ラベル 氏族制度 の投稿を表示しています。 すべての投稿を表示
ラベル 氏族制度 の投稿を表示しています。 すべての投稿を表示

2020年3月9日月曜日

漢字「公」:政治は「公」のもの、だとすれば公開が大原則!!


漢字「公」は氏族の共有の財産であった男の若者たちが「公開」の場所に住んでいたことに由来する
 政治は「公」のもの、だとすれば公開が大原則!!
 最近日本では、公の文書が勝手に廃却されたり隠されたりする事件が相次いでいます。

 漢字「公」は氏族の共有の財産であった男の若者たちを意味する。事実、雄牛を「公牛」、雄鶏を「公鶏」、雄豚を「公猪」と呼んだ。これらはかつての母系制社会であった氏族制度の社会構造を反映したものである。


 そして、春秋戦国時代の荒波を経て、秦の始皇帝が天下を統一し、農耕が発展し、母系制が崩れるようになると、社会は男性が優位になり、女性は一段と低い地位に押し込められるようになる。

引用:「汉字密码」(P882、唐汉著,学林出版社)
唐漢氏の解釈: 「公」の本義は男だという
「公」の本来の意味は若者です。たとえば、甲骨文字の「公宮」という言葉は、「王室の家父長制」の時代に男性が集合的に住んでいた家を指します。
 昔雄鶏のことを公鶏、雄牛のことを公牛とよんだ。これは未だ氏姓制度の時代は、若い男は氏族の共通の働き手であったことから、家を持つことは許されず、女の持つ家庭に夜な夜な通っていた民俗があったからです。牛や、豚、鶏にしても共通の財産であったわけです。


字統の解釈
儀礼を行う宮廷の廷前のところの平面形の象形だとする。廷前の左右に障壁のある形であるとする。



漢字源
 会意文字であるとする。下部は「私」の原字で、三方を取り囲んで隠すことを示し、上部の「八印」はそれを左右に分けることを示している。



結び
以上の三者の解釈を総合すると、字統の神がかった解釈は別として、「公」が共通の場所にいる、若者を指していたということは十分考えられます。

  「詩•召南•采繁」:「被之僮僮,夙夜在公。」の中には「子供」と言われていたときは、夜は公宮にすむとあり、ここで、「公」は男性が住んでいる場所を指しますが、「公宮」はこの時点で既に公の場所の意味を兼ね備えていたと考えられます。

 結論:漢字「公」は氏族の共有の男たちを意味する。ここから公開、共有が派生した


 現代は「公」はおおやけのことと理解されます。そして政治は公のことであるし、自分のことは「私事」といわれ、建前では、一段低いこととみなされます。公のことは必然的に公開されるべきで、誰の目に触れるようにし、誰にも公平であるものでしょう。ところが最近日本では、公の文書が勝手に廃却されたり隠されたりする事件が相次いでいます。何故でしょう。これは公のことを自分の不利益になるとして、私事としたい連中がいることを示しているように思えます。漢字の「私」はまさしく自分のものとして取り込んだり、抱え込んだりすることを表しています。

「漢字の起源と成り立ち 『甲骨文字の秘密』」のホームページに戻ります。

2012年1月15日日曜日

予の原義はセックス。種族を増やすことが存在意義であったことから「我」という意味が派生した

  予は漢語の中で二つの意味がある。その一つは「我」を表す。2の意味は「給、与える」ということである。現代漢語と一脈通じており、「賞状を与え、処分を免れる」の如くである。

「予」の原義は我と「性交」
 甲骨文字と小篆の予の字の上部は女性の生殖器の符号▽で、下部は上向き矢印の形の男性の生殖器の符号である。金文中の予の字は繁体字に変わって以降、更に明確になって男女の間の性行為を表している。


 男女の性交は射精で以て終結する。この為「予」与えるという意味を持っている。男は性交で以て種族の中での存在意義を実現し、自分の氏族の中での位置付けを証明し、それゆえ「予」は「我」の意味がある。

「漢字の起源と由来ホームページ」に戻ります。

2011年11月7日月曜日

漢字「姓」の起源と由来:古代が母系制社会で、女性を始祖とする社会を示している。

会意文字であり、母系制氏族社会で、一人の女性を始祖とし後代まで広がる社会を示している。

「姓」という漢字は古代が
母系制社会であった証左
 甲骨文字の「姓」の字の左辺は女という字で、旁は草木の発芽成長の記号から出来ている。両形とも会意文字であり、母系制氏族社会で、一人の女性を始祖とし後代まで広がる社会を示している。

 金文の「姓」という字では、右辺の字の符号の中の短い横棒と左辺の女偏が人偏に代わっている。このことは、この時期に社会が既に男性の権力の時代に入り、母系制氏族制度が転覆していたことを表明している。小篆の「姓」という字は女と生に回復しているが、これは社会が母系制に回帰したことを示すものではない。

  古代社会では平民と奴隷は皆姓を持ってなかった。ただ貴族のみが姓を持っており、姓の権利が独占されていた。この為にこの時代、「百姓」という言葉は百官を指していたが【即ち百(多く)の姓で代表される貴族という意味】、平民でも姓氏を持つ様になって、「百姓」という言葉は一般庶民を表示するのに用いられるように変化した。
 

「漢字の起源と由来ホームページ」に戻ります。