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2025年5月28日水曜日

漢字「義」の深淵:行動規範としての光と影

漢字「義」の深淵:行動規範としての光と影

漢字「義」の深淵:行動規範としての光と影

その成り立ちから現代的意義までを探るインタラクティブな旅

 

 日本では、昔から、先の大戦にいたるまでの長きに亘って、人々の行動規範として「仁、忠、貞、義」という概念がいろいろの局面で語られてきた。戦後、アメリカ文化が流入してきて、これらの封建思想は力を失ってしまったと云われている。しかし、「義」という概念だけは形を変えながら未だに日本人の行動にある種の制約・規範として影響を及ぼしており、強い力を失っていないように思える。ここでは、「義」が持つ光と影の両面を直視し、その深淵に迫ることを試みる。


    

先ずはさておき、この「漢字「義」の深淵:行動規範としての光と影」
の概要を音声でご案内をお楽しみください。

     
 

はじめに:漢字「義」への問いかけと探求

 このインタラクティブな解説アプリケーションは、漢字「義」という概念への深い探求から生まれました。実は、この「義」という概念が持つ複雑な側面、特にその「行動規範」としての機能に対する、ある種の不信感?こそが、私がこの特別なテーマを掲げた理由です。東アジア文化圏、とりわけ日本や中国において、個人の行動を深く規定してきたこの「義」は、しばしば「正しさ」や「道理」の象徴としての役割を果たものとされてきました。

正義の雄叫びはヒステリだということもある

 しかし、一方で、欧米文化における「愛 (Love)」のような概念とは異なるその性質や、「義理のために」「正義のために」といった言葉が、時に個人の行動を正当化する「言い訳」として使われる局面があることにも、私はある種の疑問を抱いてきました。
 中東や他の民族においても類似の概念が存在するのかという問いも、この探求の動機となっています。この「義」という概念こそ、東洋人と欧米人の行動規範の大きな分かれ目にあるのではないか、という私見も、このテーマを深く掘り下げるきっかけとなりました。

 このアプリケーションは、そうした「義」が持つ光と影の両面を直視し、その深淵に迫る試みです。これまでの議論で掘り下げてきた、字の成り立ちから意味の変遷、書体の変化、そして現代における多様な用法に至るまでを統合し、「義」が単なる文字以上の、思想的かつ社会的な影響力を持つ概念であることを浮き彫りにします。
 各セクションを通じて、この漢字が私たちの行動、思考、そして社会のあり方にいかに影響を与えてきたのかを多角的に考察し、その複雑な本質を共に探求していきましょう。また、「インタラクティブツール」タブでは、AIの力を借りて「義」に関するあなたの疑問をさらに深掘りしたり、他の文化圏の概念と比較したり実証することも可能です。

字の成り立ち:「義」の原点を探る

 このセクションでは、漢字「義」がどのようにして生まれたのか、その起源を古代文字にまで遡って探ります。甲骨文や金文といった古い文字資料に見られる「義」の原初的な形や、その構成要素である「羊」と「我」が持つ象徴的な意味、さらには関連する漢字「儀」との関係性について解説します。文字の形に込められた古代の人々の世界観や価値観を感じ取ってみましょう。

A. 甲骨文・金文における「義」の姿

漢字_甲骨、金文、小篆、楷書

漢字の最も古い形である甲骨文では、「義」は兵器の形に似ており、当初「羊」の要素はなかったものの、一部の柄飾りが羊の角のようであったとされます。金文の時代になると、この柄飾りが「羊」の形に変化し、「我」と「羊」を組み合わせた形が一般的になりました。

我_古代の鋸刃を持つ武器

 白川静氏の説では、「我」は鋸の象形文字で、「義」は神前で犠牲の羊を鋸で切る儀式を表し、その羊に欠陥がなく神意にかなうことが「義(ただ)しい」とされたと解釈されます。

 しかしこの説は、神の神前で鋸状の切れない武器を使って犠牲となる羊を殺すのか?という疑問が残ります。

 

B. 構成要素「羊」と「我」の原義

「羊」は古代中国で神への犠牲として重要であり、「祥」(めでたい)と関連付けられ吉祥の象徴でした。「美」や「善」など肯定的な意味を持つ漢字にも「羊」が含まれます。「我」は鋸の象形文字で犠牲を裁く道具とされますが、羊を頭上に戴く人を表し、羊の優れた性質を人が内面化する様子を示すという説もあります。

