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2022年11月14日月曜日

漢字「貞」:神にお伺いをたてるということから、ある種の神聖な響きを持ち「貞淑」と使われる


漢字「貞」の成立ちと由来:神にお伺いをたてること
 「貞」と聞けば、「貞淑、不貞、貞操」などの言葉がすぐ頭に浮かぶ。道徳的な意味合いによく使われることが多いようだ。
 国語辞典によると女の操を守ることを「貞」としている。女が美しさを保つためには、毅然とした姿勢を保つべしというところからきているのかも知れない。貞が使われている言葉の多くは女性に関するものだ。「貞」が付く言葉で男に係るものは、童貞ぐらいなものだ。これも封建遺制ともいえるが、「種の保存」という別の見方からすれば、至極当然なのかもしれない。動物の世界でも摂理である。

 それがはるか昔に「力」という一点だけから自然の摂理に反し、「男尊女卑」になったのが、
 人間の不幸の初まりなのかも知れない。
 誤解を覚悟していうと、女は子孫を残す原点で、男は「生むという」ことに決定的ではない。
 力を有する「男」が「女」を隷属させるためには、物理的な力以外の何かが必要である。それが、神であり、神の声をを聞くための『お伺いや占』が必要であった。
  少し話がずれたが、「貞」という言葉は、占いから生まれた言葉だ。鼎にかけて卜するというのが本来の意味であるというのが定説であるらしい。
貞・楷書


 
  
「貞」・甲骨文字
「鼎」
鼎の象形文字
「貞」・金文
「鼎」+「卜」
から構成される会意文字です
「貞」・楷書
金文を継承している


************************************************

「貞」の漢字データ
 

漢字の読み
  • 音読み   テイ
  • 訓読み   さだ、ただ

意味
  • ただしい。
  • 心が正しい。
  • みさおを守る。

同じ部首を持つ漢字     偵、媜、遉、楨、碵
漢字「貞」を持つ熟語    貞操、貞淑、不貞




引用:「汉字密码」(Page、唐汉著,学林出版社)
唐漢氏の解釈
 「貞」は会意文字です。甲骨文の「貞」の文字は、上下が結びついた構造で、上が卜で、鼈甲や牛の骨で占うことを意味する、下が鼎の象形のデッサンです。これが祭器の鼎の意味であり、重さであり、実在であり、このことの確実性を表す。 『金文』の第一款の「貞」は甲骨文を継承し、第二款の「貞」は下部の「鼎」の形を変えて「貝」に簡潔にしている。小篆や楷書は間違いを重ねて「真」と書きますが、漢字が簡体字の時にと「貞」に簡略化された。

漢字「貞」の字統の解釈
 正しい字は鼎に作り、鼎と卜とに従う。鼎をもって卜するもので、探湯盟誓のような方法であるのか、湯神楽 のような方法であるのかあるいは鼎中の犠牲の様子によるものであるのか何とも明らかにしがたいが、ともかく鼎を用いる卜問 の方法であることには疑いはない。


まとめ
 「貞」とは本来、鼎を用いる卜問を表していたが、男性社会の中にあって、女性に対し「貞節を守る」という意味にもっぱら用いるようになった。貞節を守ることはいいことであるが、なぜ女性だけに要求されるのか?



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2021年6月24日木曜日

漢字 爵は古代如何に使われたか:爵は非常に高貴なものであり、権威の象徴として大いに利用された


漢字 爵の成り立ちから何が読めるか:クーベルタン男爵の嘆きが聞こえる!
 最近オリンピックが話題に上っている。オリンピックを提唱したのは、クーベルタン男爵であるが、近年のオリンピックは最初の理念から離れ、あまりに商業主義に陥っている。スポーツから離れ、メディアの利権の食い物にされてしまっている。これを提唱したクーベルタンもおそらく考えもつかなかったようなオリンピックの堕落だろう。高邁な理想を提唱したクーベルタン男爵も今頃地下で嘆いているのではないだろうか。
 これは男爵だの、伯爵だの当時の貴族趣味的発想のから生まれた理念が、資本主義をベースにした商業主義の金にまみれた結果であろう。

 「爵」というシンボルが、古代の国王が一段と高い位置に立ち、太陽を背景に爵を高々と掲げている光景が目に浮かンでいたものが色あせたものに変ってしまったものとよく似ている。


漢字「爵」の楷書で、常用漢字です。
 「爵」は夏商周の時期に流行した一種の酒用の器である。この種の青銅製の飲酒用の器は、3本の脚で、飲むのに口を接するところと酒を注ぐところがある。製造上の形は鼎から来たとことがあり、鼎は変化し、また鼎とセットにした使い方があります。

