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2022年2月10日木曜日

漢字「怒」の成り立ちと由来:漢字の構成要素「女+又+心」は何を意味する?


漢字「怒」の成り立ちと由来

漢字「怒」の成り立ちと由来:手を付けられた女の気持ちは怒りとなって噴出する

 

まえがき

「怒」は「女+又+心」という漢字から成り立ちます。ここで「又」は古代では「手」を意味します。この3つの文字の会意で、手を付けられた女が持つ心」を表しています。その心は「怒り」です。古代から虐げられた女は怒っているのですね。
  漢字「怒」は、今世間を賑わしている「セクハラ」に対する世間の怒り・特に女性の怒りをそのまま字にしたような字です。セクハラの怒りは3000年前からあったことをこの字は示しています。

 甲骨文字や金文などの古代文字が何とも面白い。漢字の元となるこういった文字は、直感的に、見たまま、感じたまま捉え表現している。そこには『忖度』などは、入り込む余地はない?

 人間の認識というものは、本来こういうものではなかったろうか。勿論太古の昔と今ではまるっきり違っているともいえるが、人々の根底に流れるものは、古今東西変らないのではなかろうか? 漢字「怒」を見ていてそんな気がしてきた。

目次

  1. 漢字「怒」の成立ち
  2. 漢字「怒」の解釈
    唐漢氏の解釈
     字統の解釈
     漢字源の解釈
  3. Chat GPTに漢字「怒」の成立ちと由来について聞いてみた
  4. まとめ


漢字「怒」の今

「怒」の漢字データ

漢字の読み

  • 音読み   ド、ヌ
  • 訓読み   いか(る)、おこ(る)

意味

  • おこる
  • 腹を立てる 
  • 憤る

同じ部首を持つ漢字

    奴、努力、奴隷、奴婢

漢字「怒」を持つ熟語

    憤怒、怒号、忿怒

漢字「怒」の成立ち

引用:「汉字密码」(P499、唐漢著,学林出版社)

漢字「怒」の解釈

唐漢氏の解釈

 古文の「怒」の字は左上部は女で、右上部は手に点を2点追加した形を示している。乃至古文の「掻」の字である。下辺は心の象形字である。3形の会意で、女の人が手で掻いて心に怒りが生まれていることを示している。小篆の「怒」の字は手の中の2点がなくなって心と奴の発声からくる形声字になっている、また「怒」の字が持っていた十分な趣もなくなってしまっている。

 大方のこの時期の貴族たちは、全ての奴僕の心中に怒りがあることを知っていたのであろう。このため「怒」の字は意味が変わった。楷書は小篆を受け継ぎ、「怒」と書くようになった。

 当時の貴族たちが奴隷の心中まで推し量っていたとは到底思われない。。多分に後付けの説明のような気がするが・・。
 あるいはこの漢字を文字要素の通り解釈すると「手を付けられた女の心の心中をそのまま文字に表した」と解釈すれば、今世の中を覆いに騒がしているセクハラに対する世間の気持ちをそのまま文字にしているとも読み取れる。勿論古代と現代では優に3000年の差はあるが、虐げられたものの怒りや恨みは悠久の年を越えて今に共感するものかもしれない。

字統の解釈

 形声:声符は奴。奴に努など、激しく勢いを加えてことをなす意があり、怒もそのような心意の状態をいう。

漢字源の解釈

 会意兼形声。 奴は力をこめて働く女の奴隷のこと。「怒」は「心+音符・奴」で強く心を緊張させること。


ChatGPT(Chat GPT;AIチャット)に漢字「怒」の成立ちと由来について聞いてみた

成立ち:
 漢字「奴」は、「女」(おんな)と「又」(また)という2つの偏(へん)から構成されています。上部の「女」は女性を表し、下部の「又」は手を表しています。この字は、女性の手を持つ人や僕人(しもべ)を意味する漢字として成り立っています。

由来:
 「奴」の由来については、古代中国の社会で奴隷制度が存在していたことから派生したと考えられています。奴隷や奴僕を指す字として用いられました。また、後には「奴」は卑屈な人を意味する言葉としても広まりました。

意味するもの:
 漢字「奴」は、元々は奴隷や奴僕を指す意味で使用されました。しかし、現代の日本では差別的な言葉として認識されることが多く、一般的には避けられるようになりました。現代の日本語では、「奴」の代わりに「人」や「者」といった言葉が使われることが一般的です。


