2021年6月6日日曜日

漢字「段」の成り立ちから見えるもの:中国古代に起こった世界史的事件が文字の中に鋳込まれ、鍛造されてきたことが明らかに


漢字「段」の成り立ちから見えるもの:中国古代に起こった歴史を揺るがす世界史的変革を跡付ける
漢字・段は階段の「段」であるが、漢字の成り立ちから非常に大切なことは、この漢字が鍛造の「鍛」の初字であるということである。この「鍛」と「鋳」という二つの漢字こそ、革命的な生産過程の一大変革が古代中国で起こったことを証言する漢字である。

 鉄器自体は現在の紀元前17、8世紀ごろ民族大移動の一つの流れとして、東から小アジアに移動してきたヒッタイト人が鉄器を使って一大強国を作り上げている。青銅器自体は中国では石器時代に既に使われていたという話もある。ヒッタイトの使った鉄器がどこから来たのかいまだ不明である。

 ここでは、青銅器や鉄器自体の由来は、さておき青銅器と鉄器の生産技術の発展と漢字の関係について述べる。

参考文献:  「中国历代 经济简史」 (海默、尙论聪编 大中国上下五千年编委会 外文出版社)
          「中国 に おけ る古代金属文化史(概観)」(道野 鶴松、The Chemical Society of Japan)
                  「漢字「鋳」の成立ちを「甲骨文字」に探る:鋳造そのものの情景が文字になった」

                
漢字「段」の楷書で、常用漢字です。《説文》に「物を椎する也」とあり、椎で打ち鍛えることをいう。

 漢字「段」は「鍛」の初字で、金文として登場している。
しかし、金属の精錬技術はそれよりもかなり早く、春秋時代には、青銅器の鋳造が行われていた。

 中国では春秋時代中期に青銅の鋳造技術が斉国の管仲によって発明され、武器と同時に農業に適用され、生産性は飛躍的に高まった。

 そして戦国時代の末期に至ると、世の中は青銅器から鉄器の時代に突入し、鉄器の製造も鋳造から鍛造に変化している。漢字の「段」が生まれ、鍛造の時代になったことを反映している。 
段・楷書


 金属の製造技術の進歩を示す漢字として、「鍛」の初字である「段」と「鋳」を左に併記した。

 「鋳」は春秋時代に登場したが、「鍛造」を表す「段」の字は、「鋳」に遅れて登場している。この遅れは、少なくとも500年、長ければ1000年に及ぶと考えられる。

 これらの変遷は青銅器や鉄器の製造技術に、極めて密接に結びついている。
「段」・金文
「鍛」の原字
「段」・小篆
「鍛」の原字
「鋳」・甲骨文字
「鍛」のよりも一足早く出現している。即ち先に鋳造が発明され、後に鍛造という製法が生まれたことを示している


    


「鍛」の漢字データ
 

漢字の読み
  • 音読み   ダン
  • 訓読み   きたえる

意味
  • 「きたえる」 金属を熱したり、冷やしたりして、椎でたたいて、鍛え上げる (刀鍛冶)
  • 物事・人間を試練を与えたり、練習させたり、どちらかというとスパルタ的に鍛える、    
  • 破る、工具でうちやぶる

漢字「鍛」を持つ熟語    鍛造、鍛冶




引用:「汉字密码」(Page、唐汉著,学林出版社)
唐漢氏の解釈
  「段」これは会意文字です。金文の「段」の字の左上は、反転記号たたかれた物体の動きを表示している。

 右下は一個の「支」の字で、手にたたくものを持っている。中間の2点は金属加工品かあるいは多数回たたかれたことを示している。

 小篆の「段」の字の変化は、まさにひっくり返った符号と2つの小さい点があわさって一つになり、偏と旁の符合である「手」になって、楷書は段となっている。

 


漢字「段」の字統の解釈
 会意文字:段石の形と攴(ボク)とに従う。鍛治の素材を打って、これを薄片とする形で、鍛の初文。鍛治を原義とする字である。 《説文》に「物を椎する也」とあり、椎で打ち鍛えることをいう。
名前で「段」が付くのは、鍛治のことを司る役にいたことを暗示している