 古代においては、青銅器は非常に貴重であり、国王が自らの権威を高めるために最大限に利用したであろうことが明らかになっている。
即・楷書


  
爵・甲骨文字
酒器の形そのもの
爵・金文
甲骨文字を引き継いだ形で、大きな変化はない
爵・小篆
金文、甲骨を引き継いだもので、権威を高めるためか、多くの手が加えられ、必要以上に手の込んだものとなっている


    


「爵」の漢字データ
 

漢字の読み
  • 音読み   シャク
  • 訓読み   ー 

意味
     
  •  さかずき 
  •  
  •  貴族の身分を表すもの 日本では明治時代には公・侯・伯・子・男の五等の爵位があった
  •  
  •  中国古代の酒を入れる器。3本足の青銅器で、夏代から周代に礼器(儀式に使う器)として使用された。王の権威を高める道具としても活用された 

漢字「爵」を持つ熟語    爵位、男爵、伯爵




引用:「汉字密码」(P687、唐汉著,学林出版社)
唐漢氏の解釈
  「爵」は象形字です。甲骨文の爵の字はまさにその形の輪郭です。金文の爵はさらに迫真の形状をしています。小篆の爵の字は一個の鬯を加えて、香酒の意味を表示しています。又手の字を加えて、手で持った爵の意味を表示している。このため爵の字は変化し、会意文字に成っている。

 「爵」は説文では、礼器なりとし、爵の形を表す。爵は古代の酒器で酒と暖かい酒を盛るのに用いる。古人は爵の形は雀に似ていると考えた。

 


漢字「爵」の字統の解釈
 象形: 酒器の爵の形に象る。「説文」に「礼器なり」とし、字の上部を雀の形とするが、卜文、金文の形は明らかに酒爵の象形であり、雀とは関係がない。「説文」に挙げる古文の字形など全く信じがたいものだ。


まとめ
 漢字 爵は象形文字である。盃であり、王の権威を高めるための礼器であり、祭器でもあった。中国の夏、殷、周の古墳からたくさん出土している。



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2016年11月24日木曜日

漢字「敗」の成立ちを「甲骨文字」に探る:鼎を打ち壊すこと


漢字「败」の起源と由来

引用:「汉字密码」(P683、唐汉著,学林出版社)

「败」は「敗」の簡体字である。甲骨文字の「敗」もまた会意文字である。左辺は「鼎」の象形素描であり、手で棒を持って、叩いている様子である。もともとは会意で杯を壊すことを表している。俗語の「あなたの家の茶碗を打ち砕く」と同様のことだ。金文の旁は二つの貝となり、貴重で、値打ちのあるということをあらわしている。小篆と楷書ではこのことから「壊す、名誉を傷つける」。
 説文では「敗」を「壊すこと」としている。本義は杯を壊すこと名誉をきずつけることである。《韩非子•难一》にあるように、法败損なわれて国乱れる。「法败」とは誰でも護らなければならない儒教の教え(道)が損なわれるの意味である。  「毁坏」は拡張され、凋落する、落ちぶれるの意味である。「花开败了、肉腐败了」(花開いてしおれ、肉腐る)の意味だ。「毁坏」はまた拡張され、物事の失敗、成功しないことを表す。「敗北、負けて泥、成敗得失」など。
  「敗」は動詞を作り、敗れる、ヤブルの自動詞と他動詞になる。目的語のあるときは、別人を打ち破敗る。甲隊は乙隊を打ち敗る。のごとく。目的語のないときは、「自分が敗れる、甲隊が敗れる」のように使う。


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2016年7月27日水曜日

漢字:鼎(かなえ)の起源・由来を「甲骨文字」に探る

 先に鼎の故事に触れた。今回は鼎の文字の起源と由来に触れる。
 鼎とほとんど同じ用法で、形象もよく似たものに「鬲」がある。説文でも鬲の説では「鼎の一種」というように書かれている。年代的には鬲は鼎より数千年前に世に現れ、新石器の時代に長く人々の煮炊きに使われていたようだ。素材も土器であり、鼎のひと昔前の時代のものと言っていい。一方鼎は素材は青銅器でつくられ夏から殷、周において、煮炊きに使われてもいるが、祭祀や権力の象徴として、王室で用いられていたようである。


引用 「汉字密码」(唐汉,学林出版社)

読み方:(音)てい (訓)かなえ

 「鼎」は説文解字で三つの足と耳が二つの味付けするための器である。それは「煮炊き用の祭祀用具であるという。
 鼎は象形文字である。上端は鼎の両耳があり、中間は腹部になり、下面は三つの足がある。
 金文の形体は少し変化している。腹部に横線が一本増えて、鼎の外部の図案に表示している。 また煮炊きする食物といえないこともない。小篆はすでに美化されて形を失っている。上辺の目の部分が鼎の腹を表している。これは実際上鼎の方形の形になっている。楷書の鼎は小篆を引き継ぎ形体上の基本は一致している。 