 また別の見方では、ここでの「羊」は、頭に大きな角を持ち、主導権や配偶の優先順位を守るためにしばしば死闘を繰り広げる雄羊を指し、また一方、「我」は、美しい形をした古代の長柄武器ですが、戦闘には適しておらず敵を攻撃する軍隊のシンボルとしてよく用いられる。したがって、「义」の本来の意味は、もともと「頭羊」が自らの防衛や集団の権力を守るために行う戦い、そして戦いの前に示す威厳を指していたと考えるほうが実態に近いという説もある。

 以上を総合すると、漢字「義」の成り立ちはどうであるにせよ、実態は古代の戦いにおいて、軍隊を統率する一つのアイデンティティーであったのではないかと推察されます。そしてそのように考えるほうが、時代が下っても使われる、いわゆる「義」という概念にぴったり結びつくように思います。

C. 「儀」との密接な関係

『説文解字』によれば、「義」は「儀」の初文(本来の形)であったとされます。「儀」(人+義)は「手本とすべき規準」や「礼式」を意味し、「義」が初期には儀礼的な「正しさ」や人間の行動規範と深く結びついていたことを示しています。

意味の移り変わり:「義」の哲学的深化

「義」という漢字が持つ意味は、その誕生から時代を経るごとに深まり、特に儒教思想の中で重要な道徳概念として発展しました。このセクションでは、「義」が儀礼的な「正しさ」から、どのようにして倫理的な徳目へと意味を変遷させていったのかを辿ります。孔子、孟子、荀子、そして董仲舒といった思想家たちが、「義」の概念にどのような思索を加え、発展させていったのかを、それぞれの解説を通じて見ていきましょう。この概念の解釈の多様性こそが、その後の「義」の複雑な使われ方へと繋がっていきます。

孔子の思想では「仁」と「礼」が重視され、「義」が直接的に強調されることは少なかったとされます。しかし、「克己復礼為仁」(己に克ちて礼に復帰するを仁と為す)という言葉に示されるように、自己を律し社会規範である「礼」を受け入れる思想の中に「義」の萌芽が見られます。孔子は「利」と「義」の関係を明確に位置づけることを避けました。

孟子は「仁義」を儒家の重要な徳目とし、「義」の根拠を人間の内面に備わる「羞悪の心」(不正を恥じ憎む心)に求めました。これにより「義」は普遍的な道徳原理として確立。「義は路なり」とされ、普遍的なものと認識されました。また、形式的な言行一致よりも高次の道徳的判断を重視する「不義の義」を主張しました。

荀子は「義」を社会秩序を維持する規範「礼義」として確立。人間が群れて生活するための分業と秩序が不可欠と考えました。「義」と「利」(利益)の関係を統一し、「義があることによって利が生じる」と主張。社会秩序としての「義」が社会発展や生産力発展を代表する「利」と関連づけられました。

漢代の董仲舒は「義」を人の心に内在すべき天理として観念論的に純化。「義者謂、宜在我者、而後可以称義」と述べました。社会秩序や階級関係を自然の秩序と一体とし、利益追求は人間の本質としつつも限度を超えることを悪としました。「義」は君主絶対化の論理に組み込まれ、国家統治のイデオロギーとしても機能しました。

書体の移り変わり:「義」の形の変容

漢字の形は、長い歴史の中で機能性と美しさを追求しながら変化してきました。「義」という文字もまた、甲骨文から金文、篆書、隷書、そして現代私たちが目にする楷書へと、様々な書体を経てその姿を変えてきました。このセクションでは、主要な漢字書体の系統的な発展を概観し、それぞれの書体が持つ特徴と、「義」の字形がどのように変化してきたのかを具体的に解説します。文字の形が語る歴史の一端に触れてみましょう。

