2025年2月15日土曜日

漢字「金」から読み解く豊かさの意味と欲望の未来


人間の欲が社会の中で突き進む姿を漢字から探る

 紀元前3000年前に早くもゴールドラッシュが起きていた??

 これまでにも世界各地でゴールドラッシュが報告されており、非常に多くの人々が一攫千金を求めて、鵜の目たかの目で金鉱山を探し回っています。
 現在では金は貨幣や装飾品に留まらずICチップや集積回路などに広く使われその需要はますます高まっています。

 つい先ごろ「中国の 湖南省 地質院は21日、同省平江県で40本以上の金の鉱脈を発見したと発表した」というニュースが世界を駆け巡りました。 その一方で金の採掘選鉱のため水銀が使われていますが、その水銀汚染のためアマゾン流域はずいぶん汚染され、流域の原住民の人々は『水俣病』に侵され苦しんでいると聞きます。  


 

導入

このページから分かること

  • 人間の社会と金のかかわり 金が人間社会にどう影響を与えてきたか
  • 社会の変化と漢字  「きん、かね」を通して見る
  • 社会の変化と価値観の係わり 価値観の変化は社会の変化
  • 現代社会の歴史的位置づけ いま社会は歴史的にどこに位置するか
  • 未来社会がどう動くかの予測

前書き

 近年世界的に価値観の変化が起こっているとよく言われます。
 誰もがその言葉に納得し、そこである意味思考を停止してしまっている感があります。

価値観が変わるというとき、具体的にどの「価値」が変化しているのかは、社会や時代によって異なります。近年でよく言われる価値観の変化には、例えば以下のようなものがあります。

  1. 働き方に関する価値観
    「終身雇用」→「転職やフリーランスの自由な働き方」
    「仕事中心の人生」→「ワークライフバランス重視」
    「年功序列」→「成果主義・実力主義」 

  2. 家族・結婚に関する価値観
    「結婚・出産が当たり前」→「結婚しない・子どもを持たない選択も尊重」
    「専業主婦が理想」→「共働き・家事のシェアが当たり前」
    「家族の形は一つ」→「多様な家族の形が認められる(同性婚、事実婚など)」 

  3. お金・消費に関する価値観
    「高級ブランド志向」→「ミニマリズム・サステナブル消費」
    「所有することが重要」→「シェアリングエコノミー(サブスク、カーシェアなど)」
    「貯蓄が大事」→「経験や自己投資にお金を使う」

  4. 性別・多様性に関する価値観
    「男らしさ・女らしさの固定観念」→「ジェンダーレスな生き方」  
    「マイノリティは隠すもの」→「多様性を尊重し、オープンに」

  5. 環境・社会意識に関する 「個人主義」→「共助・コミュニティ意識の高まり」
  価値観の変化は、テクノロジーの進化、経済の変動、グローバル化などの影響を受けて生じます。どの価値が変わっているかを考えるときは、具体的な分野を見ていくとわかりやすいですね。
 ここではその価値観を「金」(かね、きん)に絞った上で、ここは漢字のページですから、漢字の「金」を通して見つめなおしたいと思います。しばらくお付き合いください。

目次




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この記事は以前にアップしたものをリバイスしたものです。

漢字「金」の今

漢字「金」の楷書で、常用漢字です。
 上部は「今」で、語義は、貴金属の金、貨幣の「かね」を表します。

 「金」という文字はやはり不思議な力を持つようで、片や多くの人々のあこがれであるし、方は底知れぬ力で、人々を支配するものです。

 しかしそういった力は「金」に最初からあったわけではなく、資本主義の世の中で、金本位体制が長く続き、金が資本として、世界を君臨してきたからでしょう。

 そして漸く資本主義の終焉が叫ばれてきてはいますが、新しい世界は目の前に姿を現しません。共に新しい世界を探ろうではありませんか
金・楷書







漢字「金」の解体新書


  
金・甲骨文字
上部は銅液の流出を表し、下部は「火」を表し、全体として溶錬を示す
金・金文
下部は一つの書き方では土から出来ている。即ち土(鉱石のことを示しているが)の中から冶煉で出来たことを示している。
金・小篆
金文を受け継ぎ、「今」と「土」と二つの点から出来た会意文字



    


    



「金」の漢字データ
 

漢字の読み
  • 音読み   キン・コン
  • 訓読み   かね・こがね

意味 
  • 材質
  •  
  • 貨幣を表す
  •  
  • 反射光を持つ黄色 

同じ部首を持つ漢字     銅、鉄、
漢字「金」を持つ熟語    金色、金環、金字

漢字「金」成立ちと由来

引用:「汉字密码」(P774、唐汉著,学林出版社)
唐漢氏の解釈
 金は古代にあっては銅のことを称していた。その後金属類の総称となり、最後にはやっと専ら黄金の名前となった。

 甲骨文字の「金」の字は上下部の繋がった構造となっている。下辺は「火」であり、火で熔煉を表した。「金」の字の本義は銅であり、青銅の銘文の中で「吉金、赤金、美金」などから分かる。この中の「金」は全て銅を指している。
 


