ラベル 歴史 の投稿を表示しています。 すべての投稿を表示
ラベル 歴史 の投稿を表示しています。 すべての投稿を表示

2025年5月10日土曜日

漢字「城」の成り立ちとその文化的背景 | 漢字考古学:


漢字「城」の成立ちから都市の生成、形成を考える


 漢字「城」は、城壁を意味する「成」や、守るを意味する「守」等の組合わせからなる古代中国文字が起源と考えられています。ここでは、漢字『城』の成立ちと、その発展の歴史的過程と文化を、分かりやすく解説します。
 

漢字「城」の成立ちから都市の生成、形成を考える
日本の名城 白鷺城とも呼ばれる
 「城」は、古代中国で城壁を意味する「成」や「城」、守ることを意味する「守」などの文字が組み合わさってできた文字と考えられています。
  日本では、古代中国の都市制度が導入される中で、城壁を備えた城塞が築かれるようになり、「城」という漢字が使用されるようになりました。
  「城」は、日本語の中で特に城郭を表す漢字として広く使われており、歴史的に重要な役割を果たした城郭の名前にも多く見られます。また、「城」は、日本の伝統的な建築物のデザインにも取り入れられ、現代の日本においても、美しい城郭や城跡が観光地として多くの人々に愛されています。

しかし、城はそもそもここに書かれたような発展過程を経ているのでしょうか。日本の城と中国や西洋の城とは少し趣が異なるようです。
 詳しい説明は「城の地政学的考察」を参照ください。
中国の城、日本の城、西洋の城はどう違うのでしょう
城には背景とする文化により基本的な違いがあります。
  1. まず、西洋の城は一般的に防御を目的として建設されており、高い壁や堀、塔や砦、城門などが特徴的です。
  2. 一方、中国の城は、周辺の地形を活かして建設されることが多く、山や河川などが自然の防御として利用されることが多いです。
  3. また日本の城は、戦国時代の混乱の中で領主が戦略的要塞として築いたもので、防御機能と同時に権威の象徴としての役割を持ちます。戦況に応じた機動性や、複雑な多層防御が求められました。
以上のように、西洋の城と中国の城には、目的や建築様式、機能など、多くの違いがあります。


「城」の漢字の成立ち
漢字「城」の楷書で、常用漢字です。
 甲骨文字の時代には、楼閣の「郭」という概念はあったとしても、まだ城郭という概念には発達していなかったのではないだろうか。つまり、村を守るための柵や、堀、塀は作られたにせよ、城壁を建立し村落全体を守るという概念が出てくるには、生産力がかなり発達するまで相当の時間が必要であったろうと思われる。
城・楷書


  
城・金文(第1款)
高くて大きい城郭(左側の記号)と大きな斧「戌」(右側の記号)からなる
城・金文(第2款)
右側の下部に土という記号が加えられて、土壁が補強されたことを示す
城・小篆
全体として象形的なものがなくなり、文字の記号としてより機能的になっている


    


「城」の漢字データ
 

漢字の読み
  • 音読み   ジョウ
  • 訓読み   しろ

意味
     
  • 戍守の意。(要は守ること)
  •  
  • 城壁で囲まれた都市
  •  
  • 砦、要塞 

類似の漢字         郭、塞、砦、𨛗
漢字「城」を持つ熟語    城郭、城壁、牙城、


漢字:「城」の起源と由来
Kanji-Castle4Styles
漢字4款 甲骨、金文、小篆、楷書
唐漢氏の解釈
古代中国の城郭
古代の城
 高くて大きい城郭と大きな斧「戌」からなり、両形の会意で防御用に作られた城堡の建築物を意味している。

 「城」の字は会意文字である。金文で城の字の左辺は「郭」の字の古文体であり、高くて大きい建築物を表し、城都の中を見渡し、また城を護る角楼のように見える。右辺は古文で「戌」の字であり、柄の長い大きな斧の象形文字である。そして両形の会意で防御用に作られた城堡の建築物を示している。 金文中の別の城の字は右半分の下辺に土を加えて、守護用の広大な土壁を強調している。

 小篆では変化の途中で角楼とその影響の合体図形がなくなり、又右半分の下辺の「土」が左辺に移動し、一個の土と成からなる会意兼形声文字となった。
 城は守護の意味を持つ造字で城堡の意味である。説文では「城は以て民を護る」としている。城壁から意味が拡張され、城壁を護る場所を示している。
 即ち城市である。「史記・孫子呉起列伝」では、魏の文候は呉起を以て将となし、秦を攻撃し、五城を奪取した。古文中、城、郭と同時に言うときは、城は内城を指し、郭は即ち外城を指す。城郭と連用するときは広く城市を指す。