書体名 成立時期(概略) 主な使用目的/特徴 「義」の字形における特徴
甲骨文 殷代後期~周代初期 占卜記録。亀甲や獣骨に刻まれ、絵画的要素が強い。直線的で鋭い。 兵器の形に似る。一部に羊の角のような柄飾りが見られる。
金文 殷代末期~西周時代に隆盛 青銅器に鋳込まれ、政治記録に用いられた。甲骨文に比べ曲線的で肉厚。 柄飾りが「羊」の形に訛変し、「我」と「羊」を組み合わせた形となる。
篆書 秦代(小篆として統一) 甲骨文・金文を基礎に発展。秦の始皇帝により「小篆」として統一。複雑で曲線が多い。 西周金文の構形を受け継ぐ。
隷書 秦代~後漢 篆書の複雑さを簡略化し、実用性を高めた。直線的な筆画が特徴。 篆書から簡略化され、より現代の文字に近い形に変化。
楷書 後漢末期~唐代に隆盛 隷書から発展した正書体。「真書」とも呼ばれる。筆画が整然とし、現代の漢字の基本となる。 現代の「義」の字形にほぼ一致。
行書 後漢末期~東晋 楷書を速く書くために生まれた。楷書と草書の中間的な書体。 楷書を崩した形。
草書 前漢~後漢 隷書を極度に簡略化し、筆画を連続させた書体。速記に適する。 判読が難しいほど簡略化された形。

このように、漢字の書体変遷は、単に文字の形が変化しただけでなく、文字が持つ社会的役割や、それを扱う人々のニーズに応じて、常に最適化が図られてきた歴史を物語っています。

現代での使われ方:「義」の広がりと深まり

古代の字源と哲学的な意味の変遷を経て、「義」は現代日本語においても多様な意味と用法を持つに至りました。このセクションでは、「義」が現代でどのような意味合いで用いられているのか、そしてどのような熟語や慣用句の中で生きているのかを探ります。「正しさ」や「適切さ」という核となる概念が、様々な文脈でどのように応用されているかを見ていきましょう。

A. 「義」が持つ多義性

  • 正義・道徳: 人として行うべき正しい道、公正さ、倫理的な規範。
  • 信義・忠義: 約束や信頼を守ること、忠誠心。
  • 義務・道理: 果たすべき務め、道理にかなうこと。
  • 名誉: 個人の尊厳や社会的な評価。

B. 主要な熟語と慣用句

道徳・倫理的意味合い: 正義(せいぎ)、仁義(じんぎ)、義理(ぎり)、義務(ぎむ)、道義(どうぎ)

行動・性質を表す言葉: 義挙(ぎきょ)、義侠(ぎきょう)

血縁・関係性を示す言葉: 義父(ぎふ)、義母(ぎぼ)、義兄(ぎけい)、義姉(ぎし)、義弟(ぎてい)、義妹(ぎまい)、義子(ぎし)

人工物・代替品を示す言葉: 義眼(ぎがん)、義手(ぎしゅ)、義足(ぎそく)

慣用句: 義を見てせざるは勇無きなり(ぎをみてせざるはゆうなきなり)

特に「義父」や「義眼」といった用法は、「義」が持つ「適切さ」や「機能的な正しさ」という側面が、血縁や自然な状態ではない「代わり」や「補完」の関係性にも適用されるようになった、日本語独自の興味深い意味展開を示しています。また、「義理」という言葉が、時に個人の本心に反する行動を正当化する文脈で使われることがある点も、この概念の多面性を示す一例と言えるでしょう。

インタラクティブツール:AIと「義」を探る

ここでは、生成AIの力を借りて、「義」という概念をさらに深く掘り下げたり、他の文化圏の概念と比較したりすることができます。あなたの疑問を投げかけ、新たな視点を発見しましょう。

✨「義」の深掘り✨

「義」に関連する言葉(例:「義理」、「正義」、「武士道の義」)を入力して、その概念のさらなる詳細や複雑な側面についてAIに質問してみましょう。

✨概念比較:東西の視点✨

西洋の概念(例:「Justice」、「Love」、「Duty」)を入力して、「義」との類似点や相違点についてAIに尋ねてみましょう。文化間の行動規範の違いを考察します。

おわりに:「義」が織りなす歴史と意味の層

このアプリケーションを通じて、漢字「義」の成り立ちから現代に至るまでの壮大な旅を辿ってきました。「義」は、その字源の古さ、意味の哲学的な深まり、書体の歴史的変遷、そして現代における多義的な用法を通じて、言葉がいかに文化や社会、思想と密接に結びつき、時代とともに生き続けてきたかを象徴する文字と言えるでしょう。