 古の時代は鼎は煮炊きする炊事によく使われた。考古学で発掘されたものには、そこに煙臭い臭いのあるものが多くあり鼎が煮炊きに用いられていた証拠であろう。煮炊きする食物を除くと鼎は祭祀の時肉を盛り付けるのに用いられた。このことから発展する氏族や貴族の礼拝堂の礼器に用いらされた。だから鼎は政権の象徴である。「鼎」にまつわる故事を参照願いたい。 鼎は煮炊きする器に用いられていることから政局が不安定なことを表すのに「鼎沸」という言葉が派生した。また、鼎が盛大の意味に拡張されて、成語のなかで「大名鼎鼎」(有名だ、著名だという意)という語が生まれた。

 日本での話で、兼好法師の著した「徒然草」という随筆に、仁和寺の法師が酔った勢いで、鼎を頭にかぶってふざけて遊んでいるうちに、鼎が抜けなくなり大騒ぎをしたという話がある。場を盛り上げようとしておどけた悲劇であるが、何となく滑稽に見えてしまう。日頃の行動には気を付けたいものだ。




  この鼎ともう一つの鬲(訓読みではこれもかなえとよぶ)用途は非常に似通っている。一方は年代が鼎に比べるとはるかに早い時期の遺跡から発見されていることを考えると、まず鬲がうまれ、その後それが発展した形で鼎が生まれたと考えていい。
 しかしいずれも甲骨文字にあるということは、それらが同じ時期に併用されたことを物語っている。実際春秋戦国時代の遺跡からも陶製の鬲(形状は鬲であり、呼び方も混在していたことがうかがえる。
  しかし、春秋戦国時代になると陶製のものは影を潜め、圧倒的に青銅器のものが多く出土するようになる。



 文字の作りでいうと甲骨文字や金文では鬲と鼎は大きな違いがある。まず鬲は三つの丸い口を持つ足が胴体と分離していないことが文字の形状に現れているが、鼎のほうは明確に足の機能と胴体(容器)部分が分離しており、文字の形体の上からも、機能が分化したのではないかと想像される。
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2016年7月26日火曜日

鼎にまつわる故事

鼎とは三つの足と二つの耳を持つ金属製の釜のことで、古代中国では祭祀、料理、表彰の具、釜茹での刑に用いられた。通常は3本足であるが、方形の鼎は3本ではなく4本の足を持つ。




 左の写真はいずれも中国の殷墟跡博物館に陳列されていた円形、方形の鼎である。
これらの青銅の鼎は、大きさはそれほど大きなものではないが、同じ殷墟の正面には非常に大きな鼎が展示してあった。この殷墟のものは、殷や周の時代のものであり、紀元前1500年のものである。
 下の写真は中国安陽にある「殷墟王陵遺跡」の正門近くに安置されている超大型の方形鼎である。これそのものが遺跡から発掘されたものかはわからない。ただし遺跡内にはかなり大きな鋳型跡が残されていたので、殷の時代にはすでにかなり高度な鋳物技術が発展していたであろうと想像している。
 中国ではこの殷が周によって亡ぼされた後、数百年を経て春秋戦国時代に入り孔子などの諸子百家の活躍の後ようやく秦の始皇帝による天下統一が完成する。



 鼎は中国の王朝においては、非常に大切にされていた。日本でいうとさしずめ「三種の神器」にあたり帝位の象徴とされてきた。
 中国に古くから伝えられている成語に「鼎の軽重を問う」というのがある。この意味は「帝位を狙う下心を持っている」という意味であり、これが転じて、「相手の内情や実力を見透かして、その弱みに付け入る」の意味にもなっている。  この成語が生まれたのは周時代の末期のBC600年ごろ楚の莊王が周王と洛陽郊外で対立していたころの逸話から生まれている。
 当時楚の荘王は春秋の五覇に数えられるほどの実力を持っていたし、天下に対する野心を持ち、周との一戦を構えようと虎視眈々と機会をうかがっていた。荘王はかねてから覇権のシンボルと言われ、周の王室に伝わるという「鼎」というものについて知りたかったので、使者にその軽重を尋ねた。使者は「鼎」について、それが夏の禹王が諸侯に命じて銅を供出させこれを用いて鋳させたものであり、朝廷が夏から殷にそして周に移ってからも700年余り周で受け継がれてきたことをとうとうと述べた後、「そもそも鼎の重さが問題になるものではない。要はそれを持つ者の徳が有るかないかが問題なるのである。鼎は常に徳のある所に移ってきており、周は衰えたといえども、鼎を伝えてきたことは天命の致すところであり、したがって鼎の軽重など尋ねられるいわれはない」と突っぱねた。荘王も力づくで奪うわけにいかず、兵を引き上げたという逸話が残っている。
 ところでこの鼎の行方は、周が滅びた後秦に運ばれる途中、泗水に沈んだといわれている。
    以上「中国故事物語」(後藤、駒田、常石著 河出書房新社)参照 

