2014年11月24日月曜日

干支十二支の起源と成り立ち


 2011年2月10日のブログですでにふれた通り、殷商の時代すなわち甲骨文字が生まれた時代に早くも十二支は天干と共に日にちを表すのに用いられている。干支は十干と十二支の二つの概念で構成されている。十干とは天干ともいい、甲乙丙丁戊己庚辛壬癸の10種類からなる。十二支は子丑虎卯辰己馬未申酉戌亥は地支といい、天干と地支と相交えて日にちを表していた。 「上古の先民は何のためにこの漢字を作ったのだろう。彼らはまたどんな事実の証拠になるのか。こういう漢字を作るようになってきたのか。 個体発生学と人類発生学の相似の一面が科学的に証明される。殷商民族は商代の甲骨文字に刻まれている、干支年表の緑子の時期に酷似している。人類の発生の時期、全てのものは現象を持ってそのよりどころとした。文字もその例外ではない。

引用 「汉字密码」(P866、唐汉,学林出版社)

 安陽の殷墟の小さな村で発見された、甲骨文字が刻まれた「甲子年表」はほぼ中国で最も早くカレンダーが順序どおり並べられていたことが知られている。出土した商代の甲骨文は多数干支で日にちが記され、商代すでに干支で日にちを記す方法が行き渡っていた。しかし、地支「十二支」の形と意味は今日に至るまで、諸説紛々としており。いまだ共通認識にいたっていない。
 またウィキペディアによると、「また生命消長の循環過程とする説もあるが、これは干支を幹枝と解釈したため生じた植物の連想と、同音漢字を利用した一般的な語源俗解手法による後漢時代の解釈である。鼠、牛、虎…の12の動物との関係がなぜ設定されているのかにも諸説があるが詳細は不明である。」とあり、いま一つはっきりしない。


 しかし後世のこじ付けともいえる命名のことはともあれ、なんと今から大方4000年前、中国では夏、殷、商という高度な文明を持った王朝が栄え、干支年表というカレンダーを作っていた。そしてそのカレンダーの中身は、子丑寅卯辰己馬未申酉戌亥という漢字を用いていた。
 わが唐漢氏は、「子丑寅卯辰己午未申酉戌亥」という漢字が、大きく二つに分けられ、前半の「子丑寅卯辰己午」は人間の胎児の時代から、産道を通って出産してくる現実の出産過程を表し、後半の「未申酉戌亥」は未だ未然のことではあるが、嬰児が夭折なく、無事育つよう、希望と期待をあらわしていると解釈する。
一方天干も実は生命消長の循環過程を分説したものであるといわれている。以下の意味合いを持っているとの説が有力である。


甲 こう きのえ 木の兄    草木の芽生え、鱗芽のかいわれの象意
乙 おつ きのと 木の弟   陽気のまだ伸びない、かがまっているところ
丙 へい ひのえ 火の兄   陽気の発揚
丁 てい ひのと 火の弟   陽気の充溢
戊 ぼ つちのえ 土の兄  “茂”に通じ、陽気による分化繁栄
己 き つちのと 土の弟   紀に通じ、分散を防ぐ統制作用
庚 こう かのえ 金の兄   結実、形成、陰化の段階
辛 しん かのと 金の弟   陰による統制の強化
壬 じん みずのえ 水の兄 “妊”に通じ、陽気を下に姙む意
癸 き みずのと 水の弟 “揆”に同じく生命のない残物を清算して地ならしを行い、新たな生長を行う待機の状態

  こうしてみると唐漢氏が十二支は人の出産・成長過程を表したもので、古代人が時を表すのに、身近に起こる出来事で象徴的に表したものだという説をとったことは合理的だという気がする。

2013年12月9日月曜日

来年の干支は午年

 来年は十二支では午年に当たる。我が唐漢先生の説によると、この十二支は人間の出生の過程を表したものであるという。従ってこの場合漢字は「午」であって、「馬」ではない。ちなみに漢字源によれば、以下の通り、「午」と「馬」にはなんの関係もない。
 曰く、この時刻や方角の午を午に当てたのは「農民が覚えやすいように十二支に動物を配した秦漢の農暦の影響で、本来は馬と何の関係もない」(「漢字源」の「午」の解説より引用)とある。来年は十二支では午年に当たる。

