ラベル の投稿を表示しています。 すべての投稿を表示
ラベル の投稿を表示しています。 すべての投稿を表示

2021年6月3日木曜日

漢字「邑」の成り立ちから見えてくるもの:古代の人々の生活のあり方と集落や都市の成り立ちまで見えてくる


漢字「邑」の成り立ちから、古代の都市の(村・集落)の在り方が見えてくる
人々は、古代にはどのようにして生活していただろう。漢字「邑」には古代の集落から、都市へ発展していった過程が埋め込まれている。

甲骨文字や金文の邑は、□+(人の膝まづいた一人の人間を表している形象)の会意であり、土豪や塀で囲まれた人が起居している様が表されている。
 それが小篆の時代つまり、戦国時代の末期になると人々が複数起居する記号に変化している。量的な発展が文字の中に明示的に表れていると同時に、そもそも人々は何らかの防護柵に囲まれた集落を形成していたことが、文字には最初から明示されている。このことは考古学上の極めて重要な記録であると考えている。

 古代の都市の人口は、色々の学者が統計的に推論を試みている。そこから極めて大雑把な推論であるが、紀元前の大都市の人口は最大でも高々100000ぐらいであったろうと推察されている。
Wikipediaによれば、 河南省舞陽県に位置する裴李崗文化の紀元前4000年の遺跡から推察される人口は。300であるとされている。なおこの遺跡からは、賈湖契刻文字と呼ばれる文字が見つかっている。


漢字「邑」の楷書で、常用漢字です。《史记·五帝本纪》の中に、集落の発展過程を人々が集まり始めて1年で「聚」ができ、二年ともなると「邑」となり、三年ともなると「都」となると書かれている。この1年、2年という時間の長さはいざ知らず、集落のできる過程を表現したものとして面白い。集落から、邑を作りさらに、都といわれる規模の都市に発展し、それが「国」といわれる国家機構を持つ段階に至るまでには、実際に長い期間を要している。

 実際の人口を推し測るのはそう簡単なことではない。例えば、広島大学 助教 加藤徹によれば、集住時代の中國の総人口は500万~1000万ぐらいだったろう。そして、戦国時代には戦車や兵士の数から全中国の人口は2000万人ぐらいだったと推察している。いずれにせよ、これらの数字は極めてアバウトな数値で、都市の人口のようなミクロな数値はとても出しようもない。

 「中国の人口の歴史 --人口推定の方法、人口崩壊のサイクル、など」
 広島大学総合科学部助教授 加藤徹著」
邑・楷書


  
「邑」・甲骨文字
上部の四角は、土壙や壁を表す。村落の防護のための施設
「邑」・金文
基本的に甲骨文を継承している
「邑」・小篆
金文を継承しているが、下部の人間の形は文字の記号化の過程を経て変化した。、


    


「邑」の漢字データ
 

漢字の読み
  • 音読み   ユウ、オウ     
  • 訓読み    むら、くに

意味
  • 村、里
  • 国、邦
  • みやこ
  • 知行所(諸侯・大夫の領地、皇太子・皇后・公主の領地)

漢字「邑」を持つ熟語    城邑




引用:「汉字密码」(Page、唐汉著,学林出版社)
唐漢氏の解釈
 甲骨文や金文の上部即ち周囲の壁、土溝あるいは柵の四角形のものを指す。下部は左に面して膝まづいた一人の人間を表している。 字形を会意方式で整える、上古先民の集まり住んでいるところを表している。今ではいわゆる周りを塀でめぐらした村落や城街を表しいている。小篆で「邑」の字はまさに下部の人間が変化し、楷書では邑と書くようになった。

 

漢字「邑」の字統の解釈
 □と巴に従う。□は都邑の外郭、城壁を巡らせている形。巴はセツが本形で、人の起居する様。城中に多くの人のあることを示し、城邑、都邑をいう。説文に「国也。口に従う。先王の制、尊卑大小あり、セツに従う」という。


まとめ
 漢字は今から3500年前に生まれてから今日まで、発展し続けてきた。この文字の中に人間の生活や生き様がかくも見事に埋め込まれている。漢字を見るたびに、常にある種の感動を覚えている。



「漢字の起源と成り立ち 『甲骨文字の秘密』」のホームページに戻ります。

2021年5月14日金曜日

漢字「邦」の成り立の意味するもの:文字の発達には国家の成立までの歴史が明確に刻み込まれている


漢字「邦」の成り立の意味するもの:氏族共同体の村落から、国家の成立までの歴史が明確に刻み込まれている。まるで歴史教科書だ
 漢字「邦」の成り立の意味するもの:文字の発達には国家の成立までの歴史が明確に刻み込まれている

 漢字[邦」の楷書で、常用漢字です。左側は、「丰」で、中国語では、「豊」という意味があります。
もともとは、作物を植えるという意味を持っていました

 右側はオオザト「阝」でもともとは「邑」のことを言い、小国家という意味でもありました。
邦・楷書




 甲骨文では、田に栽培する植物を植えているだけだった

 金文はその周りに「邑」ができた。

 小篆になると苗を植えるという意味に「封じる」という意味が加わったための変化  
「邦」甲骨文字
「邦」・金文
跪いた状態を表している漢字
邦・小篆


    


「邦」の漢字データ
 

漢字の読み
  • 音読み   ホウ
  • 訓読み   くに

意味
  • くに(国)   国家、国土(その国の土地)、 
  • 封ずる    むかしの封建制度での諸侯に土地の管理を任ずる
          諸侯(君主(国を治める人)の権力の範囲内で領域を支配することを許された領地
  • みやこ   皇居のある土地、首都
          人口が多く政治・経済・文化などの中心となる土地)
          城郭(城壁)で囲まれた地域
  • 封をする  出入り口などを閉じてふさぐ、自由な発言・行動ができないようにする
  • 日本の   (例:邦楽、邦画)

熟語   連邦、邦楽、邦人、




引用:「汉字密码」(Page、唐汉著,学林出版社)
唐漢氏の解釈
 「邦」は会意文字です。甲骨文の邦の字はその上は葛蔦の類の植物です。下部は田の字です。商代の先民はぐるっと取り囲んだ囲いを巡らせたカブのような作物を植え、葉、茎などを人と動物の飼育のための食用としました。そういった植物は背が低いので、見通しがきき、部族の領地内の境界を明確にして、領地をはっきりさせました。
 金文の「邦」の字は比較的大きな変化があります。左の植物の栽培を示すとともに、右には、「邑」が加わり、城堡の形成と規模の発展を強調しています。小篆の形態と金文は類似しています。楷書から隷書への過程の中で、植物の栽培は「丰」に変化し、右辺の邑もまた変化しています。

 

漢字「邦」の字統の解釈
 形声:「丰」声。説文に「国」なりとし、前条の邑にも「国」なりとあって同訓。金文の字形は、丰の部分を「土+主」(土地神)と若木の形に作り、封樹の意味を表す。「周礼、大宰」に「大成るを邦といい、小なるを国という」とするが、邦は封建、国は城邑。邦は領土をいい、国は国都をいう。


まとめ
 漢字「邦」の甲骨から楷書に至る文字の変遷は、村から国家への変遷過程を表している。これほどまでに歴史を明示的に体現した文字は他に例を見ない。



「漢字の起源と成り立ち 『甲骨文字の秘密』」のホームページに戻ります。