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2023年8月5日土曜日

漢字「男」はどのようにして生まれ、どのように変わっていくのだろう


漢字「男」の起源と「男」という漢字は、ユニセックスの荒波の中でどう変化するのだろう


導入

 私たちは今どのような位置にいるのだろうか?

前書き

 この記事は「『男』という漢字の起源と由来は」を加筆修正したものです。
 男と女の関係は性的なものは別として、その社会的地位はずいぶん以前から男性上位と考えられてきた。人類が穴居生活をしていた頃は、まだ男と女の役割は現在ほどはっきりしたものではなかった。

 しかし農耕が発達し生産力が増強されるにつれ、より男性のパワーが求められるようになった。同時に家の在り方も変化し、母系制家族から父系制に移り変わっていった。この変化の画期をなしたのは、秦の始皇帝による国家の統一である。始皇帝は当時まだ残っていた入り婿の制度を廃止し父系制を確立した。

 それから3000年近く経過し、生産力は著しく増加し、従来の国家の枠組みすら取り払われ、グローバル化の波が押し寄せている。しかしこの波といえどもほんの30~40年のことであり、人々はこの急激な変化に追随するのに苦労している。

 労働の役割についても、以前とは異なる様相を呈している。ロボットやITの活用によって、労働における男女格差は著しく縮められてきた。
 近い将来、このままでは男と女の性差が消滅せざるを得ない時期が想定される。子供を産むことすらも、男と女の間に区別がなくなるのかも知れない。
 そのような時に、漢字の男と女という字はどのように変化しているか全く予想はつかない。


目次



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漢字「男」の今

漢字「男」の楷書で、常用漢字です。
 その構成要素は「田」と「力」です。そしてこの漢字の甲骨文字は、「田」と「耒」とから構成されるという説が有力です。しかし、これは耒ではなく、男根であると唱える人もいます。これらの説がどうであれ、現在は、男性、男として使われています。しかしこの言葉自体も、著しい世の中の変化の中でどのように変化するのか、全く予想がつかないものです。 
男・楷書男・甲骨文字


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漢字「男」の解体新書

  
男・甲骨文字
男・金文
男・小篆


 

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「男」の漢字データ

漢字の読み
  • 音読み   ダン・ナン
  • 訓読み   おとこ

意味
  • 性別で雄
  •  
  • 立派な仕事をした
  •  
  • 大人の男、子供ではない男

同じ部首を持つ漢字     男、甥、舅、虜
漢字「男」を持つ熟語    男、男前、大男、


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漢字「男」成立ちと由来

引用:「汉字密码」(P470、唐汉著,学林出版社)

「男」の字の成り立ち」

唐漢氏の解釈

 男という字は会意文字である。甲骨文字の男という字の左は「田」である。意は農耕のことである。
 右辺は力これは「加」や「幼」の中の記号と同様である。元々は男の生殖器を指しており、ここでは男の意味である。
 金文の男の字は が田の下にある。小篆の形体は基本的には金文と同じである。ただ力という字が完全に「田」の下に来ており形体もまた少しごちゃごちゃしている。楷書の      「男」は小篆を引きついでいるが、「田」と「力」で簡単明快である。

漢字「男」の字統の解釈

 会意 田と力とに従う。力は末の象形。 田と農具 のと合せて耕作のことを示すが、古い用法では その管理者をいう。〔説文〕 一三下に「丈夫なり。田 に従ひ、力に従ふ。男は力を田に用ふるを言ふなり」とするが、力は筋力の字ではなく、耒の象形である。

 文では、田と耒との組み合せかたは、かなり自由である。[令彝]に男は農耕の管理者とし 外服(外域) 諸侯の一にあげられている。

 一般に男子は、詩篇では士 といい、士女と対称するのが例であった。士は戦士階層のもの、男は耕作地の管理者を意味する。 下層 の男は夫といい、概ね農夫であった。その管理者を、のちには大夫といい、卿・大夫・士のように士の上 に位置するが、 氏族員たる戦士階級が没落して、農奴の管理者である大夫の地位が、政治的な階級に高められたのである。男は大夫の古称とみてよい




漢字「男」の漢字源の解釈


 会意。「田(はたけ、狩り)+力」で、耕作や狩りに力を出すおとこを示す。ただし、ナムnamという音であらわされることばは、納napや入niapと同 男系で、いりむことして外から母系制の家にはいってくるおとこのこと



漢字「男」の変遷の史観

文字学上の解釈

文字に現れた社会構造の変化

殷の時代に起こった劇的な変化とは
  男の字の本意は地方の諸侯の放牧地のための男の衛兵の服務である。殷商の初期、農耕は未だ「焼き畑農業」が主力の時代、社会的には氏族共同体の時代であった。

後世の土地制度の範となる「井田制」現る
 そしてこの田という字は商王朝の初期に現れた井田制のことであろう。これは土地を9区画に区切り真ん中を公田とし、この部分は王朝の所有で、残りの8つの区画は私田として、地主や邑(ゆう)という部落の長の所有とされた。そして、その王朝所有の区画を奴隷制を基礎とする氏族の耕作でまかなった。しかしながらたとえ農耕の主力が女としても、氏族の集団で狩をしたり、狩猟は男の担当であった。このようにして甲骨文字の中の「男」の字は、商王国の中のもっぱら農耕部落の首領をさすようになった。すなわち男の服務の首領である。

井田制を基礎とする封建制の発展
 商が滅んで周の後、この地所の西北の一隅の農耕民族、華夏民族にとって民族的歴史に真の農耕時代をもたらした。生産力のは点はまさに爆発的であった。このときから狩猟活動は減少し、農業技術の飛躍的な発展により、強力な国家体制が出現し、更なる労働力を求めて、外へ外へと拡大を続けるようになった。

生産力の発展は更なる生産力を求め、奴隷や女を必要とした
 こうして起こった劇的な社会変化で、女子はその生理的条件と社会的地位の制限により、農耕領域では二の次の生産者の位置に下がってしまった。この頃の戦争の目的は、侵略と略奪により、奴隷として労働力を獲得すると同時に、戦利品として、女を獲得し、労働力の増殖に供することであった。農耕と男子のこの種の関係は、「男」の字に新しい意味を付け加えることになった。農耕即ち男子のことである。故に男子と称するようになった。「説文」で男は主人である。田と力から、力を持って田をなすことを男という。

まとめ

文字は社会の母斑である

 孔子が理想の社会として敬んで止まなかった西周の時代というのは、未だ社会的には士族共同体の特質を色濃く残していた時代だからこそ生れたのであって、春秋時代になると、社会が礼節で収まるような時代ではなくなってしまったのである。
 甲骨文字から小篆に至る「男」という文字の変化をこうして眺めなおしてみるのも面白い。

  


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2022年2月10日木曜日

漢字「怒」の成り立ちと由来:漢字の構成要素「女+又+心」は何を意味する?


漢字「怒」の成り立ちと由来

漢字「怒」の成り立ちと由来:手を付けられた女の気持ちは怒りとなって噴出する

 

まえがき

「怒」は「女+又+心」という漢字から成り立ちます。ここで「又」は古代では「手」を意味します。この3つの文字の会意で、手を付けられた女が持つ心」を表しています。その心は「怒り」です。古代から虐げられた女は怒っているのですね。
  漢字「怒」は、今世間を賑わしている「セクハラ」に対する世間の怒り・特に女性の怒りをそのまま字にしたような字です。セクハラの怒りは3000年前からあったことをこの字は示しています。

 甲骨文字や金文などの古代文字が何とも面白い。漢字の元となるこういった文字は、直感的に、見たまま、感じたまま捉え表現している。そこには『忖度』などは、入り込む余地はない?

