2012年5月1日火曜日

漢字の「五」はどこから来たの?:漢字の起源と由来


「光陰矢のごとし」と言われるが、ほんとに年月の経つのは早いものである。つい先ごろ生れたばかりと思っていたら、もう片足を棺桶に突っ込んでいる。体感時間は年齢に反比例するものらしい。つい先ごろ年賀状を交換し終わる間もなく、桜が咲き、もう五月である。

 さてこの「五」であるが、日本と中国では数の数え方がずいぶん違う。「指折り数えて」の通り、日本では数を数える時、まず手を広げておいて、親指から順に折って、カウントする。ところが、これが相手に伝えようとするときは、もっと明示的に示され、人差し指を立て、2の時は人差し指と中指でVサインを作る。このように日本語は相手がある時と自分自身でカウントする時で表現方法が異なる。私は日本語がどちらかというと相対的な要素の濃い言語の証左と思う。所が中国語はもっと絶対的で、相手があろうとなかろうと一は人差し指を一本立てる、二の時は人差し指と中指をそろえて立てる、これ以外の選択肢はないようである。そして「五」のときは全ての指をそろえて立てるのである。日本語では相手に「五」を示す時は手を広げて、掌を相手に向ける。自分でカウントする時は全ての指を折るのである。

では数字の「五」という字はどこから来たのだろうか? 唐漢氏の説明は少しややこしい。


  五は象形文字である。甲骨、金文の五の字は、掌を上に上げ他人に面と向かった時の掌のことである。五指を描くことはあまりに煩雑である。古文中では手や有の字などがあり混沌としている。
  
この為殷商の先民は掌で五の上下の枠を作り、上部の4指と掌の心で分割し両半分を作った。且つ交差することによってXの表示とした。即ち上部の三角形で4指を表示し、下の三角形で掌の中心と親指を表した。上下合わせて掌、掌の5指、以て五とした。小篆の五の字は金文を受け継ぎ、形も美しく美観を備え対象の中に変化が出来た。将に左辺の斜めの縦の曲線が下に伸びた。楷書は隷書への変化の過程で、この曲線は横おれ縦に変化して、今日の五となった。 
 私にはなぜ交差をしなければならなかったのか分からない。漢字の世界は奥が深い。現在では中国では「五」を右の画像の様に表現する。このおっさんの手の中指は長すぎるので、手の周りを囲んでも四角形にはならないが、たとえ別の手を持って来ても、唐漢氏の主張にはいささか違和感を覚えるが・・。
 
 ともかく日本の数え方にしろ中国のそれにしろ、10進法でカウントする限り片手では五までしか数えられない。しかし、2進法でカウントすれば片手で31までカウントできる。
 
 さてここでヒント。左の画像は何を表しているだろう。日本では云わずと知れた、スリ、泥棒である。
しかし中国ではこれはれっきとした数字の「九」である。
所変われば品変わるとはこの事だろう。




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2012年4月24日火曜日

漢字の世界では、家の中に酒があることが「富」ということ

  最近日本では貧富の差が拡大しているといわれている。これは米国が先行し、最近では中国もまた同様という。貧富の差は「資本主義国」の専売特許であったが、近年未だ社会主義を標ぼうしている中国でもこの傾向が出ている。ということは中国は既に社会主義を標ぼうできる状態ではなくなって、資本主義に嵌っていると言わねばならないのではなかろうか。
 最も私から言わせれば、中国のそれは資本主義というより、金本主義という言葉がぴったりなのではと考えている。つまり土地の私的所有は認められていない、資本家がまだそれほど育っていない。賃金労働者の権利つまり「自分の労働力を売る」場所(市場)が成熟していない等などの状況では資本主義というには・・・。
 私の見解はともかく、「富」という漢字のルーツに当たって見た。当って見て驚いた。何と「富」という字は酒に関係しているということだ。それなら我が家では酒を切らしたことはない。しかし貧乏だ。やっぱり世の中間違っている?いや狂っているのは俺の頭?


  甲骨文字の富の字は家の中に一瓶のおいしい酒があるという意味だ。江統《酒諾》曰く「飯が尽きず、暇にまかせて、鬱々と味を為し、気を長く蓄え芳し」。酒を醸成するための前提条件は、まず腹いっぱい食べることだ。併せて飯が尽きないほどあること。
 上古時代、日々皆腹を満たすことはたやすいことではない。あまった食物を酒に発酵できれば当然相当豊かになれる。ここでは屋内の酒は豊かな生活の源である。金文の「富」と甲骨の文字とはよく似ている。小篆の「富」の字は将に屋内に酒瓶の形をしている小篆では字を分解して象形の面白みがなくなっている。 

  「富」の本義は富んで充足していること。常に財物が多いことを表し、「貧」に相対している。論語「学而」の中にあるように「貧しいこと語ることなく、富んでいること驕ることなく」という格言がある。《漢書・食貨志》には更に「富める者田を連ね道を連ね、貧しいもの立錐の余地なく」の社会描写。ここでの富は皆財物が多いという意味である。しかしここまで来ると中国の上古の話ではなく、日本の現代の話そのものではないか。

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