古代の儀礼における「正しさ」から、儒教思想における重要な徳目へ、そして現代社会の多様な関係性や概念を表す言葉へと、「義」はその意味を豊かに広げてきました。この一文字に込められた歴史の重みと意味の層を感じていただけたなら幸いです。そして、この探求が、「義」という概念が持つ、高潔な理想と、時に行動の「言い訳」として機能しうる複雑な側面の両方を深く理解するきっかけとなることを願っています。「義」の探求は、漢字という文字体系の奥深さと、それが織りなす文化の豊かさを再発見するだけでなく、行動規範の真の意義を問い直す機会となることでしょう。さらに、「インタラクティブツール」を活用することで、あなたの疑問をAIと共に深め、新たな知見を得ることも可能です。

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2024年6月7日金曜日

漢字「翔」の成り立ち:羽+羊(音符)ならなる。 羽を大きく広げて、飛び舞う。


「翔」の意味するもの: 羽を大きく広げ飛び舞う様。鳥が羽をのばすように両肘を広げる

 実に雄大な字ではないか!
 羊は太古の昔から、吉祥のシンボルとして親しまれてきた。
 その羊に、羽根を持たせ、大きな鳥のようにその大きな翼を広げ、ゆっくりと大空を回遊するさまを重ね見て、太古の人々は、幸せの到来を信じたであろう。
  4000年の年月を経て、現代人は「大谷翔平」にその大きな鳥の回遊を重ねているのかもしれない。
 さて、「翔」には年月を経ても色褪せぬ情景を響きを我々に繋いでいるのかもしれない。


導入

このページから分かること

漢字「翔」の成り立ちと由来、漢字「翔」の生れた背景、漢字「翔」の現在:どのように使われているか
漢字「翔」と名づけのヒント

前書き

目次




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漢字「翔」の今

漢字「翔」の解体新書

羽根を大きく広げ飛び舞うこと
漢字「翔」の楷書で、常用漢字である。
 この漢字には甲骨文字はない。つまり殷の時代からかなり下って、社会に氏族制度が行き渡り、人間の行き来もそこそこの規模になったのちに生まれた字であるようだ。
 人々が獲物を求めて右往左往している世情ではなく、人々の暮らしも豊かになり、即物的な幸せを求めるではなく、精神的なゆとりも求めるような安定した世の中でしかこういった漢字は生まれないような気がする。

 右に「翔」によく似た漢字「祥」を掲げる。
 羊は古代から、めでたいことの象徴のように扱われており、度々祝い事の席上にも生贄として登場した。このめでたいことを表す「祥」から後に「翔」は誕生している。

 長く続いた春秋戦国の戦乱が平定され、始皇帝による統一国家が誕生した世情をそのまま反映した字ではないだろうか。
キザシ:神の意向や運勢が現れたもの
翔・楷書



祥・楷書





 

「翔」の漢字データ

漢字の読み
  • 音読み   ショウ
  • 訓読み   かけ(る)、と(ぶ)

意味
  • 鳥が空高く飛び回る
  • 広い
  • くわしい
  •  

同じ部首を持つ漢字     祥、洋
漢字「翔」を持つ熟語    翔、飛翔、回翔


**********************

漢字「翔」成立ちと由来


漢字「翔」の字統の解釈

翔・小篆+楷書

 声符は羊。羊に庠・祥の声が ある。〔説文〕に「回飛するなり」 とあり、鳥が羽をひろげて、ゆるくとびめぐるのをいう。〔論語、郷党〕に「趨進すること翼如たり」 とあり、その進みかたをまた翔歩ともいう。

 [礼記、 曲、礼、上〕に「室中には黙らず」とあり、翔は堂上の儀礼のときの歩きかたである。





漢字「翔」の漢字源の解釈

 形声:「羽+音符羊」 羽を大きく広げて、飛び舞う。鳥が羽をのばすように両肘を広げていく。



漢字「翔」の変遷の史観

文字学上の解釈

  羊の性格は温順でおとなしく、食に群がり人と争わず、さらに人を傷つけることも出来ない。羊はまた肉として食に貢献し、皮は衣になり、即腹がふくれ、暖にもなる。よって古人はその実用性から、功利から羊を大吉、大利のいいことの兆しとみなしたのだ。
 このように羊は昔から扱いやすく、食用にも生贄用に珍重されてきた。この背景のもとに羊の字は吉祥の代名詞として用いられてきた。
翔の字もまた然りである。
 堂上の儀礼のときの歩きかた等にも用いられている。





