2018年10月3日水曜日

漢字「杏」の起源:今ブレイク中の女優は「杏」さん。杏はアンズの杏。生命力溢れた植物


漢字「杏」の起源と由来

引用:「汉字密码」(P158、唐汉著,学林出版社)

「杏」の字の成り立ち」
 杏の原本は象形字である。甲骨文字の「杏」の字は杏の核から芽が萌芽した形をしている。杏は生命力のある果樹で杏子の棋盤に埋め込んでも発芽し枝を出すという。又土地がどんなに貧弱でも、山の谷あいのいたるところで杏の木はあり、砂漠でも杏の木はあるのは生命力の強い証拠だ。「杏子」の字の下部は断裂があり、木と口とに変化している。楷書ではこの関係からこの字になった。


古人は「杏」を如何に考えたか
 杏は中国原産の植物である。昔から香りのいい食物として珍重され、また咳止めの漢方薬としても重宝されていた。
 ある人は杏の発音から、その芳香が人を気持ちよくさせるものと認識している。この種の話はある道理も持っている。
杏仁(果実とその種)は香りがよく、杏仁の中の白色の部分を取り出し粉末にして杏仁粉とする。もし水と糖を加えると杏仁乳が製造され、清涼飲料になる。我々は杏仁豆腐として馴染みがある。但し杏の発音は古音ではHengと読み"亨、行と同じ音である。

「杏」にまつわるちょっといい話
 杏に関していえば、いい話がある。三国時代の名医呉董奉という人は、廬山に住んでいたが、人の病気を治しても金は取らなかった。しかし、病気が重いものは杏5株、軽いものは杏1株を植えさせ、それを治療費とした。数年後杏は10万株にもなり、董仙を称して杏林といった。なくなって以後杏林は医療を讃える言葉となった。このほか、学術界のことを、杏壇と人々はいうが、これは孔子がかつて、杏壇(現在の山東省曲阜)で教えていたからである。



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2018年10月1日月曜日

「姻」の起源と成り立ち:父権制の確立後に生まれた文字、新婦の寝る場所を示す


漢字「姻」の起源と由来

引用:「汉字密码」(P505、唐汉著,学林出版社)

「姻」の字の成り立ち」
「姻」は会意文字であり、形声文字でもある。小篆の字形の左辺は「女」の字で、右辺の「因」は甲骨文字の原本は筵の上で寝ることを表示している。拠り所のあるという意味である。父権制の確立後、中国の婚姻風俗は一般には皆女子は男の家即ち新郎の家に出かける。それゆえ新婦の拠り所となる場所となる。また直視的な解釈で新婦が寝る場所という意味である。  いわゆる姻は女と因の組み合わせである。その中で因は又表音を表わす。姻は婚と同じく会意と形声文字である。

古人は婚姻を如何に考えたか
 「姻」は説文では「姻、婚家なり」と解釈され、それゆえ拡張され、姻親と関係する。《尔雅•释亲》の説くごとく、「婚これ父曰く、婦の父を婚となす。このことは「親家の間、女性の父親を婚と呼び、男の父親を姻と呼ぶ。


現代の日本の法律上の「親族」「姻族」の定義
親族の定義
 一般的には,親族というと,親戚の方全般を指すものとして使われています。  法律上の「親族」は,すべての親戚を指すわけではない。すなわち,法律上の親族とは,6親等内の血族・配偶者・3親等内の姻族のことを指します。
姻族の定義
 姻族(いんぞく)とは,一方の配偶者と,他方の配偶者の血族との間の関係のことをいいます。例えば,妻と夫の父母などは姻族となる。  姻族関係は,あくまで配偶者双方の問題です。したがって,配偶者以外の者同士が姻族関係になるというわけではないことを知っておいても損はない。   


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華:民族主義の原点、中華の「華」の語源と由来


漢字「華」の起源と由来
 「華」と「花」は同じではない。花」、「華」は機能が分かれ、「華」は多くは抽象的意味を受け持ち、中華民族の仮借を指している。一方、開花の華は即ち「花」と書く。