 人間の認識というものは、本来こういうものではなかったろうか。勿論太古の昔と今ではまるっきり違っているともいえるが、人々の根底に流れるものは、古今東西変らないのではなかろうか? 漢字「怒」を見ていてそんな気がしてきた。

目次

  1. 漢字「怒」の成立ち
  2. 漢字「怒」の解釈
    唐漢氏の解釈
     字統の解釈
     漢字源の解釈
  3. Chat GPTに漢字「怒」の成立ちと由来について聞いてみた
  4. まとめ


漢字「怒」の今

「怒」の漢字データ

漢字の読み

  • 音読み   ド、ヌ
  • 訓読み   いか(る)、おこ(る)

意味

  • おこる
  • 腹を立てる 
  • 憤る

同じ部首を持つ漢字

    奴、努力、奴隷、奴婢

漢字「怒」を持つ熟語

    憤怒、怒号、忿怒

漢字「怒」の成立ち

引用:「汉字密码」(P499、唐漢著,学林出版社)

漢字「怒」の解釈

唐漢氏の解釈

 古文の「怒」の字は左上部は女で、右上部は手に点を2点追加した形を示している。乃至古文の「掻」の字である。下辺は心の象形字である。3形の会意で、女の人が手で掻いて心に怒りが生まれていることを示している。小篆の「怒」の字は手の中の2点がなくなって心と奴の発声からくる形声字になっている、また「怒」の字が持っていた十分な趣もなくなってしまっている。

 大方のこの時期の貴族たちは、全ての奴僕の心中に怒りがあることを知っていたのであろう。このため「怒」の字は意味が変わった。楷書は小篆を受け継ぎ、「怒」と書くようになった。

 当時の貴族たちが奴隷の心中まで推し量っていたとは到底思われない。。多分に後付けの説明のような気がするが・・。
 あるいはこの漢字を文字要素の通り解釈すると「手を付けられた女の心の心中をそのまま文字に表した」と解釈すれば、今世の中を覆いに騒がしているセクハラに対する世間の気持ちをそのまま文字にしているとも読み取れる。勿論古代と現代では優に3000年の差はあるが、虐げられたものの怒りや恨みは悠久の年を越えて今に共感するものかもしれない。

字統の解釈

 形声:声符は奴。奴に努など、激しく勢いを加えてことをなす意があり、怒もそのような心意の状態をいう。

漢字源の解釈

 会意兼形声。 奴は力をこめて働く女の奴隷のこと。「怒」は「心+音符・奴」で強く心を緊張させること。


ChatGPT(Chat GPT;AIチャット)に漢字「怒」の成立ちと由来について聞いてみた

成立ち:
 漢字「奴」は、「女」(おんな)と「又」(また)という2つの偏(へん)から構成されています。上部の「女」は女性を表し、下部の「又」は手を表しています。この字は、女性の手を持つ人や僕人(しもべ)を意味する漢字として成り立っています。

由来:
 「奴」の由来については、古代中国の社会で奴隷制度が存在していたことから派生したと考えられています。奴隷や奴僕を指す字として用いられました。また、後には「奴」は卑屈な人を意味する言葉としても広まりました。

意味するもの:
 漢字「奴」は、元々は奴隷や奴僕を指す意味で使用されました。しかし、現代の日本では差別的な言葉として認識されることが多く、一般的には避けられるようになりました。現代の日本語では、「奴」の代わりに「人」や「者」といった言葉が使われることが一般的です。


 なお、漢字の意味や由来については、時代や文化によって異なる解釈が存在する場合もあります。上記の情報は一般的な解釈に基づいています。

  また、この解釈では「奴+心」がなぜ怒りになっているのかの説明になっておらず、さらなる考察が望まれます。

まとめ

 漢字「怒」の成り立ちと由来:手を付けられた女の気持ちは怒りとなって噴出する。虐げられたものの怒りや恨みは悠久の年を越えて今に共感するものかも知れない。

 最近、なにかと話題の多いChat GPTを使ってみたが、Chat GPTを使う際に、留意すべきこととして、Chat GPTは問いかけに対して、全方位的にこたえるものではなく、問いかける側が、それなりの見識を持って臨むべきことは当たり前のことだが明らかなことです。Chat GPTは全能のAIではない。


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2021年3月19日金曜日

漢字の成り立ちの意味するもの:漢字「婦」は女性差別という「差別」に抗う

漢字の成り立ちの意味するもの:「婦」と女の違いってなんだ!

 漢字「婦」は太古の女性が社会的に主体的役割を果たしていたことを明示したものだ。

 漢字「婦」は、太古の社会では女性は主体的でることを明示しており、女性が従属的な存在であることを決して意味していない。


 「婦人」という字が、日本の歴史に登場して久しい。婦人参政権、婦人会、主婦、看護婦など等である。しかしこれらは今では少し古い感覚で受け止められるようになっている。
 少し前、「婦」という字は「女が箒を持っている」ことを表している字などを社会的用語として用いるのは「女を家に縛り付ける封建的遺制である。という議論まで飛び出して結果的には、婦人という用語は社会からある意味で抹殺され、いまではその代わり、「女性」という語が表舞台に登場した。

 こうなると婦人という言葉もいわれなき差別の末社会から放逐され、いささかかわいそうな気がする。
 物事は俗説や風評・感覚だけで判断してはならない!

 さて、ここではこの漢字の男女シリーズでこの「婦」という漢字を取り上げてみる。本当に昔から虐げられた女性の象徴であったのか。もちろん勝手ながら、唐漢さんに登場願うこととする。


引用 「汉字密码」(唐汉,学林出版社)
 妇は「婦」簡体字である。甲骨文字の婦の字の左上方は黍の穂を突き刺して作った箒で、右側は跪いた女性である。両者の会意で手に箒を持った人即ち「婦」を表している。小篆の婦の字はへんとつくりが整えられ、女の字は箒の左に移った。箒の形はすでに象形からの離脱があるようだ。簡単化され「婦」とかかれるようになった。


婦:甲骨文字
婦:小篆



   「婦」の字は一個の会意字で構造上女性が部屋を清掃する特徴が強調されている。しかし確かに言えることは殷商の時代は、女性は本当の意味で家の主であって、母系家族の中で個人に割り当てられて部屋を使用していただけなのだ。決して自分で生んだ個人の子供のための使用ではない。





漢字「婦」は家を持ち自立して生活できる女性をさす
 この構成の中で、家では却って男と交わりはなく無関係であった。男は小さいときは母親のひざ元で暮らし、成年後は男子専用の集合住宅である「公宮」にすんだ。男子に家はなく、女のところで客として寝泊りしていたに過ぎない。女性は家をもち居室は清掃をし家事をする。  

 「婦」という字はまさに現実の反映なのである。だから「婦」の本義は個人の居室を指し、男子を留めまたは留めることのできる女性をさすのである。父権制が確立して以降は結婚した後の女性を指すようになった。

