2023年8月12日土曜日

漢字 学の成立ち:「宀+ 攴+手」からなる。漢字・学から先人たちの知恵を学ぶ


漢字の成り立の意味するもの:漢字 学は「宀と爻、子、臼」からなる。千木(チギ)のある建屋の若者(子)の教育の場を表す


漢字の成り立の意味するもの:漢字「学」は「宀と爻、子、臼」からなる。千木(チギ)のある建屋の若者(子)の教育の場を表す




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漢字「学」の今

漢字「学」の楷書で、常用漢字です。
漢字の成り立ちと由来:漢字「学」から学ぶ古代から続く学びの大切さ。

 漢字「学」の旧字体です。この漢字を構成する要素は、「宀、爻、子、臼」の4つの要素から成り立っています。それとは逆に、女は成長すると、家を持つことができ、男たちは女の下に通っていたようです。
 この要素の内、「宀と爻」は屋根に千木(チギ)のある建屋を表しています。

 この当時の部落では、若い男たちは家を持たされず、集団で生活をしていました。
 この建屋は、メンズハウス的な役割を果たしていて、若者の教育、訓練などが行われていたようです
学・楷書学・旧字体


漢字「学」の解体新書


  
学・甲骨文字
屋根の上に千木(チギ)のある建屋を表している
学・甲骨文字
甲骨文字「学」の異体字で、両手を示す「臼」で、中に滞在する子弟のケアに当たっていたことを示している。
学・金文
金文には建屋だけではなく、中で教育を受ける子弟を明示的に表す「子」が建屋の中に表示されている。




 

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「学」の漢字データ

漢字の読み
  • 音読み   ガク
  • 訓読み   まな(ぶ)・

意味  教えを受ける。経験によって知る。先人を模倣して、会得する

成り立ち   両手で引き上げる状態と、建物と物を組み合わせた状態の絵が組み合わさって生まれた漢字。

使い方
  • 「まなぶ・がく」 
  • 「教えを受ける」・・学校で学ぶ) 
  • 「経験することによって知る」・・生き方を学ぶ 
  • 「悟る(理解する)」・・仏教の教義を学んだ 
  • 「習う・・教わったことを繰り返し練習して身につける
  • 「見習う・・人のする事を見て覚えたり・見て真似をしたりする。
  • 「学ぶ事」・・学問  「学ぶ人」・・先学
  • 「学ぶ所」・・学校

熟語   学校 学問 学派 先学 地学 共学

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漢字「学」成立ちと由来

引用:「汉字密码」(Page、唐漢著,学林出版社)
唐漢氏の解釈
 「学」は会意文字です。甲骨文の学の字はと臼と宀からなる。宀は屋室の象形で、爻は  両手の形は手で演算を示している。3形の会意で、部屋の中で人に演算を教えている。金文の学の字は部屋の下に「子」を追加して、明確にこれは子供を教育する場所であることを示している。小篆と楷書は金文を受け継ぎ、一脈通じている。漢字は簡体化の後『学』となった。

 《孟子》は「夏は曰く校、殷は曰く序、周は曰く庫と、学は即ち三代とも之なり。《左传·襄公十一年》で、陆德明は《释文》で、いわく、郑の人はいわゆる学を校という。説文に、校の字に対して「校」を解釈して「木囚」なりとしている。校の本義は柵欄である。個人はいわゆる学校を固定的な場所で子供に強制的に読書を教えたところとした。垣根や柵で自由を制限したようです。この為に読書の場所は「校」と称しました。また学とも言えます。


漢字「学」の字統の解釈

 旧字は學、爻,臼,宀,子の4字からなる会意文字。元はメンズハウスを意味する建物の形が学の初文で、両手を示す「臼」、「子」はそこに入る子弟をしめす。


漢字「学」の漢字源の解釈

 会意兼形声。は交差する様を示す。先生が知恵を授け弟子がそれを受け取って習うところに伝授の交流が行われる。宀は屋根のある家を示す。學は「両手+宀+子+音符爻」でもと伝授の行われる所つまり学校のこと。

漢字「学」の変遷の史観

文字学上の解釈

   甲骨文字の時代は、男子は、集落の中の寄宿舎で、集団で生活していた。彼らは集団生活の中で、ありとあらゆることを教え込まれ、一人前の成人になる素養を身に着けていった。そして成人になると、一家を構えた女性の家に入り、家庭を持つことを許された。この学という字は、寄宿舎の中で手厚く教育されることを示している。



金文の時代になると、社会の発展に伴い、規模も大きくなり、寄宿制度のシステムは高度なものとなっていった。そして教育も厳しさを増し、それまでの養育だけではなく、こん棒で叩き込まれるようになっていった。そして、彼らは団体の中で指導的な地位を占めるようになる。


  小篆の学の字は、金文を踏襲している。この時代はそれまでの社会と大きな変革が起こった。つまり母系制社会から、父系制社会となり、国家も統一され、秦朝のような強大な統一国家が成立する。この時代では、生産力は大きくなり、貧富の差が生じ、階級が出現する。




 秦の時代から、封建社会に入り、隋、唐・・・と社会は発展していくが、文字は楷書(繁体字)が長く使われる。簡体字が出現するのは、実に20世紀に入ってからで、中国革命がおこり、新しい社会の時代的要求に応える必要に迫られたからである。





まとめ

 漢字ができた当初、学校ができたとは思われないが、氏族共同体の中心的役割を担っていたことが漢字「学」から分かる。
 「学」は会意文字で、屋根のある場所で、教師の指導を受けながら、子供が学ぶ様子を表している。 
 男の若者は共同で村の防衛にあたり、共同で狩りなど作業し、共同で生活をする中で、様々な教育が施されていったのだろう。
  


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2023年8月8日火曜日

漢字・北の由来と意味するもの:「人が背を向けている様子」と「北」のどちらが原義?


