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2021年6月15日火曜日

殷の起源と由来:殷を滅ぼした周人が殷をさげすんで「国の腹全体に膿がたまった国」と呼んだのが始まり

 殷の起源と由来:殷を滅ぼした周人が殷をさげすんで「国の腹全体に膿がたまった国」と呼んだのが始まり


本記事は2012年6月28日木曜日にアップした記事「殷の起源と由来」を全面的に加筆修正したものである
殷という国は、紀元前1600年頃、今の中国の河南省の辺りで栄えた連合体国家であった。殷という国名は殷の人々自身がそう呼んでいたのではなく(むしろ彼ら自身は自分のことを「商」と呼んでいたようであるが)、これを滅ぼした周人がこの商邑という国家連合をさげすみの心で「殷」と呼んだということである。
その心は「殷は国の腹全体に膿がたまった国」という意味だ。


  因みに殷の本義は針でさし、血を放出すること。史書記載に基づけば、最古の針治療で、イシバリ(古代医療用の石針、または石片)で、一種の鋭利な石片である。それで化膿した部分を切り開いたり、身体の部分を指したりして、傷病の治療効果を持つものである。

しかし、これ自体は高度な医療技術で、商人は高い医療技術を身に付けていたことが、図らずも、殷の国の蔑称となった、漢字から明らかになった。



殷という字の解析

  「殷」これは会意文字である。甲骨文字の「殷」の字は左辺はおなかが突出した人間の形である。右辺は今まさに手が鋭い針の形ものを持っている形である。両形の会意文字で、針を以て人の腹を指していることを表示している。疾病を治療する意味である。金文の「殷」の字は、甲骨文字を引き継ぎ、小篆もまた金文を引き継いでいる。文字が一歩一歩変化している中で、楷書の「殷」とかくようになった。


広大な王墓の門

殷の本義は手術用の石針で切り開き、血を放出する

「殷」の本義は針でさし、血を放出すること。史書記載に基づけば、最古の針治療で、イシバリ(古代医療用の石針、または石片)で、一種の鋭利な石片である。それで化膿した部分を切り開いたり、身体の部分を指したりして、傷病の治療効果を持つものである。この種の篩治療手段は3つ効果:その一骨ばり、竹針、金属バリを用いて刺治療、その二は石片、角骨片を用いて急性のカタルを切ったり、放血治療したり、第3には外科手術の切開に用いたりした。

殷は針または放血のことで、放出した血は往々にして赤黒いものである。この為殷には黒紅色の意味もある。《左伝・成公二年》にある如く、「左輪朱殷」は即ち左の車輪は血で染まって赤黒かったという意味である。針石で、化膿部を破った時に声が出た。だから「殷」は声の様な言葉にも見える。「Yin」と読む。《诗·召南·殷其雷》の殷其雷は雷の音殷殷としてのという意味である。 



殷朝の国王の墓に埋葬されていた戦車と人馬
周から見れば
殷は国の腹全体に膿がたまった国

 「殷」も周人が商を滅ぼした後、周人が商王朝に付けた蔑視的なあだ名である。意味は「商王朝の統治者は飲んだくれで色に溺れ。王国全体が腹に膿がたまった病人のようだ。周人はイシバリを手に取った医者で、彼らに最初の手術をした。だから周人は敵を恨み商を殷とよんだ。


周人が殷を滅ぼした後、商王国が数百年架かって作り上げ、蓄積してきた大量の財宝を掠め取った。だから、「殷」は膿の溜まった凸部,腫れという意味から拡張して盛大なとか多いという意味が出てくる。現代中国語の中で「殷」は財物について、充足していることを指す。また感情については「深く厚く」を指す。殷切、殷憂のとおりである。また更に拡張して、熱情、周到の意味もある。殷勤の言葉の様なもの。

 

「漢字の起源と成り立ち 『甲骨文字の秘密』」のホームページに戻ります。

2016年7月26日火曜日

鼎にまつわる故事

鼎とは三つの足と二つの耳を持つ金属製の釜のことで、古代中国では祭祀、料理、表彰の具、釜茹での刑に用いられた。通常は3本足であるが、方形の鼎は3本ではなく4本の足を持つ。




 左の写真はいずれも中国の殷墟跡博物館に陳列されていた円形、方形の鼎である。
これらの青銅の鼎は、大きさはそれほど大きなものではないが、同じ殷墟の正面には非常に大きな鼎が展示してあった。この殷墟のものは、殷や周の時代のものであり、紀元前1500年のものである。
 下の写真は中国安陽にある「殷墟王陵遺跡」の正門近くに安置されている超大型の方形鼎である。これそのものが遺跡から発掘されたものかはわからない。ただし遺跡内にはかなり大きな鋳型跡が残されていたので、殷の時代にはすでにかなり高度な鋳物技術が発展していたであろうと想像している。
 中国ではこの殷が周によって亡ぼされた後、数百年を経て春秋戦国時代に入り孔子などの諸子百家の活躍の後ようやく秦の始皇帝による天下統一が完成する。



