2025年1月19日日曜日

2025年は何かが起こりそうな 巳年!! 『巳』という漢字の成立ちの秘密:歴史、意味、そして現代への影響


『巳』という漢字の成立ちの秘密:歴史、意味、そして現代への影響

漢字『巳』の意味と成り立ちを深掘り!その起源や歴史、現代での使われ方を詳しく解説します。そして、今年は何か起こりそう!!
巷では「2025年問題」が囁かれ「日本が終わる」と、まことしやかに怪しげな予言なるものまで飛び交っています。

波乱の幕開け 偶然か必然か? 近代過去200年間の巳年に起こった世界的大事件

導入

このページから分かること
 漢字「巳」の由来と成り立ち。甲骨文字から小篆に至るまでの漢字「巳」の変遷とその歴史的な意味づけを漢字学者が読み解きます。また「巳」は蛇も意味しますが、古代の人々が、へびを恐れながらも畏怖と崇敬の念を持ち、いろいろな局面で畏敬の対象として心に刻み続けてきたありさまを明らかにします。そして辿り着いた漢字『巳』の教え:人はいつでもやり直せる 
   

前書き

目次




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漢字「巳」の今

漢字「巳」の解体新書




漢字「巳」の楷書で、常用漢字です。
 この漢字には非常に紛らわしい以下のような漢字家族があります。ここでは一番最初の漢字「巳」を取り上げたいと思います。
  •  巳 へび 十二支の第6番目 
  •  已 止める、すでに あとで
  •  己 おのれ、つちのと(天干の第6番)


 
巳・楷書


  
巳・甲骨文字
巳・金文
巳・小篆



 

「巳」の漢字データ


漢字の読み
  • 音読み   シ
  • 訓読み   み

意味
  • 十二支の第6番目
  •  
  •  

同じ部首を持つ漢字     巳、巷、祀、己
漢字「巳」を持つ熟語    巳


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漢字「巳」成立ちと由来

引用:「汉字密码」(Page、唐汉著,学林出版社)

唐漢氏の解釈

 巳これは会意文字です。嬰児がネンネコの中にくるまっている姿のデッサンです。十二支は全体として胎児が卵胞より出て、産道を通って、出産産育の過程を表すが、この「巳」は、将に胎児が胎胞から始まって、産育の第6段階(子丑の順に6番目が巳)にあり、また生育の過程の最終の終結である。金文の「巳」は甲骨文字を受け継ぎ、その手は外に動かした形である。但しこの一つの形と金文中の形が良く似ているので、両者混交され易い。
 「巳」の本義は中に嬰児をくるむお包みである。
 巳干を用いて時を記す時、巳の時は即ち午前9時から11時までを示す。地支の巳は天干の巳の形とよく似ていて、混同しやすい。しかしその形の来歴は巳は嬰児とは同じではない。上部口が閉じていれば、巳は頭を表し、上部の口が閉じていなければ荒縄のとぐろを巻いた状態を表す。
 この説明は非常に分かりにくい。あまり本質をついているように思われない。

 この議論は過去にも何度か繰り返してきた。「来年はの干支は「へび」:漢字「巳」の出生の秘密」



漢字「巳」の字統の解釈

 蛇の形。十二支の第六、「み」に用いる。 〔説文〕に「故に巳を蛇と為す。 象形」とあり、巳を「すでに」と解するが、その字 は已(上部の四角が塞がっていない)、巳とは異なる形である。




漢字「巳」の漢字源の解釈

 象形文字。原字はちょっと体ができかけた胎児を描いたもので、包(胎児を包む様)の中と同じ。種子の胎のでき始める6月。12進法の六番目に当てられてから与えられてから、原義は忘れられた。



