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2012年3月1日木曜日

女の漢字:婚 の由来と成立ち

ああ 母系制の時代には、婚姻という概念も実態もなかった。
  婚は会意文字であり形声字である。小篆字の左は女という字で右は昏の字である。二つを組み合わせると、男女の婚姻を表す。婚の字の昏は古代にはたそがれ時に嫁婿取りが行われていたことから来たものだ。しかしこの説はあまりに通俗的であるように思う。
 
「婚」の概念は甲骨の時代には
なかったのかもしれない。
いわば氏族制度が固まって
後に生まれたのだろう。
婚姻は黄昏時に式を行った
 「白虎通・嫁婿」には『婚姻をするものは、黄昏時に霊を行う。故に曰く「婚」という。この種の結婚儀式と酒席は夕刻に行うのが風俗である。今日に至っても南方の少数民族の中には未だに之を保っているのもある。婚の字の右側の昏の字は読み方をも示している。故に会意形声文字である。

  しかし、金文中の借りて作った「婚」の字は一個の会意字であり、非常に複雑で、連なっている絵巻のようで、結果的には男女の和合の場面を表すと唐漢氏は言う。




「婚」という字は甲骨文字になかった
 「婚」の字は甲骨文字にはないようであり、従って当時はまだ婚姻という概念、実態はなかったのかもしれない。婚姻というのははやり氏族制度がしっかりと根付いたあと出て来たのではなかろうか。

 婚の本義は男女双方の正式に結びついた夫妻の意味である。結婚式の礼儀を表す「婚礼のようなものである。男女の双方の夫婦の約束を示すものである。」結婚年齢の「婚齢」。又男女双方の結びつきの約定の「婚約」など。

 古代婚姻は家柄を重視したがそのことは結婚する男女の双方の家柄が釣り合っている必要があった。また同姓と結婚しない風習は「国語・晋語四」で曰く「同姓は結婚せず育てても殖やさず」この事は同姓は結婚しても、生育しても栄えないことをいう。要は近親婚を戒めたのではないだろうか。


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2012年1月26日木曜日

女の漢字シリーズ:「奴」

漢字もまだ出来ていなかった太古の中国では、人々は狩猟生活をしていたであろう。生産性も低かったため、その日の生命を維持するのがやっとであったろう。この時代は女性はおのずと種族の由来を示す明示的な存在として、重要視されていたであろう。

 しかし農業が発達し、生産力が向上し、氏族制社会になると人口も増え、種族も由来を明示的に示す必要がなくなってきた。より多くの生産力を求め、部族間の抗争を繰り返すようになり、貧富の差や階級の差が生じてきた。こうして社会が次第に父系制に移行するようになると女性の苦難の時代が始まる。
  戦利品としての捕虜を確保するということには生産力を確保するという以外、もう一つ重要な意味があったろうと思う。それは氏族社会の中で血が濃くなることを防ぐということではなかったろうか。とりわけ女の捕虜は男の性的な満足だけではなく、外部の血を導入するという重要な役割を担っていたはずである。

  漢字の中に女偏の漢字に当時の女の社会的地位を示すものが多いのも、こうした社会的背景があったろうと思う。
  さて今日はその最たる漢字「奴」について触れてみよう。
奴の原義は奴隷。部族間の戦争で
女性は戦利品として扱われた
  「奴」これは会意文字である。甲骨、金文と小篆の「奴」の文字は、女偏でもう一遍は又である。「又」はもともと「手」であり、全部で字の形は、捕虜になった或いは略奪された女性を意味している。 

  「奴」の字の本義は奴僕、奴婢である。古代奴隷制の時代は従順でない男性捕虜や犯罪者は常々脳みそを削られたり、女性は柔弱に飼いならされたり、生殖器の価値もって、奴隷に落ちぶれたものが多くいた。だから「奴」は女偏で作られている。しかし、階級分化が進むにつれ、一部の人は奴隷労役ともう一部の人に分かれる現象が普遍的となった。「奴」はまた労働をする奴隷を指すことが当たり前になった。

