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2023年5月13日土曜日

漢字 「戦」の由来と成立ちは?;「戦」という漢字は攻と防の二つの漢字から構成されていた


漢字 「戦」の意味するもの;「攻と防」の二つの漢字から構成される「戦」そのものだった


2022年の漢字は「戦」であった。それは今も続く。ロシアの言い訳は欺瞞と矛盾に満ちたもの。そしてその漢字「戦」そのものもまた矛盾に満ちたものだった
 ここでは、「戦」という字が盾を表す「単」と「戈」(ほこ)の2つの字素から構成されており、後の時代になって戈は矛に発展する。両者とも高度化するようになるが、その背景には戦闘がより組織化された集団同士の戦いに変化したことがあげられる。

前書き
2022年の漢字は「戦」清水寺の管長の揮毫が、かくも力強く、かくも悲しい
 2023年も年の初めからロシアのウクライナ攻撃で明け、終わりの見えぬまま悪戯に時は過ぎゆく。
 この問題は以前にも取り上げた。しかし終わりの見えない現実。再度取り上げる。

 異常気象が叫ばれ、地球温暖化が危惧され、地球の滅亡も云々されているこの時に至っても、他の民族や国の人々の土地を奪おうとする執念は人間の業なのだろうか。食べることができなくなるかもしれない恐れからくるのだろうか。
 未来を予見することができるという人間の傲慢からくるのだろうか。人間なんというものは宇宙から見ればゴミにも足らない存在にも拘らず、自分たちが世界を支配できると考えるのだろうか。人類は少しは進歩しているのだろうか?


戦という字の成立ち
フォーク型武器(つまり干・一種のサスマタのようなもの)に盾を付けると「単」という字になる。 古代、先祖が狩りする時、「干」は一種の便利で実用的な狩猟道具だった。 戦争で使用する場合は、木の棒の下にツタなどを織り込み、オリジナルの盾となる。 動物の皮で覆い、模様を描くと、立派な「盾」となる。
甲骨文字「戦」の成立ち
盾・甲骨文字
戈・甲骨文字
 左側の文字は飾りのついた「盾」の甲骨文字で、現在は「盾」という漢字になっている。
 右側は飾りのついた「戈」(ほこ)で、刃が骨や石であった時代はこの文字が使われていたが、青銅が使われるようになると「矛」に置き換わる。
 つまり、「戦」という文字は、最初から「盾」と「矛」という文字から構成されていた。しかも両者とも飾りのついた武器であったということは、戦という字は個人の戦いを表現しているのではなく、何が知ら儀礼の入った集団の戦いを意味していたのではないだろうか。即ち、「戦」ということは、単に戈と盾を使うだけではなく、攻撃、防御という抽象的概念を表していたということではないだろうか。これが後世になってから、戈から攻撃、盾から防御という相反する概念が生まれ、さらに「矛盾」という概念は、ずーと後世になってから生まれたのだろう。

戈という文字の変遷
 戈は、敵を打ち据える動作によって殺傷するのに適した穂先を持つ、古代東アジアのピッケル状の長柄武器である。 (ヴィキペディアによる)
戈・金文 戈・小篆 戈・楷書


矛という字の変遷
 矛、鉾(ほこ)は、槍や薙刀の前身となった長柄武器で、やや幅広で両刃の剣状の穂先をもつ。 日本と中国において矛と槍の区別が見られ、他の地域では槍の一形態として扱われる。
矛・金文
矛・小篆
矛・楷書


    


「戦」の漢字データ
 

漢字の読み
  • 音読み   セン
  • 訓読み   たたかう、いくさ

意味
     
  • たたかう。たたかい
  •  
  • おののく
  •  
  • おそれる 

同じ部首を持つ漢字     単、戦、弾、禅、憚
漢字「戦」を持つ熟語    戦争、戦慄、戦役、戦禍、


兵器の変遷 「戈」から「矛」に移るとき
「戈」これは鉤で啄ばむ方式の殺人兵器で、また中国固有の民族的特徴を捉えた戦争兵器である。
 新石器時代の晩期の遺跡中考古学者はかつて石戈が出土したときその形から分析し、これらは有史以前の時期の「斧」であるかもしれないと考えた。斧は古代社会にあって、一種の樹木の切削道具として用いられた。必要あらば、敵をつつき殺すのにも用いられた。
 しかし、絶え間ない殺伐の啓示から、われわれの祖先は「戈」という一種独特の兵器を作り出した。