漢字「巳」はそもそもどうして創り出されたか

社会的通念などから創生に迫る

 「巳(み)」は十二支の一つで、それを動物に当てはめたのが「蛇(へび)」 です。つまり、両者は同じものを指しています。
 十二支は、古代中国で生まれた時間や方角、暦を表すための記号です。子(ね)・丑(うし)・寅(とら)・卯(う)・辰(たつ)・巳(み)・午(うま)・未(ひつじ)・申(さる)・酉(とり)・戌(いぬ)・亥(い)の12種類があり、それぞれに動物が割り当てられています。

巳(み)と蛇(へび)
 十二支の6番目に当たるのが「巳(み)」です。この「巳」に動物を当てはめたのが「蛇(へび)」です。そのため、「巳年(みどし)」は「蛇年(へびどし)」と同じ意味になります。
 つまり、「巳」は記号名、「蛇」はその記号に割り当てられた動物名ということになります。

 蛇は古来より、豊穣神や水神として信仰の対象とされてきました。脱皮することから「再生」や「生命力」の象徴とされ、また、その生命力から「不老不死」や「無限」の象徴とも考えられています。一方で、蛇の持つ毒などから、恐れられる存在でもありました。このように、「巳(蛇)」は、畏怖と崇敬の両方の感情を持たれる存在だったと言えるでしょう。

なぜ「巳」という漢字が使われるのか?
 「巳」という漢字は、胎児の形から派生したと言われています。そのため、「新しく生まれてくる」「将来・未来がある」「子孫繁栄」などの意味合いを持っています。また、蛇が脱皮を繰り返すことから、「再生」や「変化」の象徴ともされています。

 しかし、干支など実生活に深く係わってくるとなるといくら信仰の域に入った動物であるにせよ、陰気、狡猾、毒などマイナスのイメージを持つ動物をそのままの形で採用するには、差し障りがありすぎるということで、「巳」のように抽象的な神秘性のあるものに「昇華」(変化)させる必要があったのではないかと筆者は考えています。

中国の古代人の信仰の中に生きていた神秘的な生き物「蛇」

  中国における蛇信仰は、単なる動物崇拝にとどまらず、その文化、宗教、社会、そして人々の意識にまで多大な影響を与えてきました。以下に、その具体的な影響について見ていきましょう。

  • 神話と宗教への影響 創世神話: 女媧(ジョカ)のように、蛇の姿を持つ神が天地創造に関わったという神話が存在し、中国人の宇宙観や世界観の形成に大きく貢献しました。 
  • 道教: 道教では、蛇は仙薬や不老不死の象徴とされ、道教の修行や神仙思想に深く結びついています。 
  • 民間信仰: 蛇は、家内安全、財産の神として信仰され、各地に蛇を祀る寺社が存在します。

ここでは、女媧(ジョカ)について掘り下げてみます。

女媧と伏羲
伝説の夫婦神

 女媧は、中国の古代神話に登場する、人類を創造したとされる伝説的な女神(蛇の化身)です。下半身をは蛇で、亀の足を持ち、中国の古代神話において、天地創造と人類の創造という重要な役割を担った女神です。
          • 天地創造と修復: 混沌とした世界を創造し、洪水や天の裂け目といった大災害を修復したとされています。 
          • 人類の創造: 粘土を用いて人間を創造し、人類の祖とされています。
その姿は、人首蛇身(じんしゅじゃしん)、つまり人間の頭と蛇の体を持つ姿で描かれることが多いです。この形象は、大地を創造し、生命を育む蛇の力強さと、人類を創造し、文化を発展させた人間の知性を象徴していると考えられています。生命力、創造性、母性といった人間の根源的な部分を象徴しており、中国文化に深く根付いています。天地創造に関わったとされています。
 ここでいう女媧と「巳」である蛇とは別物ではありますが、確かなのは何れも神格化された人間を超越した存在であるという事でしょう。