 後世になって、言葉の意味の拡大で「婦」もまた婦女の通称となった。

 但し古代にあっては、婦はもっぱら既婚の女を指し「女」は一般的な意味の女性を指し、2者は混用することはなかった。ただ近代にあっては、婦女と女性の通称になった。

キーワード:婦人


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2021年2月26日金曜日

漢字「怒」の成り立ちと由来:漢字「奴」と「心」の意味するものは


漢字「怒」の成り立ちと由来:漢字「奴」と「心」の意味するものは
 日本語は漢字の使い方によって、発声が異なることがあり、日本語が難しいといわれる所以でもあります。ここで取り上げる、「怒」にしても、下記のように「ド」と「ヌ」という読み方があり、読み方により、微妙に異なる響きを持つことができます。

漢字「怒」の読み方、呼び方
音読み:① ド 漢音 例:怒髪天を衝く・・ドと濁ることにより、感情が強く押し出される感じがします。
      ② ヌ 呉音 例:憤怒・・フンヌという発声は、いかにも怒りが内に籠った感じを与える響きになります。
訓読み:① いかる ② おこる


引用:「汉字密码」(P499、唐漢著,学林出版社)
漢字の成り立ちの解釈
 「怒」の字は左上部は女で、右上部は手に点を2点追加した形を示している。下辺は心の象形字である。3形の会意で、女の人が手で掻いて心に怒りが生まれていることを示している。 
 白川氏は形声文字とみて、声符は奴。奴に努など、激しく勢いを加えてことをなす意があり、怒もそのような心意の状態をいう。
 これに対し、藤堂氏も会意兼形声であり『奴は力をこめて働く女の奴隷のこと。「怒」は「心+音符・奴」で強く心を緊張させること。』としている。

 3氏の見解は全て、セクハラに対する怒りを表現したものということで一致している。

そこでここで、文字の構成要素を分解し、もう各要素ごとにもう少し細かく分析してみよう。


漢字の解体分析(ターヘルアナトミア)
左の画像が甲骨文字の「怒」の構成要素です。
  1. 「女」+「手」⇒「奴」:奴は奴婢のこと。当時は奴婢は戦利品という立場にありました。戦争捕虜などは男を処刑した後、捕らえた女性を奴隷にしたこともあったようです。殷商時代は、5%ぐらいの奴隷が存在したといわれています。この場合の発声は「ヌ」になると思います。
  2. 「奴」+「心」⇒「怒」:漢字を作る側の人間が奴婢の心に思いを寄せていたとは考えにくいのですが・・。
    従って、白川氏の考察が最も当を得ているのかも知れません。
甲骨文字:女甲骨文字:手(又)甲骨文字:心



漢字「怒」の構成要素は?

 漢字「怒」の構成要素は、「女」、「手」、「心」の3要素が挙げられますが、「怒」という漢字を決定づける要素は、「奴」と「心」の2つの要素と考えるべきだと思います。その理由は一つに、「怒」の発声が「ヌ」、「ド」であり、これらの音を持つ構成単位は「奴」という漢字です。意味的にも奴をひと固まりで考えた漢字が多数を占めているという理由によります。


関連記事:漢字「怒」の成り立ちと由来:手を付けられた女の気持ちは怒りとなってほとばしる
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2021年2月13日土曜日

漢字「櫻」の成り立ちと由来 なぜ女の子を意味する「嬰」と木偏なのかの謎に迫る

 この2、3年は桜で振り回された感じがする。元凶は「桜を見る会]である。国民の疑惑はいまだに払拭されていない。安倍首相のごまかし答弁は首相が代わってからでも、菅首相に引き継がれさらに深化しているような気がする。これは首相個人の問題ではなく、日本の政権与党の体質の問題のようだ。

 この記事は、2012年にアップした投稿をかなり全面的に書き換えたものである。

 桜を見る会とか、コロナ、コロナといっている内に、街路樹の桜の蕾は赤みをさし、確実に春が近づいていることを感じさせている。

  昔学生の頃、コンパで歌った歌の一説に「櫻という字はやっこらやのや、二階の女が気(木)にかかる気にかかる」というのがあった。桜の旧字は木偏と二つの貝を並べてその下に女と書くという綴りを謳ったものだが、この歌も最近では聞けなくなった。さて、桜の字はどこから来たのだろう. 桜の旧字体は「櫻」だ。そしてまたこの旧字体の「櫻」は甲骨文字は見出させなかった。初めからないのかもしれない。唐漢先生に尋ねてみることとしよう。


唐漢氏の解釈
 「櫻」は「木」と「嬰」からなる。この「嬰」は年端も行かない女の子を指す。上古先民は貝の首飾りで女の子を飾って喜んだという。因みに女の子は幼児期のころ小さな装飾品を集めるのが好きである。砂浜の上の美しい貝殻に穴をあけひもで結んで首にかけるのは非常にいい装飾品だ。上古の時代女の子たちは、この種の装飾品で身を飾るのに夢中になった。貝殻の装飾品で身を飾った女の子は「婴」(yingと発音する。桜の旧字の旁の部分)と云った。因みに男の子は儿子といった。(この男の子の話は、最近のものかもしれない)


  桜の種類には2種類がある。一つはサクランボの木だ。春には花が咲き、花は五弁で色は薄紅、清らかで優雅で美しい。果実は紫紅色で、甘い味がする。俗称桜桃といわれる。これは果実を収穫するための桃の木である。また別のサクラは即ち桜花の木である。この種類は花の鑑賞の為の植物で日本の国花でもある。
以上のことから櫻の原義は貝殻で出来た装飾品(桜貝?)で飾った女の子のような美しい花の木ということらしい。


字統の解釈
形声文字。旧字は「櫻」と書き、嬰声。
 《説文》に「果なりとあり、果樹のゆすらうめをいう。また含桃・桜桃で、わが国ではいわゆる櫻ではないが、わが国ではさくらの字とする。中国の詩文に見る桜花・桜樹は全てこのゆすらうめの事で、わが国には江戸初期に渡来し庭園などに植樹された。

字統の「嬰」の解釈
嬰はみどりごのこと。貝を綴った首飾りの呪具。これを新生の女の子の首飾りとして加えるので、また嬰児の意となる。
 







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2020年11月22日日曜日

女の漢字「妊」の起源と由来:女偏に「壬」で処女から若妻に替わることを表わしているか?

漢字「妊」の起源と由来:女偏に「壬」で処女から若妻に替わることを表わしているか?