 しからば、古来「午」はどのように表わされていたのか、甲骨文字を紐解いてみる。


引用 「汉字密码」(P874,唐汉,学林出版社)

「午」は象形文字である。甲骨文字の「午」の字の二つの字形はすべて嬰児の体から脱落したへその緒からとった形象だ。しかし金文から小篆にいたって、字形の外形は著しく変化した。ただし変化の軌跡は却って明らかで証明しやすい。漢字の早く書く書き方と対称化の過程の中で、楷書では「午」と書くようになった。

 「午」の構造的な形はへその緒である。その物象は嬰児に起こる一定の時間の課程を経て、脱落してきたへその緒である。字形上の区別から、ものを括ったところとせん断した刃口にはなお一定の距離がある。これは古代の医薬消毒の条件が今日と比べ大きな隔たりがあることから来ている。いわゆる嬰児の身上にとどまって出てくるへその緒は今日の長さと比べ大変長かったに違いない。もって病原菌の感染を防いだ。嬰児の身上から脱落したへその緒は大体7日から15日(首都の医科大学の幾人かの教授および多くの子供を成育してきた母親によれば、へその緒が脱落する時間は、それぞれ人によって言うことが違うが、ここでは大体この数値になるようだ。) このとき嬰児が最初の夭折期を過ごすと、慶事に値することになる。

 つまり、古代においては、この夭折期こそが人間が生れ落ちて、確かな生命の営みを辿るまで、人間に課せられた最初の試練だったといえよう。今でこそ、医学の発達した病院や、施設での産褥はさほど危険なものではなくなってきたが、数千年前には、母子ともにきわめて危険な過程ではなかったろうか。しかも人間の場合、馬や牛と違い、生まれてからすぐ立つことはできない。牛や馬は生れ落ちると外敵に対するためすぐに立たなければならない。しかし、人間やサルの霊長類は母体を守るため、嬰児は自らの足で立つことが出来るほどまでに長く、母の胎内にいることは許されない。その代わり長い時間をかけて、育て上げることが必要で、その意味からも、この1,2週間のへその緒が取れるまでの期間は非常に大事であるし、また危険な時期であるといえよう。

 「午」は嬰児の産出、養育の順序に照らしていえば、地支の配列は第7番目にくる。時刻標記に用いて、「午」は真昼、11時から13時の間の時刻を指す。午時、午休み、午飯のごとくである。また特に日中の時刻をさし、
正午、中午、昼の3時などと使う。また「午」は日影の方向から拡張され方位を指す。「子」は即ち真北を指し、「午」は真南を指す。いわゆる陕西関中から漢中にいたる道を子午道という。また地面上のある点を通る南北の経線を子午線という。
 「午」は甲骨文字の中では基本構造の文字である。古代漢字の中で独特のへその緒文化を構成している。しかし古代文字の大家は皆それを糸と混同している。実際上は文字の実際表意に基づけは、区別は明らかである。
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2013年10月9日水曜日

「干」:漢字の起源と由来

 中国で古くから「盾」の意味で用いられている漢字に「干」というものがある。この漢字は感覚的にはおよそ盾には似つかわしくないもので、盾というより、日本で使われた武器を当てはめてみるとむしろ「サスマタ」と言った方がしっくりくる。しかし「所変われば品変わる」のことわざ通り、唐漢氏によれば、これは盾といえども、そもそもはまさしくサスマタのような使い方をしていたもので、中国ではこれが発展し盾となったという。
引用 「汉字密码」(P584,唐汉,学林出版社)