 なお、漢字の意味や由来については、時代や文化によって異なる解釈が存在する場合もあります。上記の情報は一般的な解釈に基づいています。

  また、この解釈では「奴+心」がなぜ怒りになっているのかの説明になっておらず、さらなる考察が望まれます。

まとめ

 漢字「怒」の成り立ちと由来:手を付けられた女の気持ちは怒りとなって噴出する。虐げられたものの怒りや恨みは悠久の年を越えて今に共感するものかも知れない。

 最近、なにかと話題の多いChat GPTを使ってみたが、Chat GPTを使う際に、留意すべきこととして、Chat GPTは問いかけに対して、全方位的にこたえるものではなく、問いかける側が、それなりの見識を持って臨むべきことは当たり前のことだが明らかなことです。Chat GPTは全能のAIではない。


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2021年2月26日金曜日

漢字「怒」の成り立ちと由来:漢字「奴」と「心」の意味するものは


漢字「怒」の成り立ちと由来:漢字「奴」と「心」の意味するものは
 日本語は漢字の使い方によって、発声が異なることがあり、日本語が難しいといわれる所以でもあります。ここで取り上げる、「怒」にしても、下記のように「ド」と「ヌ」という読み方があり、読み方により、微妙に異なる響きを持つことができます。

漢字「怒」の読み方、呼び方
音読み:① ド 漢音 例:怒髪天を衝く・・ドと濁ることにより、感情が強く押し出される感じがします。
      ② ヌ 呉音 例:憤怒・・フンヌという発声は、いかにも怒りが内に籠った感じを与える響きになります。
訓読み:① いかる ② おこる


引用:「汉字密码」(P499、唐漢著,学林出版社)
漢字の成り立ちの解釈
 「怒」の字は左上部は女で、右上部は手に点を2点追加した形を示している。下辺は心の象形字である。3形の会意で、女の人が手で掻いて心に怒りが生まれていることを示している。 
 白川氏は形声文字とみて、声符は奴。奴に努など、激しく勢いを加えてことをなす意があり、怒もそのような心意の状態をいう。
 これに対し、藤堂氏も会意兼形声であり『奴は力をこめて働く女の奴隷のこと。「怒」は「心+音符・奴」で強く心を緊張させること。』としている。

 3氏の見解は全て、セクハラに対する怒りを表現したものということで一致している。

そこでここで、文字の構成要素を分解し、もう各要素ごとにもう少し細かく分析してみよう。


漢字の解体分析(ターヘルアナトミア)
左の画像が甲骨文字の「怒」の構成要素です。
  1. 「女」+「手」⇒「奴」:奴は奴婢のこと。当時は奴婢は戦利品という立場にありました。戦争捕虜などは男を処刑した後、捕らえた女性を奴隷にしたこともあったようです。殷商時代は、5%ぐらいの奴隷が存在したといわれています。この場合の発声は「ヌ」になると思います。
  2. 「奴」+「心」⇒「怒」:漢字を作る側の人間が奴婢の心に思いを寄せていたとは考えにくいのですが・・。
    従って、白川氏の考察が最も当を得ているのかも知れません。
甲骨文字:女甲骨文字:手(又)甲骨文字:心



漢字「怒」の構成要素は?

 漢字「怒」の構成要素は、「女」、「手」、「心」の3要素が挙げられますが、「怒」という漢字を決定づける要素は、「奴」と「心」の2つの要素と考えるべきだと思います。その理由は一つに、「怒」の発声が「ヌ」、「ド」であり、これらの音を持つ構成単位は「奴」という漢字です。意味的にも奴をひと固まりで考えた漢字が多数を占めているという理由によります。


関連記事:漢字「怒」の成り立ちと由来:手を付けられた女の気持ちは怒りとなってほとばしる
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2021年1月19日火曜日

漢字「祭」の成り立ち:肉と又(手を表す)と示(祭卓)からなる。太古の祭りは残酷だった

2021年1月19日 再録

漢字「祭」の成り立ち:生贄を神に捧げる儀式を表現。太古の祭りは残酷だった
 今「祭」は神から離れ現世の喜びを享受を意味する漢字となった?