まとめ
 「鍛」と「鋳」という漢字は中国の古代に行われた一大変革、即ち人類の生産技術の発展が刻み込まれたものとして非常に重要な漢字である。鋳造と鍛造そのものが、漢字を見るだけで理解できる。



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2021年6月3日木曜日

漢字「邑」の成り立ちから見えてくるもの:古代の人々の生活のあり方と集落や都市の成り立ちまで見えてくる


漢字「邑」の成り立ちから、古代の都市の(村・集落)の在り方が見えてくる
人々は、古代にはどのようにして生活していただろう。漢字「邑」には古代の集落から、都市へ発展していった過程が埋め込まれている。

甲骨文字や金文の邑は、□+(人の膝まづいた一人の人間を表している形象)の会意であり、土豪や塀で囲まれた人が起居している様が表されている。
 それが小篆の時代つまり、戦国時代の末期になると人々が複数起居する記号に変化している。量的な発展が文字の中に明示的に表れていると同時に、そもそも人々は何らかの防護柵に囲まれた集落を形成していたことが、文字には最初から明示されている。このことは考古学上の極めて重要な記録であると考えている。

 古代の都市の人口は、色々の学者が統計的に推論を試みている。そこから極めて大雑把な推論であるが、紀元前の大都市の人口は最大でも高々100000ぐらいであったろうと推察されている。
Wikipediaによれば、 河南省舞陽県に位置する裴李崗文化の紀元前4000年の遺跡から推察される人口は。300であるとされている。なおこの遺跡からは、賈湖契刻文字と呼ばれる文字が見つかっている。


漢字「邑」の楷書で、常用漢字です。《史记·五帝本纪》の中に、集落の発展過程を人々が集まり始めて1年で「聚」ができ、二年ともなると「邑」となり、三年ともなると「都」となると書かれている。この1年、2年という時間の長さはいざ知らず、集落のできる過程を表現したものとして面白い。集落から、邑を作りさらに、都といわれる規模の都市に発展し、それが「国」といわれる国家機構を持つ段階に至るまでには、実際に長い期間を要している。

 実際の人口を推し測るのはそう簡単なことではない。例えば、広島大学 助教 加藤徹によれば、集住時代の中國の総人口は500万~1000万ぐらいだったろう。そして、戦国時代には戦車や兵士の数から全中国の人口は2000万人ぐらいだったと推察している。いずれにせよ、これらの数字は極めてアバウトな数値で、都市の人口のようなミクロな数値はとても出しようもない。

 「中国の人口の歴史 --人口推定の方法、人口崩壊のサイクル、など」
 広島大学総合科学部助教授 加藤徹著」
邑・楷書


  
「邑」・甲骨文字
上部の四角は、土壙や壁を表す。村落の防護のための施設
「邑」・金文
基本的に甲骨文を継承している
「邑」・小篆
金文を継承しているが、下部の人間の形は文字の記号化の過程を経て変化した。、


    


「邑」の漢字データ
 

漢字の読み
  • 音読み   ユウ、オウ     
  • 訓読み    むら、くに

意味
  • 村、里
  • 国、邦
  • みやこ
  • 知行所(諸侯・大夫の領地、皇太子・皇后・公主の領地)

漢字「邑」を持つ熟語    城邑




引用:「汉字密码」(Page、唐汉著,学林出版社)
唐漢氏の解釈
 甲骨文や金文の上部即ち周囲の壁、土溝あるいは柵の四角形のものを指す。下部は左に面して膝まづいた一人の人間を表している。 字形を会意方式で整える、上古先民の集まり住んでいるところを表している。今ではいわゆる周りを塀でめぐらした村落や城街を表しいている。小篆で「邑」の字はまさに下部の人間が変化し、楷書では邑と書くようになった。

 

漢字「邑」の字統の解釈
 □と巴に従う。□は都邑の外郭、城壁を巡らせている形。巴はセツが本形で、人の起居する様。城中に多くの人のあることを示し、城邑、都邑をいう。説文に「国也。口に従う。先王の制、尊卑大小あり、セツに従う」という。


まとめ
 漢字は今から3500年前に生まれてから今日まで、発展し続けてきた。この文字の中に人間の生活や生き様がかくも見事に埋め込まれている。漢字を見るたびに、常にある種の感動を覚えている。



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