まとめ

 「巳」は十二支の一つであり、本来動物の意味はありませんでしたが、後から動物を割り当てる際に「蛇」が選ばれ、関連付けられるようになったということです。
 ヘビは「巳」や「竜」になることによって初めて、天に昇ることができるようになったといえます。また「巳」や「竜」にならなければ、蛇はいつまでも蛇のままで、地上を這いずり回っていたでしょう。
  これは、今このブログを見ていただいている貴方にも全く同じことが言えて、貴方が今のあなたから抜け出て,新しいあなたに生まれ変わることができれば、貴方は新しい世界が待ち受けているだろうという『教え』なのです。
 要は今までの自分ときっぱりと決別し、新しい世界に歩みだすという決意だけが求められるでしょう。
 そんなことは言われなくとも解っているわいといわれるかもしれませんね。そう、これぞ正に究極の『蛇足』かも知れません。

 古代人は蛇の中に神秘性を見出し、自然に対する畏敬の念を蛇を通してみてきたと思います。

 しかし、現代ではこうした自然に対する畏敬の念は忘れ去られ、人間に対して得か損か、益か害か?だけの近視眼的な見方に陥ってしまっているようです。結果として蛇(自然)に対する畏敬の念も忘れられてしまっているのではないでしょうか。

 人間がこの広大な宇宙の中で生きていくためには、古代人の持っていた謙虚さを今一度思い返し、自然と改めて向き合うことが求められます。


2025年は巳年
 ちなみに、2025年は巳年です。巳年は、これまで努力してきたことが実を結び始める年、新たな挑戦や変化に前向きになる年と言われています。


  偶然か必然か 近代過去200年間の巳年に起こった世界的大事件
  • 1813年(文化10年)
    ナポレオン戦争: ライプツィヒの戦い(諸国民の戦い)が起こり、ナポレオンの敗北が決定的に。  
  •  1825年(文政8年)
    デカブリストの乱: ロシア帝国で起こった反乱。
    蒸気機関の進歩: ストックトン・アンド・ダーリントン鉄道が開通し、鉄道時代の幕開け。
    江戸幕府 異国船打払令 
  •  1837年(天保8年)
    ヴィクトリア女王の即位: イギリスでヴィクトリア朝時代が始まる。
    米国経済恐慌: パニック・オブ・1837。
  •  1849年(嘉永2年)
    ゴールドラッシュ: カリフォルニア・ゴールドラッシュが本格化。
    ハンガリー革命: オーストリア帝国に対する独立運動が激化。 
  •  1861年(文久元年)
    南北戦争の開始: アメリカ合衆国で南北戦争が勃発。 
  •  1873年(明治6年)
    世界恐慌: 1873年恐慌が始まり、世界的な経済不況。 
  •  1885年(明治18年)
    ベルリン会議: アフリカ分割に関する合意。
  •  1897年(明治30年)
    第一次シオニスト会議: ユダヤ人の民族復興運動が本格化。
    鉱山業の発展: アラスカでゴールドラッシュ。
  •  1909年(明治42年)
      ナショナリズムの台頭: トルコで青年トルコ人革命。 
  •  1921年(大正10年)
    中国共産党の創立。
    ワシントン会議: 軍縮とアジア太平洋の平和を目指す国際会議。
  •  1933年(昭和8年) 
    ナチス政権の成立: アドルフ・ヒトラーがドイツ首相に就任。
    ニューディール政策: アメリカで経済復興政策が実施。 
  •  1945年(昭和20年)  
    第二次世界大戦終結。
    国際連合の設立: 世界平和のための国際組織が発足。
  •  1957年(昭和32年)
    EUの前身: ヨーロッパ経済共同体(EEC)設立。 
  •  1969年(昭和44年)  
    アポロ11号: 人類初の月面着陸。
  •  1981年(昭和56年)  
    ロナルド・レーガンの暗殺未遂。
  •  1993年(平成5年)
    欧州連合(EU)の誕生。
    オスロ合意: イスラエルとパレスチナの和平交渉が進展。
  •  2005年(平成17年) 
    京都議定書発効: 地球温暖化対策の国際条約。
    ハリケーン・カトリーナ: アメリカ南部で大規模な被害。 
  •  2013年(平成25年) 
    シリア内戦の激化。
  •  2025年(令和7年) 
    トランプ大統領就任 

 特に技術や政治において、大きな転換点が見られる年が多いことがわかります。


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2024年6月18日火曜日

漢字 家の起源と由来:漢字・家の起源は地鎮祭にあり!


