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2018年11月30日金曜日

「核」:解釈「木偏+亥で木の固い核を表す」について

以前に「核」の起源と由来について触れた時、「一般」の解釈の紹介で下記の様に述べた。



漢字源では、「会意兼形声。亥(ガイ)は、ぶたの体の芯に当たるかたい骨組を描いた象形文字で、骸(ガイ)の原字。」 「核」は、「木」+「亥」で、木の実の固い心をいう。


左は「亥」の金文文字である。

唐漢氏はどういうのか

そこで、「亥」の解釈について、この漢字源とは全く趣を異にする解釈である、唐漢氏の解釈に触れる。これについては、確かに十二支の範囲については、唐漢氏の解釈は一貫性があり、面白いと思うが、拡張された「核」「骸」等の字との一貫性については疑問が出るように思うが、私自身知見がないので、ここでは十二支の「亥」の字の範囲で(つまり唐漢氏の解釈の範囲)にとどめることとする。


十二支の中の「亥」の起源と由来
「亥」象形文字である。甲骨文字の二つの「亥」の字は等しく裸の男子の側面のデッサンである。しかし、特に生殖器を強調している。この図形は仰韶の彩陶器の中の図案の男子の形象と表現は違っても同じ意図を表している妙がある。



金文の「亥」は甲骨文字を引き継いでおり、形は似ているが既に象形の持ち味は失われている。小篆に変化していく過程で右に蛇足の画、人の字が付け加えられている。楷書は隷書化の過程で、更に変化し「亥」となっている。


故事の中の「亥」

殷商時代の甲骨の卜辞の中で、いつも一人の「亥」と呼ばれる先公が出現する。商の人はこの人を「高祖」と呼び、最も早い男性の祖先、先公とみなして、彼の母親は特殊な待遇を受けている。即ち「亥」と一緒に殷商の先民の祭祀としている。卜辞の言うように「王に焼かれた亥母豚」の中の亥母である。この「亥」とその「亥母」は子供の生殺の権力を握っており、その為に「亥」は十二支の最後の位置を与えられたのだろう。

この是非がどうであれ、生まれ落ちた「亥」の原義は男の子であり、「亥」と「亥母」に対して祭献を行い、嬰児の成長を助け、氏族の繁栄を希求するのである。「亥」は十二支の十二番目。時刻を表すには9時から11時までを示し、「亥」年とは「猪」生れのことである。

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2012年8月2日木曜日

漢字「宋」の起源と由来:人々は「穴」から出て、「宋」にすむようになった


住まいの漢字:「宋」の起源と由来

 中華民族の先民たちは、人口が増え村落が発展すると、当然のこととして建築様式の発展が生まれる。

 紀元前4、5千年前の仰韶の時期には人々の家屋は前回見た浅穴式の家屋から抜けだし、さらに地上の上につき出し、四方に柱を建て、泥壁をもった、より快適で、より堅固な家屋が出現する。

 この仰韶時代は河南省仰韶遺跡や陝西省半坡遺跡の辺りに栄えた文化を言う。食物は畑作で、粟や黍が中心で、豚、犬、鶏を飼育し、陶器は彩陶土器で、素焼きの上に赤や黒で彩色したものを特徴とする。


引用 「汉字密码」(P716, 唐汉,学林出版社)

甲骨文、金文、小篆の「宋」

  甲骨文、金文、小篆及び楷書の "宋 song" の文字は、形体は似通って、同じ流れを汲んでいる。上は "内 " 、下に "木 " と、明らかに内と木からなる会意文字である。




"宋 ": 蒙古のパオを思い出す

  実際に、これは上古の先人民達が木を梁柱にして、架設した地上形の居室である。このような家屋は六千年前に仰韶の時期に既に現われている :家屋を高く地面に出し、柱によって屋根を支える、四周は杭で支え、泥で塗った壁だ。このような木柱によって屋根を支える方式は容易に人々に蒙古のパオを思い出させる。

松の木は先民達の第一選択肢 

  屋根を支えるの木柱には直木を当てる、切り口は荒く、虫が出てこなくて、伐採して使用するのが容易である。黄河の流域では、松の木は先民達の第一選択肢である。実際に、宋と松は同じ音であるから :林では "松 "といい、室については "宋 "という。これも商民族が松木を神木と見なした縁由の一つだ。



現代の漢語の中では、原義は失われ国名に常用されている 

  中夏民族の居室建築の発展に従って、"宋 " の文字の本義もう消えてなくなっている。現代の漢語の中で、 "宋 " は国名に常用され、王朝名、氏名にも使われている。又漢字の字体を指すようにもなっている、即ち宋体あるいは宋の字体を模した字体を指す。

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2012年4月17日火曜日

食文化の曙

  世界の料理と言えば、フランス料理、中国料理、日本料理と3つが並び称されるが、この中で歴史の最も古いものと言えば、言わずと知れた中華料理である。その最初の担い手は、漢字の生れるはるか前の新石器時代に既に火を使い陶器の調理器具まで作り出した華夏民族であろう。 
 「民食を以て天を為す」人類と飲食は共にあり、飲食は人類の創造、また人類の第一の生活要件である。

 「礼記・礼運」曰く、昔未だ火がなかったころ。草や木の食事、鳥獣の肉、その血を飲む。以降火を治めて利用した。

華夏民族の飲食文化は火に炙って焼き肉を食べ始めたが、飲食の本当の過程は調理器具と皿の発展が相まって成り立つものである。
   考古学の資料は新石器時代の早くから早くも我々の祖先は調理皿を作り、形状は乳房のごとき三本脚の一般的な高温陶器の出現があった。飢えれば食べる、多ければ捨てるという食事が変わった。更に重要なことは調理方法の改善を促進し、人々の飲食の内容が大きく豊富なものになった。殷商に至ると即ち漢字が作られる頃には調理器具のセットまで出来た。既に世界民族の林から独立を為し、華夏民族の飲食文化はすでに食べて飽き足らずの味を持っていた。  
 古代の漢字には、食器、酒器など非常に多くの漢字が残されている。今後食器や酒器についても振り返ってみたい。
 この点近代にいたっても、南太平洋諸島の民族の様に味に関する語彙が非常に貧しい文化と著しい対照をなしている。

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