漢字「金」の漢字源の解釈
 会意兼形声。今は「抑えた蓋+一」から成る会意文字で、何かを含んで抑えた形を表す。「金」は「点々のしるし+土+音符今」で土の中に点々と閉じこもって含まれた砂金を表す。


漢字「金」の字統の解釈
 象形文字:銅塊等鋳込んだ形。説文に「五色の金なり」とし、金の土中にある形に今声を加えた形とするが、字は今声に従うものではない。金文の字形は全形の左右に楕円形の小塊二を添えている。


漢字「金」の変遷と社会

「金」以前の貨幣

人間の社会が形成されるまでの歴史を振り返る
旧石器時代(Paleolithic Age)時代区分:約250万年前~1万年前
今から約250万年前類人猿としてではなく人類としてこの地球上に現れて一万年前までの長い長い期間、打製石器(石を打ち砕いて作る石器)を用いて、狩猟・採集が中心(遊牧や農耕はまだない)にして、洞窟や簡易な小屋を利用しながら家族などの極めて小さなまとまりで狩猟採集を主体とした移動生活を送っていました。
 このころの世界はある意味平和で、人々は自然に対する闘いは熾烈を極めていたかもしれませんが、少なくとも、人間同士の戦いや争い、戦争もそれほど多くなかったのではないかと考えられます。

新石器時代(Neolithic Age)時代区分:約1万年前~紀元前3000年頃(地域によって異なる)

  1. 石器の進化:磨製石器(石を研磨して作る石器)を使用
  2. 土器の使用:食料の保存や調理のために土器が作られる
  3. 農耕・牧畜の開始:小麦・大麦の栽培、家畜の飼育(ヤギ、牛、羊など)
    農耕・牧畜が始まったことが今後のあらゆる面での大変革となりました。
  4. 農耕が発展し生活が安定したことにより、余剰が産出され、富の集積がはじまり、力の強いもの、大家族が独占的に富を集積するようになりました。
    このことは奴婢や奴隷を持ちその労働を収奪することで、いっそうの富の集積が可能となり、奴婢や奴隷の獲得を求めて、争いや侵略や略奪が起こるようになりました。

  5. 定住生活:農耕による食糧供給の安定により村落が形成される  

  6. 社会の変化:階層社会の形成、交易の発展
     農耕の始まりはそれまで続いてきた母系制社会の崩壊を意味し、妊娠や子育てに多くの労力をとられる女性に変わり、腕力が強い自由度の高い男性が次第に力を得るようになり、社会は父系制社会へと変貌することになります。それはその後も続き秦の始皇帝の時代で完成することとなります。
    旧石器時代は「狩猟採集を主体とした移動生活」、新石器時代は「農耕牧畜を伴う定住生活」

    この変化は氏族制度の始まりとほぼ一致します。
    • 始まり:紀元前8000年頃(新石器時代の初期、農耕開始とともに)
    • 発展:紀元前5000年頃〜3000年頃(部族の形成と階層化) 
    • 完成:紀元前3000年頃〜1000年頃(氏族社会が貴族支配の国家へ移行)

    つまり、氏族社会は新石器時代に始まり、青銅器時代〜鉄器時代にかけて階層化が進み、最終的には王権を中心とした国家形成へと移行 していきました。 この男性有利の社会は3000年後の今日まで依然として続き、近年ようやく変化が見え始めているといっていいでしょう。


  ここで改めて、「社会のあり方」に基づいて時代区分を整理すると、以下になります。
狩猟採集社会(平等・移動生活)旧石器時代、新石器時代 農耕牧畜社会(定住化・階層化の始まり)氏族社会、青銅器、鉄器時代
国家形成社会(都市・階級社会・文字の発明):(紀元前3000年ごろ~中世
封建社会(領主制・宗教支配・商業発展):(中世~近世、5世紀~18世紀)
産業社会(資本主義・民主主義・機械化):(18世紀~20世紀半ば)
情報社会(IT・グローバル化・知識経済):(20世紀半ば~現在)
ポスト情報社会(AI・自動化・未来の可能性):(未来予測)(21世紀後半以降、予測段階)


「金」貨幣及び金の価値の変遷

 以上のような歴史的変遷の中で、氏族社会が生まれ貧富の差が生じ、階層が生まれ富が蓄積されるようになっても、金や貨幣が実際に流通の中で用いられるようになるのは紀元前1000年あたりまで待たなければなりませんでした。

貝による貨幣
貝による貨幣(南海諸島にて購入)

 交易がおこなわれようになった最初のころは貨幣は貝殻でできたものでした。その貝もも二枚貝で子安貝のような種類が多く使われたといいます。これは貝は手に入り易かったからでした。

したがってこのころできた古代の漢字には「貝」が使われており、私達も現在「財、貨」などの多くの漢字にそれを見ることができます。

 さらに紀元前1500年前の殷や周の時代には漢字の「金」という字は既に使われていましたが、このころの「金」という文字は実際にはGoldの金ではなく、銅の合金である黄銅を指していたということで、今の「金」が実際に使われるようになったのは、もうしばらく後のことになります。