 商周の全時代を通じて、「戈」は最も重要な格闘兵器となり、多くは青銅が浅く鋳造されたのち再び磨かれ打ち直されたものだろう。戈は長ものと短柲の2種類があり、短秘の戈長さは約1メートルあり、歩兵の格闘に適し、長柲(木変に必)は長さは2-3メートルあり戦車の攻撃に適す。「戈」は商周の時代を経て一直線に戦争の実践主要兵器となった。

 紀元前3世紀に至ると「矛」の鋼鉄製の兵器の出現によりついに矛は戦争の舞台から退出した。


引用:「汉字密码」(Page、唐汉著,学林出版社)
唐漢氏の解釈
 柄の長い武器「矛」は、白兵戦で突き刺しや突き刺しに使用された。 殷の初期には石や骨が主に使用されていたが、製錬された青銅の硬度が向上したため、殷の後期には銅の矛が普及した。

 秦と漢の時代以降、鉄が広く使われるようになると、「矛」は徐々に「戈」に取って代わり、古代の戦争で最も長く使用された兵器の1つになった。
 銅碑の「矛」は「矛」の象形文字です。矛の頭は柳の木の葉の形状を成している。 胴体の部分には縄を結わえる半円の固定部が備わっている。小篆の「矛」の文字は青銅の碑文を継承しているが、象形文字の魅力を失い、楷書の文字の形は小篆の形体を整えたものとなっている。  「矛」は先が鋭く、刃が2枚あり、柄の部分は竹を集めたもので、つまり芯は直木で、外は竹の糸縄で縛り、漆できつく固めたもので、長さは主に 3.2 メートルから 3.8 メートルの間で、最長のものは 4 メートル以上あり、戦車で使えるように対応させている。「詩・秦風・無衣」:「王瑜興師、戈矛を我に修む」 戦国時代の戦争や征伐では、戈矛が併用されていたことが分かっている。

 


漢字「矛」の字統の解釈
 象形文字 説文「長い柄を持つほこの形。酋矛なり。兵庫に建つ長さ2丈。象形」という。
 長さ2丈4尺のものは夷矛、枝刃のあるものは戟、この矛を台座につけて兵庫の上に建て淳巡を行うことを遹正という。矛盾は特殊な読み方。


まとめ
 、「戦」という文字は、最初から「盾」と「矛」という文字から構成されていたのです。即ち、「戦」ということは、戈と盾を使うものだということだったということだ。これが後世になってから、戈から攻撃、盾から防御という相反する概念が生まれたにせよ、「戦」という漢字にはそれが生まれたときから、「盾」と「矛」という相反する概念が含まれていたことに間違いはないだろう。



「漢字考古学の道」のホームページに戻ります。   

2021年5月3日月曜日

漢字「戦」の成り立ち:「単」(盾を意味する)に「戈」(ほこを意味する)が加わる。そもそも「戦」の原義は盾が先にあり、身を守ることが先決であった


漢字「戦」の成り立ちと由来の意味するもの:太古の「戦」の字は、盾を用いて守ること、即ち専守防衛を意味していた?
漢字「戦」の成り立ちから見えるもの:太古の「戦」の字は、「単」と「戈」からなりますが、原字(甲骨文字)は「単」という漢字でした。この単という字は、羽飾りのついた「盾」のことだったと云われています。即ち戦という字には、武器を持って戦うという意味はなかった

漢字「戦」の楷書で、常用漢字です。「戦」は甲骨文字では、「単」と書き「盾」を表していました。これは防御を表しています。つまりそもそもは「戦」という漢字に攻撃という概念はなかったのではないかと思われます。
 何故、そうであったか。それには当時の社会経済状態について話せねばなりません。

 当時の社会の生産性は非常に低く、家族単位の日々の食糧を確保するのがやっとでした。そのような状態で、人のものを奪う余裕などなかったはずです。多少のいざこざはあったにせよ、長期的に人の自分の支配下に置くほどの余力はなかったはずです。
 ところが、農業が発達し食糧の余剰が生まれてくると、生活の糧以上のものが、生み出されるわけで、力あるものは、他人の物を取り込み、より多くのものを得ようとし、貧富の差が生じるようになります。