 それにしてもこの城という字は実に堂々とした風格のある字だと思う。

漢字「城」の漢字源(P322)の解釈
 会意兼形声。成は「戈+音符(成)」で住民全体をまとめて防壁の中に入れるため、土をもって固めた城のこと。
 しかし、城が城壁の中を指すのに対して、郭が城壁の外を指すとの解釈もあり、必ずしも住民を守るために城はたてられたのではないのではという解釈もある。その点古代の都市のナポリや長安などと日本の城とはその成り立ちや役割も違うという説もある。


漢字「城」の字統の解釈(P458)
 声符は成。成に戍守の意味がある。国人は全て城邑の中におり、武装してその城邑を戍る字が国である。即ち城壁を築き、守りを固めた建造物が城である。



城の地政学的考察

  西洋の城、中国の城、日本の城は、各地域の歴史的背景や軍事戦略、建築技法、そして文化的価値観に基づき、根本的なコンセプトと成り立ちが大きく異なります。下記にそれぞれの特徴と違いを詳述します。

      1. 西洋の城

      特徴と成り立ち
      防御と権力の象徴: 中世ヨーロッパの城は、封建制度の下で領主や騎士の居住・防衛拠点として作られ、領土支配と権威を示すシンボルとして機能しました。

      建築と設計: 主に石造りで、中心に堅牢な主塔(ドンジョン)が据えられ、周囲に厚い城壁、塔、堀、吊り橋など複数の防御層を有しています。これらは侵入者に対する攻撃を防ぎ、守備を徹底するための工夫が施されています。

      軍事戦略: 城全体が一種の「防御ネットワーク」として設計され、城内の複数の層が敵の突入を難しくする設計思想が見られます。


      2. 中国の城

      特徴と成り立ち
      都市防衛の要: 中国における「城」は、単なる個別の居城というよりも、城壁で囲まれた都市全体の防御システムとして発展しました。都市全体を守るために、計画的な城郭都市の設計がなされる点が特徴的です。

      建築と設計: 城壁、門楼、城楼などの要素で構成され、整然とした幾何学的配置が目立ちます。また、風水思想や当時の天文・地理的な知識が反映され、都市配置全体に一種の秩序美が追求されました。

      行政・軍事機能の融合: 城郭都市は、防衛だけでなく、行政の中心、経済活動の拠点、軍事的統制の中核としての役割も果たしており、公共性が強調されています。


      3. 日本の城

      特徴と成り立ち
      戦国と権力の象徴: 日本の城は、戦国時代の混乱の中で領主が戦略的要塞として築いたもので、防御機能と同時に権威の象徴としての役割を持ちます。戦況に応じた機動性や、複雑な多層防御が求められました。

      建築と設計: 木造建築と石垣が組み合わされた独自のスタイルが特徴です。自然の地形を有効活用し、曲線を描く石垣、複雑な通路、そして中央の天守閣(主に権威の象徴としての意味合いが強い)が配置されています。

      美学と戦略性の融合: 単なる防御用建築ではなく、地域の景観や美意識と結びついたデザインが施され、戦略的要塞としての機能と、後の時代における文化的・歴史的遺産としての価値も高い点が大きな違いです。


      比較のまとめ

          起源と目的:

        西洋の城は封建制の中で権力の象徴および軍事防御の拠点として発展。 
        中国の城は、都市全体の防衛や行政管理を目的とした城郭システムとして形成。 
        日本の城は、戦国時代の戦略的要塞として築かれ、後に美学や権威の象徴としての側面が強調される。

        建築技術と素材:
        西洋は主に重厚な石造建築による多層防御、
        中国は計画的な城郭都市の整然とした城壁・門体系、
        日本は木と石垣を組み合わせ、自然地形を利用した巧妙な防衛設計となっています。

        文化的役割と象徴性:
        西洋の城は地域の封建的権威の顕現、
        中国の城は公共性と秩序が重んじられる都市の防衛、
        日本の城は戦略的防御とともに、文化的美意識や地域の歴史・伝統を象徴する存在として発展しました。