地図の中にある緑の旗印が古代都市「ウル」

 人類が最初に金を採掘したのはメソポタミアの北部や東部の山岳地帯にある金鉱脈で古代から金が採掘されていたのではないかと言われています。

 人類と金の係わりは古くメソポタニア文明の栄えた今から約6000年ほど前、シュメール人が現代のイラク南部に位置する古代都市「アッカド」や「ウル」の近郊で金の採掘をしていたという記録が残されています。

中国における金の採掘は、少なくとも商王朝(紀元前1600年頃 - 紀元前1046年頃)の時代には始まっていたと考えられています。これらの金は王侯貴族の装飾品として用いられており、貨幣として用いられるようになるのはずいぶん時代が下ってからになります。

  経済活動を支える重要な役割を果たすようになるのは、春秋戦国時代(紀元前771年 - 紀元前256年)に入ってからになり、この時代には、金が貨幣としても流通し始め、各地で金鉱山の開発が活発化しました。中国で金の採掘がはじまったのは紀元前1600年程の商王朝に遡るといわれています。中国における主要な金産地は、山東省、河南省、江西省、雲南省などです。

価値観の変遷と社会の向かう先

金に対する価値観は、歴史的に大きく変化してきました。

  • 古代 金は、その希少性と美しさから、古代文明においてすでに特別な価値を持っていました。
    装飾品: 金は、その美しい輝きから、装飾品として珍重されました。
    貨幣: 金は、その高い価値と安定性から、貨幣としても使われました。
    権力の象徴: 金は、その希少性から、権力や富の象徴としても使われました。

  • 中世 中世ヨーロッパでは、金はキリスト教教会や王侯貴族の財産として重要視されました。
    中世は基本的に封建制を基盤とする仕組みで、経済は土地・荘園に基づく農業でした。
    教会の装飾: 金は、教会の装飾や祭具として使われました。
    王侯貴族の財産: 金は、王侯貴族の財産として蓄えられました。
    錬金術: 中世ヨーロッパでは、金を生成しようとする錬金術が盛んに行われました。

  • 近世 大航海時代以降、ヨーロッパ諸国は、金や銀を求めて世界各地に進出しました。
    マルコポーロの「東方見聞録」が書かれ、日本が黄金の国として世界に登場しました。
    世界は全体主義国家に大きく舵を切り、それまで行われていた「土地の囲い込み運動」は影を潜め、逆に囲いを取っ払い統合し新しい世界の構築が模索されるようになりました。
    ヨーロッパでは宗教改革が起こったのも、宗教の壁を取り除きより多くの利潤を求める人間のあくなき欲望の表れともいえるでしょう。
    アメリカ大陸が発見され、アフリカ大陸が植民地として蚕食され、悲惨な結果を招きました。
    重商主義: 獣金主義金や銀の蓄積は、国家の富の象徴と考えられました。
    植民地支配: 金や銀を求めて、多くの国が植民地支配を行いました。


  • 現代現代社会では、金は投資対象としての価値が注目されています。
      中世と近世で人間は地理的に拡大しつくし、拡大の余地がなくなってしまいました。
    次に資本が目に付けたのは国境をなくし、手さらなる利益の増殖を図ることでした。
    結果として、グローバリズムが叫ばれ、企業が国境の壁(規制)を取り払ったり、緩和させたりしました。
    人間の欲望はそれに飽き足らず、リアルの世界とバーチャルの世界の壁を取り払い更なる増殖を図っています。
    ドルの金本位体制が崩壊した今日、金は基軸材として機能していますが、今や仮想通貨がリアルの通貨の流通量を上回っている現実があります
    仮想通貨を流通させるプラットフォームのヘゲモニーをどこが握るかの争いになっています。
    インフレヘッジ: 金は、インフレに対するヘッジとして、投資家によって買われます。
    安全資産: 金は、世界経済の不安定化時に、安全資産として買われることがあります。
    宝飾品: 金は、宝飾品としても人気があります。


  • まとめ

     以上のように漢字「金」という一文字についても、その変化の背景には長い歴史的、社会的変化、変遷の過程があり、漢字の持つ奥深さがよく理解できると思います。
    金に対する価値観は、時代とともに変化してきました。古代から中世にかけては、装飾品や貨幣、権力の象徴として重要視され、近世には国家の富の象徴として注目されました。現代では、金に対する価値観の変化に留まらず、バーチャルな世界に対する骨肉の争いも問われている中で、アメリカではトランプ政権が「アメリカ第一主義」を唱えて、登場しましたが、「アメリカ唯一主義」ではないかと疑わせる主張で、世界に混乱を巻き起こしています。
     価値観の変化は社会の変動であり、私たちは今後世界はどちらに向かうのか目先の事柄に囚われることなく、しっかり監視しなければなりません。自らの生き残りをかけて!

      


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2025年2月10日月曜日

漢字[心]:古代人は心を生物・生命力の中枢、感情や精神の宿る場所と把握

漢字[心]:古代人が心を生命力の中心と認識した事の歴史的重要性に驚嘆!


