があるが、これは豆を食べると太ってしまうという意味だ。これから、古人は早くから既に豆が豊富なたんぱく質を含んでいるということを実生活から学んでいたようだ。
「漢字の起源と成り立ち 『甲骨文字の秘密』」のホームページに戻ります。


2012年7月28日土曜日

古人の主食:粟、米、麦、稷、豆 総称の「禾」の起源、由来


中国は東アジアの文明の中心である。

  世界農業の主要な発祥の地である。考古学者は今から7、8千年前の多くの遺跡中に粟、黍、稲等の穀物の遺物を発見し、また多くの簡単ではあるが十分実用的な生産工具や食料を加工する各種器具を発見した。
 中国は東アジアの文明の中心である。また世界農業の主要な発祥の地である。考古学者は今から7、8千年前の多くの遺跡中に粟、黍、稲等の穀物の遺物を発見し、また多くの簡単ではあるが十分実用的な生産工具や食料を加工する各種器具を発見した。この歴史的遺物は、有史以前に農耕文明が燦然と輝いている存在であることを示している。

引用 「汉字密码」(唐汉,学林出版社)

「禾」は五穀(米、麦、粟、稷、豆)の総称
「禾」は五穀(米、麦、粟、稷、豆)の総称
 その頃は主食は北方の地域では、稷(きび)や粟であったろう。これらの作物は乾燥に強く、干上がることの多かった黄河流域の比較的北方の地域ではよく作付されていたであろう。ところが南方即ち長江流域では既に米の栽培がなされており、水田も多く広がっていたと考えられる。それぞれが植えられ始めた時期はそれほど違ってはいないだろうと考えられている。


古代人の主食は「禾」

 禾という字の甲骨文字、金文は皆熟した穀物の様である。下部は根、中部は葉、上部は一方に垂れた穀物の穂である。古文の字を作った意味は見て分かるように、穀物で、まさに完全な形状をなしていて、本義は穀物を表す。 説文によると、禾を解釈して、よく実った穀物のこと。二月に生え始め、8月に熟し、時を得るうち、これ禾というなりとある。


「禾」は五穀の総称


 ここで禾は実際は粟のことを言い、粟を脱穀したものをいい、これが北方地方では古代では主食であった。これは猫じゃらしが穀物として成功したものだ。中国東北地方の旱作農業地域では主要な糧食であった。

 こうして何千年のうちに、農耕技術も発達し、貧富の差が生まれ、村が邑となり、大きな邑連合が形成され、都市国家を形成するようになり、殷商の時代に突入して行く。 
殷商の時代には広くいきわたり、産量が最大の糧食作物になっていた。秦の時代には禾は穀物を指し、もっぱら粟のことを指していた。

  漢字が甲骨文から金文に至るまで一つの例外もなく、歴史的証左で、一字一字農耕文明の残した暗号が数多くあり、農業技術の一歩一歩の推進を示している。また、同時に華夏民族の農業の文明の歴史過程を反映したものであることが分かる。 

「漢字の世界の起源と源流を探る」のホームページに戻ります。

2012年4月21日土曜日

「豆」の起源と由来:元々は脚の高い食器であった

 前回「食」の字の中に食器を表す「豆」が含まれていることを紹介した。今回はこの「豆」についてもう少し触れてみよう。
 今では日本でも中国でも「豆」と言えば、食べる豆のことを指す。しかし古代ではこれは、食べる豆ではなく、豆などを盛り付けた脚の高い食器を指していた。
「豆」元々は食べる豆ではなく
豆を入れる食器を現わしていた
 「豆」これは象形文字である。甲骨の文字の形体から見ると、「豆」は高い脚の皿である。中にこの高脚皿の中に付けられた物が表されている。金文と甲骨文字は相似である。ただ上部の横一線があるだけで、この一時期の銅豆或いは蓋を表示している。小篆と金文は相似であるが、真ん中の食物を表示していた横線が取り消され、楷書では「豆」と書くようになっている。
 「陶豆」は最初は新石器時代にみられた。商周の時代にはこの種は主食の盛り付けに用いられ、既に日常で常に見られる陶器になっている。1987年安陽の殷墓から出土した銅豆の中にも鳥の骨が発見されていることから、豆も肉を盛り付ける器であったとみられる。「豆」が日常食器となったことから黍の主食の盛り付けに用いられている。また「器皿」などの容量単位として用いられている。単位としては四升は一豆に等しい。
  豆類の植物の総称を豆とするようになったのは、一種の仮借の問題である。上古の豆類はと「菽」と書いた。豆は常々豆類が豆の上に盛り付けられた為に、人々は豆類を豆と称するようになった。

「漢字の起源と由来ホームページ」に戻ります。

2012年4月19日木曜日

「食」の漢字の語源と由来:食器に盛り付けた御馳走


「食」の原義は足の高い食器(「豆」と書いた)に
盛り付けられた食物の意味
  「食」これは会意文字である。甲骨文字の「食」の字は、下部は食器(即ち豆)の外形のデッサンである。食器の上部は尖がっておりまた両側は2個の点があり、既に盛り付けて外に溢れ出ている様を表している。上部の三角形は男性の符号である。両者の会意で、外に出て狩りをし、採取をして、将に帰って来た男たちの食べ物を表している。金文では書くために便利なようになり、食器の形は少し簡略化され、上部の2点も省略されている。 
 小篆の食の字は下部は既に食器の形らしからぬようになっているが、但し形上は却って美観になっている。

 楷書は即ち単純な文字の符号に変化し、甲骨文字の「食」の字の下部の「豆」と書くのは、原本は古人が、稗粟、稲、高粱等の主食を盛り付けた食器である。「食」は名詞で、専ら主食を指し、後に食物一般を指すようになった。「食」の字は殷商の卜辞の中では一つは「食べる」意味で、二つ目は食事の時間を表した。卜辞の中の「大食」の様なことは、即ち午前89時の食事の時間を言う。また朝食(大食、意味は腹いっぱい食べる);「小食」は午後4、5時の時間で、又「饗」(「小食」、意味は晩方未だ祭祀後の飲食に関連している。)この種の飲食の習慣は大采、「小采」という類の労働の習慣に適応し、即ち日の出から8,9時の労働は大采となり、十時から午後3,4時の労働は「小采」となった。

 食の本義は己の好むだけ盛り付け男の食物を残しておくことである。(少し回りくどいが・・。)また男たちが帰って来てから一緒に食べることを表す。この故に、一般的な意味の食物に拡張された。また名詞から動詞の「食べる」という意味も引き出された。
 この事から当時の生活様式や労働様式が垣間見える。


「漢字の起源と由来ホームページ」に戻ります。