        このように、各地域の城はその成立や発展の背景が大きく異なり、単に「防御」だけを目的とするものではなく、それぞれの文化や政治体制、軍事戦略の反映物として独自の進化を遂げています。これらの違いを理解することで、各国の歴史や文化、さらには現代におけるその遺産の価値をより深く味わうことができるでしょう。

まとめ


 漢字:「城」とは高くて大きい城郭と大きな斧「戌」からなり、両形の会意で防御用に作られた城堡の建築物のことである




「漢字考古学の道」のホームページに戻ります。   

2025年4月14日月曜日

驚き!漢字『経』の由来の秘密-実は古代の織機から紡ぎ出された経糸だった

驚き!漢字『経』の由来の秘密-実は古代の織機から紡ぎ出された経糸だった


古代の織機から紡ぎ出された経糸が時を経て地球上の自分の立ち位置を明示的に示す経度となって立ち現れた物語が奥深い!

 中国のダビンチと称される後漢時代の張衡は、絹織物の縦糸と横糸にヒントを得て、地図に緯度と経度を適用することを思いついたといわれている。ここにひも解く歴史のロマン
 

     

このページは以前にアップした下記のページを全面的に見直しアップグレードしたものです。
「漢字 経の成立ちと由来:東経135°の「経」はどこから来たの? それは古代の織機に使われたたて糸のこと」

導入

このページから分かること:

「漢字『経』の意味、使い方、語源、関連熟語について詳しい解説。」
  漢字の意味と成り立ち: 「経」という漢字の基本的な意味、
  象形文字としての成り立ち、古代中国での使用例など。
  使い方と例文: 現代日本語での使用例、典型的な文脈での使い方、例文。
  関連熟語: 「経済」「経緯」「経験」「経度」「経営」など、関連する熟語とその意味を解説。
  文化的・歴史的背景: 漢字の歴史的な背景や文化的な意味について
 




**********************

「経」という漢字の基本的な意味

象形文字としての成り立ち、古代中国での使用例など。

漢字「経」_楷書
経・楷書
漢字「経」の原字
経・原字

 漢字「経」の楷書で、常用漢字
 右に「経」の原字を示した。金文ではあるが、ある意味原始的な文字であるといえるだろう。これは象形文字であり、最も原始的な織機を表している。下部の横棒を足で突っ張り持ち、上部にたて糸をつけ、そのたていとを縫うようにして横糸で編み上げていく。


経_金文
経_小篆
  
経・金文
経・小篆






 

使い方と例文: 現代日本語での使用例、典型的な文脈での使い方、例文。

漢字の読み
  • 音読み  ケイ、キョウ
  • 訓読み  へ(る)

意味
  • たて糸
  • 南北の方向
    日本は東経135度にあると言われる。これは地球一周は360°であり、24時間で一回転するから、1時間当たり15°回転することになる。イギリスのグリニッチを基準とすると日本は135°線上に明石が位置する。
    世界地図
  • 筋道(物事がそうなった理由)、または道路
  • 法律、規範、おきて
  • 時間の流れ:〇〇時間を経て・・のように使われる。
  • 境界(さかい)、境を定める
  • 治める、統治する:経世済民の精神で政治を行う、経理
  • かかる、ぶら下がる、かける
  • めぐり(周期)(例:月経)
  • 文書、特に儒教や仏教の教えを記したもの(例:経書、経文)仏教の経典を学び、悟りを目指す

同じ部首を持つ漢字     経、径、軽、茎
漢字「経」を持つ熟語    
  • 経: 経典のこと、宗教の教えを収めた書物
  • 経緯:たて糸と横糸、いきさつ、天下・国家をおさめととのえる
  • 経過:通り過ぎること、物事のなりゆき、これまで経てきた途中の状態
  • 経験:実際に自分でやってみる、実際にしたり見たりして得た知識や技術
  • 経営:事業をはかり営むこと、土地を測って、たて線と外枠の線とを引く。土台を据えて建設すること



**********************

漢字「経」の漢字の由来

象形文字としての成り立ち、古代中国での使用例など。

引用:「汉字密码」(Page、唐汉著,学林出版社)
漢字「経」の金文・小篆・楷書
漢字「経」の甲骨文字は存在しない
 しかしこの時代には高度な織物技術が開発されていただろう

漢字の暗号の解釈

「経」は「經」の簡体字。 甲骨の "経"は象形文字。これは古代のベルト織機の絵文字である。 このタイプの織機は通常、二つの平行なロッドによって縦糸を支持し、一方は織機のベルトに固定され、もう一方は縦糸を締め付けるために織機の足によって支持され、中央は縦糸と横糸を分離する。


