2012年7月25日水曜日

衣裳の衣は上着のこと、裳はスカートのこと

 「衣食足りて礼節を知る」ということわざがある。しかし最近のいじめの問題を考えてみると、「衣食足りているはず」のいいところの子弟が加害者になって平然としている。「衣食足りて・・」という命題はほんとうに正しいのか自信がなくなってくる。マスコミは学校が悪い、教育委員会が悪いと激しく責め立てる。悪いのは事実である。しかし、物事の背景には、家庭教育の欠如があるような気がしてならない。特に幼児、児童教育がわるいのでは。大きくなってからあれこれ言っても、はっきり言って遅い。これは自分自身の実感だ。


引用 「汉字密码」(P696 唐汉,学林出版社)

  「衣」は象形文字である。甲骨文字、金文、小篆の字形は基本的に同じである。その上部は人の字形で、着物の首の部分を表している。両側の開口部は袖で、下部は襟である。即ち古代の左前、右前である。楷書の形体は隷書化の過程で、字形が美観を志向し、但し象形の味わいは失われている。既に衣服の様子はない。

  東方未だ明るくない。衣服の上下を間違えた。これは《詩・斉風・東方未明》の中の2句詩东方未明,颠倒衣常(同裳)である。これは天がまだ明るくない時に起床した慌てて上下の衣服を履き違えたということである。現在は衣裳は一つの言葉であるが、古代は2つの言葉であった。説文は上は衣、下は「裳」と解釈している。「衣」の本義は上着を指す。《詩・却風・緑衣》にある如く、「绿衣黄常(同裳)」このことは緑色の上着に黄色のスカートという意味である。

 「衣」の字は上着から拡張され、衣服の総称になった。《詩・函風・七月》:着るものも食うものもない。服装と食品は人々と切り離せないものである。この為人々は衣食を与える人を称して「衣食父母」という。衣服は体の外に付けるもの。いわゆる、衣の字は物体の表面を覆う層のものを指すのに拡張された。書衣、落花生の衣、地衣、糖衣などなど。その中の衣は事物の外の表皮を指す。
  日本では、男は左前、女は右前と決っていて、これは、男が女の胸に手を入れやすくするための決めごとと聞いていたが、あんまり関係はなかったみたいだ。それよりも男は武器を手にする必要から、右手を懐にすんなり出し入れするには左前しかない。これは古代からずっと続いてきたことなのかもしれない。
 因みに中国でも男の服は左前と決っているようである。また人民服は男女にかかわらず左前、現在でも軍服は左前のようだ。但し見栄えを重んじる儀礼服は女性は右前になっているようだ。
 日本の自衛隊については、戦闘服は分からないが、行進の時の制服は男は左前、女性は右前となっているようである。
 想像するに戦闘服は男女の右左の区別はないのではと思っている。


中国网より










2012年7月24日火曜日

漢字「宴」の起源と由来:屋内で女の人で客を接待すること

「宴」の語感
  漢字「宴」はもともと屋内で女の人で客を接待することの意味をもっていた。しかし近年「宴」から受ける語感は変化している。

 「春高楼の花の宴 めぐる盃影さして」と詠われた、春の宴は我々日本人にはうつくしい響きを以て、ある種の心地よさをもたらしてくれる。これは土井晩翠作詞と滝廉太郎作曲によるものだ。

  しかし、このような美しい情景を思い浮かべる「宴」も、その言葉の原義は、もっと生々しい、人間のエゴと欲望の渦巻く舞台であった。

「宴」の漢字の発展

引用 「汉字密码」(下巻P744 唐汉,学林出版社)

banquet_TitleCharacters
「宴」これは会意文字である。金文の宴の字は外側は屋舎のかたちで、中の下には「女」で、上部には「日」で、女とのセックスを表している。小篆は金文を受け継ぎ、「日」が女の上になっている。楷書では「宴」と書く。
  ここで「日」という字は、セックスを表しているというが、またもや唐漢さんの独特の発想かと思いきや、「中日大辞典」では、「罵り言葉として男から言う「日」には性交する」という意味も含まれるというから、まんざらとび跳ねたものではなく、それなりに巷ではこのような使われ方をしていたのかも知れない。

「宴」の本義は女の人で客人の接待をすること

引用続き
 「宴」の本義は女の人で客を接待することである。「宴新婚の兄弟の如し」ということは「上古時代の族外婚の時は兄弟同様一人の女性を共用する。「宴」は古代にあってはまた部屋の意味を表す。《易·随卦》の"君子以向晦入宴息。"の「宴息」は「夜になると屋内に入って休息する」という意味である。実際今日では、この行為は極端に野蛮で淫蕩な行為と見られているが、上古時代から女の俘虜はみんなの共用で、且つ客人の接待に使っていたのは一種の習俗であった。

 春秋戦国時代に至ると、諸侯、貴族、大商人は例外なく女を養うことで以て栄えたことのアイデンティティーとし、幼い子供、美しい妾で部屋を満たし、楽団や芸子を家の奥深く侍らせた。


 この種の女性は、単に高官、貴人に留まらず性欲のはけ口になった。また彼らは客人の接待に用いる一種の用品であった。
現代漢語の中で、宴は宴会、酒宴、宴席に招くなど多用されている。


壁画に見る宴会の様子

  この様子は昔殷の国の大きな邑があった云わば都であるが、今の中国の安陽という街の「安陽博物館」に飾られていた大きな壁画にも見ることが出来る。これは後世のものだろうが、当時(殷朝の時代)の宴のありようを表していると思う。
 この絵の左側は宴の出席者で、主催者と客人が飲み食いしている様子が見て取れる。右側には粗末な服を着た女人たちが踊っている。これが、恐らく奴婢、奴隷で、この宴で客人たちに体で接待を強要された者たちであろう。
 この時期は日本は縄文時代の末期であるが、中国では既に殷朝という大都市国家が出来、地域的ではあるが、権力の集中がみられている。建屋も立派な大きな宮殿が作られている。
 また女たちの着ている衣服にせよ、貫頭衣の様な未熟なものではなく、粗末ではあっても、それなりの縫製されたものと見受けられる。またこの王宮跡にはとてつもなく大きな青銅器の鋳型が作られていた。

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