 祭りには文化祭、歌謡祭、感謝祭、音楽祭など色々あれど、神々の匂いを感じさせるものは今はあまり見ない。なぜ変わった? 漢字の変化ではなく人々の意識の変化?即ち生活の変化?
 上古先民は神を喜ばせ、神の施しを受けることで自分たちの命を永らえることができると信じていた。「祭り」はそのために生贄を生きたまま神に捧げるという残酷な儀式であった。上古先民は血の滴る肉片を祭卓に載せ神に捧げることを進んで喜んで行っていた。 したがって祭りは神に祈りを捧げるための重要な儀式であった。そして漢字「祭」にはそのことをあからさまに示す跡が残されていた。

しかしながら、今では、神社の祭りにしても神々の匂いを感じさせるものは今殆ど見ない。ともすれば、我々は現在の尺度で、物事を見てしまうことがよくある。しかし、今の尺度で物事を見るのではなく、過去は過去の尺度で物事を見るという歴史的な視点が必要である。

 したがって、祭りを調べれば、神々と人間の係わり、言い換えれば人間の精神の進化が跡付けられるはずだ。

「祭り」は生贄を生きたまま神に捧げるのは、現在から見るときわめて残酷な儀式であった。

 その痕跡は世界各地に残された数々の痕跡。
 ともすれば犯罪を犯しているかのごとき評価をすることさえ見受けられる。
  •   日本では、魏志倭人伝には卑弥呼の死に際して、100人あまりの奴婢が殉職させられた記録や諏訪大社の御柱にまつわる伝説、静岡県三股淵の付近では人身御供を伴う祭りが12年毎に行ったという言い伝えが今でも残されている。これは神の怒りを静めるための祭りであったといわれている。

  • 中国では 殷代の紂王以前には、生贄を捧げられ、神の意思を確認したとみられる甲骨文字が出土している。また、殷墟からは850人もの軍隊の人骨や戦車が出土している。あの残虐非道といわれる紂王ですら、奴隷の生贄を中止させたといわれる「慈悲」の心を持っていたと伝えられる。その行為が彼の「慈悲心」から来るものなのか、生産性が下がることを恐れる「合理性」からくるものかは今は分からない。

  • 現代のペルー首都に近いところで1400年代に栄えたチーム王国で140人以上の子供と200頭以上のリャマの生贄して捧げる儀式が行われミイラが残されている

  • また、アルゼンチンの北部の山頂で1999年、インカ帝国時代の子どものミイラ3体が発見されており、保存状態が極めてように安らかな表情で調べているということである。

  • 古代メキシコに出現し強烈な輝きを放ちながらわずか200年ほどで消滅したアステカ王国では、壮大な生贄の祭りが行われたその真髄は人間の血を神々に捧げ神の生き血を人間がいただくことであった。


 このように世界各地の民族で、時の権力者たちが、多くの生贄のささげ、自らの権力を保持するために壮大な祭りを取り行って来た。祭りは現代で喜びや華やかさのみが残ってはいるが、その歴史は実に血生ぐさい歴史の連続であった。

祭りにおける神への祈りと喜びを享受することが乖離
 しかし生産の発展とともに、人々の神への依存が少なくなって、祭りにおける神への祈りと喜びを享受することが乖離するようになった。
 祭りには文化祭、歌謡祭、感謝祭、音楽祭など色々あれど、神々の匂いを感じさせるものは今は殆ど見ない。そして、近頃では、例えばハロウィーンの祭りの如く、人々がかぼちゃの仮面を被って娯楽の側面がクローズアップされているが、、これはもともと「収穫祭」といわれ、収穫の喜びを表わし、神々に感謝の意を示すものでした。
 ところがこれに商業主義が乗っかり、神に感謝することからはなれ、単なるお祭りで騒ぐことに変化してしまっています。

 この原意との乖離の是非はともかく、漢字の世界にも同じようなことが起こっています。

 お祭りで楽しく過ごすこともいいのかもしれませんが、元々は、そもそもは「祭」は神に祈りを捧げるための重要な儀式であったということを思い起こし、一歩後ろに下がって考えてみることもいいことではないだろうか?