古代織機
引用:「漢字の暗号」唐漢著

  「圣」という単語が一般的に使用されるグループ構成要素になったので、人々は「糸」偏を追加し、小篆、金文の第2款を引き継ぎ楷書では「経」と書いた。
 「経」の本来の意味は古代の単純な織機であり、「説文では「経、織り方」と解釈される。

漢字「経」の字統の解釈

形声 旧字は経にに作り、巠声。巠は織機にたて糸を張り、その一端を工形の横木に巻きつけた形で、經の初文。
 先王の典籍を経とし、これを補翼するものとして作られた漢代の識(予言)を主とする書を、緯書という。建物の造営に、まず測量して南北を正すことを経という。



漢字「経」の漢字源の解釈

 会意兼形声。「巠」は上の枠から下の台へたて糸をまっすぐに張り通した様を描いた象形文字。
 経は「糸+音符・巠」で糸へんを添えて、たて糸を明示した字。



漢字「経」の歴史的変遷

漢字「経」の原字
漢字「巠」・経の原字

文字学上の解釈

「巠」の由来と意味
「巠」は「巠」の原字である。 「圣」という単語が一般的に使用されるグループ構成要素になったので、人々は「糸」偏を追加し、小篆、金文の第2款を引き継ぎ楷書では「経」と書いた。







漢字「緯」_小篆
漢字「緯」 小篆


「緯」の由来と意味
 緯は経の対句の様に用いられるので、補強する意味でここに説明を加える。
 形声文字 声符は韋。韋は城邑の上下を左右に巡ることで、その左行右行を織物に移して、横糸を緯という。たて糸は経(經)。 経をたどって緯を加えるので、ことの過程・経過を 経緯という。儒家の経典とするものは経、これに附託して行なわれた漢代の予言や占トの書を緯書とい う。予言を識というので、その学を讖緯という。





天文学・地図学における「経」という概念について

古代の経線
 地図を経線と緯線で区切って、その座標で各地点の位置を表すという発想は古くから存在した。古代に地球の大きさを求めた地理学者エラトステネス(紀元前275年 - 紀元前194年)は、シェネ(アスワン)とアレクサンドリアを結んだ線を基準として、それと平行に数本の直線を引いた地図を作成した。
 その後、紀元前の天文学者であるヒッパルコスは、天球と同様に地球を自転軸を持つ球とみなし球面上の角度として経緯度を定義し、360分割した経線と緯線を考え、さらにその分割した1つの区間(1度)を60分、さらにその1分を60秒で表すといった、現在のような等間隔の経緯線網を考案した。
 このヒッパルコスの方法を使って、プトレマイオスは実際に経度を旅行記などの資料を参考にしてまとめた地図を作成した。
 しかし、当時は経度を求める技術がまだ確立されていないため、その経度は実際よりも大きく外れたものになっている。  しかし、当時は経度を求める技術がまだ確立されていないため、その経度は実際よりも大きく外れたものになっている。





中国における経度
張 衡地動儀(模型)

 同じ頃、中国でも経度の概念が生まれた。プトレマイオスと同じ時代に活躍した張衡は、地図上に縦横の線を延ばしてその座標で距離を求める方法を考え出した。これは、地図を絹織物に刺繍する際に、縦糸と横糸が交じり合うさまを見て思いついたといわれている。また3世紀になると裴秀も同じように縦横の線で位置を示す方法を提案し、その2つの座標にそれぞれ縦糸・横糸を意味する「経」「緯」という文字をあてた。

 張 衡(78年 - 139年)は、後漢代の詩人、学者及び発明家であり、力学の知識と歯車を発明に用いた。彼の発明には、世界最初の水力渾天儀(117年)、水時計、候風儀と呼ばれる風向計、地動儀(132年)、つまり地震感知器などがある。




まとめ

 漢字「巠」は太古の昔、使われていた織機の象形文字であり、「経」の原字である。そしてそのたて糸を明示する為に糸へんを付加され。「経」は織機から切り離され、もっぱらたて糸そのものを表すようになった。
 このたて糸が「経」の基本的な意味であり、現在では色々の使い方をされるが、すべて、この「たて糸」から派生、拡張されたものである。
 またたて糸と対句的に表現される横糸を「緯」という。
 今我々が北緯、東経などで使っている「経」と「緯」はまさしくここから出たものである。

  

「漢字考古学の道」のホームページに戻ります。   

2025年2月10日月曜日

漢字[心]:古代人は心を生物・生命力の中枢、感情や精神の宿る場所と把握

漢字[心]:古代人が心を生命力の中心と認識した事の歴史的重要性に驚嘆!