はじめに

 漢字「心」(シン、こころ)は、中国語と日本語の両方において、非常に基本的でありながら奥深い意味を持つ文字の一つです 。
 本稿では、この重要な漢字がどのようにして生まれ、その形と意味が時代とともにどのように変化してきたのかを詳細に探ります。
 使用者の問いに応え、その起源から現代における意義まで、「心」の変遷を多角的に考察します。この探求は、単に文字の歴史を辿るだけでなく、古代中国の人々がどのように人間の意識や感情を捉え、表現してきたのかを理解する上で重要な手がかりとなります。
 文字の成り立ち、古代文字の形、意味の変化、そして文化的な背景といった様々な側面から「心」を掘り下げることで、漢字という文化遺産の豊かさを改めて認識できるでしょう。古代人は狩りを通して、動物の体や人間の体を我々が今思う以上にきちんと把握していた。



目次



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漢字「心」の起源:心臓そのままの象形文字

漢字「心」の今

漢字「心」の成立ち

心_楷書
漢字「心」の楷書で、常用漢字です。
   漢字の「心」は、心臓の形を象った象形文字です。心臓は、体全体に血液を送る重要な器官です。そのため、心臓は古代中国では生命の中心と考えられていました。また、心臓は感情や思考の中心とも考えられていました。そのため、「心」という字は、心臓だけでなく、感情、思考、意志、意識、思いやり、愛情など、人間の精神的な側面を象徴する字となりました。

 「心」という字は、中国の甲骨文字(紀元前1200年頃)にすでに見ることができます。甲骨文字の「心」は、心臓の形を簡略化した形になっています。

心 甲骨文字
心・楷書




「心」の漢字データ

漢字の読み
  • 音読み   シン
  • 訓読み   こころ

意味
  • ひく。ひきよせる。
  •  
  • むなしい。から。中空。
  •  
  • つなぐ。ウシをつなぐ。つながれる。

同じ部首を持つ漢字     忠、応、志、芯、蕊

漢字「心」を持つ熟語    心、中心、心中、偏心、

一口メモ

 読み:しべ 意味: 種子植物の花の生殖器官。雄蕊と雌蕊に分かれる。
飾り紐の先端にある総(ふさ)の根元につけて、紐本体との境をなす飾り。



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漢字「心」成立ちと由来

引用:「汉字密码」(P440、唐汉著,学林出版社)
心_4款(甲骨 金文 小篆 楷書

唐漢氏の解釈

 「心」これは象形文字である。甲骨文字は心臓の形によく似ている。金文は簡略化していくらか変化している。それでも核心を突いた心の像だ。小篆は心臓の外形像からは変化している。それでも心臓の切開画像のようである。楷書はこれから「心」と書く。
 古人が殷の時代から、「心房、心室」をこのように、解剖学的に実に正確に把握し、字の形にしているということは驚きでもある。

 「心」の本義は心臓の器官である。心跳、冠心病、狼心狗肺などの中の「心」である。また拡張して心思、心意など。古人は心臓が体に中心にあることを認めていたので、いわゆる中心、中央の意味も出てくる。李白の詩《送翅十少府》にある「流水折江心」の江心とは揚子江の中央という意味である。


漢字「心」の字統(P467)の解釈

 象形 心臓の形に乗る。〔説文〕「人の心 なり、土の藏、身の中に在り。

 象形。博士設に以て 「火の藏と隠す」とあり、藏(藏)は臓(臓)。許慎の当時には、すべてを五行説によって配当することが行なわれ、今文尚書説では肝は木、心は火、脾 土、肺、腎は水、古文尚書説では脾は木、肺 は火、心は土、肝は金、腎は水とされた。
  金文に「心にす」「乃の心を明にせよ」 「心忌せよ」などの用法がある。
心は生命力の根源と考えられていたが、文にはまだ心字がみえ徳や愈など情性に関する字も二十数文をみることができる。文字の展開を通じて、その意識や観念 の発達を、あとづけることが可能である。



 

漢字「心」の漢字源P422の解釈

 象形。心臓を描いたもの。それをシンというのは、しみわたる) (しみわたる)・浸(しみわたる)などと同系で、血液を細い血管のすみずみまで、しみわたらせる心臓の働きに着目したもの。