引用:「汉字密码」(P819、唐汉著,学林出版社)
唐漢氏の解釈
 「祭」、これは象形文字であり表意文字です。甲骨文にある「祭り」という言葉、右は又(手を表します)、左は肉片、中央の小さな点は肉片に滴り落ちる血を表しています。全体的な意味は、古代の祖先が先祖の神々に犠牲を払うために殺されたばかりの新鮮な肉を使用した儀式を意味しています。
 金文の「祭」という言葉は、血の滴のドットを省略していますが、犠牲の主題と方法を強調して、祭壇または祖先の位牌を表す「示i」という言葉を追加しています。
  小篆の「祭」は、金文を継承し、美しい字体とより対称的な構成になっています。楷書では、この関係で「祭」と書かれます。

上古先民の死生観と祖先を祭ることをどう考えたか
 殷王朝と商王朝の祖先の概念では、先王と皇族は死後、別の世界(亜:かりそめの世界)に行くだけでした。彼らは2つの世界(つまり「复」の構造)を自由に行き来し、現実の世界を支配することができると考えました。(福をもたらし祟りを作る)。

 心の中で常に祖先の霊に対する畏れが膨らんでしまった結果として、祖先は、祖先の神々が何を差し置いても現実の物質的な文明をも楽しむ権利を持っていると信じていました。

 そのため、牛、羊、豚、鶏、犬などの動物、米、穀物、エッセンス、粉などの作物、翡翠、貝、女妾、男の奴婢など、あらゆる物が焼かれたりて埋められたり、河に流したり、お供えをしたりするなど、当然やるべきことを進んで行い祖先の心霊に捧げました。先祖や神々からの祝福や災いを取り除くことを願うと引き換えに、先祖の霊に捧げ献身しました。これが「祭」です。



字統の解釈
新石器時代の祭卓「示」
会意文字。肉と又と示とに従う。示は祭卓です。その上に肉を供えて祭る。祀が自然神を祀るときの字であるの対し、祭は人を祭るときの漢字である。



結び
 祭りは神に人間が生きていること、この世界に自然という恵みを与えていることに対する感謝を表すという崇高なものでした。しかしその実際の姿は、人身御供の世界があり、単に稲や果物や魚などの珍味だけではなしに、奴隷たちが焼かれたり生き埋めにされたりする世界がありました。時には生きたまま体を切り裂かれ内蔵を引き出されるというおぞましい世界もありました。
 人類の歴史には綺麗ごとだけでなく、生々しい惨たらしい世界が長く続きました。そして何より、人類はそのような血だらけになりながらの歴史の中で生きてきた結果として今の私たちがあるということです。

 そしていまでは、祭りには文化祭、歌謡祭、感謝祭、音楽祭など色々あれど、神々の匂いを感じさせるものは今は殆ど見ない。私たちが今見ている世界は、最初から出来上がったものでは決してなかったことを肝に銘じておく必要があります。漢字の中にはそれがしっかりと刻まれています。私たちは、漢字を通して人類の苦悩に迫ることができます。それもまた私たちの人間の使命だと思います。


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2020年9月2日水曜日

漢字「受」:後に授受に分化する。授受の立場の違いが、漢字の中に歴然と?


最初は授受の区別はなかった。しかし授受の立場の違いが、漢字の中に歴然と?
 今は受と授は受動的な行為と能動的な行為にはっきり分けられているが、太古の昔は両者の区別はなく、受けるも授けるも同じ漢字「受」を使っていたようだ。

 考えてみれば、受けるも授けるも視点を変えれば同じ行為となるので、同じ漢字を使っていたとしても、それほど混乱は生じなかったのかもしれない。




引用:「汉字密码」(P115、唐汉著,学林出版社)
唐漢氏の解釈
 「受」、これは会意文字です。甲骨文と金文の「受」という言葉は、上下に手があり、中央に「船」の象形があります。会意の考えで、ある人が「ボート」を別の人の手に渡したという意味です。

 このイメージは「与える」と「受け取る」の両方を意味するため、古文では、与えることと受け取ることの2つの意味を両方とも「受」で表現していました。

 受の字形の分析から、殷商の時代の船はおそらくただ人を乗せるためだけではなく、航海の前後には、全て人から人への引き継ぎプロセスがあったはずだ。 一人の人の手から他の人への手にという受渡しの過程がある。