はじめに

 漢字「心」(シン、こころ)は、中国語と日本語の両方において、非常に基本的でありながら奥深い意味を持つ文字の一つです 。
 本稿では、この重要な漢字がどのようにして生まれ、その形と意味が時代とともにどのように変化してきたのかを詳細に探ります。
 使用者の問いに応え、その起源から現代における意義まで、「心」の変遷を多角的に考察します。この探求は、単に文字の歴史を辿るだけでなく、古代中国の人々がどのように人間の意識や感情を捉え、表現してきたのかを理解する上で重要な手がかりとなります。
 文字の成り立ち、古代文字の形、意味の変化、そして文化的な背景といった様々な側面から「心」を掘り下げることで、漢字という文化遺産の豊かさを改めて認識できるでしょう。古代人は狩りを通して、動物の体や人間の体を我々が今思う以上にきちんと把握していた。


このページを新しい観点から考察し直し、下記のようにUploadしましたのでご一読ください。
漢字「心」の叫び:旧い価値観に毒された資本主義文明の価値観からの解放を

目次



**********************
漢字「心」の起源:心臓そのままの象形文字

漢字「心」の今

漢字「心」の成立ち

心_楷書
漢字「心」の楷書で、常用漢字です。
   漢字の「心」は、心臓の形を象った象形文字です。心臓は、体全体に血液を送る重要な器官です。そのため、心臓は古代中国では生命の中心と考えられていました。また、心臓は感情や思考の中心とも考えられていました。そのため、「心」という字は、心臓だけでなく、感情、思考、意志、意識、思いやり、愛情など、人間の精神的な側面を象徴する字となりました。

 「心」という字は、中国の甲骨文字(紀元前1200年頃)にすでに見ることができます。甲骨文字の「心」は、心臓の形を簡略化した形になっています。

心 甲骨文字
心・楷書




「心」の漢字データ

漢字の読み
  • 音読み   シン
  • 訓読み   こころ

意味
  • ひく。ひきよせる。
  •  
  • むなしい。から。中空。
  •  
  • つなぐ。ウシをつなぐ。つながれる。

同じ部首を持つ漢字     忠、応、志、芯、蕊

漢字「心」を持つ熟語    心、中心、心中、偏心、

一口メモ

 読み:しべ 意味: 種子植物の花の生殖器官。雄蕊と雌蕊に分かれる。
飾り紐の先端にある総(ふさ)の根元につけて、紐本体との境をなす飾り。



**********************

漢字「心」成立ちと由来

引用:「汉字密码」(P440、唐汉著,学林出版社)
心_4款(甲骨 金文 小篆 楷書

唐漢氏の解釈

 「心」これは象形文字である。甲骨文字は心臓の形によく似ている。金文は簡略化していくらか変化している。それでも核心を突いた心の像だ。小篆は心臓の外形像からは変化している。それでも心臓の切開画像のようである。楷書はこれから「心」と書く。
 古人が殷の時代から、「心房、心室」をこのように、解剖学的に実に正確に把握し、字の形にしているということは驚きでもある。

 「心」の本義は心臓の器官である。心跳、冠心病、狼心狗肺などの中の「心」である。また拡張して心思、心意など。古人は心臓が体に中心にあることを認めていたので、いわゆる中心、中央の意味も出てくる。李白の詩《送翅十少府》にある「流水折江心」の江心とは揚子江の中央という意味である。


漢字「心」の字統(P467)の解釈

 象形 心臓の形に乗る。〔説文〕「人の心 なり、土の藏、身の中に在り。

 象形。博士設に以て 「火の藏と隠す」とあり、藏(藏)は臓(臓)。許慎の当時には、すべてを五行説によって配当することが行なわれ、今文尚書説では肝は木、心は火、脾 土、肺、腎は水、古文尚書説では脾は木、肺 は火、心は土、肝は金、腎は水とされた。
  金文に「心にす」「乃の心を明にせよ」 「心忌せよ」などの用法がある。
心は生命力の根源と考えられていたが、文にはまだ心字がみえ徳や愈など情性に関する字も二十数文をみることができる。文字の展開を通じて、その意識や観念 の発達を、あとづけることが可能である。



