引用 「汉字密码」(P875、唐汉,学林出版社)
未は会意文字である。許慎は甲骨文字の未の字は木に重なった枝や葉を表していると考えている。すなわち樹木の枝や葉っぱが多くの分岐が出てくることを用いて、伸び繁るさまを表している。草木の形の上にもう一筆増えているのはこの意味である。実際未の字は四つの足を踏ん張って伸び踊る嬰児からできたものだ。
上辺の増えた一筆は嬰児の両腕が振られ動いたさまである。下辺の縦の両ばらいは、嬰児の両脚の合わさった部分と広げたさまを表す。 金文の「未」の字は甲骨文字を受けており、小篆はまた一脈受け継ぎ、楷書は隷化し「未」と書く。
むろん「未」は草木の根から生え出す木の芽の成長からとられたもので、まだ嬰児の4肢のバタバタの動きからもその源になっており、皆どれも子女の健康に成長することを願いが深く切で切望しているものである。いわゆる「未」の本義は未然である。すなわち嬰児が今後生きるか生きられないか大きく成長するか分からない。また否定の意味もある。すなわち現在まだ夭折していないと意味もある。
「未」の字の構造及び内包されているものは、上古先民の事実に即して問題を処理する生活態度を反映している。願いは願い、事実は事実とし、彼らはまだ文筆家の嬰児の満月を恭賀する欺瞞を持ち合わせていない。
確かにいえることは「未」は一種の蓋然に対する状態の判断である。「未」暗くて不明という意味も持っている。「未」は暗いの初めの文字である。「未」は一種の蓋然で、味は嘗めてみて初めて分かるもので、味は多様で同じでない性質を持っている。このことから「未」は味の初めの文字でもある。
「未」は現代漢字の中で「将来」意味も表すことができる。未来のごとくである。また事後(起こってしまったこと)の否定の対句の意味にも用いられる。「まだない、まだ起こっていない」と同じ意味である。未知数、未婚、死活がわからないなどなど。
また否定の意味にも引用される。言葉の意味では「不」にあたる。「未敢苟同、未可厚非」(賛同しかねる、無理からぬことである)などに用いられる。
「未」十二支の中で第8番目に位置している。時間で言えば未時はすなわち午後1時から3時までの時間帯である。 注目に値するのは干支の中の12の字の中で、「子丑寅辰巳午」はすでに起こった状態を表している。しかし「未申酉戌亥」は蓋然たる状況である。二つに分けて、前者は育産の現実を表し、後者は嬰児が成長し大きくなり、立派になってほしいという願望をあらわしている。「漢字の起源と成り立ち 『甲骨文字の秘密』」のホームページに戻ります。
ようこそ、漢字考古学の道へ
漢字考古学とは?
今漢字の総数は10万字ぐらいだろうと言われてる。
これらの全ての漢字、一つ一つに意味があり、起源と由来があり、それぞれ歴史を持っている。
このブログの使命はこれら漢字の起源と成立ちを明らかにし、その背景を探る中で、人間の営みの歴史を詳らかにすることにあると考えている。
2014年11月25日火曜日
来年の干支は「未」
来年の干支は、未である。前に書いた通り、干支の歴史は古く、今から約3000年ほど前の殷商王朝の時代にはすでに、使われていた証拠が残っている。しかし昔は「子丑寅・・」という漢字が使われていたものであるが、それが今日のような「鼠、牛、虎・・・」という動物の名前にとってかわったのは、漢の時代とも言われているが、もう一つはっきりしない。その理由も諸説あるが、はっきりしてはいない。しかし、唐漢氏のように「時の移り変わり」を「妊娠、出産、成長」に当てはめてみるという見方を当時の祖先たちがとったであろうという推測もあながち奇説とも言えないものを持っている。
2012年6月18日月曜日
「ますらおぶり」と「たおやめぶり」の起源
日本人と日本文化
最近、司馬遼太郎に嵌っていることは書いたが、今読んでいるドナルド・キーンさんと司馬遼太郎の対談本「日本人と日本文化」(中公文庫)は実に面白い。その中で二人が日本人の「ますらおぶり」と「たおやめぶり」について語っている。たおやめぶり
司馬さんは、日本人の気質のベースには「たおやめぶり」があると主張している。このたおやめぶりを漢字で書くと手弱女振りということになるらしいが、字面から言うといかにも軟弱な感じが伝わってくる。そのまま、言い換えると軟弱、優柔不断、内省的などとなるが、彼がいわんとしていることは、決して卑下して言っているのではなく、むしろ優れた気質であるといっている。 一方、「ますらおぶり」とは、剛直、合理的、決断が早い、男性的となると思うが、何か正しいことを守りぬくという点で、「ますらおぶり」の人はくるっとどこかに転換してしまっているのに、「たおやめぶり」の人は頑固であるといっている。いい悪いはべつとして、これは民族の方向を決定する上できわめて重要である。民族の言語、気質と気候
わたしもかつて中国に居る友人と討論したことがあったが、日本語そのものが実に女性的ではないかと感じている。そしてその言語、民族の気質を作り上げたものこそ「気候」だろうということで、意見が一致した。日本の気候は実に女性的だ。細やかで、繊細でしかもしたたかである。気候がしたたかというと変に聞こえるかもしれないが、要はしぶといのである。変化するにもなかなか変化しない。その点中国の気候は大陸性気候で実に男性的つまり「ますらお的」である。実に単純で、はっきりしている。これはシンガポールでも、南太平洋でもそうであった。シンガポールや南太平洋の初頭の気候は海洋性気候で穏やかであり、中国のそれとは異にするが、それでも、なお男性的である。雨の降り方でも日照のあり方でも、降るとなると土砂降り、わずか2、30分も降ればぴたりとやんで、ぎらつく太陽が顔を出す。最近では日本でもゲリラ豪雨と呼ばれる現象がでているが、日本の場合そう簡単には降ったり止んだりしてくれない。因みに中国語には「ますらおぶり」とか「たおやめぶり」という語彙も当然の如く存在しない。ますらおで辞書を引くと「男子漢」「大丈夫」「好漢」という約が見つかった。また「たおやか」に対しては「優美」「閑雅」という言葉が見つかったが、いずれにしても日本語のこの語彙とはかなりの開きがある。
日本の男性作家と女性作家
日本の文学史上、基本的にはたおやめぶりで、万葉集、芭蕉、明治初期など時代・時代の変わり目の時に「ますらおぶり」の文学が現れるが、すぐにもとの「たおやめぶり」に戻ってしまう。したがって、日本の文学には「私小説」的なものが多いのである。私の勝手な心証であるが、この私小説的なものを書く作家に、意外と男性が多く、逆に女性作家の方に、ますらお的なスケールの作品を書く人が多いのではないかと感じている。長い間虐げられてきた女性は自ずと目線が下からの、社会の仕組みそのものに向けるようになっているが、男性の場合、甘やかされて育っているのか、どうしても自分中心の目線つまり「俺が俺が」の目線になってしまっているのではないだろうか。この議論少し乱暴かもしれない。
私の尊敬する作家は、山崎豊子さんである。
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