 小篆の「受」という単語が変更され、両手はまだ残っていますが、中央の「舟」は見えなくなり、単なる識別記号にすぎません。そのため、楷書では「受」と書かれています。


言葉の進化
 「受」、「説文」は「受、お互いに支払う」と解釈されている。つまり、引き渡しです。

 この元々の意味は後に「授」(与える)と「受」(受け取る)に分化しました。

 たとえば、「孟子•离委上」:「男性と女性に物を与えることは「礼節」の礼ではない」意味することは、男女は物品を授受することで親しく近づくことではない。私の読みが正しければ、ものの授受と礼節の問題まで言及されている。



字統の解釈
 会意文字。「上下の手」と舟に従う。ここで「舟」は「盤」の象形。盤中のものを手に入れて授受することをいう。ここで、舟はものを盛る盤で搬ぶ(はこぶ)などはその形に従う字である。



結び
 唐漢氏は受の媒体が本物の舟であるという論理を展開しているが、白川氏は「舟」は本物の舟ではなく、ものを乗せる{盤」であると解釈している。舟の使い方がもう一つはっきりしないのでなんともいえないが、問題は単純に舟と割り切れない部分がある。

 受け渡しの間に「船が入るか盤であるか」は別として、受け渡しの行為は、単なる行為の違いだけではなく、立場や態度の違いが生じてしまう。ここに礼節の問題が出てくるのだろうか。人間の世界は面白い。




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2018年2月1日木曜日

漢字「奴」の成立ちを探る:女偏と旁は「手」の意

漢字「奴」の起源と由来
太古の女性は種族の由来を示すアイデンティティーな存在
 漢字もまだ出来ていなかった太古の中国では、人々は狩猟生活をしていたであろう。生産性も低かったため、その日の生命を維持するのがやっとであったろう。この時代は女性はおのずと種族の由来を示す明示的な存在として、重要視されていたであろう。

女性の地位の変化
 しかし農業が発達し、生産力が向上し、氏族制社会になると人口も増え、種族も由来を明示的に示す必要がなくなってきた。より多くの生産力を求め、部族間の抗争を繰り返すようになり、貧富の差や階級の差が生じてきた。こうして社会が次第に父系制に移行するようになると女性の苦難の時代が始まる。
 戦利品としての捕虜を確保するということには生産力を確保するという以外、もう一つ重要な意味があったろうと思う。それは氏族社会の中で血が濃くなることを防ぐということではなかったろうか。とりわけ女の捕虜は男の性的な満足だけではなく、外部の血を導入するという重要な役割を担っていたはずである。


引用:「汉字密码」(P559、唐汉著,学林出版社)

漢字「奴」の成り立ち
 「奴」これは会意文字である。甲骨、金文と小篆の「奴」の文字は、女偏でもう一遍は又である。又はもともと「手」であり、ここでは捕虜を示している。全部で字の形は、捕虜になった或いは略奪された女性を意味している。
 奴隷時代、むろん戦争中の女性の捕虜、或いは罪を負った家の女性は落ちぶれて奴隷となってこき使われるのが彼らの命運であった。この為「奴」の字は「手」と「女」から来ているのは彼らの用途を表している。

「奴」の字の本義は奴撲、奴婢
 「奴」の字の本義は奴撲、奴婢である。古代奴隷制の時代は従順でない男性捕虜や犯罪者は常々脳みそを削られたり、女性は柔弱に飼いならされたり、生殖器の価値もって、奴隷に落ちぶれたものが多くいた。だから「奴」は女偏で作られている。
 しかし、階級分化が進むにつれ、一部の人は奴役ともう一部の人に分かれる現象が普遍的となった。

「奴」は社会的身分を表す言葉になった
「奴」はまた労働をする奴隷を指すことが当たり前になった。陸遊の《年暮感懐》の詩にあるように「富豪千の奴隷を使い、貧老は僅かな慰みもない」。又史記の季布列伝では、布は略奪され売られ、燕の奴隷となった。季布は男性で、捉えられ売られて奴隷になったという命運である。
 奴隷の身分は低く、だから「奴」の字は、低い階級の男女の謙称として拡張された。「奴家」の言葉の如く、古代婦女の謙称であった。「奴」の字はまた他人に対する蔑称、軽蔑にも用いられた。「奴才、奴輩、守銭度」」などである。


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