最近の名づけの「翔」

 名前でいうと、そもそも、「羊」は神様に近く縁起の動物と考えられてきた上に、「翔」は羽根までも持ち世界に羽ばたくイメージがあり、「自由に力強く飛翔する、実力と可能性を秘めた人に!」という願いを込められ、最近では一種のトレンドになっている。
  特に、男の子の名前に使われる漢字のなかでも、5本の指に入る「翔」

 男子: 翔太(しょうた)、美翔(みしょう)、翔平(しょうへい)、翔陽(しょうよう)

 女子: 翔子(しょうこ)、翔和(とわ)


まとめ

 昔から、象形文字は、文字ができる基本とされてきた。人間の認識から言えばその通りである。しかし、象形文字は最初に見たそのままの形を表し、即物的である。しかし、世の中が進んでくると、そういった即物的なものだけではなく、抽象的、観念的な漢字も見られるようになる。ここで取り上げた「翔」は正にその典型例ではないだろうか。

  


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2023年11月25日土曜日

養・牧のいずれも家畜を養うことを意味するが、その中心を担うのは「羊」である。そのことは「養」の字の『良』に現わされている


養・牧のいずれも家畜を養うことを意味するが、その中心を担うのは「羊」である。

 「養」の字の中の『良』という字は、まさに羊の持つ全面的な有用性を古代人が認識していた証左だ。

漢字「養と牧」の成立ち:「養」は羊の飼育、「牧」は牛の飼育を表している!
 古代人は人類が羊を飼い始めたのは、一万年ぐらい前、トルコに始まったといわれている。漢字の「養と牧」が出現したのも、それとほぼ同じ時期と考えられる。
 羊の祖先は「山羊・野羊」で、同じ有蹄類ウシ科に属しているが、その養育の歴史はずいぶん異なるようである。羊は性格もおとなしく、飼いならすのにそれほど手間はかからなかったでろうが、牛は野牛を飼いならし始めたため、人類はずいぶん手間取ったようである。

 当ブログの記事「漢字「家」はなぜ「ウ冠に豚」で漢字 牢 はなぜ「ウ冠に牛」なの」を参照されたい。




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漢字「養と牧」の今

 
漢字「養と牧」の楷書で、常用漢字です。
 今では養も牧も同じように使っていますが、古くは養は専ら羊を養育することに用い、牧とは牛を養育することに用いていたようです。
養と牧・楷書


漢字「養」の解体新書


 甲骨文字からは、この文字の性格が良く窺える。羊に鞭を手にした有様はまさにそのまま。
 羊を養育し、人々の生活の糧にしていたのは、有史以前の約1万年前の頃には、すでに始まていたということだ。  
養・甲骨文字
養・金文
養・小篆


 

「養」の漢字データ

漢字の読み
  • 音読み   ヨウ
  • 訓読み   やしな(う)

意味
  • 養育する
  •  
  • かう
  •  
  • 栄養を補給する

同じ部首を持つ漢字     美、羞、義、鮮
漢字「養」を持つ熟語    養、養牧、栄養、養分


漢字「牧」の解体新書


 漢字「養」と同じく、甲骨文字を見れば、何を意味しているかは一目瞭然だ。
 牛に鞭を手にしている。 
牧・甲骨文字
牧・金文
牧・小篆


 

「牧」の漢字データ

漢字の読み
  • 音読み   ボク
  • 訓読み   まき

意味
  • 牧場
  •  
  • 牛を養育する
  •  
  • 牧場で家畜を養育する

同じ部首を持つ漢字     牧、牡、特、牲牲、
漢字「牧」を持つ熟語    牧、牧畜、牧場、牧羊


**********************

 甲骨文や金文にある「養」という字は、もともとは会意文字であり、篆書で羊を追い立てる鞭や棒を持った人の形に似ており、羊を飼うことを意味する。

 甲骨文や金文に「牧」の字もあり、家畜を飼うという意味では、「養」と「牧」という言葉は全く同じでであるが、一つは羊の放し飼いともう一つは牛の放し飼いで意味が異なる。