古代の碑文における「心」

  1.  甲骨文字(こうこつもじ)における「心」
     最も古い漢字の形態の一つである甲骨文字において、「心」という独立した文字はまだ確認されていません 。
     しかし、人を正面から描いた「文」(ブン)という文字の胸の部分に、心臓のような形が書き加えられている例が見られます 。これは、古代中国において、心臓が生命力の象徴として捉えられ、一時的な入れ墨(文身)の模様として用いられていたことを示唆しています 。このことから、まだ独立した文字としての「心」が存在していなかった時代においても、「心臓」という概念、あるいはそれが象徴する生命や活力といった意味合いは、他の文字の中に組み込まれる形で表現されていたと考えられます。
     ただし、一部の研究では、甲骨文字の中に心臓の断面図に似た「心」の字形が存在するという指摘もあり 、この点については今後の研究の進展が待たれます。
  2. 金文(きんぶん)における「心」
     甲骨文字よりも後に現れた金文(青銅器に刻まれた文字)においては、「心」という文字が独立した形で現れるようになります。金文の「心」は、甲骨文字に見られる心臓の形をより簡略化し、曲線的な表現を持つことが多いです。特筆すべきは、金文の時代には既に、「心」が単に心臓という物理的な器官だけでなく、「こころ」、つまり精神や意図といった抽象的な意味合いを持つ言葉としても用いられていたことです。「乃(なんじ)の心を敬明にせよ」(あなたの心を敬い明らかにしなさい)という金文の記述 は、その一例と言えるでしょう。また、初期の金文には、心臓の内部構造である膜弁のようなものが描かれていたり、中央に点が加えられたりする形も見られます。現代においても、メンタルヘルスのクリニックのロゴマークに金文の「心」が用いられるなど、その歴史的な意義が尊重されています。

漢字「心」の変遷の歴史と認識

器官から知性へ:「心」の初期の意味

 「心」の最も本質的な意味は、疑いなく人間の心臓という物理的な器官を指していました 。
 しかし、古代中国の人々は、心臓を単に血液を循環させるポンプとしてだけでなく、思考や感情、知性の源であるとも考えていました 。これは、西洋において脳が思考の中心と考えられていたのとは対照的な見方です 。
 多くの古代文献において、心臓は「考える器官」として言及されており 、喜びや悲しみといった感情も心臓から生じると信じられていました 。金文に見られる「心」が「精神」や「意図」、「徳性の本づくところ」(道徳的な性質の根源)といった意味合いを持つことも 、この初期の意味の広がりを示しています。

 このように、「心」という文字は、具体的な心臓という形から出発し、人間の内面的な活動全般を指す抽象的な概念へと発展していったのです。

唐漢氏は古人は心を一種の感覚器官とも考えていたので、《孟子》の中で言うように「心の官即ち思う」であると考えている。いわゆる心は思想、感情、意念を表すのにも用いられ、心機、心態、独具匠心、心领神会など。「心跟」は一般的に心底、内心を現す。 
 また「心」は部首字であるので、左辺にあるときは、「リッシン・偏」となり、そうでないときは、"想、愁、慕、念"等のように、下でしっかりと支える形となる。全て心で思うことに関係している。

視覚的な変遷:「心」の字形の進化

 「心」の字形は、時代とともに大きく変化してきました。その変遷を主要な書体ごとに見ていきましょう。

  • 甲骨文字: 心臓の形を写実的に表しており、内部の構造が描かれている場合や、「文」という文字の中に組み込まれている形が見られます 。   
  • 金文: 甲骨文字の形を受け継ぎつつも、より曲線的で簡略化された形へと変化しています 。

  • 篆書(てんしょ): 秦の始皇帝による文字の統一政策により、字形がより整然とした形になります。心臓の形状を保ちつつも、装飾的な要素が加わることがあります 。

  • 隷書(れいしょ): 篆書からさらに変化し、現在の楷書に近い形へと大きく変化します。心臓の面影は薄れ、より記号的な表現となります 。

  • 楷書(かいしょ): 現代の標準的な書体であり、四つの筆画で構成される「心」の形が確立します 。

 この字形の変化は、使用される筆記具や材料の変化、そして文字の標準化といった要因によってもたらされました 。また、「心」が部首として他の漢字の左側に位置する場合には「忄」(りっしんべん)、下部に位置する場合には「⺗」(したごころ)といった変形した形で用いられることも特徴的です。

まとめ

  漢字「心」の成り立ちからその変遷を辿ることで、この一文字の中に、古代の人々の世界観や人間観が深く刻まれていることが明らかになりました。
 心臓という具体的な形から生まれた「心」は、時代とともにその形を変え、意味を広げ、現代においても私たちの感情や思考を表現する上で欠かせない文字となっています。その変遷は、単に文字の進化を示すだけでなく、人間の内面世界に対する理解が深まってきた歴史を映し出していると言えるでしょう。

 「心」という漢字を通して、私たちは中国文化の豊かな歴史と、そこに息づく人々の精神世界を垣間見ることができるのです。この探求は、漢字という文字体系のダイナミックな性質と、それが持つ文化的意義の深さを改めて認識する機会となりました。


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2025年2月1日土曜日

漢字「春」の由来を探る:立春に紐解く古代の知恵


立春と漢字「春」の秘密:古代文字が語る物語

清少納言

 桜の花の便りが聞こえてくる今日この頃。いよいよ春ですね。春の訪れを告げる『立春』。この日、私たちは古代の人々が文字に込めた想いに触れます。
 昔の人も書きました。
 「春はあけぼの、ようよう明るくなりゆく・・」と枕草子の中で清少納言は謡った。
また「もうすぐ春ですね~、恋をしてみませんか」という歌詞も記憶に新しい。猫のさかりの声がやかましくなる時期でもあります。
 2月4日は立春である。このところ世界中は紛争や戦争、地震かみなり火事、親父と暗い息苦しい状態が続いていますので、明るい春が望まれます。
 しかし、何はともあれ、開花予想をきけば心がウキウキしますね。