 一方現在、中国では小学校では、「華夏」という言葉の意味について教育が徹底されているという。この華夏というのは、「中華」の華であり、夏商周の三代の最古の王朝「夏」のことである。中国の子供たちには自分たちが世界最古の文明を維持して持つ、中華民族であり、これまた最古の王朝である夏王朝の末裔であることが徹底されているという。 実際の中身が分からないが、民族教育としても、「社会主義を目指す国」の民族教育としては、もう少し、現代的な、世界の中の中華民族ということに重きを置くべきと考えるが・・。


 さて、今回この「華」という字に焦点を当てる。この「華夏」ということについては、NHKが今年の10月18日の総合テレビで、中井貴一さんがレポート役とした、番組を組んでいた。中国では「二里頭村」というところで、「夏王朝」の宮殿が発掘され、今まで伝説上の話として伝えられていたものが、実在したことが確実になったと伝えている。

引用 「汉字密码」(P136, 唐汉,学林出版社)


 「華」は植物の有性繁殖器官であり、古代には華と書いていた。
华は「華」の簡体字である。図に示すが如く、甲骨文字の「華」の字は、まるで木の上の花が咲き誇っている様子である。華は象形文字である。金文と小篆は大きく変化しているが、その趣旨は変わっていない。上は花や葉が茂っている状態で、下は茎や幹枝が伸びているようである。
 古代、木の上の開いた華を称して「華」となし、地上の植物の花が開くことを「栄」とした。


 先に華があり、後で花が出来た。花はいつごろ出来たのだろうか。南北朝以前の書の中には見られないが、晋代の詩の中に、「一岁再三花」の句が見られ、花の字は晋朝に出現したと云われている。 「花」という字の出現后も、多くの成語の中に華の字を用いる習慣が残った。



 「花」、「華」は機能が分かれ、「華」は多くは抽象的意味を受け持ち、華彩、華麗の様に使われている、又
「華夏、華裔」など、中華民族の仮借を指している。一方、開花の華は即ち「花」と書く。
 花の字は草かんむりと化けると書く。これは会意形声字である。化けの字は甲骨文字中では一人が正立、一人は倒立した二人の人間を表現し、人の生と死の変化を示す。花は開いて落ちる、盛んなること敗れることがある。 花は化けるの音符を用い音と意味を表す。
 
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2018年9月29日土曜日

漢字「不」の起源と成り立ち:花のガクの象形という見方と月経を表現したという見方・・いずれが正しい??


漢字「不」の起源と由来

引用:「汉字密码」(P489、唐汉著,学林出版社)

「不」の字の成り立ち」
 甲骨文字の中で「不」の字の、上部は逆三角形で、まるで女性の陰卓の形状である。このことから女性の生殖器を表わすようになった。実際上、世界の多くの民族は両性の符号を陰卓部位の陰毛の形状で表わしている。 たとえばインド教では。等辺三角形は性の表示を示し、上向きにとがったものは男性、即ち男陰部、下向きに尖っているのは女性、即ち女陰部を示す。
 このことから「不」の上部の▽は女陰の象形のデッサンである。下部の縦線の流れのような線は女性の月経を表している。だから「不」の本義は女性の月経であり、この短い一時期は性交を拒絶することを示している。


なぜこのような解釈が可能になったのか
 原始社会の末期、上古先民は既に月経期の性交が不衛生であることを認識していた。さらに鮮血の忌み嫌う文化により、心理的に定着し、月経時期の性交は絶対禁止と見られるようになった。「不」は女性の拒絶を表示し、女性が嫌だといえることを表示し、この権利の拡張である。以来「不」は一般的に否定の意味に用いられるようになった。

現代の「不」の用例
 [不刊之论、不可救药、不一而足]の成語中不の字は全て否定の意味である。不の字を動詞の前面に用いた時、ある種の願望的否定で、たとえば「我不子、我不去」等。