 漢字の発展と進化の過程で、牛の「放し飼い」は放牧を意味し、羊の「放し飼い」は飼育下で育てることを意味する2つの文字に分割された。


漢字「牧」の字統の解釈

 会意 牛と攴とに従う。 牛を逐うて放牧する意。 〔説文〕 三下に「牛を養ふ人なり」とあり、また牧養すること 牧場の意に用いる。

 牛に限らず、馬や羊を養育することをもいう。〔左伝〕 襄十四年に 「庶人工商皁隷牧園」とあって、牧養に従うもの はみな卑賤のものであった。

 また民治を牧養のことにたとえ、地方長官を牧民といい、〔書、立政 「力の牧を宅け」「周礼、大宰」「その牧を建つ」とあり、また牧伯という。




漢字「養と牧」の変遷の史観

文字学上の解釈

 左の「牧」の変遷を見ると甲骨文字には多数の款があり、それぞれかなり多様性を持っており、文字の発展の過程をうかがい知ることができる。ところが金文、小篆になると文字の中に多様性はあまり見られず、ほぼ表現は一定している。
 このことは何を物語るか。これらの数少ない例証で性急に判断するの多少危険であるが、それでも、金文や小篆、大篆の時代になると牧や養もかなり行き渡り、ポピュラーなものになっていたのではないかと推察される。つまり実際の生活が文字に反映された結果ではないだろうか?

まとめ

  

  古代中国の中原地方には野牛が大量に群れをなしていたという。われわれの祖先は水牛を飼い馴らすのに地面に大きな穴を掘り、その中に野牛を囲い込んで飼い馴らしたという。このときの柵がウ冠で表現されたことから「牢」という字が生まれたという。
 このことは伝説の物語として、殷の王子・王亥(BC1854-BC1803)が初めて牛を飼い馴らしたとの記述が「楚辞」にあり、王亥という人物の真偽は別としても、野生の牛が殷王朝のころには既に飼い馴らされていたであろうことと符合する。

   このように漢字の中には、人間の生活が刻まれている。
現代では養牧として、羊も牛も同等に扱っているが、古代から一貫してその中心を担ってきたのは、羊である。それは牧羊、遊牧、囲い込みなど飼い方の形態の多様性にも表れている。なぜ羊が中心を担ってきたかの理由は、羊の持つ有用性で、羊毛、羊肉、羊乳など人間にとって、ほぼ全面的な必要資源を供給する。遊牧民族にとって羊は生活の糧全てあったし、産業革命前夜の囲い込みは羊から良質の羊毛から多量の織物をとることを目的とした。

 唐漢氏は羊を養うことを意味する「養」という字の中に、『良』という字を含む理由は、まさに羊の持つ全面的な有用性にあったと主張している。

  


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2014年12月17日水曜日

漢字「羊」の変遷



引用 「汉字密码」(唐汉,学林出版社)

 唐漢氏は「未」の本義は未然と断定しているが、白川静博士は、「字統」の中で、卜辞や金文にはまだ「未」という文字が未然の意を表す使い方をされた例はないと主張されている。「未」は枝葉の先が長く伸びてゆく形であるとされている。一方の唐漢氏は十二支は人の出産から成長の時の移ろいの形をとって時の流れを表したもので、殷の時代には既にこの十二支を使って暦が作られていたと考えている。そして、子から午までは実際に子供が嬰児の時から産道を通って出産に至るまでの過程を表し、未から猪までの字では蓋然を表すと主張している。
 このブログはどちらの主張が正しいかを云々する立場ではない。ただ、唐漢氏の考え方の紹介をするものです。

 
 唐漢氏によると
「未」は草木の根から生え出す木の芽の成長からとられたもので、まだ嬰児の4肢のバタバタの動きからもその源になっており、皆どれも子女の健康に成長することを願いが深く切であるし切望しているものである。いわゆる「未」の本義は未然である。すなわち嬰児が今後生きるか生きられないか大きく成長するか分からないとしている。  
 ただこの十二支を子丑寅~戌猪の表記を鼠、牛、虎~犬、猪という漢字でなぜ表すようになったのかは、いまだはっきりしないところがあるが、字も読めない人々に身近な動物で暦を説明するためだというのが、うなずける説明になっているような気がする。
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2014年11月25日火曜日