 この記事は、2014年のアップグレード版です。
  「漢字の成り立ちと由来:甲骨文字の「春」からは、古代の先人たちが春を心から待ち望んでいた様子が窺える!」

導入

押しかけ推薦・一度は読みたい名著  阿辻哲次著『漢字學

漢字學の原点である許慎の「説文解字」の世界に立ち返り、今日の漢字學を再構築した名著

前書き

目次




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漢字「春」の今

漢字「春」の成立ち


 
SpringCharacterPanel
漢字「春」の楷書で、常用漢字です。
 右の「旾」は春の異体字。
 漢字の成立ちを見ると、この文字は象形文字の範疇に入るのだろうか。むしろ極めて概念的な文字であるような気がする。
春・楷書
春の異体字


 古代の「春・旾」は甲骨文字、金文、小篆の何れも「木、日と発芽を表す屯」をモチーフにしていることは共通していることからある意味、人間の共通した認識なのかもしれない。
 甲骨文字にせよ・金文にせよ、象形文字というには少し違和感がある。形象というより、むしろ概念を表したという方が当を得ていると思う。  
春・甲骨文字
他の字形と乖離している
 左は木に日、右は屯である
春の異体字・旾・
旾の字に草冠が春の原字であるようだ
春の異体字・旾・小篆


 

「春」の漢字データ

漢字の読み
  • 音読み   シュン
  • 訓読み   はる
  • 異体字   旾

意味
  • 季節の名前
  •  
  • 比ゆ的に厳しい状態から一気に解放された状態をいう 青春
  •  

同じ部首を持つ漢字     屯、蠢、頓、純
漢字「春」を持つ熟語    春、青春、新春、


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漢字「春」成立ちと由来

引用:「汉字密码」(P285、唐汉著,学林出版社)
春・4款
春・4款 春らしい

唐漢氏の解釈

 春の原本は会意文字である。

 
  • 甲骨文字の左辺は上下に分かれ、「木」の二つの部分である。木の中間に「日」があり、太陽が昇ることを表している。字の右辺は「屯」であり、潜り込んだ根が発芽することを表している。明らかに春の字の本来の意味は太陽の光が強くなり草木が生え出す時期を表している。
  • 金文と小篆の春は甲骨と比べ字形は均整化されている。
    上部は草冠、中間は「屯」の字で下部は「日」である。以後隷書の変化を経て今日の字体となり、「草」、「屯」の字は最早現らわれていない。
  • しかし「春」は一年の開始を示し、この本義はずっと変わらずにいる。春のような景色は「春色」「春光」といい、春の農繁期は「春忙」といい、30歳になると赤い紙に吉祥の文字を対連で「春联」などなど。古代文学者は大変多くの草木の生長する様を描写して、「春に至りて江南の花自ら開す」「春の到来を人は草木に先んじて知る」「春に至れば人間万物鮮やかなり」など、これらの詩句春に万物が萌出る現象を表現している。又「春」という字から始まる成語も多数ある。


漢字「春」の字統の解釈

春_金文・小篆

 形声文字: 屯声。詳しい説明をご希望の方はこちらロクリックしてください。
 「春」の字統の詳しい説明





漢字「春」の漢字源P708の解釈

会意兼形声。異体字 旾
 屯は生気が中にこもって、芽が萌え出でるさま。春はもと「草+日+音符屯」で地中に陽気がこもり、草木が生え出る季節を示す。ずっしり重く、中に力が起こもる意を含む。



漢字「春」が歴史的にどう変わっていったか

文字学上の解釈

「春」は異体字も含め、多くの字体が存在する。

字統では、季節を表す漢字が生まれたのは、春秋戦国時代になってからという。しかし、唐漢氏は甲骨文字の時代から季節を表す漢字は存在していたと主張する。真偽のほどは分からないが、人間が少なくとも農業を営むようになってからは、季節を明確に認識していただろう。ということは季節を表す文字も早くから出来ていないはずはないと考える。


まとめ

  

 春はここにあるよというように、草木がもえ出る様子を表したものであり、夏は暑い最中に人が扇ぐ様子、秋は虫を象し、冬は狩猟道具を具象して漢字がつくられてきた。漢字の創成、発達の歴史を見るとやはり人々の暮らしの中から生れ育まれてきたものであることは間違いはないようだ。甲骨文字が卜術の中から生成されたから宗教的意味合いを強調される向きもあるが、基本は人々の生活の営みを外すわけにはいかない。その意味で、まだまだ漢字の研究は解き明かさなければならない任務を持っているといえよう。

  


「春」の字統の詳しい説明

 形声文字: 屯声。〔説文〕「下に「推なり」と訓し、字形を「日と䒑クサと屯」に従い、屯の亦声」とする。屯を亦声とするのは、屯を草木初生 のとき、屯蹇(伸びなやむ)の象とみるものであ るが、屯は絶縁(へりぬい)の象であるから、声符とみるべきである。「推 なり」の訓は春と双声の字で、〔礼記、郷飲酒義〕に「春の言たる、蠢なり」と、万物の蠢動をはじめ る時期とする。