  これが部族単位となると、規模が拡大し、略奪侵略が行われ、戦争が生じるようになったと思われます。

 漢字「戦」も当初は「単」という盾を意味する防衛のみをあらわしていたものであったものが、それに「戈」が付き、攻撃という意味を持つようになりついに「戦」という攻撃も含む言葉まで生み出されました。

 漢字は「社会の母斑」であるということを表したものといえましょう。

戦・楷書


詳しくは、下記の本を参照にしてください。
F.エンゲルス著 『家族私有財産国家の起源』


 単と戈とに従う。単は盾の上部に羽飾りなどをつけてある形。これを取って身を守り戈を取って戦うのである。

 説文に「戦うなり」とし、単声の字とするが、単は楕円形の盾で、戦とは干戈を持つ形。  
戦・甲骨文字
飾りのついた盾を表す
「戦」・金文
甲骨文「単」+戈で単なる防御に攻撃を表す「戈」が加わった。
戦・小篆
ここに至って、攻めると守るの両方の意味が加わり、戦いの意味を完璧に表す


    


「戦」の漢字データ
 

漢字の読み
  • 音読み   セン
  • 訓読み   たたか(い)、いくさ

意味
  • たたかう。武器を持ってたたかう。あらそう。戦争をする。
  • たたかい。あらそい。いくさ。  名詞形
  • おののく。わななく。ふるえる。  戦慄

使い方
  • 名詞  戦い、戦争、戦闘
  • 動詞   たたかう
  • 奮える ぞっとする

熟語   戦争、戦慄、戦後、応戦、舌戦、合戦、観戦、激戦、作戦、参戦




引用:「汉字密码」(Page、唐汉著,学林出版社)
唐漢氏の解釈
 甲骨文の「単」の字は象形文字です。フォーク型の兵器の上に盾を加えたもので、単の字の構成を持っています。上古時代、先民たちは狩りをするとき「干」は便利なものでかつ十分実用的な狩りの工具でもありました。戦争の時はフォークの下に籐で編んだ串状のものを取り付け、原始的な盾にしました。
 

 盾にはあり戈にはない専ら守るだけのもの、兵士にとっては、ただ一種の手段でしかない。このため「単」は一つという意味しか持っていない。最初の「干」の字は攻めるも防ぐも出来て、金文では「戈」を加えて、戈と盾を合わせて「戦」となった。攻めると守るの角度から理解すると、単は戦の初文になる。説文では「战」は「戦、斗」である。このため「战」の本義は、戦闘、戦争である。

漢字「戦」の字統の解釈
 会意文字。単と戈とに従う。単は盾の上部に羽飾りなど付けてある形。これを執って身を守り、戈をとって戦うのである。《説文》に「戦うなりとし、単声の字とするが、単は楕円形の盾で、戦とは干戈を持つ形。金文の図象に左右に干戈を執る形のものがある。単は狩猟にも用い狩りの初文である獣もその形に従う。


まとめ
 「戦」の原字は「単」であったという。この「単」という漢字は、盾を表わす漢字であった。そして「盾」は武器ではあるが、もっぱら防御用の武器で、攻撃には用いられない。このことら、この「戦」という字は、守りを表すものではなかったかという仮説を立てるのは大胆すぎるだろうか。



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2013年10月9日水曜日

「干」:漢字の起源と由来

 中国で古くから「盾」の意味で用いられている漢字に「干」というものがある。この漢字は感覚的にはおよそ盾には似つかわしくないもので、盾というより、日本で使われた武器を当てはめてみるとむしろ「サスマタ」と言った方がしっくりくる。しかし「所変われば品変わる」のことわざ通り、唐漢氏によれば、これは盾といえども、そもそもはまさしくサスマタのような使い方をしていたもので、中国ではこれが発展し盾となったという。
引用 「汉字密码」(P584,唐汉,学林出版社)