「妊」:説文では「孕」なりと説明がある。
「壬」は貫くという意味で、
女性が最初の性交を通して若妻になることを示している
唐漢氏の解釈
「妊」これは会意及び形声文字である。説文では「妊」即ち孕むことなりと云っているが、説文ではこれに疑念を持ている。
  女と壬から成り立ち、壬は声調を表す。

  図に示すように甲骨文字の任は右辺は女で左は「工」に似た「壬」である。「壬」は上古時代は、専ら針の意味を持っていた。

  このことから貫き通す、通過の意味である。女性が最初の性的接触を経て、処女から若妻に替わることを表示していると考える。
  「工」は工具の意味として用いられ、「左」という漢字も、手に工具を持つ意味と解釈されている。女偏に「壬」で女に何らかの手が加えられたことを意味するかの解釈もなりたつ。
  金文の「妊」の字は左辺の「工」の字の中に一点が加わっている。小篆はこの点が長くなり今日の楷書になった。


字統の解釈
  因みに白川博士はこの「工」という字を呪具で、古代では巫女や卜時に使っていたと推測している。これを呪具と見るか針のような工具とみるかは、文字学観にも係わる非常に重要な問題だと思う。

  女子と男子の交わりは受胎妊娠となる。為に妊の字は女性の懐妊を表している。即ち妊娠で妊の字は現代漢語では、この意味で使われ続けている。
 

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2020年10月13日火曜日

「妊」に関係する漢字のまとめ:孕,包,妊,身,育


「妊」に関係する漢字のまとめ:孕,包,妊,身,育 子供を生み、育むことの苦闘が漢字に表れている?
  太古の昔から妊娠は重大な問題であった。だからこそ妊娠を意味する漢字は甲骨の時代から数多く存在していた。

 菅義偉首相が少子化対策として不妊治療の公的保険の適用拡大を打ち出している。実現までの間も助成金を大幅に増額するよう厚生労働省に指示した。
 これは新内閣の目玉として、大きくマスコミなどで取り上げられている。この不妊治療が、日本の「国難」とまで言われている「少子化」の問題解決にどれほど寄与するのか、はなはだ疑わしい部分がある。

 しかしながら、子供を生み、育むことは人類にとっても重要な問題である。

 3500年も前から、人類の祖先は、子供を身ごもり、育てることに全精力を費やしてきたであろう。その結果として、妊娠や身ごもりを表す漢字が数多く残されている。それだけ人類は子孫を残すことに全身の力を傾けていたのではないだろうか。その営みは、ある意味崇高なもので、現代のような性を弄ぶ風潮はとても許されるものではなかっただろう。

ここではこの「不妊治療」の
「妊」に関係する漢字:孕,包,妊,身,育について、少し考えてみたい。
因みに「不妊治療」は中国語で「生育治疗」という。言葉の問題から言うと、「不妊治療」より、「生育治療」といったほうが、問題点を大きく捉えているといえよう。なぜなら中国語の概念の中には、単に妊娠できない状態の治療というばかりではなく、「生んで、育てる」ことも含んでおり、育てる環境も含んだものとして、包括的に、概念的には考えることができるからである。
 


漢字「妊」の起源と成り立ち
「妊」説文では「妊」即ち孕むことなりと云っている。
 
漢字の成り立ちについては、この漢字「妊」のページを参照ください

 

漢字「孕」の起源と成り立ち
  「孕」という字は身重、懐妊の意味である。

 非常に分かりやすい漢字であるが、「孕」の本義は懐妊である。妊婦のことである。

 漢字「孕」の成り立ちについては、漢字「孕」のページを参照ください




漢字:「包」
漢字「包」の語源と由来:胎児が胎嚢に包まれている状態を著す



  

漢字「身」
漢字「身」起源と由来:象形文字である。身ごもった状態が実に生き生きと表現されている





  

漢字「育」
漢字「育」起源と由来:会意文字である。子供が頭を逆さまにして、正常な状態で生まれることを表し、正常に育つという意味に拡張された。原義は正常出産の意味

 左のヒエログラフは、こどもが女性性器から出てくることを示しているが、上下に180度逆転してみるとその意味合いがよく読めるように見える。





漢字「毓」

漢字「毓」は「育」の異体字である。この漢字も分娩を表す漢字である。

 唐漢氏はこの漢字を分娩時に羊水が流出している様を表現しているとしている。甲骨の昔からこのような直截な表現の漢字が存在していたかは、知る由もないが唐漢氏はそのように考えている。




結び
 太古の昔から人類にとって、子供を生み、育むことは大問題であったことは、妊娠や身ごもりを表す漢字が数多く残されていることからも伺える。それだけ人類は子孫を残すことに全身の力を傾けていたのではないだろうか。



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2020年5月20日水曜日

MBSテレビの「東大王」の中で、出題された漢字「要」の肝心かなめの成り立ちと由来は?


肝心かなめの漢字「要」の成り立ちは
 MBSテレビ20/05/20の19時からの放送「東大王」のなかで、漢字「要」の元になった動物は何でしょうというクイズがあった。その答えは「蟹」だという。蟹の目が両足を広げたときの真ん中の部分にあり、「かにのめ」の音が訛って「かなめ」となったということである。要を日本語の読み「かなめ」と何故なったかというクイズの答えとしては面白い。

しかし、漢字「要」の成り立ちはという問いにもう少し答えてみようと「字統」を引いてみた。


引用:「字統」(P847、平凡社)
ここでいう古文は「説文」にある字形をいう
字統の解釈
象形 腰骨の形 女子の腰骨は発達が著しいものであるから、下部を女に作る 。腰の初文。 説文に、身の中なり。
人の腰に象る。臼の部分は 腰部骨盤の形。 人体の最も枢要な部分を要領といい、領は首。要領を保つとは命を全うすること



説文の解釈
身の中なり。人の耍(こし)に象る。
要は人の腰を表したもだという解釈

漢字源の解釈 1430ページ
読み: かのめ
解字: 会意文字  両手プラス 頭もしくは呂( 背骨) で 、左右の手でボディを締め付けて、細くする様。女印は 女性の腰を細く締めることか添えた。



結び
 漢字の「要」が中国で生まれ、日本に入ってきて「かなめ」という読みが生まれるまでの漢字の歴史の肝心要の部分がここで明らかになった。人間の生まれと育ちと同じようにきちんとした生育の過程があるとわかって非常に面白い。

 しかし、この世の女性は、古今東西、太古の昔からウエストを締めるのことに如何に涙ぐましい努力をしてきたかということが、この話から垣間見えて面白い。


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2019年1月21日月曜日

漢字「姓」は大昔の氏姓制度の中から誕生した。 漢字は社会の変化を映し出す。


「姓」からの開放は、社会の開放に直結する
 今日の毎日新聞に「選択的夫婦別姓の全国陳情アクション」と題して、夫婦別姓の運動の機運が高まっていることを報じています。
 人々の「氏姓」の問題は、人間が共同体を作る前には、未だ存在しなかったのですが、やがて集落ができ、集団で生活するようになると氏姓制度が生まれ、「家族」という単位が発生してくるようになります。やがてその制度も社会も時代と共に大きく変化することになりますが、「姓」という漢字の変化は、その社会の変化をまるで母斑のごとく刻みつけています。

 今、漢字の「姓」の変化の過程を見れば、数千年前からの社会の変化が明らかになり、「夫婦別姓」を妨げるものが何か、自ずと明らかになってきます。

 日本では、昔の「家」という概念は既に崩壊したと言われています。では、完全に「家」という概念から開放されたかといえばそうではないと考えています。その最も大きな根拠はこの「夫婦は同じ姓でなければならない」という概念が、日本では支配的だということです。そのために諸外国から見ても、「日本の女性は開放されていない」現状に強いられることになっています。もちろん「夫婦別姓」にすればすべてが解決するという単純な問題でないことは確かですが、少なくとも社会を前進させる大きな起爆剤には成り得るでしょう。

