2018年2月10日土曜日

来年は「酉」年! 漢字「酉」の成立ち:元々酒瓶を模したのでは

漢字「酉」の起源と由来

「汉字密码」(P877、唐汉著,学林出版社)
読み方:(音) ユウ (訓) とり 
 酉は象形文字である。
 甲骨文字の酉の字と半坡遺跡から出土した底のとがった陶器のビンの形はよく似ている。
 この字は男根の「且」の字をあらわしている。これによって酉の字の本義は男の嬰児である。母を知るが、父を知らない母系社会で男子の血縁はせいぜい下に向かって下る辿る他ない。
  申と酉の字を互いに受け継ぎ、一つは女性の共祖、一つは男性の後代に対応している。(「申」を参照) 酉の字は早くから十二支の名前に借りてその本義を失っている。酉の字が構造的に酒瓶の酉の字に似ていて、男性の祖先(先王)に酒を祭り福を祈願することから、言葉が発生し転移し、十二支の酉と醸造の酉が混淆したものだ。


金文の酉
 金文の酉は既に完全に酒瓶の形状をしている。このことはこの時代には製陶技術が大きな発展をしたためである。酉瓶は既に酒を醸造するための瓶となり、酒盛りの専用器具となった。原本の酒の字は水の形を省いた後、酉となった。金文から小篆は変質し、楷書は酉と書く。   酉の本義は逆さまの「且」である。底のとがった陶器の瓶である。即ち器の皿として酉は「尊」の初めの文字である。酒を盛る器を示し、指事詞に用いられる。(「尊」は甲骨文字では、酒瓶即ち『酉』を両手でささげ持つ形をしている。)

酒を入れる器が「酉」となったのは、上古先民は男根信仰によるもの

 「酉」十二支の表示に仮借されて、十二支の10番目をあらわす。元々上古先民は男根信仰があり、酒を男根にささげていた。嬰児が大きく成長して、子々孫々絶えることなく栄えることを希求した。時間をあらわすと午後5時から7時を表す。酉は部首字で漢字の中では「酉」は組み合わせて、字を作る。酒と大いに関係がある。酝、酿、酔、醒などなど。
 この説明は、少しこじ付け臭いが、男根信仰は日本でも見られ、強ち否定は出来ない。 


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漢字「海」の成立ち:「水」と女性を顕す「毎」からなる会意文字

漢字「海」の起源と由来

引用:「汉字密码」(P300、唐汉著,学林出版社)



 「海」は説文では「天の池」という。百の川を納めるものを以って、水と毎の音声からなる。
 しかし海の字は形声字ではない。それは水と毎とで構成する会意文字である。
 「毎」は上古時代には、、氏族社会での年齢の最長で、多くの子孫を育て上げた女性を指す。毎を用いて海の組字の構成要件とするは、海に百の川を与えて天の池とする意味と無関係ではない。
 古人の印象では海は大地の尽きるところであり、而して大地は四角張って、大地の周りを取り囲んだ四辺には必ず四海がある。いわゆる海は拡張されて、大地の尽きるところになる。海は大地の縁の果ての外の水域と見られた時は海に接近する地方もまた海と見られた。
 漢の高祖劉邦の《大風歌》の中に、「大風起こり風雲揚す。威海内に加わり四方を守る。」ここの海内は四海が囲んだ中央の国土を指す。この意味から拡張して、海の字はまた「海関、海外、海口」の如く、国境を指す。
 現代漢語の中で、海は海海、里海の如く、大きな湖、庭園内の水池また大海碗の如く比較的大きな器皿或いは人、または事物が多く集積して広く集まった時も「雲海、学海、麦海などなどの如く海という。



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漢字「笑」の成立ち:竹かんむり(竹の鞭)に犬である。

漢字「笑」の起源と由来
「字統」では、巫女が手を上げ首を傾げて、舞い踊る様と説明している。
「漢字源」では、会意文字で、竹+夭(細い)で細い竹のこと。
唐漢氏は犬に竹ムチ打った時、犬が歯をむき出して唸るとしている。ここから笑いが出てくるのか少し変。
三者三様、どれがもっともらしいのっだろうか?