「干」は中国では最も原始的な武器

 木の叉の「Y」字の表示で横1画が加えられている指示符号に用いられて木の叉の所在を表示し、一種の狩猟、格闘の武器を示している。

 又のある木の盾はすなわち最も早い原始的な武器である。両又の先端部分を鋭く削り、獣を捕らえ狩をしたり、格闘時に刺し殺すのに用いられた。「干」を用いて人と人の間では殺し合いや格闘時に用いるときは、上部の又の尖っている部分は突き刺すのに用いられ、分かれた両又は攻撃を阻止するのにも用いられた。中でもこれは戈の啄みを防ぐのに用いられ、戈の頭がたたき下されたとき、ただ「干」を上に上げ、矛の振り下ろしを解消した。これは中華民族の盾牌の最も早い原型である。

 盾と戈の配備と組み合わせは華夏民族独特の単兵兵器の組み合わせであり、成語の「大動干戈」(戦争を起こすの意)はここから来ている。


中華の戦闘の形式は中原に「夷」が出現することで劇的に変化した

 一群の背の低い戦士が、弓矢を背負い、片方の手には戈を持ちもう片方には干(盾)を持って、中原の大地に出現したそのときから、そこでは一幕の残酷な戦争の悲劇が上演された。草むらの中から、大樹の後ろから不意に鋭い矢が飛び出してきた。その後は都合よいように使われ、矛で叩ききり、「干」で防いで、右往左往し、血は飛び散り、肉は飛び、サルよりもすばやい戦士が、とびはね跳躍し命がけで戦闘し、絶えず横になり身を伏せる人がいる。そうして、生きた人は死人の耳を切り落とした。


説文の解釈

 「干」:説文では干を解釈して「犯」とした。干を指し「犯」とし、犯を冒すこれがすなわち干の攻撃の意味である。これは一意的に同音の言葉があり、「妨害、責任、かかわり」等。防護の意味から古代では干は常に盾を意味した。
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2013年10月1日火曜日

盾:漢字の起源と由来

  矛盾という言葉の中の矛について前2回触れてきた。今回はそのもう一つの主役である盾について調べてみよう。
  盾は実用もさることながら、その表面に美しい図案を施したビジュアル的要素の多い兵器になっている。

  中国や西洋ではこの盾が兵器の中で重要な位置づけを占めているにもかかわらず、日本では私の見る限り盾という兵器があまり表立ったものにはなっていないように思う。なぜだろうか。

 そこには日本と中国や西洋とでは戦闘のあり方が異なっているのではないだろうかと思う。何か決定的違いがそこにはあるような気がする。この違いを明らかにすると、日本と諸外国の気質の違いが見えてくるのではないだろうか。これは、後日の検討課題である。


引用 「汉字密码」(P585, 唐汉,学林出版社)

  盾は本来象形文字である。甲骨文字の盾の字は上古の盾牌のデッサンである。金文中の第1款の盾の字は甲骨文字の延長である。第2款の盾の字はもう一度改めて焼きなおしたものだ。上下の構造の会意文字で上辺は人形、下辺は台の形の盾牌を表し、盾牌を持って対人体的防護を表している。


   小篆はその過程の中で生じた変化で、盾牌の形象は目で表した。《説文釈疑》曰く、目は盾の用途を示し、形と意味が兼ね備わって文字になったものだ。

  三千年来、兵器の中の「矛」の進攻性と同じく、盾はビジュアル系防護器具の代表的な標本であった。最も原始的盾牌は干(盾の意味)から生まれ出て、藤木の類の材料が多用された。蒙古の周辺では獣の皮に、漆を塗ったあと凶悪なトラの絵を描いている。

  青銅時代の皮の盾にはすでに青銅の鋳造の泡釘をはめ込みあるいは獣の面の盾飾りを嵌め込んでいる。両周(東周、西周)の時期には盾と矛は兵士の作戦的な兵器になった。暫時戈は取って代わり、大量の装備の兵器になった。ただし盾と干の間には形成上の承継性がある。戈と矛の間の承継性はわずかだが受け継いでいる。よって青銅器の銘文中には片手には戈を持ち、もう一方には盾を持っているデッサンがある。矛盾が一緒に書かれた図もある。

商周の時期の埋葬墓にまた、常に戈と盾は同時に埋葬している現象がある。

  
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