 人々が、男も女も、「家」という概念から開放され、キラキラと煌く「個の発露」が開花する時、日本の社会はもっと美しく素晴らしいものになるでしょう

引用:「汉字密码」(P485、唐汉著,学林出版社)
「姓」という漢字は古代から近代にいたる非常に長い期間
社会の成り立ちの根幹の制度・概念を表す漢字である
「姓」の字の成り立ち」
 「姓」の両形も会意文字であり、母系制氏族社会で、同一の女性を始祖とする後代まで広がる社会を示している。
 同一の女性の祖先の子孫は、彼らが一人の同じ女性から来る所から金文の「姓」という字を生んだ。





漢字「姓」という文字がなぜ女偏から人偏に変化し、再び女偏に変化したのでしょう
 右辺の字の符号の中の短い横棒と左辺の女偏が人偏に代わり、この時期に社会が既に男性の権力の時代に入り、既に母系制氏族制度が転覆したことを表明しています。小篆は女偏に回復しているが、なぜ人遍から女偏に戻ったのかは調べる価値がありそうです。


「姓」の独占と社会の仕組み
  中国古代社会では平民と奴隷は皆姓を持ってなかった。只貴族のみが姓を持っていた。実質上早期には姓の権利が独占されていた。この為に上古社会では「百姓」という言葉は庶民を指していた。平民も姓氏を持つ様になって、庶民という言葉は一般庶民を表示するのに用いられた。

 このようなことは、韓国社会でも、夫婦別姓になっているにも係わらず、「本貫」という遺制?が残っているし、中国でも「太子党」という階級の裏付けが、父系の血縁集団のように社会に隠然とした力を与えていると言われる。

 日本では、朝廷が、官位と同じように氏(うじ)と姓(かばね)を授けて氏姓制度を国家機構の中に組み入れ、支配の仕組み構築していった。



参考記事:「女の漢字:「姓」 文化・社会の原点はここにあり

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2018年10月1日月曜日

「姻」の起源と成り立ち:父権制の確立後に生まれた文字、新婦の寝る場所を示す


漢字「姻」の起源と由来

引用:「汉字密码」(P505、唐汉著,学林出版社)

「姻」の字の成り立ち」
「姻」は会意文字であり、形声文字でもある。小篆の字形の左辺は「女」の字で、右辺の「因」は甲骨文字の原本は筵の上で寝ることを表示している。拠り所のあるという意味である。父権制の確立後、中国の婚姻風俗は一般には皆女子は男の家即ち新郎の家に出かける。それゆえ新婦の拠り所となる場所となる。また直視的な解釈で新婦が寝る場所という意味である。  いわゆる姻は女と因の組み合わせである。その中で因は又表音を表わす。姻は婚と同じく会意と形声文字である。

古人は婚姻を如何に考えたか
 「姻」は説文では「姻、婚家なり」と解釈され、それゆえ拡張され、姻親と関係する。《尔雅•释亲》の説くごとく、「婚これ父曰く、婦の父を婚となす。このことは「親家の間、女性の父親を婚と呼び、男の父親を姻と呼ぶ。


現代の日本の法律上の「親族」「姻族」の定義
親族の定義
 一般的には,親族というと,親戚の方全般を指すものとして使われています。  法律上の「親族」は,すべての親戚を指すわけではない。すなわち,法律上の親族とは,6親等内の血族・配偶者・3親等内の姻族のことを指します。
姻族の定義
 姻族(いんぞく)とは,一方の配偶者と,他方の配偶者の血族との間の関係のことをいいます。例えば,妻と夫の父母などは姻族となる。  姻族関係は,あくまで配偶者双方の問題です。したがって,配偶者以外の者同士が姻族関係になるというわけではないことを知っておいても損はない。   


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2018年9月26日水曜日

漢字「妥」の起源と成立ち:手と女からなり、慰撫するという意味から発展し、安定を表わす。今日では適当という意味に使うことが多い


漢字「妥」の由来
 手と女からなり、慰撫するという意味から発展し、安定を表わす。漢字の成り立ちからいうと、男尊女卑の概念を色濃く残した漢字です。女の頭をナデナデすることを表現している。しかし、最近では、女の頭を撫ぜてうまくいくことは殆どない。むしろ、男の頭を撫ぜて、その後ろに控える奥さんに納得してもらうことで旨くいくようなことが多いようである。

引用:「汉字密码」(P502、唐汉著,学林出版社)
「妥」の字の成り立ち」
「妥」は会意文字である。甲骨文字の「妥」の字の左辺は手(爪)で右辺は背筋を伸ばして膝まづいている女の人の形である。金文形体は基本的に甲骨文字と同じである。小篆の妥は手が女の人の頭の上に置かれている。
 これは構造が合理的であるばかりではなく、さらに文字の表意・・意味するところを顕示するものとなっている――手を用いて女性を慰めたり抑えたりすることを示している。それは安定を表わしている。
  「妥」の字の構造は女子を安撫させ、それを安定させる。妥の字は安定する。このため妥の字は安穏・安定の常用を示す。稳妥、妥帖(穏当であるや妥当)であるのごとく、「妥」は制限する、抑えつけるの意味がある。
 解釈としては、「字統」(白川静著、平凡社)にもほぼ同様の解釈をしている。

古人は「妥」を如何に用いたか
 杜甫の《故司徒李光粥》 にあるように「兵を抑え、河やぬかるみを抑えて、千里が始めて穏当になる。ここの妥帖は武力が安定するの意味である。また拡張され、適当、適合を指し、人々が常に口にするように、「不妥」(不適当である)もまた適切でないという意味である。「妥善、妥为安排、欠妥」の中の「妥」の字は全て、適当、適合の意味である。

 話し合いで対立していた双方が、適当なところで折り合いを付けることを妥協、妥結といい、適当であることを妥当という。  

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2018年8月22日水曜日

漢字「女」の起源と成立ち:当時の社会の変化が漢字にしっかりと刻まれていた


漢字「女」の起源と由来
「男」と「女」の永遠のテーマ。漢字が生まれたのは生理学的な違いではなく、その社会的な在り方がそのまま表現されたもの。漢字学は考古学でもある。現代社会からだけ、漢字の成り立ちを決め付けてはいけない。

引用:「汉字密码」(P467、唐汉著,学林出版社)
「女」の字の成り立ち」
女という字はそのままの象形文字である。甲骨文字の女の字は左を向いて膝を折って跪き、状態をまっすぐ立ってて、上部の女性の胸をわざわざ描いて、女性のバスト、ウエスト、ヒップが余すところなく特徴的に表現されている。




古代人はなぜ女という字をこのように作ったのだろうか。
 実際上、この種の姿勢は本来古代人が服を着て、家にいる形である。華夏民族は早くから服を着ていたかあるいは体の前に布をぶら下げていた。後になって前後の布になり、そして更に変化して全部布で覆った衣服になった。殷商の時代に至って、大多数の民衆は、日常は裸足で脚は短いスカートで包んで、中は今の人のようにいわゆるパンツはつけず、何もはかない。明らかにこのような服装をして、唯一つの草の寝床以外は何もない居室で、ただ跪く姿は、陰部を隠すのがやっとであろう。跪くのは小休止するのには非常に便利である。女という字にこの跪く姿勢をとったのは、これが上古の生活の真実の姿であったろう。