2015年5月23日土曜日

漢字:鬲の起源と由来



引用 「汉字密码」(P679,唐汉,学林出版社)

読み方:(音)レキ (訓) かなえ
 「鬲」これは一種の民族的色彩の濃い炊事用具である。「鬲」字は象形文字で、甲骨文字ではまさにこの種の煮炊きする用具のデッサンである。下部に3本の足があり、袋状の腹と二つの耳を持っている。金文の「鬲」字は甲骨文字と大方似ている。小篆の形象を失っている。
 「鬲」は古代の陶製の炊事具からきている。丸い口と別れていない3足の足を持っている腹がある。鬲は今から6、7千年を隔てた新石器時代の華夏民族の重要な発明である。


 それは陶器のとがった底と容量不足の矛盾を巧妙に解決し、更に陶器を焼くときに底部の面積が大きすぎて窯の壁が癒着してかつ焼成が失敗するという難題を解決した。鬲の用途は鼎と相似である。これは一種の食物を煮炊きする炊事具である。
 すこぶるつたないデッサンで申し訳ないが、「鬲」とはこんなものだと概念的に理解していただくために提示した。まさに後の「鼎」である。実際はこの表面に、文様が施されている。
 上古社会で多く作られたものは陶製で、また陶鬲に倣って少数のものは青銅で作られた。
 「鬲」の字は多音多義語である。二通りの読み方があり、一つはこの煮炊きの容器の場合ともう一つは「隔てる」という意味で、それは火と水を隔てる噐の一種というところからきている。

 因みに白川静博士の説明は以下のようになっている。
かなえの類で、器腹は分当形(口切に足のふくらみをもっ形)をなし、足は中空の款足である。 [説文]に「鼎の属なり。・・・ 腹の交文と三足に象る」という。又(璽雅、釈器〕に、鼎の款足あるもの、これを鬲と謂ふ」とあり、款足の上部まで物を容れうるので、熱のあたる部分が大きく、器も分当形をなしている。
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2012年8月10日金曜日

臭ーい話 :「厠」 漢字の起源と由来


  これまで中国古代の家に関する漢字の変遷について調べてきたが、ここで少し息抜きに「厠」について考えてみよう。厠と言えば云わずと知れた便所のことである。古代で実際に厠というものが作られたのは、随分時代が下ってからのことではないだろうか。
引用 「漢字源」(主編者 藤堂明保,学研)

 「厠」 漢字源:鼎の傍にナイフをくっつけたさま。厠は「ガンダレ(家を表す部首)+音符(則)」で屋敷の片隅に寄せて作った便所のこと



  トイレと言えば、筆者もお粗末トイレに遭遇したことがある。中国の蘇州のホテルの便所である。ホテルはたしか「如○」という名の大衆ホテルだったと思う。ホテル自体は安宿ながら、新しく清潔だったのだが、そのトイレがどうにも首をひねらざるを得ないものだった。 写真でも分かるようにトイレとシャワー室が一緒になっているタイプであるが、このシャワー室のドアは外開きになっているので便器につかえてシャワー室に入れないのだ。これはどう考えてもドアをつけ間違いの様に思う。外開きとしてもドアが手前に開けばまだしも向こう側に開くようになっているため、入るのには非常に苦労が伴う。自分はそれほどメタボではないが、それでもシャワーを浴びるのに体を捩って、中身が出ないように気をつけて、漸く中に入れたことを記憶している。
  
またインターネットを見ていたら、抱腹悶絶もののトイレをアップしていたサイトを見つけたので、ついでに紹介したい。
  URLは次のリンク 貼貼。 興味のある方はどうぞ。但し中国語サイトなので、お含みおきを。


 そのなかで2,3面白そうなものをピックアップしたい。  私はここに上げた画像のばかばかしさを笑うというより、こんなことを大真面目に手を尽くして頑張る中国人に拍手を送りたい。これぞ文化なのだ。ばかばかしいが将に文化のきわものと言うべきだろう。










私はこの画像を見て、少しショックだった。というのは、どうすればこのようなものを作り出すという発想がでてくるのだろう。

中国人と日本人これは私の永遠のテーマではあるが、日本人には決してこのような発想は出てこないような気がする。

すくなくとも中国人は日本人に比べ、開放的であるし、大らかだ。

ここにはあまり多くの画像はアップしていないが、中国人は日本人の様にあまりいろいろ隠そうとしない。すくなくとも庶民の生活レベルではである。この河の縁の3つの便器に3人の「おっさん」が並んでたれている場面を想像して見ただけで・・。「おぞましい」とみるか?

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