2021年5月3日月曜日

漢字「戦」の成り立ち:「単」(盾を意味する)に「戈」(ほこを意味する)が加わる。そもそも「戦」の原義は盾が先にあり、身を守ることが先決であった


漢字「戦」の成り立ちと由来の意味するもの:太古の「戦」の字は、盾を用いて守ること、即ち専守防衛を意味していた?
漢字「戦」の成り立ちから見えるもの:太古の「戦」の字は、「単」と「戈」からなりますが、原字(甲骨文字)は「単」という漢字でした。この単という字は、羽飾りのついた「盾」のことだったと云われています。即ち戦という字には、武器を持って戦うという意味はなかった

漢字「戦」の楷書で、常用漢字です。「戦」は甲骨文字では、「単」と書き「盾」を表していました。これは防御を表しています。つまりそもそもは「戦」という漢字に攻撃という概念はなかったのではないかと思われます。
 何故、そうであったか。それには当時の社会経済状態について話せねばなりません。

 当時の社会の生産性は非常に低く、家族単位の日々の食糧を確保するのがやっとでした。そのような状態で、人のものを奪う余裕などなかったはずです。多少のいざこざはあったにせよ、長期的に人の自分の支配下に置くほどの余力はなかったはずです。
 ところが、農業が発達し食糧の余剰が生まれてくると、生活の糧以上のものが、生み出されるわけで、力あるものは、他人の物を取り込み、より多くのものを得ようとし、貧富の差が生じるようになります。

  これが部族単位となると、規模が拡大し、略奪侵略が行われ、戦争が生じるようになったと思われます。

 漢字「戦」も当初は「単」という盾を意味する防衛のみをあらわしていたものであったものが、それに「戈」が付き、攻撃という意味を持つようになりついに「戦」という攻撃も含む言葉まで生み出されました。

 漢字は「社会の母斑」であるということを表したものといえましょう。

戦・楷書


詳しくは、下記の本を参照にしてください。
F.エンゲルス著 『家族私有財産国家の起源』


 単と戈とに従う。単は盾の上部に羽飾りなどをつけてある形。これを取って身を守り戈を取って戦うのである。

 説文に「戦うなり」とし、単声の字とするが、単は楕円形の盾で、戦とは干戈を持つ形。  
戦・甲骨文字
飾りのついた盾を表す
「戦」・金文
甲骨文「単」+戈で単なる防御に攻撃を表す「戈」が加わった。
戦・小篆
ここに至って、攻めると守るの両方の意味が加わり、戦いの意味を完璧に表す


    


「戦」の漢字データ
 

漢字の読み
  • 音読み   セン
  • 訓読み   たたか(い)、いくさ

意味
  • たたかう。武器を持ってたたかう。あらそう。戦争をする。
  • たたかい。あらそい。いくさ。  名詞形
  • おののく。わななく。ふるえる。  戦慄

使い方
  • 名詞  戦い、戦争、戦闘
  • 動詞   たたかう
  • 奮える ぞっとする

熟語   戦争、戦慄、戦後、応戦、舌戦、合戦、観戦、激戦、作戦、参戦




引用:「汉字密码」(Page、唐汉著,学林出版社)
唐漢氏の解釈
 甲骨文の「単」の字は象形文字です。フォーク型の兵器の上に盾を加えたもので、単の字の構成を持っています。上古時代、先民たちは狩りをするとき「干」は便利なものでかつ十分実用的な狩りの工具でもありました。戦争の時はフォークの下に籐で編んだ串状のものを取り付け、原始的な盾にしました。
 

 盾にはあり戈にはない専ら守るだけのもの、兵士にとっては、ただ一種の手段でしかない。このため「単」は一つという意味しか持っていない。最初の「干」の字は攻めるも防ぐも出来て、金文では「戈」を加えて、戈と盾を合わせて「戦」となった。攻めると守るの角度から理解すると、単は戦の初文になる。説文では「战」は「戦、斗」である。このため「战」の本義は、戦闘、戦争である。

漢字「戦」の字統の解釈
 会意文字。単と戈とに従う。単は盾の上部に羽飾りなど付けてある形。これを執って身を守り、戈をとって戦うのである。《説文》に「戦うなりとし、単声の字とするが、単は楕円形の盾で、戦とは干戈を持つ形。金文の図象に左右に干戈を執る形のものがある。単は狩猟にも用い狩りの初文である獣もその形に従う。


まとめ
 「戦」の原字は「単」であったという。この「単」という漢字は、盾を表わす漢字であった。そして「盾」は武器ではあるが、もっぱら防御用の武器で、攻撃には用いられない。このことら、この「戦」という字は、守りを表すものではなかったかという仮説を立てるのは大胆すぎるだろうか。



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2021年5月1日土曜日

漢字の「部と陪」の違いは? 漢字の成り立ちは同じなのにどうして意味が違うの?