ただここで、女はなぜ家で跪かなければならなかったか?
 跪くというのはやはり、隷属的なふるまいである。男は「田」+「男性器を示す力」で、併せて農耕を表している。ここで、字の上でも男と女の社会的地位が明確に示され、女は家で家事を分担し、男は農耕など生産の主要な部分を担うことになっている。


甲骨文字から小篆への文字の変化
 金文の字の女では基本部分は甲骨文字と同じであるが、ただ女の頭の上部分に一本の横線が増えている。実際には簪を飾りにいくらかの装飾品がつき、女の子の年頃の実際の姿を示したものだ。小篆は金文を引き継ぎ、しかし形象は次第になくなり、更に隷書化の過程で書くための便利さへの要求がいっそう高まり、形を変え楷書の時代になって現代の女という字になった。 


生産関係と文字の史的唯物論
 夏や殷などの強大な国家の出現により、生産関係は明確に変化し、人々の暮らしに大きな変化をもたらした。即ち、女は家事を分担し、跪くようになり、性的な部分が強調されるようになり、やがては髪飾りなどを身に付け、男の注意をひきつけるため、可愛さを強調する文化(存在)に自らを落とし込むようになってきた。そしてその関係は4000年続いてきて、今や大きく変化しようとしている。つまり男と女の性的な区別がさほど必要なくなってきた今日の在り方は文化にどのように変化を刻んでいくことになるのだろうか?

 私は現代社会はそのような大きな変遷の時代に突入しているように思われる。



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2018年2月10日土曜日

漢字「海」の成立ち:「水」と女性を顕す「毎」からなる会意文字

漢字「海」の起源と由来

引用:「汉字密码」(P300、唐汉著,学林出版社)



 「海」は説文では「天の池」という。百の川を納めるものを以って、水と毎の音声からなる。
 しかし海の字は形声字ではない。それは水と毎とで構成する会意文字である。
 「毎」は上古時代には、、氏族社会での年齢の最長で、多くの子孫を育て上げた女性を指す。毎を用いて海の組字の構成要件とするは、海に百の川を与えて天の池とする意味と無関係ではない。
 古人の印象では海は大地の尽きるところであり、而して大地は四角張って、大地の周りを取り囲んだ四辺には必ず四海がある。いわゆる海は拡張されて、大地の尽きるところになる。海は大地の縁の果ての外の水域と見られた時は海に接近する地方もまた海と見られた。
 漢の高祖劉邦の《大風歌》の中に、「大風起こり風雲揚す。威海内に加わり四方を守る。」ここの海内は四海が囲んだ中央の国土を指す。この意味から拡張して、海の字はまた「海関、海外、海口」の如く、国境を指す。
 現代漢語の中で、海は海海、里海の如く、大きな湖、庭園内の水池また大海碗の如く比較的大きな器皿或いは人、または事物が多く集積して広く集まった時も「雲海、学海、麦海などなどの如く海という。



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2018年2月1日木曜日

漢字「奴」の成立ちを探る:女偏と旁は「手」の意

漢字「奴」の起源と由来
太古の女性は種族の由来を示すアイデンティティーな存在
 漢字もまだ出来ていなかった太古の中国では、人々は狩猟生活をしていたであろう。生産性も低かったため、その日の生命を維持するのがやっとであったろう。この時代は女性はおのずと種族の由来を示す明示的な存在として、重要視されていたであろう。

女性の地位の変化
 しかし農業が発達し、生産力が向上し、氏族制社会になると人口も増え、種族も由来を明示的に示す必要がなくなってきた。より多くの生産力を求め、部族間の抗争を繰り返すようになり、貧富の差や階級の差が生じてきた。こうして社会が次第に父系制に移行するようになると女性の苦難の時代が始まる。
 戦利品としての捕虜を確保するということには生産力を確保するという以外、もう一つ重要な意味があったろうと思う。それは氏族社会の中で血が濃くなることを防ぐということではなかったろうか。とりわけ女の捕虜は男の性的な満足だけではなく、外部の血を導入するという重要な役割を担っていたはずである。


引用:「汉字密码」(P559、唐汉著,学林出版社)

漢字「奴」の成り立ち
 「奴」これは会意文字である。甲骨、金文と小篆の「奴」の文字は、女偏でもう一遍は又である。又はもともと「手」であり、ここでは捕虜を示している。全部で字の形は、捕虜になった或いは略奪された女性を意味している。
 奴隷時代、むろん戦争中の女性の捕虜、或いは罪を負った家の女性は落ちぶれて奴隷となってこき使われるのが彼らの命運であった。この為「奴」の字は「手」と「女」から来ているのは彼らの用途を表している。

「奴」の字の本義は奴撲、奴婢
 「奴」の字の本義は奴撲、奴婢である。古代奴隷制の時代は従順でない男性捕虜や犯罪者は常々脳みそを削られたり、女性は柔弱に飼いならされたり、生殖器の価値もって、奴隷に落ちぶれたものが多くいた。だから「奴」は女偏で作られている。
 しかし、階級分化が進むにつれ、一部の人は奴役ともう一部の人に分かれる現象が普遍的となった。

「奴」は社会的身分を表す言葉になった
「奴」はまた労働をする奴隷を指すことが当たり前になった。陸遊の《年暮感懐》の詩にあるように「富豪千の奴隷を使い、貧老は僅かな慰みもない」。又史記の季布列伝では、布は略奪され売られ、燕の奴隷となった。季布は男性で、捉えられ売られて奴隷になったという命運である。
 奴隷の身分は低く、だから「奴」の字は、低い階級の男女の謙称として拡張された。「奴家」の言葉の如く、古代婦女の謙称であった。「奴」の字はまた他人に対する蔑称、軽蔑にも用いられた。「奴才、奴輩、守銭度」」などである。


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2017年6月5日月曜日

漢字「安」の起源・由来:成熟した女性を大切にし、子孫繁栄を願った漢字


漢字「安」の起源と由来

 漢字「安」の起源・由来:成熟した女性が、個室で安心して生活できるように保証したことを示す

甲骨文字の生まれた時代は、父系制社会に移行する過程に在ったが、まだ母系制社会の生活習慣を残していた。成熟した女性が個室を持ち安心して生活することは、氏族共同体を護る基本であった。氏族全体で、女性を大切にし、子孫繁栄を願った漢字

 「安」の字は会意文字である。甲骨文字の「安」は上部は部屋の形状をしている。下部は部屋の中に膝まづいて、左に向いて座る女子である。金文の「安」の字の構造もまた部屋の中の女の字である。小篆と楷書の形体は甲骨、金文と同じである。但し楷書の建屋の形状は「内」に変化している。



「汉字密码」(P551、唐汉著,学林出版社)は、その理由はありと氏族共同体に解く
 何故女のいる部屋の中は「安」としたのか。「母系」社会の観点から見ると、発育して成熟した後の女性がもし自分の居所を持っていなかったとしたら、男性と野外で接合するだけで、居所もなく、生まれてくる子供があちこち逃げ回るだけとしたら、氏族全体に騒動をきたし混乱させてしまう。このために成熟した女性には自分の個室を与え、氏族全体の安寧とつつがなく暮らす様にさせるためだ。

