2011年2月10日のブログですでにふれた通り、殷商の時代すなわち甲骨文字が生まれた時代に早くも十二支は天干と共に日にちを表すのに用いられている。干支は十干と十二支の二つの概念で構成されている。十干とは天干ともいい、甲乙丙丁戊己庚辛壬癸の10種類からなる。十二支は子丑虎卯辰己馬未申酉戌亥は地支といい、天干と地支と相交えて日にちを表していた。 「上古の先民は何のためにこの漢字を作ったのだろう。彼らはまたどんな事実の証拠になるのか。こういう漢字を作るようになってきたのか。 個体発生学と人類発生学の相似の一面が科学的に証明される。殷商民族は商代の甲骨文字に刻まれている、干支年表の緑子の時期に酷似している。人類の発生の時期、全てのものは現象を持ってそのよりどころとした。文字もその例外ではない。
引用 「汉字密码」(P866、唐汉,学林出版社) 安陽の殷墟の小さな村で発見された、甲骨文字が刻まれた「甲子年表」はほぼ中国で最も早くカレンダーが順序どおり並べられていたことが知られている。出土した商代の甲骨文は多数干支で日にちが記され、商代すでに干支で日にちを記す方法が行き渡っていた。しかし、地支「十二支」の形と意味は今日に至るまで、諸説紛々としており。いまだ共通認識にいたっていない。 またウィキペディアによると、「また生命消長の循環過程とする説もあるが、これは干支を幹枝と解釈したため生じた植物の連想と、同音漢字を利用した一般的な語源俗解手法による後漢時代の解釈である。鼠、牛、虎…の12の動物との関係がなぜ設定されているのかにも諸説があるが詳細は不明である。」とあり、いま一つはっきりしない。 しかし後世のこじ付けともいえる命名のことはともあれ、なんと今から大方4000年前、中国では夏、殷、商という高度な文明を持った王朝が栄え、干支年表というカレンダーを作っていた。そしてそのカレンダーの中身は、子丑寅卯辰己馬未申酉戌亥という漢字を用いていた。 わが唐漢氏は、「子丑寅卯辰己午未申酉戌亥」という漢字が、大きく二つに分けられ、前半の「子丑寅卯辰己午」は人間の胎児の時代から、産道を通って出産してくる現実の出産過程を表し、後半の「未申酉戌亥」は未だ未然のことではあるが、嬰児が夭折なく、無事育つよう、希望と期待をあらわしていると解釈する。一方天干も実は生命消長の循環過程を分説したものであるといわれている。以下の意味合いを持っているとの説が有力である。 甲 こう きのえ 木の兄 草木の芽生え、鱗芽のかいわれの象意 乙 おつ きのと 木の弟 陽気のまだ伸びない、かがまっているところ 丙 へい ひのえ 火の兄 陽気の発揚 丁 てい ひのと 火の弟 陽気の充溢 戊 ぼ つちのえ 土の兄 “茂”に通じ、陽気による分化繁栄 己 き つちのと 土の弟 紀に通じ、分散を防ぐ統制作用 庚 こう かのえ 金の兄 結実、形成、陰化の段階 辛 しん かのと 金の弟 陰による統制の強化 壬 じん みずのえ 水の兄 “妊”に通じ、陽気を下に姙む意 癸 き みずのと 水の弟 “揆”に同じく生命のない残物を清算して地ならしを行い、新たな生長を行う待機の状態 こうしてみると唐漢氏が十二支は人の出産・成長過程を表したもので、古代人が時を表すのに、身近に起こる出来事で象徴的に表したものだという説をとったことは合理的だという気がする。 |