「干」は中国では最も原始的な武器

 木の叉の「Y」字の表示で横1画が加えられている指示符号に用いられて木の叉の所在を表示し、一種の狩猟、格闘の武器を示している。

 又のある木の盾はすなわち最も早い原始的な武器である。両又の先端部分を鋭く削り、獣を捕らえ狩をしたり、格闘時に刺し殺すのに用いられた。「干」を用いて人と人の間では殺し合いや格闘時に用いるときは、上部の又の尖っている部分は突き刺すのに用いられ、分かれた両又は攻撃を阻止するのにも用いられた。中でもこれは戈の啄みを防ぐのに用いられ、戈の頭がたたき下されたとき、ただ「干」を上に上げ、矛の振り下ろしを解消した。これは中華民族の盾牌の最も早い原型である。

 盾と戈の配備と組み合わせは華夏民族独特の単兵兵器の組み合わせであり、成語の「大動干戈」(戦争を起こすの意)はここから来ている。


中華の戦闘の形式は中原に「夷」が出現することで劇的に変化した

 一群の背の低い戦士が、弓矢を背負い、片方の手には戈を持ちもう片方には干(盾)を持って、中原の大地に出現したそのときから、そこでは一幕の残酷な戦争の悲劇が上演された。草むらの中から、大樹の後ろから不意に鋭い矢が飛び出してきた。その後は都合よいように使われ、矛で叩ききり、「干」で防いで、右往左往し、血は飛び散り、肉は飛び、サルよりもすばやい戦士が、とびはね跳躍し命がけで戦闘し、絶えず横になり身を伏せる人がいる。そうして、生きた人は死人の耳を切り落とした。


説文の解釈

 「干」:説文では干を解釈して「犯」とした。干を指し「犯」とし、犯を冒すこれがすなわち干の攻撃の意味である。これは一意的に同音の言葉があり、「妨害、責任、かかわり」等。防護の意味から古代では干は常に盾を意味した。
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2013年10月1日火曜日

盾:漢字の起源と由来

  矛盾という言葉の中の矛について前2回触れてきた。今回はそのもう一つの主役である盾について調べてみよう。
  盾は実用もさることながら、その表面に美しい図案を施したビジュアル的要素の多い兵器になっている。

  中国や西洋ではこの盾が兵器の中で重要な位置づけを占めているにもかかわらず、日本では私の見る限り盾という兵器があまり表立ったものにはなっていないように思う。なぜだろうか。

 そこには日本と中国や西洋とでは戦闘のあり方が異なっているのではないだろうかと思う。何か決定的違いがそこにはあるような気がする。この違いを明らかにすると、日本と諸外国の気質の違いが見えてくるのではないだろうか。これは、後日の検討課題である。


引用 「汉字密码」(P585, 唐汉,学林出版社)

  盾は本来象形文字である。甲骨文字の盾の字は上古の盾牌のデッサンである。金文中の第1款の盾の字は甲骨文字の延長である。第2款の盾の字はもう一度改めて焼きなおしたものだ。上下の構造の会意文字で上辺は人形、下辺は台の形の盾牌を表し、盾牌を持って対人体的防護を表している。


   小篆はその過程の中で生じた変化で、盾牌の形象は目で表した。《説文釈疑》曰く、目は盾の用途を示し、形と意味が兼ね備わって文字になったものだ。

  三千年来、兵器の中の「矛」の進攻性と同じく、盾はビジュアル系防護器具の代表的な標本であった。最も原始的盾牌は干(盾の意味)から生まれ出て、藤木の類の材料が多用された。蒙古の周辺では獣の皮に、漆を塗ったあと凶悪なトラの絵を描いている。

  青銅時代の皮の盾にはすでに青銅の鋳造の泡釘をはめ込みあるいは獣の面の盾飾りを嵌め込んでいる。両周(東周、西周)の時期には盾と矛は兵士の作戦的な兵器になった。暫時戈は取って代わり、大量の装備の兵器になった。ただし盾と干の間には形成上の承継性がある。戈と矛の間の承継性はわずかだが受け継いでいる。よって青銅器の銘文中には片手には戈を持ち、もう一方には盾を持っているデッサンがある。矛盾が一緒に書かれた図もある。

商周の時期の埋葬墓にまた、常に戈と盾は同時に埋葬している現象がある。

  
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2013年9月23日月曜日

矛と戈の字に見る武器の変遷

 