白川静氏は「字統」のなかで、「安」を祖先を祭る寝廟の中で執り行われる儀式が、安静で、安寧であったことから発生した漢字と説明している。この一文だけで、評価は出来ないが、この説明ではウ冠(即ち屋内)のなかに女が配置されているという説明が不十分と思うのだが・・。
   「安」の本義は安定、平静である。安定から拡張して安穏や穏固の意味になり、《苟子•王霸》の「国安んじ、民憂うることなく」とは「国家安穏だと欠食・着るものにこと欠くことなく、庶民の不安定さを憂慮することもない。また安穏から引き出されて「安放、安置」がある。



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2012年12月24日月曜日

いかに「它」から「蛇」が生まれ出ずるか


前号で述べた通り、蛇を表す字は、「」という字であった。しかし、今では蛇を表す字は「」である。なぜ、「」が「」に変化したのか? またそれはいつのころか、唐漢氏はそれは甲骨文字が作られて以降、言葉の発展の過程で小篆のころに「」という漢字が確立されたと考えているようである。ではその変化はどのような過程を辿ったのであろうか。

引用 「汉字密码」(P102, 唐汉,学林出版社)

古代人が非常に恐れたのは蛇にかまれることであった。

 はるかなる昔、雨量が満ち溢れ、河の流れも湖沼も今日と比べるとはるかに満ち満ちていた。水草、灌木は生い茂り、鳥類の天国であったし又蛇類にとっても天国であった。このような環境に住み生活する上古の先民が農耕する上で、最も恐れたのは毒蛇にかまれることであった。一巻の終わりになるのはいずこも同じで、現代においてさえ、第3世界つまり発展途上国では三万人がにかまれて命を落としている。

「蛇はいないか」というのは、日常挨拶であった

  所謂古人は顔を合わせると往々に「蛇はいないか?」と尋ねた。この言葉で以てお互いの関係を表す挨拶としてきた。このことは後日中国人があいさつに「飯食ったか?」というが如しである。

いかに「它」から「蛇」が生まれ出ずるか

  上古の時期から、「」という字は、「其它」(その他のという意味)の「它」にもいつも借用されてきた。文字言語の中で使用頻度は非常に高く、区別のため人々は別に「蛇」という字を作った。あとから現れた「」の字は明らかに「它」に「虫」を付け加えたものである。

 こうして「」で蛇を表すことが実質的に難しくなったため、「」はいわゆる「それ」という意味を専ら表すようになり、本来の「へび」を表す字として「蛇」という字が作られたと考えている。

古代文化と蛇の密接な関係

 蛇と上古先民の命運の関係はひとりでに又古代文化と密接な関係を持っている。神話伝説中五色石で以て自然に打ち勝った「女か(じょか)」は、首は人間で体はであったと言われている。「帝王世紀」では、应牺氏は体は蛇で人の首をしていたと書かれている。

 はるか昔の先民の素朴な概念中まるでと親戚や血縁関係にあるとの咬傷から免れるかのようである。氏族のトーテムを作ったのは、まるでその他の氏族に対し一種の抑止作用を願ったかのようである。
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2012年7月24日火曜日

漢字「宴」の起源と由来:屋内で女の人で客を接待すること

「宴」の語感
  漢字「宴」はもともと屋内で女の人で客を接待することの意味をもっていた。しかし近年「宴」から受ける語感は変化している。

 「春高楼の花の宴 めぐる盃影さして」と詠われた、春の宴は我々日本人にはうつくしい響きを以て、ある種の心地よさをもたらしてくれる。これは土井晩翠作詞と滝廉太郎作曲によるものだ。

  しかし、このような美しい情景を思い浮かべる「宴」も、その言葉の原義は、もっと生々しい、人間のエゴと欲望の渦巻く舞台であった。

「宴」の漢字の発展

引用 「汉字密码」(下巻P744 唐汉,学林出版社)

「宴」これは会意文字である。金文の宴の字は外側は屋舎のかたちで、中の下には「女」で、上部には「日」で、女とのセックスを表している。小篆は金文を受け継ぎ、「日」が女の上になっている。楷書では「宴」と書く。
  ここで「日」という字は、セックスを表しているというが、またもや唐漢さんの独特の発想かと思いきや、「中日大辞典」では、「罵り言葉として男から言う「日」には性交する」という意味も含まれるというから、まんざらとび跳ねたものではなく、それなりに巷ではこのような使われ方をしていたのかも知れない。

「宴」の本義は女の人で客人の接待をすること

引用続き
 「宴」の本義は女の人で客を接待することである。「宴新婚の兄弟の如し」ということは「上古時代の族外婚の時は兄弟同様一人の女性を共用する。「宴」は古代にあってはまた部屋の意味を表す。《易·随卦》の"君子以向晦入宴息。"の「宴息」は「夜になると屋内に入って休息する」という意味である。実際今日では、この行為は極端に野蛮で淫蕩な行為と見られているが、上古時代から女の俘虜はみんなの共用で、且つ客人の接待に使っていたのは一種の習俗であった。

 春秋戦国時代に至ると、諸侯、貴族、大商人は例外なく女を養うことで以て栄えたことのアイデンティティーとし、幼い子供、美しい妾で部屋を満たし、楽団や芸子を家の奥深く侍らせた。


 この種の女性は、単に高官、貴人に留まらず性欲のはけ口になった。また彼らは客人の接待に用いる一種の用品であった。
現代漢語の中で、宴は宴会、酒宴、宴席に招くなど多用されている。


壁画に見る宴会の様子

  この様子は昔殷の国の大きな邑があった云わば都であるが、今の中国の安陽という街の「安陽博物館」に飾られていた大きな壁画にも見ることが出来る。これは後世のものだろうが、当時(殷朝の時代)の宴のありようを表していると思う。
 この絵の左側は宴の出席者で、主催者と客人が飲み食いしている様子が見て取れる。右側には粗末な服を着た女人たちが踊っている。これが、恐らく奴婢、奴隷で、この宴で客人たちに体で接待を強要された者たちであろう。
 この時期は日本は縄文時代の末期であるが、中国では既に殷朝という大都市国家が出来、地域的ではあるが、権力の集中がみられている。建屋も立派な大きな宮殿が作られている。
 また女たちの着ている衣服にせよ、貫頭衣の様な未熟なものではなく、粗末ではあっても、それなりの縫製されたものと見受けられる。またこの王宮跡にはとてつもなく大きな青銅器の鋳型が作られていた。

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2012年5月30日水曜日

日本の国名「倭」と「委」:漢字の起源と由来


以前に紹介した司馬遼太郎さんと陳舜臣さんの対談本「中国を考える」の中で、二人が「日本」と言う国名について語っている。そこに面白い話があったので触れてみたい。

聖徳太子が遣隋使に託した国書の波紋

 聖徳太子が中国の隋の国王に送った国書で「日出る国の天子が日没する国の天子に送る」という文言を聞いて隋の帝が烈火のごとく怒ったということが通説になっている。
 しかし隋の帝が生意気だと怒ったのは「日出る・・」ということではなく、「倭」として言ったから、失礼だと怒ったのではないかという説があり、司馬氏もそのように思うと言っている。中国の帝国の国名は秦、漢、隋などのように全て一字である。それなのに蕃国の日本が倭という一字で言ったので「失礼なやっちゃ」となったらしい。