漢字の「部と陪」の違いは、「阝」は旁の右にあるか左にあるかの違いだけ!コザト偏とオオザトでは何がどう違うのか
漢字の成り立ちは同じなのにどうして意味が違うの?コザト偏「阝」がオオザト「阝」に変っただけじゃない!
全く同じように見える記号が、左に来るのと右に来るのでは、意味が異なってしまいます。
 この二つは由来が全く異なります。この違いは古文字(甲骨文字・金文・小篆)などに遡って見なければ到底解き明かすことはできません。
コザト偏オオザト



 そこで、ここでは「陪」と「部」という漢字を例に、「阝」という記号が、各々の漢字の中でどのような成り立ちになっているかを見ることにしましょう。



「陪」の漢字データ
引用:「字統」(Page、白川静編,平凡社)

字統の解釈
 形声 声符は咅。《説文》に「土を重ぬるなり」という。培と通用する字であるが、阜は神梯であるから、もと聖所に関する字で、そこに付随するものであろう。陪席、陪食などという。
 
 つまりコザト偏の由来は「オオザト」と全く異なり、「神の梯子」を表し、神が降臨するときや、天に戻るときに用いるもので、祭祀や祭りごとに用いる。
 

 

「部」の漢字データ
引用:「字統」(Page、白川静編,平凡社)
字統の解釈
 形声。 声符は咅、《玉篇》に「分割なり」と訓するように、部分に分かつことをいう。咅は果実など実る形、やがて熟成して剖判するもの(分かれるもの)であるから、分裂・部分の意に用いる。部は邑に従ってその地域をいう。ゆえに地域・行政・職分・地位などの区分にこの字を用いる。部屋とは割り当てられた室のことをいう。
 

 



「邑がオオザトになるまで」
引用:「汉字密码」(Page、唐汉著,学林出版社)
唐漢氏の解釈
 字形を会意方式で整える、上古先民の集まり住んでいるところを表している。今ではいわゆる周りを塀でめぐらした村落や城街を表しいている。小篆で「邑」の字はまさに下部の人間が変化し、楷書では邑と書くようになった。「邑」は本来人々が集まって住むところである。即ち城鎮である。

  字統(P834)の解釈
 □と巴とに従う。□は都巴の外郭、城壁をめぐらしている形。巴は人の起居する様、城中に人の多くあることを示し、城邑・都邑をいう。 

甲骨文字が「邑」という文字に変化する過程とコザト偏になる変化の過程は全く逆の様相を呈している。コザト偏になる変化は、日本のひらがなができる変化と似ている気がする。
 つまり、コザト偏やオオザトが出現するのは、随分後になってからで、筆が日常的に使われるようになってからではないだろうか。 


𨛗に関する異なる見解
「オオザト」という漢字の部首は、大きな集落や町を表す漢字によく使われる部首です。構成要素は、「大(だい)」、「人(ひと)」、「十(じゅう)」、「口(くち)」の4画で構成されています。

「オオザト」を含む漢字には、「都」や「郊」などがあり、これらは大都市や郊外地域を表しています。また、「オオザト」は、「人」と組み合わせることで「人々が暮らす大きな集落」を表す漢字にもなります。例えば、「城」や「邑(ゆう)」、「郷(ごう)」などが挙げられます。
さらに、「オオザト」は、「十」と組み合わせることで、「十人が暮らす集落」を表す漢字にもなます。例えば、「里(さと)」や「鄙(ひな)」などが挙げられます。


まとめ
 全く異なる生まれの記号が、成長して外見上全く同じような記号に変化する。そして、それは再びいろいろの字の中で、全く異なる機能を果たしていく。そしてその背景にも又人間の歴史が介在している。



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