白川博士の解釈
 「不」はもとは象形で、花のガクの形であるが、この字が本義で用いられることはない。しかし、現実は仮借である、否定の意味に用いられていると説いている。

後書き
 「不」の字を見て、花のガクと見るか、女性の陰部と見るかにより、その後の展開は当然大きく異なる。
唐漢氏の解釈は、これは本当かなと思う台詞である。あまりにもうがった見方ではないだろうかと思ってしまう部分はある。少し露骨過ぎて品がないように思う。学問の世界に品などというものを持ち込むことは許されないかもしれないがこの部分は少し腰が引けるところでもある。翻って見ると、古今東西、逆三角形は、器とみなされ、女性の象徴のように捉えられ、逆に三角形は男性の象徴のように見られてきたのは事実である。


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2018年9月28日金曜日

漢字「也」の起源と成り立ち:太古の生殖崇拝の現れ


漢字「也」の起源と由来

引用:「汉字密码」(P493 、唐汉著,学林出版社)

「也」の字の成り立ち」

「也」説文では、「也は女陰なり、象形文字」と解釈している。秦刻石の”也”の字である。これがいうには、女性の生殖器の象形であるとし、小篆で




と書く。昔からいろいろの解釈があり、反対者もはなはだ多かった。


甲骨文字では育の字は左のように描く。嬰児の出生の一般的状況下で頭が先に出てくる。このため倒置すると、女陰を示す甲骨文字の也という字から嬰児が出てくる模様を完全に表現したものと考えられる。

也の本義は既に消失しているが、今日では多く使われ、漢語の虚詞を作る。
 又漢語の多くの構成要件にもなっている。「地」が生殖の土とで、地は土と也からなる。池は水中で万物が繁殖するところで、水と也からなる。
 也の仮借は虚詞も作り、主要には判断の語気の言葉に用いられる。也の字は又副詞にも用いられる。

 これに対し白川静博士は、説文にあげるのは秦漢の時の字形で、也の初形ではないとしており、也の匜という水器の形だと主張する。


古人は如何に考えたか
 古人にとっては、子孫の反映のため、今以上にセックスは重要なことであった。そのため生殖崇拝が広く信仰され、世界のいたるところで、男根、女真を奉ることが行われていた。今でこそ、ある意味卑猥なこととして見られているが、古人にとってはそれは切実なことだったと考えられる。
 そのことからしても、漢字の中にこういったシンボルが使われていたと考えるのは、ごく自然のことだと判断される。


漢字源の解説
 漢字源では、「也」は平らに伸びたサソリを描いたものという。ここでサソリが出てこようとは思わなかった。
 

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2018年9月26日水曜日

漢字「妥」の起源と成立ち:手と女からなり、慰撫するという意味から発展し、安定を表わす。今日では適当という意味に使うことが多い


漢字「妥」の由来
 手と女からなり、慰撫するという意味から発展し、安定を表わす。漢字の成り立ちからいうと、男尊女卑の概念を色濃く残した漢字です。女の頭をナデナデすることを表現している。しかし、最近では、女の頭を撫ぜてうまくいくことは殆どない。むしろ、男の頭を撫ぜて、その後ろに控える奥さんに納得してもらうことで旨くいくようなことが多いようである。

引用:「汉字密码」(P502、唐汉著,学林出版社)
「妥」の字の成り立ち」
「妥」は会意文字である。甲骨文字の「妥」の字の左辺は手(爪)で右辺は背筋を伸ばして膝まづいている女の人の形である。金文形体は基本的に甲骨文字と同じである。小篆の妥は手が女の人の頭の上に置かれている。
 これは構造が合理的であるばかりではなく、さらに文字の表意・・意味するところを顕示するものとなっている――手を用いて女性を慰めたり抑えたりすることを示している。それは安定を表わしている。
  「妥」の字の構造は女子を安撫させ、それを安定させる。妥の字は安定する。このため妥の字は安穏・安定の常用を示す。稳妥、妥帖(穏当であるや妥当)であるのごとく、「妥」は制限する、抑えつけるの意味がある。
 解釈としては、「字統」(白川静著、平凡社)にもほぼ同様の解釈をしている。