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2012年1月9日月曜日

女の漢字シリーズ:妾

  「妾」 これは今風にいえば差別用語かもしれない。確かに漢字の起源をひも解いてみるとこの漢字の発生そのものが女性にとっておよそ面白くない歴史過程を経ている。しかし、あえて言えば、このような歴史過程をきちんと検証せず、現在の価値判断の基準だけで物事を見ることは、歴史の背後のすざましい闘いを無視することになり、甚だしい歴史の誤認を生ずることになるだろう。
「妾」は部族間の争いで捕獲された女性や
金で買われた女性を押し並べて「妾」と呼んだ。
  「妾」この字は会意文字である。甲骨文字と金文の「妾」の字は、下の部分は皆ひざまずいた女人の形をしている。女性の頭の上には「辛」 の字がある。上古社会では部族間では常に戦いがあった。領土の争い以外は皆多くは略奪であった。相手方の氏族の女性を捕獲するのは、常に戦争の目的の一つであった。
 「辛」は捕虜を取り押さえておく刑具であった。「女」の上に「辛」を加えて、略奪してきた捕虜の女であることを示している。 
  例えば殷商の民族の先王と呼ばれる人の母親は「妾」であった。この上古社会では「母は子供で貴し」という鮮明な実例である。当然この類の女性もまた男子の性欲のはけ口の対象となった。文明が発展するにつれ女性の社会的地位が逐次低くなった。捕虜で連れて来られ、身分が低くなった女性を、正妻のある男が娶った女子や或いはお金を出して買ってきた女性や罪や罰で没収された女性たちを押し並べて「妾」と称した。 

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2011年11月26日土曜日

漢字「母」の起源と由来:上古社会、母系制の中で特別の存在

母の字形は女の字とほぼ同様。
2つの点は乳房を表す。
「母」の字形は「女」に近い。甲骨文字と金文中の母の字は字形上は女に比べ2つの点が多い。これは母が乳児に母乳を与えるとき、乳房が乳の為膨れ、乳房が突出するという生身の母親の特徴である。図に示す如く、表示された乳房の2点はまさに女性の胸にうまく位置し、左右それぞれ一つある。但し楷書の母の字の2点は変化の過程で上下各一つに変わっている。だから既にその中で象形の意味を見分けられるとは言い難い。

甲骨文字の「女」

   「母」の字の本義は母親である。家母、乳母、後母、老母など、即ち自分に親密な関係の年上の女性を表示している。俗語の中の「母以子贵」ということは、母親は子供が成就することで、ある種の権勢や尊敬を得るという意味である。この中で母の字は母親を指している。上古の時代母系大家族で、「母」は生身の母親を指すばかりではなく、母親の姉妹、妹姑みな「母」と称していた。この呼び方は、今日の雲南納西族の呼び方も証になる。


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2011年11月10日木曜日

漢字「若」の起源と由来:女が髪の毛を解くときを表す

一人の膝まづいた女性が髪の毛を直している様を表す
「若」:女が男と愛を交わす時、
自分の髪の結えを解いている様
 甲骨文字の「若」は象形文字だ。まるで一人の膝まづいた女性が髪の毛を直しているようだ。金文の「若」は甲骨文を引き継いでいる。小篆の「若」の字は、草かんむりと右から出来ている会意文字である。楷書は之によって「若」と書く。

 古語の中で「女は己を喜ばせるものの為に受け入れ、士は己を知る者の為に死ぬ」という格言がある。これは女は自分を好いてくれる人の為に装うということだ。しかし女性はどんなときにも、自分を好いてくれる人の為に装うのだろうか。 明らかに男と会うことを承諾した時、このように工夫を凝らして装うものだ。角度を変えていうと、女性はどんな時に頭の上に一杯挿した飾りを抜くのだろうか。明らかにただ愛をかわすために寝る時だけだ。

だから、「若」という字の起源は、承諾した後の髪の結えをぬき解き、頭髪をばらすことである。その本意は「承諾、応諾」ということである。発音は「うんうんはいはい」から来ている。

 小林朝夫氏の「本当は恐ろしい漢字」(2007年、彩図社)の説明によると、「若」という漢字は、「神の真意を聞くべく、髪をふり乱して狂ったように踊りながら祈る巫女の姿」と解説されている。氏は日本の故事からこの話を引いて来ているのだが、この漢字が日本で出来たものなら、この解釈も当てはまるのだろうが・・。私には人の話を断定する立場にない。しかし、少し疑問を呈しているだけである。この話は白川氏の「字統」にそのまま見られることから、「字統」の孫引きかも知れない。