漢字「家」の起源と由来 「家」の起源は地鎮祭にあり!

 現在の漢字「家」は、はるか昔、今から約3500年前には、地鎮祭で生贄となった犬を表していた。
 やがて、「犬」は「支」さらに豚へと変化し、現在の「家」は宀+豕から構成される。
 どうして犬から、豚となったのか?

 なぜ犬から豕への変化したのか、変化しなければならなかったのか、ここで明らかになる。

このページは以前にアップした
「漢字「家」:起源と由来 「家」の中になぜ豚がいるのか 太古の昔の生活習俗に基づいていた」
に全面的に手を加えたものです。

導入

このページから分かること
 漢字「家」は宀(ウ冠)に豕(ぶた)と書かれる。なぜ屋根の下に豚と書かれて「家」を表すのか。太古の昔の生活習慣が、3500年の年月を経て今ここに蘇る。

前書き

目次




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漢字「家」の今

漢字「家」の解体新書

 
漢字「家」の楷書で、常用漢字です。
家・楷書



  

 

漢字「家」の変化を明らかにするために、家の甲骨と金文のそれぞれ一款を、例として掲げてみた。甲骨文は家の中に犬がいる字で、これは生贄の犬が屋根のある矢代に埋められている状態を示したものという。

 金文の1款は、家の中に犬がいる状態であるが、この犬は、いわゆる「支える」という意味を示している。このことは、この家の中にいる、屋根の下にいる犬は、人間の生活を何らか「支える」役割を担っているのではないだろうか。そして、生活の発展の中で、「犬」から「豚」の登場になったと考えられる。

  
家・甲骨文字


家・金文


 




「家」の漢字データ

漢字の読み
  • 音読み   カ、ケ
  • 訓読み   いえ、うち

意味
  • 家屋
  •  
  • 家族
  •  
  • グループ

同じ部首を持つ漢字     家、嫁、蒙、
漢字「家」を持つ熟語    家、家族、家庭、一家


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漢字「家」成立ちと由来

引用:「汉字密码」(Page、唐汉著,学林出版社)

「漢字の暗号」の解釈

 雲南省のナシ族に伝わる結婚の習俗の中に、人々は「家の中に雄豚がいる」という謎を解くカギを見出すことができる。

 ナシ族の婚姻の習俗は、母系制社会の部外婚のステージを残している。女の子は成長しても家族の父や母と共に住み彼女は屋根付きの部屋をあてがわれる。
 彼女に一人で住まわせることによって、その他の氏族の男子が夜彼女を訪ねて一緒に過ごすことができる。明け方この男は起き上がって自分の家族の労働をしに帰っていく。飯を食べ休息の後、この男は新しい選択をすることができる。昨晩の女性の所に行って泊まるか、昨晩のとは違う別の女性の所に泊まりに行くかである。当然女性の方も、たとえかの男が彼女の家に幾晩泊まっておろうとも、男子の来訪を受け一緒に過ごすか拒絶するかの権利を持っている。

 家の所有者であるこの女性が妊娠し、その後子供を産んだ場合、子供は「母親は認識しますが、その父親は知らない」。お互いを愛し、彼(または彼女)とお互い愛するとしても、経済的一体になるのは、おじ、おば、おばあちゃん、そしておそらくおばあちゃんの母親、つまり母系家族全体のメンバー全員である。もしこの男の子が、成長したら、他の男性と同じように、自分の実の子供を残して、外族の女性と一夜を過ごすことになるだろう。彼は、たとえどのようなもてなしを受けようと彼をもてなした女性が彼の事実上の母親であっても、経済的な関係は持たないのである。