引用 「汉字密码」(P582,唐汉,学林出版社)

「戈」は象形文字である。甲骨文字の「戈」は正に戈のデッサンで戈の竿の上にはとがった横長の「戈頭」があり、上端は短い線で「秘帽」を為し、下端は鐏(戈などのいしづき)となり、地上に挿して立てることができるようになっている。

金文の「戈」の字は甲骨文字と比べさらに美観で真に迫っており、特に戈の頭の飾り房を表すまで至っている。 小篆の戈の字の線条は明晰であるが象形の味は非常に多く失われてしまっている。楷書はこの関係で「戈」と書くようになった。

   「戈」これは鉤で啄ばむ方式の殺人兵器で、また中国固有の民族的特徴を捉えた戦争兵器である。新石器時代の晩期の遺跡中考古学者はかつて石戈が出土したときその形から分析し、これらは有史以前の時期の「斧」であるかもしれないと考えた。斧は古代社会にあって、一種の樹木の切削道具として用いられた。必要あらば、敵をつつき殺すのにも用いられた。絶え間ない殺伐の啓示から、われわれの祖先は「戈」という一種独特の兵器を作り出した。

 商周の全時代を通じて、「戈」は最も重要な格闘兵器となり、多くは青銅が浅く鋳造されたのち再び磨かれ打ち直されたものだろう。戈は長ものと短柲の2種類があり、短秘の戈長さは約1メートルあり、歩兵の格闘に適し、長柲(木変に必)は長さは2-3メートルあり戦車の攻撃に適す。「戈」は商周の時代を経て一直線に戦争の実践主要兵器となった。紀元前3世紀に至ると「矛」の鋼鉄製の兵器の出現によりついに矛は戦争の舞台から退出した。

 戈はもともと兵器の専用名であった。戈は華夏の民族の代表的な最も実践的兵器であった。言葉の意味が拡大して以降、またそれは広く兵器をさすのに用いられるようになった。 「戈」の字はまた部首でもある。漢字の中で、およそ「戈」が組み合わさった字は、みな武器や格闘に関係している。例えば「載、戒、戎、咸、武」などの字である。
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2013年9月22日日曜日

最も印象に残る矛盾:オリンピック誘致の際の安部首相の演説 「矛」という漢字の起源と由来

 最近フジテレビで「ほこXたて」という番組がホットになっている。これは相対立する機能を持つ商品を実際に再現して見せて、その優劣を競うというものだが、なかなか見ごたえがある。例えば「どんな金属でも穴を開けるというドリルの刃」X「絶対に穴が開かない金属」だとか、「いったん接着すると絶対にはがすことのできない接着剤」X「強力な引っ張り力で接着したものをはがして見せるダンプカー」という類のものである。

 それぞれの商品を開発する会社がその意地と面子をかけて対立し、商品力を挙げていく様は見ていて「よくやるな!」という感じを視聴者に与えている。
 このほこたて(矛盾)という言葉は中国の故事に由来するものであるが、これを紹介したのはかの有名な韓非子であるらしい。いわく

 韓非子の書物の中に矛と盾の故事に関する記述がある。楚の国に一人の兵器を売るものがいた。彼は盾を掲げて「私の盾はいかなる矛も刺すことができない。身を翻して今度は矛を掲げて、私の矛は硬くて鋭い。いかなる盾も貫いてしまうといった。傍らの人が言った。「この矛でこの盾をさしたらどうなる?」 武器商人はしばらく考えたが、どう答えていいかわからなかった。以後ひとびとは相互に抵触するものを指して「矛盾」といった。
 こうしてこの概念は中国哲学のひとつのカテゴリーとなった。毛沢東の有名な著作に「実践論・矛盾論」というのがある。

さて、この言葉の矛の部分についてそのルーツに当たってみよう。

引用 「汉字密码」(P585、唐汉,学林出版社)

