漢字「邑」の成り立ちから、古代の都市の(村・集落)の在り方が見えてくる
人々は、古代にはどのようにして生活していただろう。漢字「邑」には古代の集落から、都市へ発展していった過程が埋め込まれている。
甲骨文字や金文の邑は、□+(人の膝まづいた一人の人間を表している形象)の会意であり、土豪や塀で囲まれた人が起居している様が表されている。
それが小篆の時代つまり、戦国時代の末期になると人々が複数起居する記号に変化している。量的な発展が文字の中に明示的に表れていると同時に、そもそも人々は何らかの防護柵に囲まれた集落を形成していたことが、文字には最初から明示されている。このことは考古学上の極めて重要な記録であると考えている。
古代の都市の人口は、色々の学者が統計的に推論を試みている。そこから極めて大雑把な推論であるが、紀元前の大都市の人口は最大でも高々100000ぐらいであったろうと推察されている。
「邑」の漢字データ
引用:「汉字密码」(Page、唐汉著,学林出版社)
人々は、古代にはどのようにして生活していただろう。漢字「邑」には古代の集落から、都市へ発展していった過程が埋め込まれている。
甲骨文字や金文の邑は、□+(人の膝まづいた一人の人間を表している形象)の会意であり、土豪や塀で囲まれた人が起居している様が表されている。
それが小篆の時代つまり、戦国時代の末期になると人々が複数起居する記号に変化している。量的な発展が文字の中に明示的に表れていると同時に、そもそも人々は何らかの防護柵に囲まれた集落を形成していたことが、文字には最初から明示されている。このことは考古学上の極めて重要な記録であると考えている。
古代の都市の人口は、色々の学者が統計的に推論を試みている。そこから極めて大雑把な推論であるが、紀元前の大都市の人口は最大でも高々100000ぐらいであったろうと推察されている。
Wikipediaによれば、 河南省舞陽県に位置する裴李崗文化の紀元前4000年の遺跡から推察される人口は。300であるとされている。なおこの遺跡からは、賈湖契刻文字と呼ばれる文字が見つかっている。
漢字「邑」の楷書で、常用漢字です。《史记·五帝本纪》の中に、集落の発展過程を人々が集まり始めて1年で「聚」ができ、二年ともなると「邑」となり、三年ともなると「都」となると書かれている。この1年、2年という時間の長さはいざ知らず、集落のできる過程を表現したものとして面白い。集落から、邑を作りさらに、都といわれる規模の都市に発展し、それが「国」といわれる国家機構を持つ段階に至るまでには、実際に長い期間を要している。 実際の人口を推し測るのはそう簡単なことではない。例えば、広島大学 助教 加藤徹によれば、集住時代の中國の総人口は500万~1000万ぐらいだったろう。そして、戦国時代には戦車や兵士の数から全中国の人口は2000万人ぐらいだったと推察している。いずれにせよ、これらの数字は極めてアバウトな数値で、都市の人口のようなミクロな数値はとても出しようもない。 「中国の人口の歴史 --人口推定の方法、人口崩壊のサイクル、など」 広島大学総合科学部助教授 加藤徹著」 | |
邑・楷書 |
「邑」・甲骨文字 上部の四角は、土壙や壁を表す。村落の防護のための施設 |
「邑」・金文 基本的に甲骨文を継承している |
「邑」・小篆 金文を継承しているが、下部の人間の形は文字の記号化の過程を経て変化した。、 |
「邑」の漢字データ
漢字の読み
意味
漢字「邑」を持つ熟語 城邑
- 音読み ユウ、オウ
- 訓読み むら、くに
意味
- 村、里
- 国、邦
- みやこ
- 知行所(諸侯・大夫の領地、皇太子・皇后・公主の領地)
漢字「邑」を持つ熟語 城邑
引用:「汉字密码」(Page、唐汉著,学林出版社)
唐漢氏の解釈
甲骨文や金文の上部即ち周囲の壁、土溝あるいは柵の四角形のものを指す。下部は左に面して膝まづいた一人の人間を表している。 字形を会意方式で整える、上古先民の集まり住んでいるところを表している。今ではいわゆる周りを塀でめぐらした村落や城街を表しいている。小篆で「邑」の字はまさに下部の人間が変化し、楷書では邑と書くようになった。
甲骨文や金文の上部即ち周囲の壁、土溝あるいは柵の四角形のものを指す。下部は左に面して膝まづいた一人の人間を表している。 字形を会意方式で整える、上古先民の集まり住んでいるところを表している。今ではいわゆる周りを塀でめぐらした村落や城街を表しいている。小篆で「邑」の字はまさに下部の人間が変化し、楷書では邑と書くようになった。
漢字「邑」の字統の解釈
□と巴に従う。□は都邑の外郭、城壁を巡らせている形。巴はセツが本形で、人の起居する様。城中に多くの人のあることを示し、城邑、都邑をいう。説文に「国也。口に従う。先王の制、尊卑大小あり、セツに従う」という。
□と巴に従う。□は都邑の外郭、城壁を巡らせている形。巴はセツが本形で、人の起居する様。城中に多くの人のあることを示し、城邑、都邑をいう。説文に「国也。口に従う。先王の制、尊卑大小あり、セツに従う」という。
まとめ
漢字は今から3500年前に生まれてから今日まで、発展し続けてきた。この文字の中に人間の生活や生き様がかくも見事に埋め込まれている。漢字を見るたびに、常にある種の感動を覚えている。
漢字は今から3500年前に生まれてから今日まで、発展し続けてきた。この文字の中に人間の生活や生き様がかくも見事に埋め込まれている。漢字を見るたびに、常にある種の感動を覚えている。
「漢字の起源と成り立ち 『甲骨文字の秘密』」のホームページに戻ります。
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