古人は「妥」を如何に用いたか
 杜甫の《故司徒李光粥》 にあるように「兵を抑え、河やぬかるみを抑えて、千里が始めて穏当になる。ここの妥帖は武力が安定するの意味である。また拡張され、適当、適合を指し、人々が常に口にするように、「不妥」(不適当である)もまた適切でないという意味である。「妥善、妥为安排、欠妥」の中の「妥」の字は全て、適当、適合の意味である。

 話し合いで対立していた双方が、適当なところで折り合いを付けることを妥協、妥結といい、適当であることを妥当という。  

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2018年8月22日水曜日

漢字「女」の起源と成立ち:当時の社会の変化が漢字にしっかりと刻まれていた


漢字「女」の起源と由来
「男」と「女」の永遠のテーマ。漢字が生まれたのは生理学的な違いではなく、その社会的な在り方がそのまま表現されたもの。漢字学は考古学でもある。現代社会からだけ、漢字の成り立ちを決め付けてはいけない。

引用:「汉字密码」(P467、唐汉著,学林出版社)
「女」の字の成り立ち」
女という字はそのままの象形文字である。甲骨文字の女の字は左を向いて膝を折って跪き、状態をまっすぐ立ってて、上部の女性の胸をわざわざ描いて、女性のバスト、ウエスト、ヒップが余すところなく特徴的に表現されている。




古代人はなぜ女という字をこのように作ったのだろうか。
 実際上、この種の姿勢は本来古代人が服を着て、家にいる形である。華夏民族は早くから服を着ていたかあるいは体の前に布をぶら下げていた。後になって前後の布になり、そして更に変化して全部布で覆った衣服になった。殷商の時代に至って、大多数の民衆は、日常は裸足で脚は短いスカートで包んで、中は今の人のようにいわゆるパンツはつけず、何もはかない。明らかにこのような服装をして、唯一つの草の寝床以外は何もない居室で、ただ跪く姿は、陰部を隠すのがやっとであろう。跪くのは小休止するのには非常に便利である。女という字にこの跪く姿勢をとったのは、これが上古の生活の真実の姿であったろう。


ただここで、女はなぜ家で跪かなければならなかったか?
 跪くというのはやはり、隷属的なふるまいである。男は「田」+「男性器を示す力」で、併せて農耕を表している。ここで、字の上でも男と女の社会的地位が明確に示され、女は家で家事を分担し、男は農耕など生産の主要な部分を担うことになっている。


甲骨文字から小篆への文字の変化
 金文の字の女では基本部分は甲骨文字と同じであるが、ただ女の頭の上部分に一本の横線が増えている。実際には簪を飾りにいくらかの装飾品がつき、女の子の年頃の実際の姿を示したものだ。小篆は金文を引き継ぎ、しかし形象は次第になくなり、更に隷書化の過程で書くための便利さへの要求がいっそう高まり、形を変え楷書の時代になって現代の女という字になった。 


生産関係と文字の史的唯物論
 夏や殷などの強大な国家の出現により、生産関係は明確に変化し、人々の暮らしに大きな変化をもたらした。即ち、女は家事を分担し、跪くようになり、性的な部分が強調されるようになり、やがては髪飾りなどを身に付け、男の注意をひきつけるため、可愛さを強調する文化(存在)に自らを落とし込むようになってきた。そしてその関係は4000年続いてきて、今や大きく変化しようとしている。つまり男と女の性的な区別がさほど必要なくなってきた今日の在り方は文化にどのように変化を刻んでいくことになるのだろうか?

 私は現代社会はそのような大きな変遷の時代に突入しているように思われる。



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