漢字・北 の原義は「背反」か、方角の「北」か

漢字・北 の原義は「背反」か、方角の「北」か


  2017年の漢字が発表された。 日本漢字能力検定協会がを全国から募集した結果、153,594 票の応募の内、「北」が 7,104 票(4.63%)で 1 位を獲得したようです。
 その心は「北朝鮮」というところだろうか。そのほか、九州「北」部の記録的豪雨、大谷選手の大リーグ移籍や清宮選手の入団など「北」海道日本ハムファイターズに注目が集まったことなどが理由となったようです。

 漢字「北」の意味は、二人が相背くということ 方角の「北」という意味を持っている。 問題は古代ではこの二つの意味のどちらが先に使われたのかということである。




漢字「北」の今

    甲骨文字「北」分解分析:
    左側:人の正立側面象形記号 
    右側:人を表す記号を左右反転させている
  1. 二人が相背くということ
  2.  
  3. 方角の「北」という意味を持っている。 
  問題は古代ではこの二つの意味のどちらが先に使われたのかということである。
 実際の生活上では「北」という方角を知ることが非常に重要なことであることは容易に想像できる。
 また人々が集落を作って、集団で生活をするようになると、人の立ち位置が非常に重要になってくる。

  ある概念が重要視されるか否かは、その社会の成熟度、文明の発達度によって変わってくる。
  つまり「北」という概念は、その社会がある程度発達して初めて、人間関係を表すようになるのではないかと考える、


引用:「汉字密码」(P335、唐汉著,学林出版社)

漢字「北」の解体新書



 甲骨文字は、人が背を向け合っている様が見て取れる。これは反目している状態の会意文字であるというのが通説であるようだ。この説明からは北という字が「背」に使われているなどには確かに説得力がある。白川静氏の「字統」の中の説明でも、二人相背く形とあり、「説文」の「二人相背くに従ふ」とあり、「背」の最初の文字だと説明している。この解釈が、一般的である。


漢字「北」の甲骨文字


  これに対し、わが唐漢さんの解釈は、甲骨文字の形は一人の人間と影である。正午自分どこに向いていても、影の頭はすべて北向いている。北方の冬の時期は人影は一般に長く地上に映え非常に顕著である。このため古人は地上の影が向いている方を北とした。

 北と南は相対する。4つの主要な方向の一つである。甲骨文字の形は一人の人間と影である。正午自分どこに向いていても、影の頭はすべて北向いている。北方の冬の時期は人影は一般に長く地上に映え非常に顕著である。この為古人は地上の影が正対している方を北とした。古人が唐漢氏のように考えていたかは別として、その着眼点については、なるほどと思わせるものである。

 しかし、これらの考えは須らく北半球に住む中国人の発想であり、南半球に住むインディオなどの民族では様子が違うようである。事実、
南半球にある神殿の正面は一般的に北向きです。これは、南半球では太陽が北側から見て東から昇り西に沈むため、北向きの正面が太陽の動きに対して最も適しているからです。これにより、神殿の内部は太陽の動きによって適切な光と影を受けることができます。 ただし、特定の神殿や建物は、その地域や宗教的な伝統に応じて異なる方向を向いている場合もあります。建物の方向は様々な要素によって決定されることがあり、単純に南半球にあるからといって必ずしも北向きとは限りません。特定の神殿に関する情報を得るには、その神殿の名称や場所を具体的に知る必要があります。

唐漢氏の解釈

 古人の建てた家屋は多くは南向いている。而して影は北向きである。この種の南向きの建物で北にある部屋は中国では「正房」、「上房」と称する。古代両軍が交戦するとき戦争に負けた方は追手に背を向けて逃げる。その方向は正に自分の背中の方である。即ち本来影の位置する方向で、これを敗北と言う。
 

北向きは敗北を意味するのは何故

 上記の宮殿や神殿は南向いている。従って、北向くのは「敗北」を意味すると「北」=「敗北」という発想が生まれたという説がある。

しかし、これらの説は北半球に依拠した考えで、南半球の人は異なるのではないかという説もあります。  南半球にある神殿の正面は一般的に北向きです。これは、南半球では太陽が北側から見て東から昇り西に沈むため、北向きの正面が太陽の動きに対して最も適しているからです。これにより、神殿の内部は太陽の動きによって適切な光と影を受けることができます。 ただし、特定の神殿や建物は、その地域や宗教的な伝統に応じて異なる方向を向いている場合もあります。建物の方向は様々な要素によって決定されることがあり、単純に南半球にあるからといって必ずしも北向きとは限りません。特定の神殿に関する情報を得るには、その神殿の名称や場所を具体的に知る必要があります。

 このことから言えるのは、北に向くから敗北というのではなく、太陽に背くから敗北につながるという考えが成り立ちます。



漢字「北」の字統の解釈

 二人相背く形。「説文」に「背くなり。2人相背くに従う。」とあり、背中の初文。卜文・金文に北方の意に用い、また地名にも用いており、古くその音があった。相背く意より敗北、敗走の意となる。

 

まとめ

  • 漢字「北」は方角の「北」を示すというのは今更変えようがない。
  • そしてさらに、二人が相背くという意味を持っているのは甲骨文字から見てまぎれもないことのようだ。
  • さらに第3の北を向くことは敗北に通じるという解釈は、「太陽に向いていない」から敗けることに通じると考えてもいいのではないかと思う。



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