2012年3月26日月曜日

「酒」よもやま話と漢字「酒」の起源と由来

 ここでは、少し趣向を変えて「「酒」のよもやま話と漢字「酒」の起源と由来」について触れたいと思うので、酒で一献傾けるつもりでお付き合い願えたら幸いです。

中国の酒
 中国の酒は地域ごとに製造機法と独特の味,香りを持っていてその種類と名前が多様で、約5,000種以上に上ると云われている。 中国酒は製造方法により大きく分けて白酒,薬味酒,黄酒に分類される。

白酒
 白酒は一般蒸留式透明な色の酒でよく白干だと呼ぶ。酒の主原料は高粱であり、とうもろこし、小麦、エンドウなども原料で使われる。 蒸留式技法で製造される白酒のアルコール度数は38-60%間で、透明な色を持っている。 代表的な酒としては古井貢酒,五粮液,茅台酒,孔宝家酒などがある。一般的に香りがきつく最初は腰が引けてしまうが、慣れるとこの「くせ」に嵌ってしまう。

 薬味酒は白酒に色々な漢方薬などを添加して、糖分を含む酒で製品の類型はリキュール酒に属する。 代表的な酒としては五加皮酒、竹葉青酒などがある。 


黄酒
 黄酒は米を原料とした醸造酒で、揚子江南部が主要生産地で紹興酒が有名である。この為中国南部では紹興酒が好まれ、北部では白酒が多く呑まれているようだが、最近では、ビールの需要が大きくなってきている。

ビール

 ビールは青島ビールが有名だが、ハルピンビール等地産のビールが結構販路を伸ばしている。近年は宴会では白酒が結構呑まれるが、日常生活ではビールがシェアが伝統的な酒より需要は大きくなていると思う。

 私も元来酒が嫌いな方ではなかったので、中国ではいろいろの酒を飲んだ。押し並べての感想は、

中国の酒の特徴

  1. 中国酒は一般的に製造過程に独特の香りを持っている。
  2. また、どの酒もそこそこの品質を保っているように思える。つまり中国人は酒であまり嘘をつかないのでは?(酒の上でという意味ではなく)酒そのものは真面目に取り扱っているように思えるという意味だ。
  3. 千差万別とは思うが、そこそこの酒を安く飲めるということだ。びっくりしたのは天津の地酒(白酒)を500cc2元で替えたということものあった。日本円で30円である。

漢字の「酒」
さて漢字の「酒」について立ち返って見よう。

    
「酒」これは会意文字であり、形声文字でもある。甲骨の字の酒の字は「酉」の字である。即ち酒瓶の象形文字である。両側の曲線は酒が溢れ出している様を表し、また酒の香りが四散しているとも理解できる。金文の酒の字は水の字を用いて、酒が大きな酒瓶に入った液体であることを強調している。

   小篆の酒は左側に水の字を加え、液体であることが強調されている。右辺の「酉」は盛器を表示している。楷書は小篆を引き継いでいる。


酒の文化の浸透
 酒を飲むこと及び酒文化が盛んになると強く人の精神を恍惚とせしめようになる。上古先民の意識の中では、酒は人々の虚ろで幻想の世界に入るのを助け、一種の人と神の関係を橋渡しする霊的なものを備えていると考えるようになった。その為に祝い事、神霊の祭祀から兵士の出征等すべてに酒を離れることが出来なくなった。酒ある方に祭りあり、酒ある方に宴ありの状態に達するまでに至った。

 しかし上古の時代には先民たちは未だ酒を十分飲むことはなく、酒は医療や病気に用いていた。これは□(医の旧字)の字には酉がつく理由である。
  殷商時期、酒は人々が大変好んだもので、祖先祭祀、出征の時、愛を交歓する全て時に時酒から離れることはできなかった。アルコールは殷商民族のプライドを実際以上に誇大にしたため(一種のアルコール中毒)、征伐は頻頻で残酷であった。アルコール中毒の為出産率が低下た。「醜聞天にも聞こえた為天は降りて来て殷を滅ぼし周に取って代わった」と言い伝えられている。つまり殷は酒で滅んだということだろうか。殷の紂王の淫乱から生まれた諺(成語)に「酒池肉林」がある。
酒にかかわる故事・成語がより詳しく展開されています



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2012年3月21日水曜日

漢字の成り立ちと生い立ち


  漢字は象形文字の代表のように云われてきた。しかし古代文字の中でも漢字の中でいわゆる象形といえるものはわずかに10%に過ぎないと云われている。それ以外の90%のものは会意文字といわれるものであったり、形声文字と言われるものであったりする。いずれにせよ体系だった象形文字が突如としてこの世の中に出現したなどとは考えがたく、その原型のようなものがあったはずと考えられている。
  象形文字として動物の骨や亀の甲に刻みこまれた甲骨文字の中でも最も基本的なものは300文字とのことであり、その300文字が組み合わされたりして出来た文字は精々1500文字程度である。
 さらに時代を下って、青銅器などに刻印されたり碑文として残された金文文字の種類は3700種になった。この金文文字は基本的に青銅器などに鋳込められる文字であった為に、甲骨文字に比べ線は太く、いくらか角ばっていた。
 さらに秦の時代になると国家統一の事業の為いろいろのものが統一された。その中には度量衡や貨幣等は勿論のこと、戦国時代に群雄割拠し各地でいろいろな金文文字や亜流が使われていたものがこの時代には強制的に小篆と云う文字体系に取って代わられた。そして漢の時代には使われた小篆文字は8700字になったとのことである。
 更に秦、漢王朝の中の宮廷において、膨大な文書管理を任されていた奴隷の小官吏が編み出した小篆より便利な書体である隷書が生まれ、やがて広く使われるようになった。そこから更に早く筆記する必要から、草書が生まれやがて楷書が作られ今日に繋がっていく。
  そして今までに歴史的に出現したことのある漢字の総数は8万以上に上るといわれている。

  
  そしてこれらの文字はその時々の社会や風俗、習慣、思想を表したものであり、文字を研究することは、その時々の歴史の研究そのものである。
  これらの文字の研究は遥か昔から今日まで無数の学者や歴史家、好事家などによってなされている。中国では、紀元58年から147年まで生きたとされる許慎が漢字研究を行い一応それまでの漢字学を集大成している。しかしその当時はまだ甲骨文字は発見されておらず、時代的制約から多くの誤りを含んでいたが、しかしながらその功績は消すことは出来ないほど偉大なものであろう。
  また漢字は累々と3千数百年もの間、生き続け今なお使い続けられていることは世界でも例を見ないことである。なぜこのように永らえることが出来たのか、その生命力の神秘は驚嘆に値する。私は漢字の生命力もさることながら、それを支えた民族の生命力にも驚嘆を感じざるを得ない。
  ここでは唐漢という方の本をベースにしているが、日本の白川博士や藤堂博士の考え方、方法論と趣をことにする部分があり、それはそれで面白いのかもしれない。というか今の段階で二人の大学者にどうのこうのという論評はおこがましいので、ただ承ることとしたい。


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