引用:「汉字密码」(P38、唐汉著,学林出版社)

色々の古文書の中の「笑」
 「笑」は笑は考古の出土から出る字は、「竹かんむりに犬」である。説文では、「竹に犬」と説明し、解釈して「喜び也。竹と犬からなる。」

 しかし後世の人が、これは解釈できないとして、竹かんむりに「夭」としたものだが、それを都合よく踏襲して今日に至っている。文字学としては、このような勝手気ままな改竄は受け入れられていない。事実考古出土の文字を見てみると笑の字は確実に竹と犬からなっている。

 かつて宋の時代、王安石は「字説」の中で、竹で犬を鞭して笑うとして、笑の字の源を解釈している。これに対し、苏东坡の「竹で馬を鞭すれば「篤」となるのか、竹で犬を鞭すればどうして笑いになるのか分からないという揶揄に会っている。しかし、王安石の解釈は漢字を要素に分解して解釈するときに、少し適用に勇み足があったものからくるのかも知れない。

 犬を鞭打てば、犬は硬く尾っぽを挟み、体を曲げ、歯をむき出し、威嚇の表情を示し、うなり声を上げる。
 人は大笑いする時は口を大きく開け、犬と同様に犬歯をむき出す。人は大笑いする時、体を曲げ、「ハハハ」の大きな声を出す。このことは犬に鞭打つ時と同じ様である。古人の生活観察の細かいことが逆に分かってしまう。

 古人の笑い声の中に純真さと痛快さがあり、彼らはその笑の中に偽善と抑圧の混ざるに至るまで成長して(掏れて)いない。古代の祖先たちは腹を抱えて腰を曲げて大笑いする除いては、・・後世の子孫たちが微かに歯を見せ、顔の一部を動かすのを笑いといっている・・「笑」を知らない。

 この説明には多少の無理があるように思うが、「竹に夭」より未だわかりやすいと思う。


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2018年2月1日木曜日

漢字「奴」の成立ちを探る:女偏と旁は「手」の意

漢字「奴」の起源と由来
太古の女性は種族の由来を示すアイデンティティーな存在
 漢字もまだ出来ていなかった太古の中国では、人々は狩猟生活をしていたであろう。生産性も低かったため、その日の生命を維持するのがやっとであったろう。この時代は女性はおのずと種族の由来を示す明示的な存在として、重要視されていたであろう。

女性の地位の変化
 しかし農業が発達し、生産力が向上し、氏族制社会になると人口も増え、種族も由来を明示的に示す必要がなくなってきた。より多くの生産力を求め、部族間の抗争を繰り返すようになり、貧富の差や階級の差が生じてきた。こうして社会が次第に父系制に移行するようになると女性の苦難の時代が始まる。
 戦利品としての捕虜を確保するということには生産力を確保するという以外、もう一つ重要な意味があったろうと思う。それは氏族社会の中で血が濃くなることを防ぐということではなかったろうか。とりわけ女の捕虜は男の性的な満足だけではなく、外部の血を導入するという重要な役割を担っていたはずである。


引用:「汉字密码」(P559、唐汉著,学林出版社)

漢字「奴」の成り立ち
 「奴」これは会意文字である。甲骨、金文と小篆の「奴」の文字は、女偏でもう一遍は又である。又はもともと「手」であり、ここでは捕虜を示している。全部で字の形は、捕虜になった或いは略奪された女性を意味している。
 奴隷時代、むろん戦争中の女性の捕虜、或いは罪を負った家の女性は落ちぶれて奴隷となってこき使われるのが彼らの命運であった。この為「奴」の字は「手」と「女」から来ているのは彼らの用途を表している。

「奴」の字の本義は奴撲、奴婢
 「奴」の字の本義は奴撲、奴婢である。古代奴隷制の時代は従順でない男性捕虜や犯罪者は常々脳みそを削られたり、女性は柔弱に飼いならされたり、生殖器の価値もって、奴隷に落ちぶれたものが多くいた。だから「奴」は女偏で作られている。
 しかし、階級分化が進むにつれ、一部の人は奴役ともう一部の人に分かれる現象が普遍的となった。

「奴」は社会的身分を表す言葉になった
「奴」はまた労働をする奴隷を指すことが当たり前になった。陸遊の《年暮感懐》の詩にあるように「富豪千の奴隷を使い、貧老は僅かな慰みもない」。又史記の季布列伝では、布は略奪され売られ、燕の奴隷となった。季布は男性で、捉えられ売られて奴隷になったという命運である。
 奴隷の身分は低く、だから「奴」の字は、低い階級の男女の謙称として拡張された。「奴家」の言葉の如く、古代婦女の謙称であった。「奴」の字はまた他人に対する蔑称、軽蔑にも用いられた。「奴才、奴輩、守銭度」」などである。


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2018年1月25日木曜日

漢字「梅」の成立ち:木偏と母親を示す『毎』


漢字「梅」の起源と由来

引用:「汉字密码」(P155、唐汉著,学林出版社)

「梅」の字の成り立ち」
梅は形声字で木偏と「毎」からなっている。「毎」は象形文字で本義は氏族社会の中で、子供を最も多く育てた母親のことである。《詩経》では「原田毎毎」という表現で、田畑の植物がよく茂り繁殖していることを形容している。従って、梅がなぜ梅と書かれるようになったかの原因を知ることは難しいことではない。