来年の干支は「未」

 来年の干支は、未である。前に書いた通り、干支の歴史は古く、今から約3000年ほど前の殷商王朝の時代にはすでに、使われていた証拠が残っている。しかし昔は「子丑寅・・」という漢字が使われていたものであるが、それが今日のような「鼠、牛、虎・・・」という動物の名前にとってかわったのは、漢の時代とも言われているが、もう一つはっきりしない。その理由も諸説あるが、はっきりしてはいない。しかし、唐漢氏のように「時の移り変わり」を「妊娠、出産、成長」に当てはめてみるという見方を当時の祖先たちがとったであろうという推測もあながち奇説とも言えないものを持っている。

引用 「汉字密码」(P875、唐汉,学林出版社)

 未は会意文字である。許慎は甲骨文字の未の字は木に重なった枝や葉を表していると考えている。すなわち樹木の枝や葉っぱが多くの分岐が出てくることを用いて、伸び繁るさまを表している。草木の形の上にもう一筆増えているのはこの意味である。実際未の字は四つの足を踏ん張って伸び踊る嬰児からできたものだ。
 上辺の増えた一筆は嬰児の両腕が振られ動いたさまである。下辺の縦の両ばらいは、嬰児の両脚の合わさった部分と広げたさまを表す。 金文の「未」の字は甲骨文字を受けており、小篆はまた一脈受け継ぎ、楷書は隷化し「未」と書く。

 むろん「未」は草木の根から生え出す木の芽の成長からとられたもので、まだ嬰児の4肢のバタバタの動きからもその源になっており、皆どれも子女の健康に成長することを願いが深く切で切望しているものである。いわゆる「未」の本義は未然である。すなわち嬰児が今後生きるか生きられないか大きく成長するか分からない。また否定の意味もある。すなわち現在まだ夭折していないと意味もある。

 「未」の字の構造及び内包されているものは、上古先民の事実に即して問題を処理する生活態度を反映している。願いは願い、事実は事実とし、彼らはまだ文筆家の嬰児の満月を恭賀する欺瞞を持ち合わせていない。
 確かにいえることは「未」は一種の蓋然に対する状態の判断である。「未」暗くて不明という意味も持っている。「未」は暗いの初めの文字である。「未」は一種の蓋然で、味は嘗めてみて初めて分かるもので、味は多様で同じでない性質を持っている。このことから「未」は味の初めの文字でもある。
 「未」は現代漢字の中で「将来」意味も表すことができる。未来のごとくである。また事後(起こってしまったこと)の否定の対句の意味にも用いられる。「まだない、まだ起こっていない」と同じ意味である。未知数、未婚、死活がわからないなどなど。
 また否定の意味にも引用される。言葉の意味では「不」にあたる。「未敢苟同、未可厚非」(賛同しかねる、無理からぬことである)などに用いられる。

 「未」十二支の中で第8番目に位置している。時間で言えば未時はすなわち午後1時から3時までの時間帯である。 注目に値するのは干支の中の12の字の中で、「子丑寅辰巳午」はすでに起こった状態を表している。しかし「未申酉戌亥」は蓋然たる状況である。二つに分けて、前者は育産の現実を表し、後者は嬰児が成長し大きくなり、立派になってほしいという願望をあらわしている。
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2010年5月27日木曜日

「羊」の起源と由来 基本的な象形造字法

「羔」や「義」という字が「羊」を構成要素として作られていることを見たが、ここでは羊そのものの字のつくり、その由来について触れてみよう。

 羊という字を作る方法は、象形と呼ばれる。たとえ甲骨文字と金文文字の形は同じではないが、しかし皆、羊の頭の簡略化である。湾曲した角、二つの耳、特に突出し湾曲した角は人が一見して別の動物に見間違えようのないような図を示している。

 羊の字の手本として書くのは羊全体の形ではないが、羊の局部の特徴を持っている。典型的な特徴で事物の全体を現す一種の造字方法であり、漢字の象形の主要な方式の一つである。