 この結婚の習慣は、殷王朝末期や殷王朝時代にも長い間存在してきたし、殷の中流階級と下層階級の間で依然として人気があった。西周初期の周公の摂政もこの種の結婚習慣に関係していた。秦の始皇帝が中国を統一した後、この「卑猥な」現象を止めるために、会稽を巡回した際に石に明確な命令発出した。

 この背景には、中国社会に極めて重要な変化が起こっていたと考えられる。すなわち、それまで連綿と続いてきた母系制社会が崩壊し、父系制社会に大変換を遂げていたことである。すなわち農耕が発達し、人口が急増し、より多くの生産の担い手を必要としていた。結果として、それまで機能していた、母系制に根差した氏姓制度が崩壊し、より中央集権的な社会システムに変貌していたことである。


漢字「家」の字統の解釈

 古くは 犬牲に従う字で、家の奠基のために犬を犠牲とした。卜文•金 文の字形は明らかに 犬牲に従っている。

 説文に「居なり。」に從ひ、豭の省聲」という。この省声説は、家を形声の字とするために、強いて声の近い字を求めたものにすぎない。「按ずるに、 この字は一大疑案たり」というが、ト文・金文はも とより、〔魏石経」の字も犬の形に従うており、「犬牲を埋めて奠基とする建物」の意である。その構造は、同じく犬牲を用いる冢 (塚)や墜(地)と似まっ ている。いずれも神霊を祀るところで、家もト辞に 「上甲の家」とあるように、先王の祀所を家というのが古義であった。屋は殯のための板屋、室は太室・玄室で、みな祀所をいう字である。のち家屋という。 家族・家系·家格・家名など、氏族の単位を家をもっていう。

 甲骨文字の成り立ちと文字の形成は白川博士の説の通りであろう。しかし、その後の文字の発展は、唐汉が説く過程も見逃せない。文字はその壮大な経済的背景を吸収し、ある意味緩やかに変貌を遂げてきたのである。したがって、犬牲の余韻は薄れ、いつの間にか実態を反映した「家」という字に代わってしまっている。


漢字「家」の変遷の史観

文字学上の解釈

 犬の墓から家になぜ変化した?
 白川博士によれば、家という文字は、当初は「家」ではなく、「犬牲を埋めたいわば墓」だとしている。
 しかし、「後に 家族・家系·家格・家名など、氏族の単位を家をもっていう。」に変化している。この変化はなぜ起きたのだろうか。自然発生的に起きたのではなく、歴史的必然性をもって起こるべくして起きたと考える。

古代人は犬をどう表現していたか?
 羊や牛のように体の一部を描くのではなく、全身を使って直立させて描いている。
 このように全身の特徴をとらえて描くことにより、より正確に生贄となった犬を描写することができたのであろうと考える。



犬の墓から「家」への変化はなぜ起きた?
 古代人たちは建物を建てる時に今日でも我々が行っていると同様の儀式である「地鎮祭」を行っていたのではないだろうか。そして神に「犬」を生贄としてささげ、その建物の安全を祈願して祈りをささげていたであろう。
 そして権力者の為だけに行われていた「地鎮祭」が、一般大衆の間にも普及し、地鎮祭のための犬の墳墓が、いつの間にか家そのものに取って代わられたのではないだろうか。

 長い年月を経て、地鎮祭は形骸化すると同時に、家父長制の実施に伴う生活様式の変化が、犬の代わりに豕というより経済的変化を反映させた「家」という文字を作り出したと考える。

まとめ

 家という文字が甲骨文字から小篆へと変化する過程を見てきた。そこに当初行われてきた呪術的風習から、実際の生活様式を反映させた文字へと変化する過程を目の当たりにすることができた。こうして文字を丁寧にたどることによって、数千年前までさかのぼった歴史的変化を垣間見ることができるようになる。今後もこの探求は続けられ行くだろう。

  


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