 鼎は中国の王朝においては、非常に大切にされていた。日本でいうとさしずめ「三種の神器」にあたり帝位の象徴とされてきた。
 中国に古くから伝えられている成語に「鼎の軽重を問う」というのがある。この意味は「帝位を狙う下心を持っている」という意味であり、これが転じて、「相手の内情や実力を見透かして、その弱みに付け入る」の意味にもなっている。  この成語が生まれたのは周時代の末期のBC600年ごろ楚の莊王が周王と洛陽郊外で対立していたころの逸話から生まれている。
 当時楚の荘王は春秋の五覇に数えられるほどの実力を持っていたし、天下に対する野心を持ち、周との一戦を構えようと虎視眈々と機会をうかがっていた。荘王はかねてから覇権のシンボルと言われ、周の王室に伝わるという「鼎」というものについて知りたかったので、使者にその軽重を尋ねた。使者は「鼎」について、それが夏の禹王が諸侯に命じて銅を供出させこれを用いて鋳させたものであり、朝廷が夏から殷にそして周に移ってからも700年余り周で受け継がれてきたことをとうとうと述べた後、「そもそも鼎の重さが問題になるものではない。要はそれを持つ者の徳が有るかないかが問題なるのである。鼎は常に徳のある所に移ってきており、周は衰えたといえども、鼎を伝えてきたことは天命の致すところであり、したがって鼎の軽重など尋ねられるいわれはない」と突っぱねた。荘王も力づくで奪うわけにいかず、兵を引き上げたという逸話が残っている。
 ところでこの鼎の行方は、周が滅びた後秦に運ばれる途中、泗水に沈んだといわれている。
    以上「中国故事物語」(後藤、駒田、常石著 河出書房新社)参照 

2012年6月28日木曜日

殷の起源と由来:殷を滅ぼした周人が殷をさげすんで「国の腹全体に膿がたまった国」と呼んだのが始まり  

 殷の起源と由来:殷を滅ぼした周人が殷をさげすんで「国の腹全体に膿がたまった国」と呼んだのが始まり

殷という国は、紀元前1600年頃、今の中国の河南省の辺りで栄えた連合体国家であった。殷という国名は殷の人々自身がそう呼んでいたのではなく(むしろ彼ら自身は自分のことを「商」と呼んでいたようであるが)、これを滅ぼした周人がこの商邑という国家連合をさげすみの心で「殷」と呼んだということである。

 その心は「殷は国の腹全体に膿がたまった国」という意味だ。

  因みに殷の本義は針でさし、血を放出すること。史書記載に基づけば、最古の針治療で、イシバリ(古代医療用の石針、または石片)で、一種の鋭利な石片である。それで化膿した部分を切り開いたり、身体の部分を指したりして、傷病の治療効果を持つものである。

殷という字の解析

  「殷」これは会意文字である。甲骨文字の「殷」の字は左辺はおなかが突出した人間の形である。右辺は今まさに手が鋭い針の形ものを持っている形である。両形の会意文字で、針を以て人の腹を指していることを表示している。疾病を治療する意味である。金文の「殷」の字は、甲骨文字を引き継ぎ、小篆もまた金文を引き継いでいる。文字が一歩一歩変化している中で、楷書の「殷」とかくようになった。


広大な王墓の門

殷の本義は手術用の石針で切り開き、血を放出する

「殷」の本義は針でさし、血を放出すること。史書記載に基づけば、最古の針治療で、イシバリ(古代医療用の石針、または石片)で、一種の鋭利な石片である。それで化膿した部分を切り開いたり、身体の部分を指したりして、傷病の治療効果を持つものである。この種の篩治療手段は3つ効果:その一骨ばり、竹針、金属バリを用いて刺治療、その二は石片、角骨片を用いて急性のカタルを切ったり、放血治療したり、第3には外科手術の切開に用いたりした。

殷は針または放血のことで、放出した血は往々にして赤黒いものである。この為殷には黒紅色の意味もある。《左伝・成公二年》にある如く、「左輪朱殷」は即ち左の車輪は血で染まって赤黒かったという意味である。針石で、化膿部を破った時に声が出た。だから「殷」は声の様な言葉にも見える。「Yin」と読む。《诗·召南·殷其雷》の殷其雷は雷の音殷殷としてのという意味である。 



殷朝の国王の墓に埋葬されていた戦車と人馬
周から見れば
殷は国の腹全体に膿がたまった国

 「殷」も周人が商を滅ぼした後、周人が商王朝に付けた蔑視的なあだ名である。意味は「商王朝の統治者は飲んだくれで色に溺れ。王国全体が腹に膿がたまった病人のようだ。周人はイシバリを手に取った医者で、彼らに最初の手術をした。だから周人は敵を恨み商を殷とよんだ。


周人が殷を滅ぼした後、商王国が数百年架かって作り上げ、蓄積してきた大量の財宝を掠め取った。だから、「殷」は膿の溜まった凸部,腫れという意味から拡張して盛大なとか多いという意味が出てくる。現代中国語の中で「殷」は財物について、充足していることを指す。また感情については「深く厚く」を指す。殷切、殷憂のとおりである。また更に拡張して、熱情、周到の意味もある。殷勤の言葉の様なもの。

 

「漢字の起源と成り立ち 『甲骨文字の秘密』」のホームページに戻ります。