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2010年5月31日月曜日

「女」という字の起源、由来 太古の昔の女性の立ち居振る舞いを反映した象形文字

男と女と社会
 漢字ができたころの社会は既に男性優位の社会になっていたと考えられる。母系制社会から男性優位の社会になり、人間の重労働からの解放の社会に突入しつつある現代社会では、男性の優位性が失われつつある社会に突入しているといえるだろう。そして近未来は、人間の筋肉労働が労働の主要な側面でなくなる時代では、男女間の性差は逆転することになるかも知れない。
 ここで触れるのはあくまで漢字ができるころの話であるので、今とはずいぶん異なっていることをお含み頂いたうえで、話を進めたい。
 漢字は社会の発展やありようを忠実に反映したものである。

「女」という字の起源、由来 太古の昔の女性の立ち居振る舞いを反映した象形文字
前回から女や男すなわち性にまつわる漢字をレビューして行こう。ここで参照するのは中国の唐漢さんという方の著作であるが、彼は民俗学的な立場を取っておられる人であり、私は氏の漢字学のもっとも大きなアイデンティティーはこの部分にあるのではないかと考えている。

 ますは女という漢字のルーツに迫る。氏は以下のように解析する。


「漢字の暗号」より転写
太古の昔の漢字の上での「女」の描かれ方
 女という字はそのままの象形文字である。甲骨文字の女の字は左を向いて膝を折って跪き、状態をまっすぐ立ってて、上部の女性の胸をわざわざ描いて、女性のバスト、ウエスト、ヒップなどが余すところなく特徴的に表現されている。

   古代人はなぜ女という字をこのように作ったのだろうか。実際上、この種の姿勢は本来古代人が服を着て、家にいる形である。

 華夏民族は早くから服を着ていたかあるいは体の前に布をぶら下げていた。後になって「前後」を覆う布になり、そして更に変化して全身を布で覆った衣服になった。

 殷商の時代に至って、大多数の民衆は、日常は裸足で、脚を包むような短いスカートで、中は今の人のようにいわゆるパンツはつけず、何もはかない。明らかにこのような服装をして、唯一つの草の寝床以外は何もない居室で、ただ跪く姿では、陰部を隠すのがやっとであろう。しかし跪くのは小休止するのには非常に便利である。「女」という字にこの跪く姿勢を当てたのは、これが上古の生活の真実の姿であっただろう。

   金文の字の女では基本部分は甲骨文字と同じであるが、ただ女の頭の上部分に一本の横線が増えている。実際には簪を飾りにいくらかの装飾品がつき、女の子の年頃の実際の姿を示したものだ。

 小篆は金文を引き継ぎ、しかし形象は次第になくなり、更に隷書化の過程で書くための便利さへの要求がいっそう高まり、形を変え楷書の時代になって現代の女という字になった。

この右の絵は岩の上に描かれた男と女の絵であるが、男女夫々の特徴をそれぞれ捉えていて大変興味深い。  女の乳房、男の睾丸がリアルに描かれている。  甲骨文字の「女」という字は、見ただけで女と分かる字となっており、一種のなまめかしい雰囲気を漂わせているのも又面白い。

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2010年5月29日土曜日

男と女と漢字

食べたり飲んだりすることは一個の生命体が存続するための基礎である。

 性交は、ある人は自然法則の男女の交流に合致するものであり、これは人類が続いて存続していくための保障であると説く。孔子のように聡明なものでも、「端的にいうと食、色、性に帰結する」という。

象形文字が生まれて、文明時代の到来を暗示していた、丁度その時期に、華夏民族の中での両性の関係に一大変革がもたらされた。

 それは、捕虜で連れて来られた他の部族の女性に起因するもので、すなわち戦争をして絶えることのない戦利品から来るものであった。

 帝王から首領に至るまで、男性戦士は女性の捕虜を占有した。このことで母系氏族制度の社会の仕組みは瓦解をはじめ、代わりに起こってきたのが、王権父系制であり、そのことは即座に有史以前の両性の根本的変化をもたらした。

 意義の上から言うときっと、象形文字の中に蓄えられた両性に関する情報は、近代からのものに比べて、未だ未開化の段階の民族資料や傍証として、もっと真実を示し、また興味深いものになった。

  漢字の解明は、漢字文化学的な角度から、上古時代の両性の謎を提示するものである。


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