古人は梅を如何に考えたか
 梅が実をつける時、必ず枝枝全てに累々と実をつけている。このほか、女性が妊娠した時酸っぱいものを食べたい時、いつも梅の果実を口の中に入れているのは中国の妊婦の習慣の一つである。古人も認めるように梅は女性が妊娠した時の生理反応を助け、胎児を平安に発育させることが出来る。この為人々は梅を一種のめでたい樹木と考えた。

「梅」の効用
 酢がなかったころ、古人は梅を使って生臭さを消した。《礼記・内則》にある「酵素を用いて和え、肉は梅を用いる」動物の肉を煮て食うとき、必ず梅のみを生臭さを消す調味料として使った。羹を和える時、塩梅を用いる。梅醤油を作る時、古人はこれを「酢」と云ったが、今の人はこれを酸梅汁と称する。


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2017年11月28日火曜日

干支の「いぬ」の漢字「戌」の成立ちを甲骨文字に探る


漢字「戌」の起源と由来
 干支の「戌」は「犬」ではありません。
 中国では年を表すのに10を一サイクルとする十干(甲、乙、丙・・・)、12を一サイクルとする十二支(子、丑、寅・・)の二つの指標を使って表してきた。これで比較的になじみが多いのが、丙午だろう。日本ではこれを避けるために、出生率がぐんと下がるほどの影響力を持っている。
 来年の干支は「戌」である。この漢字は動物の「犬」とは起源も由来も違い、中国人独特の思考方法により生み出されてきた漢字である。


引用:「汉字密码」(P878、唐汉著,学林出版社)

 「戌」の構造形は元々一種の丸い刃の広い短い柄の戦闘用の斧から来ている。
 古代はこれを「鉞」と称していた。「戌」は甲骨文字では象形文字である。突き出した半円形の刃の部分は典型的な「鉞」の特徴を持っている。
 金文の「戌」の字はその他の兵器の文字と同様な変化をして、右辺の「木偏+必」(木の柄)の形は矛・戈 という旁になった。左辺の半円の刃の部は線条化の変形過程の後、トとなった。金文から小篆以来、楷書は小篆を受け継いでいる。
 戌の字は兵器の象形文字である。
 しかし戌は十二支であり、兵器からの直接の由来ではなく、「戌」という名の神祇から来ている。
 上古先民はこの「戌」という名の神祇は嬰児のある神秘的な関係を持っているとする。それゆえ戌という神祇に向かって子供の成長を加護の献祭が必要になる。このため戌は十二支の第11番目に借用されている。



 一方動物の「いぬ」の漢字は「犬」で、甲骨文字でははっきりとした象形文字で犬の形が具象化されており、誰が見ても犬にしか見えないもので、干支の「戌」の漢字とは似ても似つかないまったく異なる由来であることが良く分かる。


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漢字「狗」の本来の意味は何?


漢字「狗」の起源と由来
なぜ漢字で[狗]を「狗」と書き表したか?
 漢字では「犬」を「狗」とも書き表す。このことは人々が通常湾曲した形状のものを「鈎」と称したことによるものだ。湾曲したものをつなぎ合わせて一緒に「句(gou)搭」と呼んだ。雄犬と母犬が交配をする時、大変長い時間「離れがたく一緒」にいる。先住民は交配している犬を見て、自主的に「句住」と呼んだものだろう。こうして長い時間を経て、「句」の発音は犬の通称となった。発音に基づき、犬と句の音と犬の字を同時に使用して、人々は「狗」の字を作った。


引用:「汉字密码」(P27、唐汉著,学林出版社)

漢字「狗」の構造
 漢字の中で「犬」の字は部首である。偏と旁に用いる時、犬は「狐、狼」の偏のように書かれる。「犬」の旁は通常犬と同類の哺乳動物の類を表す音を表す旁を用いて、狗と表記する。

 《诗•小雅•巧言》のなかに「子供のウサギに心が躍る、犬に会ってこれを捕まえる」の記述がある。これから分かることは相当早い時期から、犬は既に人々の狩りの助けをし、人々のために犬馬の労に献身していたようだ。


韓信の無念
 西漢の年、漢の高祖が天下を取るのに戦功を立てた大将軍韓信は謀反の嫌疑をかけられ、毒を飲まされ自殺した。彼は辞世の句を残している。「狡兔死,走狗烹。」この意味はずるい兎を捕まえる時は犬は一定重用されるが、一旦ウサギが捕まり、犬が用いられなくなると料理されて食べられるものだ。これは韓信の自嘲の気持ちを表している。我々は、この事から、犬を狗と呼ぶようになったのは相当古いことであり、また中国では、漢の時代から狗は食用にされていたことが分かる。 

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