 一説のよると孔子はこの象形文字を見た後、「牛と羊の字はよく形を現している」と驚嘆したといわれている。 

 実際上、現在我々の前の甲骨文字の羊という字はアイディア法から言うと形で局部的な特徴を捉えているばかりでなく、現代の思考方法である「抽象化」を具現したものである。

 無論一種の芸術的思考、更にシンボル化の成果で、まさに21世紀の新しいコンピュータインターフェイスを啓発するものでもある。羊の字は一つの部首の字でもある。たとえば漢字の中では、祥、養、庠(古代の学校の意),烊(溶けるという意味)、氧(酸素)、漾(ゆらゆらたゆとう)、佯(偽る)、详、痒、翔など皆羊がその主体となる字であるか、或いはその発声としている。

  羊の性格は温順でおとなしく、食に群がり人と争わず、さらに人を傷つけることも出来ない。羊はまた肉として食に貢献し、皮は衣になり、腹がふくれ、暖にもなる。よって古人はその実用性と功利から羊を大吉、大利のいいことの兆しとみなした。


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2010年5月26日水曜日

「義」の起源と由来 この言葉は今の世の中に必要ないのだろうか

 一昨年のヒットした中国映画は「赤壁」。蜀は漢王室の再興という「義」を掲げ魏と戦った。また昨年のNHKの大河ドラマの「天地人」の基本テーマは景勝の「義」と直江兼継の「愛」であった。ドラマはこの二人の武将の掲げる旗印を軸に展開した。

 このように中国でも日本でも「義」というのは、共通の思想というべきものかもしれない。「義」に対する態度で自己中心型と自己滅却型の違いはあるにせよ、両民族に共通して流れる思想が「義」であったことにはあまり異存はないであろう。最近では日本でも中国でもこの言葉はいささか古臭い響きから、少し敬遠されてくるようになったようだ。

 中国では古くからつい先日まで、「忠、孝、節、義」という言葉が、「仁」という言葉ともに人間の行動・生き方の規範として語られてきた。日本でも同じようにこれらの言葉が人々の生活に深く根ざしていた。しかし日本では、明治維新以降、この言葉は重きを失い、中国では文化大革命によって、孔子と共に葬り去られた。

 一方、日本では最近起こるさまざまな事件を眺めていると、それに関係する人々の間にその人なりの「大儀」があるようには思われない。もちろん犯罪における「大儀」は第3者から見た時、「言い訳」に過ぎない場合が多い。

 しかし少し前は、それでも良いか悪いかは別にして、誰でも「言い訳」をしていたように思う。しかし最近その「言い訳」が聞かれなくなって、やたら弁護士の「心神喪失」という第3者的な言い訳ばかりが目立つようになった。

 要は世の中が余り深く考えなくなった、つめて考えなくなった風潮の結果かもしれない。悲しいことだ。

 だがその中国を歩いてみて、まだこの旧思想と批判された言葉が言葉としてだけでなく、具体的な行動の指針として人々の間に息づいていることが分かり、人間は捨てたものではないと改めて感じている。

 日本と違うのは、中国は日本ほど資本主義に毒されていないのかもしれない。

 さて、今日は「義」という文字の由来・語源に焦点を当ててみたい。

 ここで再び唐漢氏に登場願う。彼曰く、




甲骨文字「義」
 「義」という字は、羊と我という文字から成り立っている。
金文「義」

 ここで「羊」はこの種の頭上にある大きく湾曲した角を指す。その意味は羊の統率指導権や交配優先権を表すものだと解釈されている。

 そして「我」というのは古代の長い柄の一種の兵器のことであるが、形が美しく作られ実際の戦闘には不向きで、軍隊の標識用に作られたものだとしている。したがって「義」という字は、本来は「羊」の頭を指し自分あるいはグループの権力、戦闘に向かう集団の権力の誇示に並べたものであろうということである。

 このことから「義」は情理・正義に合致した名目の立つ出兵を示し、公正適切な言行を指すようになったということである。

  このことから考えると先ごろのアメリカ・イギリスなどのイラク攻撃には一体いかなる「義」が存在したのだろう。一旦この「義」が地に捨てられてしまうと、後は強肉弱食のカオスの世界しか残らない。

 このことを「天地人」の作者は最も言いたかったのではないだろうか。


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