四季の名は、西周の金文に至るもな おその徴がなく、ト辞中に四季の名に擬せられているものは、にわかに信じがたい。陳夢家の〔殷虚卜辞綜述〕に、屯・楙を春、龝を秋とするが、季節名として用いるものではない。

夏は〔製公設〕に「夏」の語があるも、これを春夏の意に用いた例がない。ただの (春秋)に四季をもって月の名を象け、「春正月」のように言う。春はおそらく陽光の関係のある字で、動く、輝くの意を持つ語であろう。


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漢字「農」の由来と変遷:文字に刻まれた農業の歴史


人類の活動の基本は「農」にあり!


導入

このページを読めば明らかになること:
漢字「農」の由来と変遷:文字に刻まれた農業の歴史
漢字「農」を見れば、昔の人々がどうやって食いつないで来たかが分かる
「農」という漢字の起源:先人たちの生活と文化を紐解く
 

前書き

 人間の数万年のもろもろの活動の中で、結局最も大切なのは「農業」だった。
 しかし、特に産業革命以降は、富を生み出すのは工業であり、資本であり、労働力であると信じられ、非常に多くの人々は農業を捨て、工場へ工場へ、と流れ込んだ。その結果、世界津々浦々に工場が林立するまでになっている。
 そしてこのことは結果として地球規模での気候変動を引き起こし、人々が食料を確保することさえ困難になっている。
 漢字「農」の成立ちを今一度見つめなおし、人類が数万年前に、地上に現れて、非常に長い期間農業を大切にし守り育ててきたにも拘らず、僅かこの2、3百年前までの非常にわずかな期間に、人間が農業ばかりではなく地球を破壊しつくまで至っている。
 以上非常に大雑把な見方ではあるが、人類の活動を振り返り、結局最も大切なのは「農業」であることを今一度思いなおすきっかけになればこれ以上の喜びはない。

目次




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漢字「農」の今

漢字「農」の解体新書


 
漢字「農」の楷書で、常用漢字です。
 
農・楷書


甲骨文は辰は上部は畑の穀物を表す草木の形であり、下部は貝で作った土地用の農具の蜃器から構成される。
金文は田と辰とに従う。甲骨文にはなかった「田」が現れて、井田制による区画を明示した耕作地が描かれている。
 小篆になると神饌に専ら使用されたのか「田」の代わりに「囟」が用いられている
農・甲骨文字

農・金文

農・小篆



 

「農」の漢字データ

漢字の読み
  • 音読み   ノウ
  • 訓読み   たがやす、つとめる

意味
  • たがやす(耕)、田畑を耕作する
  •  
  • 耕作の仕事、畑仕」
  •  
  • 農業する人

同じ部首を持つ漢字     辰、振、儂、膿、
漢字「農」を持つ熟語    農業、農民、農具、貧農


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漢字「農」成立ちと由来

引用:「汉字密码」(Page、唐汉著,学林出版社)

唐漢氏の解釈

 甲骨文の「農」の上部は畑の穀物を表す草木の形、下部は「辰」である。青銅碑文の「農」という文字は、草や木の形に「田」という文字を加えて、農地の収穫を表現しています。

漢字「農」の字統の解釈

 田と辰とに従う。辰は蜃器。 こうどう 貝で作った耕耨の器で、田と合せて農事をいう。また、林と辰からなる款もある。ト文に艸に従うものがあり、 草菜(草はら)をひらく意を示すものであろう 辰は蜃器で、又(寸)を加えて蓐(草刈る)となる。



漢字「農」の漢字源の解釈

 会意文字。甲骨文字は「林+辰」の会意文字で、林を焼き、貝殻で土を柔らかくすることを示す。



「農」に関連する神話、逸話や故事等から農業そのものの歴史や変遷を探る

 「農」を取り巻く文化や思想・土地制度に関連するものをいくつか紹介します。

  1.   神農(しんのう)の伝説
    「農」にまつわる最も有名な話は、中国古代の伝説的な帝王「神農」に関するものです。
     神農は、農業の神様とされ、人々に農耕技術を伝えたと言われています。また、草木を味見し、その薬効や毒性を確認して医薬を広めたという伝説もあります。「神農百草を嘗む(しんのうひゃくそうをなむ)」という言葉が、そこから生まれました。
     神農は、農業を普及させるとともに、人々の生活を豊かにした偉大な存在として語り継がれています。 
  2.  孟子の「五十歩百歩」の教え
     中国の思想家孟子が説いた話の中に、農民の努力や苦労に関連する比喩があります。孟子は「農業は国の基盤であり、民を富ませるもの」としながらも、不公正な政策が農業や農民を苦しめることを批判しました。
    「五十歩百歩」の故事は、戦争で逃げた兵士が距離の違いを競っているという例え話ですが、孟子は同じように農民を安んじる政策を行わない限り、国は安定しないと説きました。
  3. 日本の「農業神話」
     日本の神話では、天照大神(あまてらすおおみかみ)が穀物を司る神として登場し、豊受大神(とようけのおおかみ)などとともに農業の発展を祝福したとされます。
     特に「稲作」は神事と深く結びついており、田植えや収穫の際には祭礼が行われ、神に感謝を捧げる文化がありました。