国名「日本」の始まり

 それ以降日本は中国に配慮して「日本」と改めたということである。昔は中国の周辺の蕃国は2文字の国名で呼ばれるのが普通だったらしい。



漢の光武帝の金印

1784年福岡市で発見される。後漢の光武帝が下賜した
ものと考えられている。上段の中央が小篆の「委」の字
 さてそれ以前は魏志倭人伝の中で金印を魏の国王から賜っている。ここには「漢の委の奴の国王」と記されており、「倭」ではなく「委」という漢字が使われており、倭のほうが通りやすかったのだろうが・・。また「倭」であるか「委」であるかはそれほど重要なことではなかったらしいが、いずれにせよ「倭」が通称として、使われている。 


「委」と「倭」の起源と由来

  「委」は会意文字である。甲骨文字は「女」と「禾」の二つの象形文字の組み合わせである。左辺は「女」で、右辺は「禾」である。小篆の形は甲骨文字と同様であるが、字形の構造上「禾」の位置が上に来て、「女」が下に来ている。これは現在の楷書の構造と同じである。

穀物が成熟した時穀物の穂は枝葉の上に垂れさがるように湾曲する。この為「委」には曲がるという意味がある。男子と比較すると相対的に女子の体と気力は弱く、古人は禾偏を女に加えて、女性が相手の意思に従うことを表したものだ。委従、委順の言葉の中の委の字は委細、従順の意味である。
「委」は「矮」の中で使われ、小さいという意味を表す。「倭人」も小さい人という意味で、ある意味で蔑称だったかもしれない。

「委」の漢字あれこれ

  • 委の字は隷属、委託を表すのにも用いられる。
  • 捨て失くすの意味から、回避するの意味が出てくる。委過、委罪の様に過ちや罪を回避する。
  • 委の字は多くの読みと意味がある。Weiと読むときの他、委蛇は山の中の道や川が曲がりくねることを表している。

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2012年5月22日火曜日

漢字の起源と由来:悠久の昔から受け継がれた姓「羌」


「中国・蜀と雲南のみち」を辿る
 このところ司馬遼太郎さんに嵌っている。その彼の「街道をゆく20」の「中国・蜀と雲南のみち」は彼が昭和56年に成都から雲南へと辿った道の少し古い紀行文である。
 私も先日北京から成都に入り、四川を遡り九賽溝をめぐった後、三峡を少し下って来た。もっとも私の場合は完全な観光旅行であり、司馬さんのいわば取材旅行とは趣をずいぶん異にするも、もう少し自分の足跡をトレースし直すのも悪くないと考えている。

「羌」と「姜」
 それはさておき、彼の「街道をゆく」の中で、少数民族のチャン族のことが触れられていた。そこでこのチャン族のチャンという漢字に焦点を当ててみたい。  このチャンという漢字はピンインでqiangと表現するが漢字では「羌」と書く。もう一つ「姜」という字があり、まったく同じ字形をしており、原義も殆ど同じである。ただ羌は男のチャン族であり、姜は女のチャン族を表しているという。 そしてこの姜という字は上古の氏姓制度の名残りとして今日の「姓」に受け継がれている。

チャン族の人々
 現代ではチャン族の人々は、人口30万人と言われ、青海、チベット、雲南の各地に分布し、少数民族としての文化大切に(頑固に)守りながら生活している。司馬氏は「街道をゆく」の中で、このチャン族は殷周帝国の祖先ではないかと推察している。周族の女性にこの姜を名乗る人も多かったというのも司馬氏の推察の根拠になっていたのかもしれない。


 羌、姜jiang共に羊に関係する特殊な字である。この2個の字は全て一つの古くて且つ多難な民族に関係している。彼らの世代は牧羊で、羊で自己のトーテム崇拝をしている。彼らの宗教はアミニズムをである。そしてそれは生活様式と融合し今日まで受け継がれている。

 羌は甲骨文字では羊と直立した人の合成字であらわされる。字形の構造からみると、十分人が羊の首を飾ったように見える。さらにこの事は牧畜の生活様式と密接に関係している。
殷商の甲骨卜辞中、非常にむごいことだが、多くの羌人を生き埋め、叩き切り、焼き払い、手足をバラバラにした後に祭祀品に当てたという記載がある。



羌人の彷徨
 羌人は元々古代の中国の西部(今の山西省、陕西省一帯)の遊牧生活をする部族を指していたが、北方の遊牧民族も含まれるようになった。羌人は祖先から遊牧業を守り抜いてきたし、漢族と結婚もし、混血して生きてきた。但し中原の漢族の不断の征伐と凌辱を受け、次第にはるか西北部に追いやられてきた。漢代の時人々は西羌と呼び、北宋時代には突厥と呼称し、或いは唐の時代にはトルファンと呼んだ。後日、青海とチベットの少数民族に融合している。


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2012年3月2日金曜日

女の漢字:「姓」 文化・社会の原点はここにあり

[姓]という漢字に込められた社会の変遷
 「姓」という字は、中国の社会が母系制社会から氏族制度へと発展し、氏姓制度さらに古代、中世、近代の今日に至るまで、社会の根幹の仕組を表す重要な文字である。

 このブログの重要な仕事は漢字の変遷から社会の変遷を読み解くことでもあるので、「姓」という字はこのブログの重要なコンセプトともいえる。今後折に触れ理解を深めていきたい。氏族制度の基盤は血縁集団にあったが、それがやがて国家の政治制度として編成され社会基盤として機能していくようになる。


「姓」という漢字は古代から近代にいたる非常に長い期間
社会の成り立ちの根幹の制度・概念を表す漢字である
姓という文字の成立ち
 「姓」は会意文字であり、形声文字でもある。甲骨文字の「姓」の字の左辺は女という字で、右辺は草木の発芽成長の記号である。両形も会意文字であり、母系制氏族社会で、同一の女性を始祖とする後代まで広がる社会を示している。
 同一の女性の祖先の子孫は、彼らが一人の同じ女性から来る所から金文の姓という字を生んだ。



漢字「姓」という文字がなぜ女偏から人偏に変化し、再び女偏に変化したのか
 右辺の字の符号の中の短い横棒と左辺の女偏が人偏に代わり、この時期に社会が既に男性の権力の時代に入り、既に母系制氏族制度が転覆したことを表明している。小篆の「姓」という字は女と生に回復しているが、母系制に回復したということではない。ただなぜ人遍から女偏に変わったのかは調べる価値がありそうだ。

 実際上、この一時期、早くも張、王、李、劉等の男性の姓の天下であり、司馬、諸葛、欧陽などの2文字の姓は皆父系から得た姓である。

 上古社会では、個人並びに氏族の姓は皆女性の血統に源を発している。この一点早くから氏の文字の構造は証拠となり得た。姜の様な姓は、神農の居姜水の姓と考えられる。女の羊の声は「姫」の様な性を生んだし女の臣の発声は「赢」姓であり、又皇帝の数少ない姓を生んだ。「姚」などもその数少ない例かもしれない。

 中国古代社会では平民と奴隷は皆姓を持ってなかった。只貴族のみが姓を持っていた。実質上早期には姓の権利が独占されていた。この為に上古では庶民という言葉は「百姓」を指していた。平民も姓氏を持つ様になって、庶民という言葉は一般庶民を表示するのに用いられた。

 日本では、朝廷が、官位と同じように氏(うじ)と姓(かばね)を授けて氏姓制度を国家機構の中に組み入れ構築していった。



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