「矛」は柄の長い兵器である。格闘したり、捕縛したりするときに、刺したり、切ったりするのに用いる。商代の早期、石や骨を多く用いていたが次第に冶金の青銅の硬度が向上するにつれ、銅矛が商代晩期には逐次流行し、「戈」に次ぐ格闘兵器となった。秦漢以後は鉄器が広く使用されるようになってからは矛は逐次「戈」の地位に取って代わり、古代戦争で使用期間では最長の兵器の一つとなった。
 
 金文の「矛」の字はすなわち「矛」の象形である。矛の頭は柳の葉の状態を呈し、筒の部は飾りあるいは縄を括り付けるように半円形の輪の形をしている。小篆の矛の字は金文を受け継ぎ、かえって象形の味わいを失っている。楷書の字形は小篆の形体の直線の整理からきている。矛は鋭い先と両刃を持っている。矛の柄竹を多く寄せ集めたもので構成され、すなわち直木で芯をこしらえ外周りに竹を付着させ、糸縄で緊縛し漆で上塗りをしている。長さは多くは3.2から3.8mの間で、もっとも長いものは4m以上で、戦車に適応させている。
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2013年4月28日日曜日

「狂」:漢字の起源と由来

 最近、何かが狂い始めている。国の指導者も然り。本人は実に真面目に「一生懸命」である。だから余計に始末が悪い。
 
 諺に「亀の甲より年の功」といわれるが、最近特に感じることである。
 例えば戦争に行くことが、決していいことだと言わないが、すくなくとも戦争を経験したものは、二度と戦争をしたいとは思わない。しかし、戦争を経験していないものは、意識が抽象的になって、「戦争」を簡単なものに考えてしまうのではないだろうか。北朝鮮の指導者にしても、日本の首相や高級官僚などの国を指導する人々は、なぜあんなに戦うことを急ぐのか?
 「強いアメリカ」「強い日本」「強い中国」、いずれも民族主義を肩に担いで動こうとする。大衆の意向がそうといえばそうであるが、そもそも大衆の意向は何で決まるかといえば、その政治で決まる。つまり前の政権を引き継いだにせよ、指導者が自ら作り出してきた「潮」である。
 
 民族主義は非常に危険な思想だが、しかし自然発生的に出てくるものではなく、強力な権力が何らかの意図を持って、国外または国内で工作を仕掛け意識的に誘導して作り出されるものが、殆どではないかと思われる。そしてそれに易々とだまされるのが、概して貧困層であり、教育を受けていない被支配者階級(階層)なのだ。
 人類は結局、お互い闘い殺し合い、最後は死滅するのかもしれない。その時になって初めて、「人間とは何と愚かな生き物なんだ」と気付くのかもしれない。その時まで、この狂気の思想に取りつかれたまま、死に向かって行進するのかもしれない。

 世の中全体が、或いは自然までも狂い始めているように感じられる。だれが、世の中を狂わしているのか?


 「狂」という漢字の起源と由来に当たって見よう。この狂いを太古の人々はどのように認識していたのか。


引用 「汉字密码」(P35,唐汉,学林出版社)

甲骨文字の「狂」の字の右半分は犬の象形のデッサンである。

甲骨文字の「狂」の字の右半分は犬の象形のデッサンである。左半分の上部は足の足跡を表示し。下辺は「土」の字である。



「犬」の字は、犬が狂犬病を患った後で走り回る情景を表している

 両形は会意文字である。犬がその本性を失ってしまって、走り回ることを止められない。犬が狂犬病を患った後で走り回る情景を表している。小篆の「狂」の字は既に会意兼形声文字となっている。「犬と圭」。隷書から楷書まで一歩ずつ変化し、今日の狂の字がどのようにして一歩ずつ変化したか(訛り)を見るのは難しいことではない。楷書の「狂」の字は既に典型的な形声字となっている。犬という字と「王」の発声。


現代漢字中、「狂」の字は人の精神の常を失しているという意味である。

 現代漢字中、「狂」の字は人の精神の常を失しているという意味である。
 またこれから拡張され人の「狂妄、人が理知的な状態を失って、あるがままに放蕩し拘束を受けない状態を言う。心を失い、病に狂い・・。
 また拡張され、情勢が猛烈で広く大きい時、「狂風暴雨。狂暴不安」のように用いる。
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