  4.  古代の土地制度
    中国の井田制
    (せいでんせい)・・この形から漢字の田ができたといわれています
    周代(紀元前11世紀〜256年)に実施されたとされる農業制度で、 農地を「井」の字の形に9区画に分け、中央の1区画を公共用地(税地)として共同で耕作し、残りの8区画を個人に分配して使用するというものです。この制度は、農業を通じて共同体の和を保つための理想的なシステムとされました。  井田制に関する逸話として、「公地公民の理想を掲げた社会でこそ、人々は安心して農業に励むことができる」という教訓が伝えられています。 この制度の歴史的役割
  • 共同体の秩序: 農業を共同体全体で支える仕組みを理想とし、封建的な支配体制を基盤にしていました。 
  • 理念的性格: 実際には広範囲で実施されたかは不明ですが、儒教思想における理想の社会像として語られることが多いです。
   この井田制は後に日本の口分田というシステムのモデルケースとなりました。

   日本の口分田 
時代・背景: 日本の律令制度(7~10世紀頃)の下で、班田収授法に基づき実施された土地分配制度。人口に基づき一定の面積を成人男性や女性に分配。土地の面積は性別や身分で異なりました。 所有権: 土地は公地公民の原則により国家が所有し、農民は耕作権を与えられました。一定期間ごとに再分配されました。 労働力を確保しつつ、税収を安定させるため。稲作を基盤とした律令国家体制の維持が目的。この制度の歴史的役割
  • 中央集権: 国家が土地を一元的に管理することで、中央集権的な律令制を維持しました。
  • 人口管理: 戸籍制度と連動しており、農民の労働力や租税を確保する仕組みでした。

漢字「農」の変遷の史観

「農」の長い歴史の中で、漢字も様々な変遷を受けており、文字の変遷をたどることにより、農業そのものの歴史に触れることができます。

  • 甲骨文字
甲骨文の「農」の上部は畑の穀物を表す草木の形、下部は石象嵌の線画である「辰」である。
 この下部の「辰」の字は、貝の形象説: 最も一般的な説として、二枚貝が殻から足を伸ばしている様子を表しているという説があります。特に、蜃(しん)と呼ばれる大きな二枚貝がモデルになったと考えられています。草を刈る農具「耨(どう)」の形状が「辰」の字の起源になったとする説もあり、逆に太古の昔大きな二枚貝が刈り取りや農具として使われていたという説などあります。
農具を表す「辰」の上部に「田」が使われ、
耕作地であることが明示去れている。
  • 金文成立ち(由来)
    「農」は、古代中国で農業に関わる概念を表す文字として生まれました。その字形の変遷をたどると、甲骨文には見られず、金文から確認されるようになります。
    「農」の字は、もともと「𥥍(農の古形)」として存在し、さらにその元をたどると「辰」と「田」から成ると考えられています。
    「辰」:本来、農具(すきやくわ)の形を表す象形文字で、耕作や農業と関係が深い。
    「田」:穀物の成長や畑を象徴する部分とされる。
    この二つの要素が組み合わさり、「農」は「農作業をする」「耕す」といった意味を持つようになりました。

    金文における字形 金文における「農」の字形は、比較的初期のものでは「辰」を中心とし、それに「曲」に類する部分が加わった形でした。金文では筆画が曲線的で、甲骨文のような直線的な字形とは異なり、より整った形状になっています。 金文の中でも時代によって字形に若干の変化があり、次第に後の篆書(小篆)へとつながる形に発展しました。
    その後の変遷
    金文の「農」は、戦国時代の篆書(小篆)に受け継がれ、秦の時代に李斯らによって統一された公式の字体として整えられました。さらに、隷書・楷書と変化する中で、現在の「農」の形になっていきました。

    小篆の上部には文字「囟」文字が使われて、
    柔らかな土を耕すという考えが織り込まれた
  • 小篆
    「囟」が「農」の原字に用いられた理由については、明確な定説は確立されていません。しかし、いくつかの説が提唱されており、それらを総合的に考察することで、その理由の一端を理解することができます。
    頭頂部の柔らかさと耕作の関連性:
    「囟」は頭頂部の柔らかい部分を表し、「農」は土地を耕すことを意味します。
    古代の人々は、土地を耕す行為を、頭頂部を柔らかくして新しいものを生み出す行為と重ねて捉えていた可能性があります。
    このように、生命の誕生と農作物の成長を結びつけ、「囟」が「農」の原字に用いられたという説が有力です。



まとめ

 人類が地上に現れて以降、食料を安定的に確保する営みは営々と続けられてきた。中でも農業はその中心部分を占めてきた。漢字「農」の発展はそれを如実に示している。「農」とたった一字に込められた長い歴史の足跡は見事である。

  


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