日本では、男は左前、女は右前と決っていて、これは、男が女の胸に手を入れやすくするための決めごとと聞いていたが、あんまり関係はなかったみたいだ。それよりも男は武器を手にする必要から、右手を懐にすんなり出し入れするには左前しかない。これは古代からずっと続いてきたことなのかもしれない。
引用 「汉字密码」(P696 唐汉,学林出版社)
「衣」は象形文字である。甲骨文字、金文、小篆の字形は基本的に同じである。その上部は人の字形で、着物の首の部分を表している。両側の開口部は袖で、下部は襟である。即ち古代の左前、右前である。楷書の形体は隷書化の過程で、字形が美観を志向し、但し象形の味わいは失われている。既に衣服の様子はない。
東方未だ明るくない。衣服の上下を間違えた。これは《詩・斉風・東方未明》の中の2句詩「东方未明,颠倒衣常(同裳)」である。これは天がまだ明るくない時に起床した慌てて上下の衣服を履き違えたということである。現在は衣裳は一つの言葉であるが、古代は2つの言葉であった。説文は上は衣、下は「裳」と解釈している。「衣」の本義は上着を指す。《詩・却風・緑衣》にある如く、「绿衣黄常(同裳)」このことは緑色の上着に黄色のスカートという意味である。
「衣」の字は上着から拡張され、衣服の総称になった。《詩・函風・七月》:着るものも食うものもない。服装と食品は人々と切り離せないものである。この為人々は衣食を与える人を称して「衣食父母」という。衣服は体の外に付けるもの。いわゆる、衣の字は物体の表面を覆う層のものを指すのに拡張された。書衣、落花生の衣、地衣、糖衣などなど。その中の衣は事物の外の表皮を指す。
日本の自衛隊については、戦闘服は分からないが、行進の時の制服は男は左前、女性は右前となっているようである。
想像するに戦闘服は男女の右左の区別はないのではと思っている。
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