 

漢字「心」の漢字源P422の解釈

 象形。心臓を描いたもの。それをシンというのは、しみわたる) (しみわたる)・浸(しみわたる)などと同系で、血液を細い血管のすみずみまで、しみわたらせる心臓の働きに着目したもの。



古代の碑文における「心」

  1.  甲骨文字(こうこつもじ)における「心」
     最も古い漢字の形態の一つである甲骨文字において、「心」という独立した文字はまだ確認されていません 。
     しかし、人を正面から描いた「文」(ブン)という文字の胸の部分に、心臓のような形が書き加えられている例が見られます 。これは、古代中国において、心臓が生命力の象徴として捉えられ、一時的な入れ墨(文身)の模様として用いられていたことを示唆しています 。このことから、まだ独立した文字としての「心」が存在していなかった時代においても、「心臓」という概念、あるいはそれが象徴する生命や活力といった意味合いは、他の文字の中に組み込まれる形で表現されていたと考えられます。
     ただし、一部の研究では、甲骨文字の中に心臓の断面図に似た「心」の字形が存在するという指摘もあり 、この点については今後の研究の進展が待たれます。
  2. 金文(きんぶん)における「心」
     甲骨文字よりも後に現れた金文(青銅器に刻まれた文字)においては、「心」という文字が独立した形で現れるようになります。金文の「心」は、甲骨文字に見られる心臓の形をより簡略化し、曲線的な表現を持つことが多いです。特筆すべきは、金文の時代には既に、「心」が単に心臓という物理的な器官だけでなく、「こころ」、つまり精神や意図といった抽象的な意味合いを持つ言葉としても用いられていたことです。「乃(なんじ)の心を敬明にせよ」(あなたの心を敬い明らかにしなさい)という金文の記述 は、その一例と言えるでしょう。また、初期の金文には、心臓の内部構造である膜弁のようなものが描かれていたり、中央に点が加えられたりする形も見られます。現代においても、メンタルヘルスのクリニックのロゴマークに金文の「心」が用いられるなど、その歴史的な意義が尊重されています。

漢字「心」の変遷の歴史と認識

器官から知性へ:「心」の初期の意味

 「心」の最も本質的な意味は、疑いなく人間の心臓という物理的な器官を指していました 。
 しかし、古代中国の人々は、心臓を単に血液を循環させるポンプとしてだけでなく、思考や感情、知性の源であるとも考えていました 。これは、西洋において脳が思考の中心と考えられていたのとは対照的な見方です 。
 多くの古代文献において、心臓は「考える器官」として言及されており 、喜びや悲しみといった感情も心臓から生じると信じられていました 。金文に見られる「心」が「精神」や「意図」、「徳性の本づくところ」(道徳的な性質の根源)といった意味合いを持つことも 、この初期の意味の広がりを示しています。

 このように、「心」という文字は、具体的な心臓という形から出発し、人間の内面的な活動全般を指す抽象的な概念へと発展していったのです。

唐漢氏は古人は心を一種の感覚器官とも考えていたので、《孟子》の中で言うように「心の官即ち思う」であると考えている。いわゆる心は思想、感情、意念を表すのにも用いられ、心機、心態、独具匠心、心领神会など。「心跟」は一般的に心底、内心を現す。 
 また「心」は部首字であるので、左辺にあるときは、「リッシン・偏」となり、そうでないときは、"想、愁、慕、念"等のように、下でしっかりと支える形となる。全て心で思うことに関係している。

視覚的な変遷:「心」の字形の進化

 「心」の字形は、時代とともに大きく変化してきました。その変遷を主要な書体ごとに見ていきましょう。

  • 甲骨文字: 心臓の形を写実的に表しており、内部の構造が描かれている場合や、「文」という文字の中に組み込まれている形が見られます 。   
  • 金文: 甲骨文字の形を受け継ぎつつも、より曲線的で簡略化された形へと変化しています 。

