2016年1月21日木曜日

漢字:介の起源と由来

 「介」という字は現在では非常によく目にする。介護、介助犬など日常生活で、われわれがお世話になるいろいろのサービスの中で、この言葉抜きには語れない。
 その昔は、「吉良上野介」のように名前にもよく使われていた。ここでも漢字の持つ意味合いは、助けるというものである。
 この他、節介、介添え、魚介などがある。


引用 「汉字密码」(唐汉,学林出版社)
 「介」これは会意文字である。甲骨文字の「介」は、顔を右に向けて立っている人の形である。脚の部分に4点で足を表している。金文の介の字は背を曲げた人の形で下部の4点は前後の2つの点に変っている。
 小篆の介の字は基本的には金文と同様で、楷書の構造は隷書化の過程で変化し「介」と書くようになった。
 上古の時期、華夏先民は下半身は短い裾の服装をしていた。いばらの荒野を行進中は足全体を必ずゲートルで巻き上げていなければならない。この種のゲートルは「介」と称されるようになった。
 上古の戦争では、武器で相対する戦争で(この時期は矛と盾はまだ普及していなかった)、介(ゲートル)と冑(ヘルメット)は兵士達には必須の防護装備であった。
 史記の韓非子列伝では「急则用介冑之士。」とあるがこの介冑とはすなわちゲートルとヘルメットのことを言い兵士を比喩している。
 この意味から、発展して甲殻類などの堅い殻をもつものを含め、魚介類と称するようになった。


 右にゲートルをまいた武士の図を「汉字密码」(唐汉,学林出版社)から引用したが、このような武士の姿は、最近の映画「赤壁」の中でもすでにお馴染みである。


 これに対し、白川先生は「体の前後によろいを付けた人の形」としており(「字統」)、また円満字二郎氏も、「漢字成り立ち図鑑」(円満字二郎、誠文堂新光社)の中で「この人を示す形の両側にあるのは、「よろい」を示すもので、これを組み合わせた漢字が変形した会意文字である。」という同様の説明をしている。
「漢字の起源と成り立ち 『甲骨文字の秘密』」のホームページに戻ります。

2015年12月13日日曜日

来年の干支は「申」


  来年の干支は「申」である。今から3500年前の殷の時代の廃墟から出土した甲骨文字の中に、すでに十二支十干で暦を表していた。干支についての考察はすでに以前に触れているのでここであえて触れることはない。
 古代の人々が農耕のために暦を作る必要に迫られた時に、何をよりどころにするか?唐漢氏が主張するように、自分たちの身の回りで繰り返される人が生まれ成長し、それに何を期待し願うのかの思いをそこに込めてそれをよりどころとする説はそれなりに説得力がある。それはあくまで仮説であって、諸説紛々としているのは事実である。
 しかし彼らは何故を持って十二支としたのか、まだ明確な回答は示されていないように思う。一年は12か月、そして子、丑・・という字を当てはめ12年で循環させたその理由はいったいなぜだろう。子という字に鼠を当てはめ、丑という字に牛という動物を当てはめたのは、文字の読めない人々にも理解しやすいように動物の名前を当てはめたというのは理解できる。
 来年の干支は「申」であって、「猿」ではない。では古代人が申としたその字はどういう意味を持っているのだろう。


引用 「汉字密码」(唐汉,学林出版社)

 申という字は指事語である。「申」の字の構造的な形は、女の嬰児に対する期待から発生したものである。 甲骨文字の「申」の右半分は (匕)で、これは即ち、母獣の生殖器の指事造語である(漢字源によると「匕」は妣の原字で、もと、細い隙間をはさみこむ陰門を持った女や雌を示したものという。)この借用で女の嬰児の性別を表示する。匕の左下の符号は女子の嬰児が大きくなって生育したことを示している。このため申の字は女の嬰児の意味で、また女が女を生み代々続く意味である。 人々はとうの昔にその形の深い意味を知らなくなっている。金文の申の字は字形の美形化と同時に、又その内容については失われてしまっている。小篆ではまさに上下の2個の指示符号いわゆる両手に変化している。楷書では誤りに誤りを重ね、又両手は合併され「申」と書くようになっている。
 「申」の本義は一種の期待と願望だ。即ち母系血縁に照らして、代々延々と続くことを呈示している。このことから引申はまっすぐ伸ばす、展開の意味になった。

「申」の嘱望、期待の意味から、又陳述、表白の意味が出てきた。

「比」は狭いすき間を置いて並ぶ、「屁」は狭いすき間から出るおなら

参考 指事語とは「中日大辞典」(愛知大学・大修館書店編)によると「形を模することができない抽象的概念を表すために符号を組み合わせる造字法」とある。
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