  • 篆書(てんしょ): 秦の始皇帝による文字の統一政策により、字形がより整然とした形になります。心臓の形状を保ちつつも、装飾的な要素が加わることがあります 。

  • 隷書(れいしょ): 篆書からさらに変化し、現在の楷書に近い形へと大きく変化します。心臓の面影は薄れ、より記号的な表現となります 。

  • 楷書(かいしょ): 現代の標準的な書体であり、四つの筆画で構成される「心」の形が確立します 。

 この字形の変化は、使用される筆記具や材料の変化、そして文字の標準化といった要因によってもたらされました 。また、「心」が部首として他の漢字の左側に位置する場合には「忄」(りっしんべん)、下部に位置する場合には「⺗」(したごころ)といった変形した形で用いられることも特徴的です。

まとめ

  漢字「心」の成り立ちからその変遷を辿ることで、この一文字の中に、古代の人々の世界観や人間観が深く刻まれていることが明らかになりました。
 心臓という具体的な形から生まれた「心」は、時代とともにその形を変え、意味を広げ、現代においても私たちの感情や思考を表現する上で欠かせない文字となっています。その変遷は、単に文字の進化を示すだけでなく、人間の内面世界に対する理解が深まってきた歴史を映し出していると言えるでしょう。

 「心」という漢字を通して、私たちは中国文化の豊かな歴史と、そこに息づく人々の精神世界を垣間見ることができるのです。この探求は、漢字という文字体系のダイナミックな性質と、それが持つ文化的意義の深さを改めて認識する機会となりました。


「漢字考古学の道」のホームページに戻ります。   

2018年12月28日金曜日

干支の起源:2018年の干支は「戌」で、2019年は「亥(いのしし、猪)」となる理由は? 


干支の起源:来年の干支は「亥(いのしし)」と決めた理由は何?
 干支とは何ぞや
 今までこのブログでも何度か干支について説明をしてきました。(「干支、十二支の起源と成立ち」を参照ください)しかし、干支の起源:どうして2018年は「戌」で、来年の干支は「亥」?という質問の答えはなく、「干支とはなんだ」という概念はもう一つはっきりせず、消化不良という感じを持たれてきた読者の方々も少なからずあったのではないかと反省をしています。そこでここではもう一度基本に戻って解き明かしてみたいと思います。

 干支は十干と十二支の二つの概念で構成されていることは既にお話してきました。十干とは天干ともいい、甲乙丙丁戊己庚辛壬癸の10種類からなります。この甲乙丙丁とは、こう、おつ、へい、ていと読むのでなく、きのえ(木の兄)、きのと(木の弟)、ひのえ(火の兄)、ひのと(火の弟)と呼びます。

 十二支は子丑虎卯辰己午未申酉戌亥は地支といい、天干と地支と相交えて日にちを表していた。従って、この方法によれば、10X12の最小公倍数の60を1サイクルとする年代を表すことができることになります。

西暦を十干十二支で表してみると
十干は10年でワンサイクルということですから、西暦の1位の数字に夫々甲乙丙丁・・を割り当てて、「十干」としたようです。
 ではなぜ、このように割り付けられたかというと、成立ちは、以下の理由によるということです。

 この紀年法が定式化されたのが、後漢の建武26年(西暦50年)だったようで、この時が庚戌の年だったということです。光武帝に随従していた学者たちが、決めたことが結局今日まで続いているということです。」


西暦の一位 0 1 2 3 4 5 6 7 8 9
十干

十二支の起源の話に移ります。
十二支の起源も、十干と同様で非常に単純な話です。
 偶々この紀年法が定式化されたのが、後漢の建武26年(西暦50年)だった時に、この紀年法が決定されたことだけの話です。後漢の光武帝が力を持っていたことの証明になるのかもしれません。


西暦を12で割った余り 0 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11
十二支



干支が決まるまでの長い歴史とその意義
 今までの説明(「干支、十二支の起源と成立ち」を参照ください)で、既にお分かりの事と思いますが、後漢の光武帝の時には紀年法が定式化されただけのことで、紀年法に干支はすでに商(殷)代に現れており、2000年近く使われてきたものです。しかし、十干と十二支が殷の時代に生まれて、後漢に至るまでの間、ああでもない、こうでもないと議論が闘われてきたのですが、光武帝の時に「これで行こう!」と正式に決定されたということです。

 干支が鼠、丑、寅などの十二支や陰陽五行思想と結びついたことで、さまざまな伝承や迷信・俗信が生まれましたが、元号紀年法が政治体制により、目まぐるしく変化したのに比べると、一貫したものを持っており、西暦が一般化するまでの間実用性を持って人々の間で重宝されてきました。


「漢字の起源と成り立ち 『甲骨文字の秘密』」のホームページに戻ります。